13-15「シザーズ」
自身の僚機を救うために僕の前へと飛び出して来た敵機は、どうやら、トマホークの部隊章を持つ部隊の隊長機であるらしかった。
よく見ると敵機には機体の製造番号以外の数字が書き込まれていて、その敵機には、部隊章と一緒に、その隊の1番機であることを示す1という数字が描かれている。
責任感の強い隊長なのだろう。
そして、素晴らしい腕前を持つパイロットで、優れた戦術眼を持つ経験豊富な指揮官でもある。
僕らが敵では無く、平和な時代に出会っていたとしたら、僕はきっと、その機のパイロットに尊敬の気持ちを持っただろう。
だが、今の僕にとって、その敵機は、倒さなければならない敵でしか無かった。
敵機は、僕の眼の前に飛び出した後、もう一度僕の背後を取ろうとする動きに入る。
当然、僕はその敵機の前に出るつもりは無かった。
僕はどうにか致命傷を受けずにいるが、その機の前に出てしまえば、今度こそ撃墜されてしまうかもしれない。
僕は機体をロールさせ、その機の目前に出ることを回避し、その背後につこうとする。
敵機も、僕に背後を取らせず、そして、さらに僕の背後につこうと機体を操作した。
僕と敵機は何度も離れては交錯(こうさく)し、攻撃位置につこうと競い合った。
いつの間にか、僕らはシザーズと呼ばれる空戦機動に入っていた。
これは、お互いにお互いの背後を取り合い、機体をローリングさせて距離を取り合っている内に機体の航跡が交錯(こうさく)を繰(く)り返す様子が、ハサミが開閉される動きに見えることからそう呼ばれている空戦機動だ。
僕はヒビの入った風防越しに敵機の姿を追い、どうにか敵機の背後につこうと、そして、敵機の前に出ない様に、必死になりながら感覚だけで操作を繰(く)り返した。
わずかなチャンスを狙っては射撃し、敵機も僕を撃った。
シザーズの状態に入った場合、一般的に、より旋回性能に優れる機体が勝利するとされている。
旋回半径が小さい機体の方がより小回りが効くので敵機の背後を取ることができるからだったが、僕らの戦いは決着がつきそうになかった。
旋回性能では、僕のベルランの方が勝っている様だった。
だが、ロールの早さについては、敵のジョーの方に分があるらしい。
僕は旋回半径の小ささで敵機の背後に迫ることができたが、敵機の方が切り返しは速く、僕よりも逆方向の旋回に入るのが早い。その分で旋回する間に得た差を打ち消されてしまっている。
機体の性能が拮抗している状況では、何がきっかけで決着がつくか分からない。パイロットの腕だけでなく、機体の状況も影響して来るだろう。
だが、僕はこの点についてはほとんど心配していなかった。
恐らくは敵機よりも僕の方が被弾した数が多いはずだったが、僕の機体のエンジンは、相変わらず快調だった。100オクタンのG4燃料のおかげもあり、ずっと全力運転を続けているのに少しも問題を起こさない。
それに、僕の機体は、カイザーたち整備班が丹念(たんねん)に整備してくれたものだ。多少被弾したからと言って、簡単に不調になったりしないはずだ。
それに、僕の背後には、ライカがいるはずだった。
無線機が故障したせいで連絡が取れなくなっていたし、僕は敵機の姿を追うので精いっぱいな上に、機体の姿勢と位置がどんどん変わるのでライカがどこにいるのか分からなかった。
だが、彼女は必ず、僕の近くに居る。
僕の機体と敵機が短い間に何度も交錯するので、僕の機体に射撃を命中させてしまうのを心配して撃ってきていないだけだ。
きっと、慎重に、射撃のチャンスをうかがっているに違いない。
僕にはライカの状況を知る術が無かったが、それでも、僕は彼女のことを信じていた。
ライカが、僕のことを信じて、また一緒に飛んでくれた様に。
もし、敵機に対して勝っているところがあったとすればそれは、僕自身が、僕を取り巻く人々にとても恵まれているという点だっただろう。
敵機のパイロットの方が、腕でも、経験でも、全てで僕を上回っている。
だが、先に隙(すき)を見せたのは、敵機の方だった。
突然、僕の視界の外から敵機へと射撃が浴びせられた。
敵機はその攻撃を直前で察知し、回避運動に入ったために命中弾は無い。だが、その回避運動の間に、僕の機体が敵機の背後を取った。
視界外から浴びせられてきた射撃は、レイチェル中尉とカルロス軍曹からのものであるらしかった。
視界の隅を、2機の友軍機の機影が高速でよぎっていく。
射撃のチャンスは、ほんの一瞬だけだ。
中尉と軍曹が作ってくれたこのチャンスを、逃すわけにはいかない。
僕は照準器に敵機を捉えると、1発でも多く命中する様にと祈りながらトリガーを引く。
ベルランの12.7ミリ機関砲弾が次々と発射され、曳光弾の軌跡が敵機へと向かっていき、吸い込まれた。
敵機の右主翼から、エルロンが吹き飛ばされるのが見える。
それは、その敵機に対しては、本来であれば致命傷では無いはずだった。
その敵機のパイロットの腕前であれば、片翼のエルロンを失っても何とか機体を制御し、無事に基地まで帰還できたかもしれない。
だが、敵機を追っていたのは、僕1人では無かった。
エルロンを失ったことでバランスが崩れた瞬間を、僕の後方から攻撃の機会を慎重にうかがっていたライカの射撃が捉(とら)えた。
ライカはまだ、20ミリ機関砲を温存していた様だった。
曳光弾の軌跡が次々と敵機へと突き刺さり、貫き、引き裂いていく。
敵機は炎を曳いた。
そして、僕は確かに目撃した。
無数の命中弾を受けるその敵機の操縦席の中で、黒ずんだ赤い色をした霧が、ぱっと広がった瞬間を。
僕がその光景から目を離せないでいる間に、敵機はどんどん、高度を落として行った。
炎と黒煙でできた線を空に描きながら、真っ逆さまに落ちていく。
プロペラはまだ回っていた。操縦系も、恐らくはまだ生きている。
だが、その機は微動もせず、やがて王国の大地に突き刺さって、バラバラに砕け散った。
僕は、その機の最後から、少しも目を逸(そ)らすことができなかった。
これは、まぎれもなく勝利と言ってよいことだ。
だが、僕の心の中には、勝利の余韻(よいん)や、興奮や、喜びとか、そういった感情は少しも存在し無かった。
ついさっきまで感じていた強い恐怖ももう存在しなかったし、安堵(あんど)や、充足感といった気持ちも無かった。
僕の耳には、自分の呼吸の音だけが聞こえている。
無線機が壊れてしまったからというだけではなく、エンジンの音さえも、僕には聞こえていなかった。
もし、少しでも何かが違っていれば、撃墜されていたのは、あのパイロットではなく、僕の方であったはずだ。
敵機のパイロットは、僕よりもずっと優れたパイロットだった。
そして、仲間想いで、勇敢だった。
尊敬に値する、素晴らしい人物だ。
僕が勝てたのは、僕の実力ではない。
僕には仲間がいたが、敵機の仲間はここにはおらず、彼は1人でこの空を飛んでいた。
僕の中にその時あったのは、アンフェアな条件で戦うことになった敵機に対して、何故か少し申し訳ないという気持ち。
それと、偶然に生き残ったのだという、そういう実感だけだった。
気づくと、僕の隣には、ライカの機体が並んでいた。
その向こうには、レイチェル中尉とカルロス軍曹の機体の姿もある。
ライカの青い瞳が、心配そうに僕の方を見ている。
その瞳に気づいた時、僕の心は、じんわりと暖かくなって、ようやく、生き残れたことに喜びや嬉しさを覚えた。
そして、僕の意識は、現実へと呼び戻される。
僕はジェスチャーで、ライカに無線機が故障していること、機体の飛行に問題が無いこと、僕自身にも怪我が無いことをどうにか伝えた。
ライカは少し安心した様な表情になると、レイチェル中尉と連絡を取って状況を報告した様だった。
レイチェル中尉からは、このまま撤退するという指示が出されたらしい。
友軍はまだこの空域で戦い続けていたが、 僕らは燃料の残量が少なかったし、弾薬も消耗(しょうもう)していて、これ以上戦い続けることは難しかった。心残りではあったが、撤退という判断は、妥当なものだろう。
僕はライカのジェスチャーに頷(うなず)いて見せ、ライカが機体を旋回するのに合わせて機体を旋回させ、帰還のための進路を取った。
僕の脳裏からは、勇敢で素晴らしい腕前を持った敵機のパイロットの、その最後の姿が離れない。
それでも、僕は、この結果を喜ぶべきなのだろう。
僕も、仲間も、全員、生きのびることができたのだから。
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