13-3「アヒルのブロン」

 僕らがフォルス第2飛行場に滞在する期間は、数日間の予定となっていた。

 僕らだけであれば飛行機で飛んでいけばいいだけなので、補給が完了し次第、南へと向かうこともできた。だが、飛んでいった先には他の部隊が僕らとは別にいるため、僕らの機体まで整備できる様な余裕が無かった。

 だから、僕らだけが先に目的地に到着してもどうしようもない。


 少し時間はかかるが、鉄道で部隊の他の人員が目的地に着き、僕らの受け入れ準備が整うのを待つ他は無かった。


 幸いなことに、僕らはフォルス市の周辺に展開している第2航空師団の整備部隊の助力を受けることができ、必要とされる補給と整備は受けることができた。


 第1航空師団の後退はまだ、始まったばかりだった。僕らはその先遣隊で、これから僕らに続いて数百機の航空機がフォルス市周辺の空軍基地で補給と整備を受け、南へと向かうことになっている。

 第1航空師団は、その本来の定数を満たす部隊を1つも保有してはいなかったが、それでも、全体で見ればその総数はやはり大きい。

 僕の機体を整備してくれた整備士たちは、やりがいはあるがどうしても気が重くなってしまうと、肩をすくめていた。


 最低限の整備と補給しか保証されていないため、僕らがフォルス第2飛行場にいる間は、出撃はもちろん、訓練でさえ、ほとんどできない。

 だからと言って、僕らは漫然(まんぜん)と休んでいることはしなかった。

 ここ最近は悪天候が続き出撃自体も少なく、実質的には長い休暇(きゅうか)の様な日々が続いたおかげで、僕らの体力は有り余っている。


 だから、僕らはフォルス第2飛行場にいる間、体力トレーニングに励(はげ)むことにした。

 レイチェル中尉が組んだ訓練メニューに従い、筋力トレーニングを行ったり、持久走をしたり。


 パイロットとして、操縦(そうじゅう)の技術や、飛行についての理解はもちろん大切なものだった。

 だが、それらを十分に持っていても、実際に身体の動作として現実に動かすことができなければどうにもならない。


 機体の操縦桿(そうじゅうかん)は、速度が出ていればいるほど、重く感じられるようになる。油圧による補助があるので大きな問題にはならないのだが、それでも、操縦桿(そうじゅうかん)を動かすのに力はあればあるほどいい。

 それに、急旋回でもすれば、猛烈な負荷が体にかかる。その負荷に耐えられるだけの膂力(りょりょく)と体力が無ければ、僕らは敵機に打ち勝つことはできないし、生き残ることだって難しいだろう。


 戦いに勝つため、という目的も当然あったが、それは同時に、僕らがこの戦争を生きのびていくためでもあった。

 誰も、死ぬために戦っている人間など、いないだろう。少なくとも僕はそんな人に出会ったことは無かった。


 幸いなことに、フォルス市の周辺までやって来ると、降雪もほとんど無かった。

 僕らはレイチェル中尉やカルロス軍曹のかけ声に叱咤(しった)されながら、毎日、トレーニングに励(はげ)んでいった。

 ハットン中佐やクラリス中尉、アラン伍長が加わることもあった。だが、ハットン中佐は年長のためかすぐにバテてしまい、クラリス中尉も頑張ってはいたが、少し無理をしている様子だったのでレイチェル中尉からストップをかけられてしまった。

 最後まで残っていたのはアラン伍長だけだったが、彼の体力には素晴らしいものがあった。それに伍長は時々、冗談なども言って僕らを笑わせてくれたので、一緒に走っていてとても楽しかった。


 そうやって僕らが汗を流しているのを間に、僕らの新しい仲間となったあの食いしん坊で真っ白なアヒルは、すっかり部隊のマスコットと化していた。


 彼はとうとう、名前まで持つ様になった。

 その名前は、「ブロン」。名づけ親はライカだ。


 「白」という意味の言葉で、何のひねりも飾(かざ)り気もない名前だったが、彼の特徴をよくとらえていて分かり易い。


 アヒルのブロンは、陽気な仲間だった。

 彼は今までの仲間と離れ離れになってしまったのだが、あまり寂しくはない様子で、今まで通り、いつでも楽しそうにクワッ、クワッ、と鳴いている。

 トレーニングの合間に休憩中の僕らの所へやって来ては、甘えるようにすりよってきたり、真っ白な翼をバタバタとさせて僕らに心地良い風を送ってくれたり、僕らの周りをただただ楽しそうにぐるぐると駆けまわったり。

 彼と一緒にいると、僕らは少しも退屈しなかった。


 僕らはもう、半年にも渡って、この戦争を戦っている。

 何度も危険な思いをしたし、いつでも、僕らの生と死は隣(とな)り合わせだった。


 そんな日々を過ごして来たのだから、僕らの心も、少なくない傷を負っていたらしい。


 僕らは、自分たちが生きのびていくため、そして、他の人々や、僕らの故郷を少しでも守ろうと戦ってきた。

 ずっと必死になっていたから、少しも気がつかなかったのだが、やはり、そうやって戦い続けて来たことは、僕らの心にとって大きな負担になっていた様だった。


 その重りが、ブロンと一緒にいると、少しずつ溶けていくような心地がした。


 ブロンの様な動物にとって、人間の世界の出来事はあまり関係が無い様だ。

 彼にとっては、戦うための道具である戦闘機でさえ単なる遊び道具であり、車輪を嘴(くちばし)で突いて感触を確かめてみたり、どうにか機体の翼の上に飛び乗ろうと自分の翼をばたつかせてみたりと、無邪気にじゃれついていく。


 そんな彼の姿を見ていると、僕らはその一時だけは、今が戦争の最中であるということを忘れることができた。


 それに、彼はなかなか賢かった。

 僕らがトレーニングをしている間に、格納庫の整備班に必要な道具を嘴(くちばし)でくわえて差し出すと撫(な)でてもらえるということを学習したらしく、いつの間にか、彼は僕ら以外の基地の人々にも人気者となっていた。

 中にはパンくずなど、食事の残りを持ってくる人もいて、ブロンは度々(たびたび)、ちょっとしたご馳走にありついている様だった。


 彼が食いしん坊なのは、相変わらずだ。

 そうやって、僕が用意するエサ(ブロンの世話係は、動物に一番詳しい僕の担当になっていた)以外にもいろいろ食べさせてもらっているにも関わらず、隙(すき)さえあれば僕らの食べ物を狙ってくる。


 トレーニングの合間の軽食にしようと取っておいたサンドイッチを、僕の背後から忍びよってかっさらっていった彼のことを、僕はまだしばらくの間、許せそうにない。


 王国の北部ではまだ断続的に悪天候が続いているらしく、連邦軍機の活動はほとんどみられていなかった。

 相変わらず偵察機はいくらか飛んできている様子だったが、それもごく少数にすぎず、前線での戦いは落ち着いている。


 何だか、戦争が終わってしまったかのような、そんな錯覚さえ僕は覚えた。


 思い返せば、僕らにとってこの戦争が始まったのは、今行っているトレーニングの様に、フィエリテ第2飛行場の滑走路の周りをランニングしていた時のことだった。


 フォルス第2飛行場は常設の飛行場で、どことなく雰囲気がフィエリテ第2飛行場に似ている。

 まるで、戦争など無かったあの頃(ころ)に戻った様な気分にさせられる。


 だが、周りを見回してみれば、そんなことは僕の幻想でしかないと気づかざるを得ない。


 戦争が始まってから、フォルス市周辺の空軍施設では設備の増強が続けられていた。

 これは、フィエリテ市が陥落する、しない、という以前に、前線に航空兵力を展開し、その兵力を維持していくためには、フォルス市周辺の空軍設備の拡張が必要不可欠だったからだ。


 前線へと向かう航空機は必ずフォルス市周辺の空軍基地を経由することになるし、後退させる時もそれは変わらない。

 それに、敵の飛行場などを集中的に攻撃するためには、敵機の攻撃が簡単には及ばない、前線から少し離れた場所にまとまった戦力を配置できる方が都合良かった。

 前線の防空任務や、近接航空支援などの地上支援は後方の基地からではどうしても対応が遅れがちになり、どうしても前線近くに飛行場を持っておいて部隊をそこに配備する必要があった。だが、まとまった戦力を敵にぶつけたいときは、大きな兵力を安全に置いておくことができる場所に、一度にまとめて多くの機体を出撃させることができる十分な設備がどうしても必要だ。


 元々、フィエリテ市の周辺と同じ様に、フォルス市の周辺にも戦時に飛行場として機能する秘匿(ひとく)基地が建設されていたが、戦争になってからその数はどんどん増やされている。

 フォルス第2飛行場の様な常設の飛行場でも、それは同じだ。敵機の攻撃によっても容易に飛行場としての機能を喪失(そうしつ)しないように滑走路は1本から2本に増やされていたし、航空機を安全に保管、整備できるバンカーがいくつも増設されている。


 滑走路からうねうねとのびていく誘導路の先には、まだコンクリートが固まりきったばかりという状態の真新しい鉄筋コンクリート製のバンカーがいくつも並んでいて、僕らの機体もその内のいくつかに分散して保護されている。


 平時には必要とされないそれらの設備の存在が、僕らが今、どんな出来事に直面しているかの、何よりの証明だった。


 それでも僕らの心は、開戦以来、一度も経験したことが無いくらいに穏やかだった。


 それは、僕らに新しく加わった仲間、ブロンのおかげだ。


 僕はトレーニングで火照(ほて)った身体をブロンが翼をバサバサさせて起こしてくれた風で冷やしながら、他のみんなと同じように笑っていた。

 戦争のことなど全て忘れて、心から笑うことができた。


 こんな時間が、ずっと、続けばいいのに。

 僕はそう願ったが、だが、その願いが叶うことはない。


 僕らが南へ向けてさらに飛び立とうと準備を済ませ、機体の発進準備をしていた時、これまで活動を休止していた連邦軍が大きな行動を起こしたという連絡を受け取ったからだった。

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