11-14「不調」
敵機の侵入に対応するため、僕らは急いで空へと上がった。編隊を組む様な時間は無く、飛び立った直後の高度も速度も無い瞬間に敵機から攻撃を受けたらひとたまりも無い、危ない瞬間(しゅんかん)だった。
だが、幸いなことに、僕らの基地であり家でもあるフィエリテ南第5飛行場の上空に敵機の姿は無かった。
僕らは敵機が現れない間に、急いで編隊を組んだ。ベテランの戦闘機パイロットであれば単機での戦い方だって知っていただろうが、僕らは2機で1組のロッテ戦法しかやったことが無い。
編隊を組み、高度2000メートルまで上がれたことで、僕らはひとまず、安心することができた。
僕らは地上のクラリス中尉から入って来るはずの指示を待ち、周囲を警戒しながら基地上空で緩(ゆる)い旋回(せんかい)に入った。
そこで、僕らは異変に気づいた。
普段なら僕らのすぐ近くに位置を取るはずの、レイチェル中尉とカルロス軍曹のベテランパイロット2名の姿が見当たらないからだった。
《おい、ジャック! 聞こえるか!? こちらレイチェル。そっちは敵機を視認したか!? 》
《こちらジャック、まだ視認できません。しかし、中尉、どうされたんですか? 》
《エンジンの出力があがらないんだ! くそっ、カルロス軍曹の機も不調だ! 》
そんなやり取りをしている間に、ようやく、レイチェル中尉とカルロス軍曹の機が僕らと同高度まで上昇してきた。
だが、その2機はレイチェル中尉が言った通りに、不調である様だった。
上昇して来たばかりとは言え、速度がほとんど乗っていない。高度2000メートルはさほど高空ではなく、ベルランの性能なら何でもない高度であるはずだったが、丘をやっとの思いで登り切った老馬みたいに息切れしている。
《中尉殿、機が不調なのですか? なら、引き返された方がいいのでは? 》
《ハッ、地上で撃破(げきは)されるなんてゴメンだね! 空中にいた方が身動きできて安全ってもんさ! なぁ、カルロス軍曹!? 》
《ええ、その通りです。それに、油温が上がればエンジンも機嫌(きげん)を直してくれるはずですよ》
ジャックは堅実(けんじつ)な提案をしたが、レイチェル中尉もカルロス軍曹も笑い飛ばすだけだった。
確かに、エンジンオイルが十分な温度を持たない状態、つまりエンジンが十分に暖機(だんき)されていない様な状態では、エンジンはその本来の力を発揮(はっき)することはできない。
僕には引っかかる部分があった。
僕ら4人、ジャック、アビゲイル、ライカ、僕が乗っている機体は、正規の手順を踏んで離陸した時に比べればまだ本調子とは言い難(がた)い状態(じょうたい)だった。だが、ここまで上昇して来ることも、さほど難(むずか)しくは無かった。それに対して、レイチェル中尉とカルロス軍曹の機は、ここまでようやく登って来た、という感じだ。
暖機が不十分であることによる不調だというのなら、僕らの機体もレイチェル中尉たちの機体と同じで、息切れした老馬の様な状態にならなければおかしいはずだ。
だが、深く考えている様な時間は無かった。
《301A各機、こちらクラリス中尉。フォルス防空指揮所から指示がありました。301Aは方位90に向かい、フィエリテ南第3飛行場を攻撃中の敵機を攻撃せよ、とのことです! 》
《301A、了解! 各機、方位90に進路を取れ! 高度はこのまま、速度を稼(かせ)ぐ! 各機、エンジン全開のまま飛行しろ! 燃料の心配は無しだ! どうせ基地はこの辺りにたくさんあるしな! 》
《《《了解! 》》》
僕らは伝達された指示に従い、真東に向かって飛んだ。
僕らと同じ様に、空へと上り始めたばかりの太陽がほとんど真正面に来る。その眩(まぶ)しさに、僕は思わず双眸(そうぼう)を細めた。
僕らの機体は、順調に加速を続け、これなら、いつでも空中戦に入れるという速度を得ることができた。
だが、レイチェル中尉と、カルロス軍曹の機体は速度が伸びず、僕らの編隊からどんどん、離されていく。
《くそっ! エンジンのパワーが全然出てない! おまけに嫌な振動までしてやがる! カルロス、原因は分かるか!? 》
《思い当たることは何も! しかし、中尉、油温も見てください! 変に上昇しています! このままじゃオーバーヒートです! 》
《くそっ! どうなってんだ!? 》
レイチェル中尉とカルロス軍曹の機は、本当に不調な様子だった。
空中にいる僕らでは原因が分からず、すぐに対処して解決できそうな雰囲気でも無かった。
《レイチェル中尉、カルロス軍曹。聞こえるか? こちらはハットン中佐だ。不調の原因は分かるか? 直せそうか? 》
《ノーです、中佐! 原因不明! 》
《了解した。ならば、レイチェル中尉、カルロス軍曹の両名は、直(ただ)ちに基地へ引き返せ》
《……んな!? 中佐、それでは……っ》
《これは、第1戦闘機大隊指揮官としての正式な命令である》
ハットン中佐の、落ち着いているが厳とした言葉に、レイチェル中尉はしばらくの間押し黙(だま)った。
僕らが飛行中に使う無線の周波数はあらかじめ取り決めがされており、そのやり取りは地上でも当然、耳を澄(す)ませて聞いている。
機が不調であり、回復の見込みが無いのが明らかとなった状態(じょうたい)であるなら、機を引き返させるというのは妥当(だとう)な判断だと思えた。
もしこのまま戦闘に突入してしまえば、機体の不調という、不本意な状態(じょうたい)で戦うこととなり、そして、その結果が良いものになるはずがなかった。
《……こちら、レイチェル中尉。大隊指揮官殿の命令に従う。空中での指揮権は、ジャック、お前に預ける》
《じ、自分が、ですか!? ……いえ、了解しました!》
レイチェル中尉の指示に、ジャックは少しだけ戸惑(とまど)った様子だったが、すぐに状況を受け入れた様子だった。
ジャックは僕らの小隊の長を普段(ふだん)から務(つと)めているし、他の人選などあり得なかっただろう。僕らに異論などあるはずがなく、むしろ、どうして急にこの様な不調が生じてしまったかの方が気にかかった。
レイチェル中尉とカルロス軍曹の2機と、僕らの4機の違(ちが)いを敢(あ)えて上げるとすれば、僕らの機体よりも中尉たちの機体の方が後になって生産されたものであるということだけだった。
生産工場では、量産が軌道に乗りだし始めたくらいだろうか。最初に量産された機である僕らの機体と、後から生産された中尉たちの機体には、何か差異(さい)があって、それが不調の原因になっているのかもしれない。
原因はまるで、見当がつかなかった。
整備班が何らかのミスを犯した、というのが、そう思いたくはないが、一番あり得そうな原因ではあった。だが、仮にそうだとしても、不調の原因は分からなかった。
とにかく、僕らの機体の調子は、今のところ何も問題は無かった。エンジンから伝わって来る振動は普段と変わりの無いものだったし、出力も十分に発揮されている。温度も正常な範囲内だった。
だが、原因が分からないということが、僕の心の中に、より強く疑念(ぎねん)と、恐怖(きょうふ)を生じさせていた。
今は大丈夫でも、戦闘中に、急に不調になったら?
僕は、どうすることもできずに、敵機の餌食(えじき)となってしまうだろう。
《お前ら。悪いがこっちは退かせてもらう。くそっ! おい、ジャック、くれぐれも無茶するなよ!? 敵を見たら逃げろとまでは言わないが、最低でも全員生還しろ! 機体は失ってもな! もしそれができなかったら、ボッコボコにしてやるからな! 》
《了解です、中尉! 無茶は絶対にしません! 》
《ヨシっ! カルロス軍曹、引き上げるぞ! 帰ったら原因を洗い出さないとな! 》
《……了解》
レイチェル中尉の指示に答えるカルロス軍曹の口調は淡々としたものだったが、その言葉には悔しさの感情が隠し切れないほどに滲(にじ)み出ていた。
中尉たちの2機は僕らの後方で旋回(せんかい)に入り、反転して基地への進路を取った。
僕らは、最も経験豊富で、腕も抜群なパイロット2名によって操縦(そうじゅう)される貴重な2機のベルランを、戦う前に失ってしまった。
《よ、よーし。301A各機、これから俺が指揮を取る! と、とにかく、見張を厳(げん)に! こっちが見つかるより前に、敵機を見つけたい》
了解!
僕とライカはジャックの指示に答えたが、アビゲイルは無言だった。
もちろん、アビゲイルはジャックの指示を無視して黙(だま)っていたわけでは無い。
《敵機発見! 10時の方向、数4、こっちより高高度! 》
急いでその方向を確認すると、確かに、4機の機影があった。
連邦軍の主力戦闘機、大あごのジョーだ。
恐らく、その高度は3000メートル程度(ていど)だろう。敵機は既(すで)に僕らに気づいているらしく、機首をこちらへと向け、降下しつつある様子だった。
残念ながら、敵機を先に発見して、少しでも有利に空中戦に入ろうというジャックの狙いは実現できない様だった。それどころか、僕らは敵機に優位な位置を取られ、交戦を回避することもできない状態だった。
《くっそマジか! ……各機、いつだったかと同じことをする! 敵機がこっちを攻撃する直前で左旋回、敵機の下側にもぐりこんでかわそう! 》
《了解、ジャック! でも、そこからどうするの? 》
《その後は……、その後は……、その時、考える! 》
ライカの確認に、ジャックは必死に考えた様だったが、いい案は浮かんでは来なかった様だった。
僕らの中ではジャックは編隊長としての経験が最も長く、また、僕はその適正も十分にあると思っていたが、急に出番が回って来て緊張(きんちょう)してしまっているのだろう。
もっとも、経験の浅い僕らに、そうそう良い案が浮かぶはずも無かった。ジャックが何かを考えつかなくとも、その責任は僕らも一緒に背負うべきもので、状況に合わせてどうにか対処していく以外に僕らが生き延(の)びる方法は無い。
とにかく、敵機の最初の一撃をかわさなければ。その一撃をかわさなければ、無い知恵を絞(しぼ)ることさえできない。
僕らが取る対処法は、以前、ファレーズ城を支援する任務に就(つ)いていた時に使った方法と、全く一緒だった。他に方法を知らないのだから僕らに選択の余地など無かったのだが、とにかく、以前は通用した。
今回も、うまく行くはずだ。
《敵機、接近! 俺の合図に合わせて左旋回(せんかい)に入る! ……、今! 》
僕らはジャックの合図に合わせ、操縦桿(そうじゅうかん)を左に倒し、それから、思い切り手前側に引っ張った。
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