第13話:「フォルス防衛戦」

13-1「後退命令」

 昨晩、フィエリテ市の周辺で初雪が観測された。

 とうとう、本格的な冬がやって来た。


 これから数週間、王国北部の天候は荒れることになる。ほとんど毎日の様に雪が降り続けるだろう。

 アルシュ山脈にぶつかって吹き上げられた空気は、この時期になると北から張り出してくる寒気によって急速に冷却され、毎年、たくさんの雪を降り積もらせる。

 1月もすれば雪は降り止んで天候は安定するが、王国の北部は雪によって閉ざされることになるだろう。


 僕が生まれ育った牧場は王国北部のフィエリテ市よりも、王国中部のフォルス市の方に近く、軍隊に志願して初めてフィエリテ市を訪れることになった僕は、その雪の多さに悩まされることになった。

 僕の故郷でも雪は降るが、道のわきに山ができる程の量は降ったりしない。せいぜい、足の脛の半ばまでが埋まるくらいだった。

 そのせいか、簡単に腰よりも上の辺りまで降り積もり、冬の最初から終わりまでずっとどこかに雪が残り続けるフィエリテ市の景色は、初めの内は物珍しく、僕にとっては面白いものだった。

 最初だけは。


 だが、すぐに、僕は雪のことが大嫌いになった。

 訓練を兼ねて、街中の雪かきをやらされたせいだ。


 雪というのは、ふわふわと舞い降りてくる印象と違って、とても重いものだった。

 それを、一日中、シャベルで取り除いては、一輪車に乗せて、雪置き場まで運び出す。

 牧場での仕事も重労働だったから体力的には何とかなったのだが、僕は、その単調な作業に半日で飽(あ)きてしまった。


 それでもフィエリテ市の周辺はまだマシな方であるらしく、さらに北の、アルシュ山脈の山裾に近い地域では、見上げる様な高さまで雪が降り積もる場所もあるのだという。


 幸い、パイロットコースに進んだ後は、僕らは雪かきという、訓練という名目の単純労働からは解放された。

 僕らが訓練を行っていたフィエリテ第2飛行場には除雪用の機械が配備されており、雪が降ってもすぐに除雪が可能だった。このため、僕らはパイロットとしての訓練に専念することができた。


 フィエリテ市は連邦軍によって占領されてしまった。フィエリテ市が王国の手にあった時、除雪に活躍していた機械たちがどうなっているのかは分からなかったが、僕らにとっては幸いなことに、連邦軍の手には渡っていない様子だった。

 王立軍の施設は繰(く)り返し攻撃を受けていたから、そのせいでほとんどの機材も破壊されてしまったのだろう。


 どうしてそれが分かるのかと言えば、王国の北部で雪が降りだして以来、飛来してくる連邦軍機が目に見えて減ったからだ。

 それはもちろん、王国北部の天候不順の影響でもあったが、偶然、天候が回復した日でも、連邦軍機はほとんど飛んでこなかった。もちろん、連邦と王国が戦うのを見物している帝国軍機も同じだ。


 おかげで、雪が降り始めてからの数日間、僕らは毎日、退屈だった。

 もちろん、これはいいことだ。

 戦わなくて済むのなら、それでいい。


 だが、すぐに、雪は僕らの基地にまで降り積もることになった。

 最初に降ったのは20センチほどだったが、それだけの雪でも、戦時の臨時飛行場の1つでしかない僕らの基地、フィエリテ南第5基地にとっては事件だった。


 幸いなことに、基地には農業用のトラクターがあり、そのトラクター用の機材として除雪用の装備が用意されていた。

 除雪用の装備と言っても、フィエリテ第2飛行場で見かけた様な、専用の高性能な除雪機械ではない。降り積もった雪を雪かき機で右か左にはねのけて行くだけの単純な機械で、深い雪に対してはどうしようもない。

 除雪機を装備したトラクターは限られた性能しか持たないせいで、一晩中、雪が数センチ降り積もっては除雪するというのを繰(く)り返し、除雪機の入れない細かいところは手すきの人員の人力が投入され、かろうじて飛行場としての機能が維持された。


 除雪機のおかげで僕らは何とか活動を続けることができたが、これは、部隊にとってはあまり嬉しい出来事では無かった。

 雪が降るたびに、基地は除雪で忙しくなり、それ以外の活動に使えるはずだった労力の多くが除雪のために割かれてしまうからだった。


 今はまだ良かったが、フォルス市よりもフィエリテ市の方により近いフィエリテ南第5飛行場も、フィエリテ市と同じくらいとまでは言わないが、かなりの量の雪が頻繁(ひんぱん)に降ることになる。

 そうなれば、王国北部の雪に悩まされている連邦軍や帝国軍と同じ様に、僕らの行動も鈍くなってしまう。


 このことを問題視されたのか、僕ら、301Aを含む第1戦闘機大隊には、基地を移動するようにとの命令が下された。

 この命令は、第1戦闘機大隊だけではなく、その上位の組織である第1航空師団全体に出されたものだった。

 要するに、後退命令だ。


 司令部はどうやら、雪によって敵軍の活動が鈍っているこの時期に、開戦以来ずっと働き詰めだった第1航空師団を後方へと下げ、本格的な部隊の再建と、連戦続きだった将兵にきちんとした休暇(きゅうか)を与えようと考えているらしかった。


 実際、僕らは開戦からずっと、ほとんど休みなく働いて来ていた。

 フィエリテ市の失陥以来、大規模作戦の中休みの様な状況となり、他の部隊と交代で定期的な休息もとれるようになってきてはいたが、これまでの戦いで蓄積(ちくせき)した疲労を抱えている人員も多かったし、機材の消耗(しょうもう)も進んでいた。

 苦しい状況の中で、王立空軍の各部隊にはできる限りの人員補充と補給が行われていたのだが、開戦時の連邦と帝国による先制攻撃とそこから続いた激戦による消耗(しょうもう)も多く、完全なものとは言えなかった。


 実際のところ、僕ら第1戦闘機大隊を構成する3つの中隊の内で、その本来の部隊定数を満たしている隊は1つも無かった。

 これは、他の部隊でも同じことだ。

 中には、定数を満たしていないどころか、1機も保有機を持たず、その人員も他の部隊への補充のためにまわされてしまっていて、名前だけしか残っていないという部隊さえ存在する。


 この様な状態だったから、本来であれば、第1航空師団全体にはもっと早くに後退命令が出され、後方で部隊の再建に取り組むというのが、本来あるべき姿だった。

 だが、戦力で劣る王立軍にその様なことをする余裕は無かった。それに加えて、王国北部で発生した大量の避難民の移動や前線への補給のために王国の輸送網は限界まで使用されており、第1航空師団を後方へと移動させるための余力はどこにも存在しなかった。


 それが急に変わったのは、敵の攻撃が弱まったこともあったが、王国内の輸送力に余裕が出てきたためだった。


 王国内の輸送は、短距離は車両や馬車で、長距離は鉄道と船舶によって行われている。航空機による輸送もあったが量が少なく、問題外だ。

 第1航空師団全体で、万を超える人員と、多数の機材を移動させるためには、大量の車両と、たくさんの列車が必要になる。


 今まではそれが用意できなかったのが、急に用意できる様になったのには、もちろん理由があった。

 王国内で輸送力の強化が進み、従来の輸送力が大幅に増えた、というわけではない。

 フィエリテ市を失ったことで、王立軍の前線が後退し、車両や列車が輸送を実施しなければならない輸送距離が短縮されたためだった。


 王国は、国土の内で北部の大半と、その首都であるフィエリテ市を失った。

 フィエリテ市周辺には多くの鉄道関係の設備があり、それを失ったことで王国の鉄道輸送網には大きな打撃があったのだが、フィエリテ市を失っても、王国が失わなかったものもあった。


 それは、敵に占領された地域から、まだ占領されていない地域へと避難してきた大量の車両と列車、そして機関車だった。


 前線の後退に伴い、被占領地域となった場所からは多くの避難民が発生した。その多くは徒歩での避難を選択せざるを得なかったのだが、車両も多くが用いられた。

 避難民の多くは王国の南部へと逃れたのだが、その結果、避難に用いられた車両が、大量に得られることとなった。前線から後退してきた王立軍が最初から持っていた車両も多数ある。


 それに加えて、王国が開戦前に持っていた列車と機関車の多くが、フィエリテ市失陥の前に脱出に成功し、現在でも活動を続けている。

 これは、王国の鉄道運営を統括する運輸省がその下部組織である鉄道庁と協力して、計画的に列車と機関車を避難させてきた成果だった。


 蒸気機関車というのは、けっこう、複雑な機械だ。

 複雑な仕組みをしているので製造するのに手間もかかるし、何より、鋼鉄がたくさん必要になる。

 一度失ってしまえば、再生産するのにはたくさんの時間と労力、資源が必要になってくる。


 戦況が王国にとって良いものではなく、フィエリテ市の失陥が危ぶまれ始めた時から、王国の運輸省はこの機関車の確保に多くの配慮をしてきた。

 戦闘に巻き込まれて喪失してしまった機関車や列車も多かったが、王国はほとんどの機関車と列車を避難させることに成功した。


 これに加えて、前線が後退し、王国にとっての補給線が短縮されたことから、王国の輸送力に、僕らを後方へと下げるだけの余力が生まれていた。

 補給線の維持に必要な機材や労力というのは、単純な計算になるが、その輸送距離が2倍になれば、往復分を考慮すると4倍にもなってしまう。

 補給線が短縮され、短縮される以前の機材の多くを維持することができたのだから、王国の輸送力には大きな改善が見られていた。


 こういった状況を利用した第1航空師団の後退は、段階的に実施されることになっていた。

 第1段階としてまず、部隊はフォルス市周辺の空軍施設まで後退する。移動は、パイロットをなるべく搭乗機ごと飛行させ、他の人員や機材は車両と列車を利用する。

 第2段階で、第1航空師団は王国の南部、港湾都市であるタシチェルヌ市や、旧オリヴィエ王国の王都があったクレール市へ第1段階と同様の方法で移動し、そこで本格的な補充を実施して部隊の再建を開始する。

 部隊の再建は冬の間、連邦の本格的な攻勢が無いと予想される期間の間に完了することとされ、来年の春、連邦が攻勢を開始すると予想される時期に再度前線へと展開する予定となっている。


 前線から離れることになるが、それで、僕らが暇(ひま)になるというわけでは無かった。

 ジャック、アビゲイル、ライカ、そして僕は、すでにその総撃墜数を2ケタに乗せて、エースと呼ばれて何の問題も無いパイロットに成長していたが、その根っこはやはりパイロットコースを途中で切り上げて実戦に投入された、促成のパイロットに過ぎなかった。

 戦闘機の操縦(そうじゅう)方法にはかなり慣れて、それなりに自信も持てるようにはなっていたが、戦術的な部分や、夜間飛行のテクニックなど、1人前のパイロットになるためには学ばなければならないことがたくさんあった。


 第1航空師団が後方に下がり、再建に当たる間、僕らにはやるべきことがたくさんあった。


 そしてそれは、喜ぶべきことなのだろう。

 僕らが受けるはずだった、正規のパイロットと同様の教育内容をきちんと取得する機会が得られるということだった。空戦の戦術的な理論を学べれば僕らはより効果的に、そしてより安全に戦いを挑むことができるようになるし、夜間飛行のテクニックも取得すれば活動の幅も広がる。


 僕は、僕の仲間たちと一緒に、この戦争を生きのびるつもりだ。

 そしてそのために、より多くのものを学ぶつもりだった。


 だが、その後退命令を耳にした時、僕は寂(さび)しさも感じていた。

 開戦初日に移動してきて以来、半年近くにも渡ってずっと慣れ親しんで来た僕らの基地、フィエリテ南第5飛行場を去らなければならないからだった。

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