14-27「兄」
銃声が遠ざかっていく。
僕は霧の中を、ゲイルだけを頼りに走り続けた。
音は小さくなっていたが、僕が後にしてきた戦場では、戦いは激しさを増している様だった。
近衛騎兵連隊の奇襲攻撃は成功し、連邦軍は混乱に陥(おちい)ってまともに反撃することができなかった。
だが、いつまでも混乱したままであるということはあり得ない。
近衛騎兵連隊に退却を命じるラッパの音が、かすかに僕の耳にも届いてくる。
霧の中に散らばった全ての近衛騎兵たちに届く様に、何度も、何度も吹き鳴らされているのだろう。
シャルロットは作戦の目的を十分に果たすと、それ以上欲を出さずに素早く撤収の判断を下した。長くとどまって連邦軍からまとまった反撃を受ければ、近衛騎兵連隊はあっという間に壊滅してしまうからだ。それくらいの兵力差があった。
近衛騎兵連隊はその命令によって退却を開始したはずだったが、ようやく混乱から立ち直り始めた連邦軍は、それまでに受けた被害の仇(あだ)を討とうと、熱烈な反撃に転じ、逃げる近衛騎兵連隊を追っているのだろう。
霧の中で倒れて行った近衛騎兵たちの姿が、僕の脳裏に浮かぶ。
それは、言い表しようのないほど、僕にとっては恐ろしいことだった。
そうしなければならない理由があったとは言え、あの人たちは、僕を逃がすために犠牲となったのだ。
僕は、慌てて自分の頭を左右に振った。
今は、その恐ろしい事実について向き合えるような時間が無い。
少し冷静になった僕は、ゲイルの息があがって来ていることに気がついた。
無理もない。
ゲイルは高齢な上に、連邦軍の陣地を突破するためにずっと走り続けてきたからだ。
僕が彼に乗馬について教えてもらっていた頃はもっと長く走ることができたと記憶しているが、僕はその頃より大きく、体重も増えているし、ゲイルは年を取ってしまった。
僕は何としてでも味方の前線にたどり着く必要があったが、ゲイルに倒れてもらっては困る。彼無しで作戦がうまく行くとはとても思えない。
僕はゲイルを走らせる速度を少しずつ落とし、常足(なみあし)として、ゲイルに息を整えてもらうことにした。
ゲイルはゆっくりと歩きながら鼻息を荒くして呼吸を繰り返し、ぶるるる、といなないて首を左右に振った。
全力で走ったことで、寒い冬の朝であるにも関わらず、ゲイルの鬣(たてがみ)には汗が滲(にじ)んでいて、彼の身体からは湯気が立っている。
「ありがとう、ゲイル」
僕がそう言って彼の首筋を撫でてやると、ゲイルはどういたしまして、とでも言いたげに僕の方を少しだけ振り返った。
僕らが何とか得た少ない情報からすると、王立軍が開始した連邦軍への反攻作戦は、順調に進展しているらしい。
だからこのまま進み続ければ、僕と友軍は合流できるはずだった。
僕は他の連邦軍との遭遇(そうぐう)を避けるために太い道を避け、地元の人間しか通らない様な、曲がりくねった細い道をゲイルと一緒に進んで行った。
少しだけ、昔に戻ったような心地がした。
ゲイルは、僕にとっては乗馬の先生の様な存在で、僕の乗馬の技術は全て彼と一緒に覚えたものだ。
ゲイルは父さんの相棒を長く務めたこともあって、父さんの馬の乗りこなし方を完璧に把握していた。だから、僕が多少失敗しても落ち着いて合わせてくれた上に修正までしてくれて、いつでも僕をリードしてくれた。
旧友、と言うよりは、僕にとっては兄のような存在だった。
僕は飛行機と言う存在を知り、空を飛ぶことを夢見てパイロットという道へと進んだが、このままパイロットでいるよりも、父さんの牧場を継いで、馬と一緒にのんびり暮らすというのも、楽しいかもしれない。
緑の草原を風が吹き抜け、蝶々(ちょうちょう)や鳥たちがのんびりと空を舞っている。
羊たちはのどかに草をはみ、僕は穏やかな日の光を浴びながらいい匂いのする原っぱで昼寝をしていて、かたわらには賢い相棒のゲイルがいる。
なんて素敵な光景だろう!
だが、今は戦争中だ。
僕の空想の様に、平和でのどかな場所など、どこにもありはしない。
シャルロットが言っていた言葉がふと、頭の中に浮かんで来た。
「キミ自身のやるべきことを、精一杯やってくれ」
だが、僕がやるべきことというのは、いったい、何なのだろうか?
連邦によって僕が政治利用されないために命がけで僕を逃がしてくれた人たちにとって、僕が果たすべき役割というのは、何なのだろうか?
また、頭の中が考えることで忙しくなっている。
今は何を置いても、味方と合流することに集中しなければならないのに。
気づくと、霧が少し薄くなってきている様だった。
まだ完全に晴れたわけでは無かったが、見通しがずっときく様になってきている。
おかげで、僕がいる現在位置を大まかに確かめることができた。
どうやら脱出した時の計画通り、街の東側に向かって進むことができている様だった。
全てが順調に行っていることが分かってほっとした時、僕は霧の向こうで黒い影が動いていることに気がついた。
ちょうど僕の方から見て、少し太めの道が東から西へ向かってのびているところだ。
大きい影がいくつも連(つら)なって、人が歩くよりも少し速いくらいの速度で東から西へと進んでいる。そしてその周囲には、ちょうど人間くらいの大きさの影がたくさんあって、人が歩くくらいの速度でゆっくりと東から西へと動いていた。
それが連邦軍の車列であると気づくのに、時間は必要無かった。
大きい影は連邦軍の輸送トラック、小さな影は行軍中の連邦軍の将兵だ。
僕から見えているということは、あちらからも僕が見えているということだ。
僕は素早く辺りを見回して隠れられそうなところを探してみたが、そこは農地の真ん中で、僕だけならまだしも、ゲイルと一緒に隠れられそうなところはどこにも無い。
連邦軍の車列から、大声で僕に向かって誰何(すいか)する声が聞こえて来たのは、その時だった。
連邦の言葉なので僕には意味が分からないはずなのだが、その時は状況のせいかはっきりと僕にも意味が理解できた。
「走れ、ゲイル! 」
僕は反射的にゲイルを駆けさせた。
霧は薄くなってきてはいるが、まだ完全に消え去ってはいない。
もし、僕らが逃げ出せるとしたら、その中に駆け込むしか方法は無かった。
だが、銃声が響き、その音に驚いたのか、ゲイルが悲鳴の様な声で鳴きながら後ろ足で立ち上がった。
僕は彼に振り落とされない様に必死になって手綱を掴(つか)みながら、ドウドウ、ドウドウと叫び、彼を何とか落ち着かせようとする。
その間にも、連邦軍の側からは何発も発砲音が聞こえ、弾丸が僕らのすぐ近くを飛翔していく音と気配を間近に感じ取ることができた。
ゲイルは、どうにか落ち着きを取り戻してくれた。
彼は僕の指示に従い駆け出すと、あっという間に加速して、僕を連邦軍から遠ざけ、霧のベールの向こうへと連れて行ってくれた。
背後で、連邦軍の将兵からのものらしい叫び声がし、銃声が散発的に聞こえてくる。
それらが、少しずつ小さくなっていく。
どうやら、連邦軍は僕らを追いかけて来ない様だった。
彼らには車両があったはずだが、土の柔らかい耕作地の上を追いかけて来られる様な車両をたまたま持ち合わせていなかったらしい。
僕が単騎だったこともあって、追いかけるだけ無駄だと思ってくれたのかも知れなかった。
だが、僕はゲイルを全力で走らせ続けた。
敵は僕を追いかけて来ていない様に思われたが、それは僕の錯覚(さっかく)だという可能性もあるし、近くに他の連邦軍がいないとも限らない。
この辺りには確か、森とまでは言わないが、開発されずに残っている林があったはずだ。
そこまでたどり着ければ、ひとまず安全に隠れることができる。
そこで夜まで待って、それから味方と合流するためにもう一度出発するつもりだった。
やがて、薄くなった霧の向こうに、林が見えてくる。
突然ゲイルが倒れたのは、その時だった。
ガクン、と急に全身の力が抜けた様な感触だった。
僕はなすすべもなく彼の背中から放り出され、地面の上にゴロゴロと転がった。
農地の柔らかない土で無かったら、きっと無事では済まなかっただろう。
急に何があったのかと慌てて見回すと、僕は倒れたゲイルの姿を見つけた。
「ゲイル! 」
僕は、急いで彼に駆けよった。
馬が乗り主を気に入らなくて振り落とすというのは、よく聞くことだった。
だが、僕は自慢ではないが乗馬については素人では無かったし、ゲイルはそんなことをする様な気象の荒い馬では無い。
僕が駆けよってゲイルの側(かたわ)らに跪(ひざまず)くと、彼は僕が近くに来たのが分かったのか、ヒヒン、と小さく鳴いた。
弱々しい、力の無い声だ。
それだけでも、彼に何か異変が起こったのだと知れた。
そして、その異変の正体は、すぐに見つかった。
彼の腹部には銃創(じゅうそう)があり、そこから、大量の血が流れ出していたからだ。
ゲイルから流れ出した血は土を黒く染め、振り返ると、血痕は僕らが走って来た方向へ続いている様だった。
「ゲイル! 今、助ける! 」
僕は彼の傷口を抑え、少しでも出血を減らそうと試みる。
確か、ナップザックの中には包帯も入っていたし、それを使えばもっと出血を少なくできるかもしれない。
だが、全てが手遅れだった。
僕がナップザックに手をのばす間もなく、ゲイルは呼吸することをやめた。
あの時だ。
ゲイルが、銃声を聞いて立ち上がった時。
僕は彼が銃声に驚いたのだと思ってしまったのだが、ゲイルは父さんが騎兵として軍に勤めていた頃からの相棒で、立派な軍馬だ。
銃声や爆発音ごときで驚くはずが無かった。
僕はそれに、もっと早く気づくべきだった。
だが、気がつくのが遅すぎた。
ゲイルは僕の指示に従い、僕を逃がすために必死になって、力つきるまで走ってくれたのだ。
その血が無くなってしまうまで、ずっと。
そして、たった今、死んだ。
嫌だ。
こんなことは、嫌だ!
ゲイルは僕にとっては、兄のような存在だったんだ。
賢い馬で、優しくて、いつでも頼りになった。
たくさん働いて、年を取って。
残された命をゆっくりと燃やし、そして、僕ら家族が看取る中で、穏やかに最後を迎える。
そんな結末こそが、彼にはふさわしかったのに!
あまりに、突然のことだった。
僕は彼の傷口をきつく抑えたまま、何もできず、何も考えることができず、ただ、目を見開いたまま、じっとその場で硬直していることしかできなかった。
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