11-15「4対4」

 ほとんど垂直に空へと向けられた右主翼の翼端を、敵機から放たれた機関砲の曳光弾(えいこうだん)が掠(かす)めて飛んでいく。

 ジャックの合図のタイミングは、完璧なものだった。それは、彼が以前、僕らにレイチェル中尉が下した命令のタイミングをよく見て覚えていたということであり、彼が僕らの技量がどれ程なのか、よく知っているということでもあった。


 高度有利の状態から攻撃をしかけて来た4機のジョーは、僕らに命中弾を与えることができずに再上昇していった。僕らの反撃を振り切るために高度を速度に変えて突進してきた敵機だったが、それがかえって僕らに逃げる隙(すき)を与えた形だった。


 下側に潜(もぐ)り込もうとする僕らに対し、敵機が攻撃を当てようとするなら機首を下に向ければいいだけの話だ。だが、敵機がそれをしなかったのは、ここが低空だからだ。

 もし、敵機が僕らを深追いして機首を下げれば、それは急な角度でさらなる降下をするということになる。元々高度有利の状態から速度をつけながら突進して来た敵機だったから、急な角度で突っ込めばそのまま地上に激突する危険があった。


 理由は、他にもある。降下して速度がついた状態の飛行機にはより大きな揚力が働いており、そういった状態から機首を下げる動作をすると、通常の状態で同じ動作をした時に比べて機体の動きが鈍くなる。それでは、僕らの回避運動に追いつくことは難しい。


 僕らはひとまずは、敵機の攻撃をかわしきることができた。

 当然、敵機はそれで攻撃を諦(あきら)めはしなかった。高度有利の状態で始まった空戦で、機体の数は同数。その様な状況で簡単に引き下がるはずがない。

 上昇を終えた敵機は、僕らへ再攻撃をかけるための旋回(せんかい)に入って行く。


 旋回中の敵機の垂直尾翼には、見覚えのある、トマホークの部隊章がはっきりと描(えが)かれていた。

 僕は、彼らのことをすっかり覚えてしまっていた。何度も戦ったことのある部隊だ。


 こういうのを、因縁(いんねん)の敵、と言ったりするのだろうか?

 戦場は広く、同じ敵と何度も遭遇(そうぐう)することはまずないはずなのだが、僕が彼らと対決することになるのは、これで何度目なのだろう?


 最初の一撃は、以前のレイチェル中尉の指揮を真似(まね)することで何とかなったが、ここからはどうすればいいのか。

 僕らにとっては、完全に未知の世界だ。


 僕らは開戦以来ずっと戦い続けて来て、いつの間にかエースと呼ばれるパイロットたちの仲間入りを果たしてはいたが、実際のところは、パイロットコースを途中で切り上げて臨時に前線配備となった、半人前のパイロットに過ぎない。

 機体の操縦(そうじゅう)だけならどうにかなったが、本来であればパイロットコースの残りの部分でじっくりと習得するはずだった空中戦の戦術的な部分は、何も知らないのと変わらなかった。


 今まで、その部分はレイチェル中尉というベテランの指揮官によって埋め合わされていた。

 中尉がいなければ、僕らがエースなどと呼ばれることは無かっただろうし、ここまで生き残って来られたかさえ、分からない。


 そのレイチェル中尉は、機体の不調のために基地へと引き返さざるを得なかった。

 ここには、僕らしかいない。


 僕らだけで、何とか生き延びなければならない。


《ジャック! 次はどうするの!? 敵機はまた仕かけて来るわ! 》

《とりあえず、機を敵機に対して直角になる様に飛ばす! もう1度、同じ方法でかわす! 何とか時間を稼(かせ)いで、いい方法を見つける! 》


 ライカの質問へのジャックの答えは、時間稼(じかんかせ)ぎという、問題の解決には何にも役立たないものだったが、とにかく、次に僕らがどの様な行動をすればいいのかを決めてくれるだけでも十分だった。逆の立場だったら、僕は躊躇(ちゅうちょ)し、その間に敵機の第二撃を受けることになっていたかもしれない。


 旋回を終えた敵機は、僕らへ再度攻撃をしかけるために降下を開始した。ジャックの指示で敵機に対して直角になる様、第一撃を回避した際の左旋回から水平飛行に移っていた僕らは、ジャックの合図でもう1度敵機の下へともぐりこむことを狙った。

 敵機は今、僕らの右側、3時の方向にいるから、今度は右旋回での回避運動だ。


 全く同じ手だったが、幸いなことに、二度目も上手く行った。

 空を貫いていく曳光弾を横目にしながら、僕は必死になって考えを巡らせる。


 敵機を倒す方法が見つかれば良いのだが、そうそう、都合よくはいかない。最低限、この不利な状態から抜け出す方法を考えつかなければ。


 敵機は高度有利を生かして攻撃をしかけてきているから、敵機の攻撃をかわした後に僕らが追いかけて行っても、追いつくことは難しい。だから、こちらから積極的に反撃をしかけても、うまくいく見込みは小さかった。

 だから、敵機は余裕を持っている。降下、射撃、再上昇という、絵に描(か)いた様な一撃離脱を繰り返しているのがその証拠だ。僕らが逃げ出そうとしても高度有利から降下すれば確実に追いつくことができるし、僕らが敵機に対して反撃しても、振り切る自信を持っている。


 僕らは、手詰まりだった。


 攻撃態勢を取りつつある敵機から、肌がザワザワと泡立つような威圧感を覚える。

 彼らは、僕らを落とす気だ!


 彼らがこちらのことを記憶しているかどうかは定かでは無かったが、以前と同じやり方で彼らの攻撃を回避した僕らのことを見て思い出し、今度こそ決着をつけてやるとでも思っているのかもしれない。


 生き延びるためには、何かを考えつかなくてはならなかった。

 僕は焦燥感(しょうそうかん)に耐えながら、頭の中の冷静な部分で何とか、状況を整理する。


 高度有利で攻撃をしかけてくる敵機に対して、僕らが逃げに徹しているのは、敵機の方が速度で勝っているからだった。敵機の方が高度を速度に変えられる分、勢いがついているせいで、僕らは敵機から逃げることも、敵機に追いつくこともできない。


 敵機の第三撃を、僕らはまた、かわすことができた。

 相変わらず、敵機は悠々(ゆうゆう)と上昇していく。僕らが逃げられないことを知っているからだ。


 僕らは敵機の攻撃をかわすためには敵機の下側にもぐりこむ様に旋回(せんかい)するしかなく、そこから離脱して上昇していく敵機を追っても絶対に追いつけない。

 敵機を追いかけるためには一度敵機の下に潜(もぐ)りこむ様に旋回(せんかい)したあと、機を180度横転させてもう1度敵機に向かって旋回(せんかい)しなければならないのだが、横転している間にどうしても敵機との距離が開いてしまう。


 もし、回避運動から素早く切り返すことができれば、ほんの一瞬でも射撃する機会が得られるかもしれない。そしてもし、その機会が得られたのなら、ベルランの装備する20ミリ機関砲の威力で、状況を変えられるかもしれなかった。


《ジャック、何とか、敵機の攻撃をかわした後に反撃しよう! 回避運動に入ってすぐに逆方向に旋回(せんかい)すれば、いくらか撃てるはずだ! 》

《アビー、それは難しい! 機体を横転させている間に逃げられる! 中途半端に反撃するより、今は回避に専念しよう! 》

《……了解! 》


 ジャックとアビゲイルも、僕と同じところで悩んでいる様子だった。

 そうしている内に、敵機は四回目の攻撃態勢に入っている。

 僕らは三回目までの攻撃は何とか避けることができたが、何度も同じ手が通用する保証は無い。


 解決策を思いついたのは、ライカだった。


《機体を横滑(よこすべ)りさせましょう! 旋回(せんかい)じゃなくて、方向舵(ラダー)だけで機首の向きを変えて、敵機の下側にもぐりこむの! そうすれば、敵機を追って旋回(せんかい)するのに、横転するのが半分だけになる! 》

《……よしっ! それで行こう! 》


 ジャックは即決した。


 僕らが次の行動を決めている間に、敵機は再度の攻撃態勢を整え、降下を開始していた。彼らは僕らが逃げられないと思っているから、弾薬の続く限り、何度でも攻撃してくるつもりの様だった。


《合図を待て! 俺の合図で思いっきり方向舵(ラダー)を敵機の方向に蹴れ! 攻撃を回避後、敵機に向かって左旋回して反撃、再度左旋回に入って降下、地面スレスレで逃げる! 射撃は各自に任せた! 》


 僕らはジャックの指示に答えながら、僕らへ向かって突進してくる敵機を見上げた。

 僕は、ジャックの合図に合わせてすぐさま方向舵(ラダー)を動かせるように、自分の足をペダルの上に合わせる。


《今! 》


 ジャックの合図で、僕は思い切り右側のラダーペダルを踏み込んだ。

 その瞬間、機体は左から何かに蹴(け)り飛ばされた様に向きを変え、これまでの進行方向に向かって横滑(よこすべ)りしながら、エンジンのパワーに引っ張られて右の方向へと進み始める。


 通常の旋回(せんかい)に比べればかなり緩やかなカーブを描きながら、機体は右側へと曲がっていった。

 敵機からすれば、僕らが右に曲がっていることはすぐには判別がつかなかっただろう。僕らの機体はぱっと見では水平飛行したままの様に見えたはずだ。

 敵機は僕らが直進し続けているものと誤認し、それを前提(ぜんてい)として偏差(へんさ)を取った射撃を行った。そのおかげで、敵機の射撃は全て、僕らの左前方の何もない空間を貫いていくだけだった。


《左! 撃て! 》


 敵機の攻撃をかわした瞬間、ジャックが再び合図を出した。

僕はペダルから足を離(はな)すのと同時に操縦桿(そうじゅうかん)を左に倒し、それから全力で手前側に引きよせた。

 機体は急激に左旋回(ひだりせんかい)し、敵機の姿を正面に視認することができた。敵機は、旋回中の僕らから見ると90度直角になって見える。


 射撃する機会は、短い。しかも、敵機は降下による速度が乗っているから、どんどん離れていく。


 僕は機体を水平に戻し、とにかく、敵機に向かってやみくもに射撃を加えた。

 敵機は遠ざかっていくのだから、大きく偏差(へんさ)を取って、敵機の上側を狙う。放たれた砲弾は敵機を飛び越(こ)えてしまうが、上昇中の敵機はやがて、その射弾の中を突っ切るはずだ。


 敵機は僕の思惑通り、僕が敵機の進行方向に放った射弾の中を通過した。狙いが甘く、こちらの機体の姿勢も安定しておらず砲弾が散ってしまったのでほとんど効果は無かったのだが、1発まぐれ当たりし、敵機の垂直尾翼の先端(せんたん)を吹き飛ばした様に見えた。


《よぉし! 左旋回(ひだりせんかい)、降下して逃げる! 》


 僕らは敵機をそれ以上追わず、急いで左旋回(ひだりせんかい)に入り、降下して勢いをつけながら、全力で逃走した。

 敵機をこれ以上追いかけても絶対に追いつくことはできないし、敵機に高度有利を取られている不利な状況で戦い続けて、敵に撃墜スコアをプレゼントする必要はどこにも無い。


 とにかく、僕らは生き延びることを優先すると決めている。


 僕らは高度500メートルほどにまで降下し、戦闘空域を背後にして真っ直ぐに逃げた。

ベルランの速度性能を信じ、他のことは何も考えずに飛び続けた。


 どうやら、敵機は僕らを追いかけて来ない様子だった。後方を振り返って確認しても敵機が追ってきている様子は無かったし、僕らを撃って来る存在は何も無かった。

 僕らの反撃で、小さくともダメージを負ったせいだろうか。それとも、僕らがあまりにも迷いなく逃げ出したので、追いかけることを断念したのだろうか。


 とにかく、僕らは危機を切り抜けることができた様だった。


 無線に、陽気な口笛が聞こえる。


《ヒュー! マジか、振り切れたみたいだ! やったぜ! 》

《ジャック、指示出した人間がそれ言うかね? ……まぁ、ラッキーだった》

《やったじゃない! これで、基地に全員で帰れる! 》

《ああ、最高だ! これで、中尉に蹴られなくて済む! 》


 僕は冗談を言ったつもりではなく、本気でそう思ったのだが、仲間たちは僕の言葉を冗談として受け取ったらしく、無線には笑い声が混じった。


 戦果は何も無かったが、僕らは全員で帰還することができる。

 それが、何よりも大切なことだった。

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