11-13「緊急発進」
僕は、つい何か月か前まで、「戦争」という状態について、何一つ知りはしなかった。
何か月か前の王国は永世中立という古くからの立場を堅持(けんじ)し、アルシュ山脈の向こう側、大陸の北部で繰(く)り広げられる戦いとは、無縁(むえん)である様に思われた。
だから僕は、戦争が現実のものとして僕らの眼の前に姿を現すことなど、想像もしていなかったし、戦争の中で僕自身がどんな風に生きるかなど、考えたことも無かった。
戦争というのは、僕にとっては非日常の一種であり、僕の普段の暮らしがそれまでとはまるで異なるものになってしまう様に思われたからだ。
実際、戦争が始まって見て、僕の暮らしはかなり変わった。
僕は戦闘機のパイロットとして戦場へと飛ぶようになり、敵機を撃ち、敵機から撃たれるようになった。後になって思い返してみると、よく無事で済(す)んだと思えるような場面に何度も出くわした。
だが、意外なことに、戦争になっても、変わっていないこともたくさんある。
人間も、生き物の1種類なのだと、実感させられる。
王国にとって不利な戦況の中で、僕は懸命(けんめい)に戦ったが、いくら強がろうと、身体も精神も疲労し、休息や気分転換(きぶんてんかん)を必要とした。
戦争になったからと言って、それまでの生活との共通点が全て失われてしまうわけでは無かった。僕は何かをすれば疲労するし、時間が経てば空腹になる。生きている限り、これは変わらないのだと、ようやく理解することができた。
レイチェル中尉が「真面目過ぎる」と言って僕らを街へと連れ出してくれて以来、僕らには以前よりも心に余裕というか、落ち着きを持てるようになってきていた。
今までは、急に始まった戦争という巨大な事象(じしょう)に対して無我夢中(むがむちゅう)でいたのだが、それ以外の、身の回りのことを冷静に考えることができる様になってきていた。
おかげで、今まで何となくでしか認識していないかったことも、前よりは見える様になってきている。
それは、ある日の出撃後に、機体の状態についてカイザーと話し合っていた時のことだった。
突然、ガシャン、と大きな音が格納庫の中に響き渡り、直後、「ゴめんナさいっ! 」と言う、半分は悲鳴で構成されたエルザの謝罪の言葉が聞こえてきた。
音と声のした方を見ると、どうやら、荷物を運んでいたエルザがつまずいたひょうしに荷物を落としてしまった音の様だった。
格納庫の床は、コンクリート打ちっぱなしでできている。決してまっ平というわけではなく、多少の波はあるのだが、無視できるレベルでしかない。
そんな場所のどこにつまずいてしまったのかは分からなかったが、どうやらエルザは度々(たびたび)同じ様につまずいている様子で、他の整備員はいつものことだと、軽く流している様子だった。
「ねぇ、カイザー。エルザさんは、いつもああなのかい? 」
僕が試しに確認してみると、カイザーは軽く肩をすくめてみせた。
「実は、そうなんだよ。でも、最近はちょっと回数が多くなっているかな。この前の外出に前後したあたりからなんだけど、どうにも、何か悩んでいるみたいで。ミスが目立つんだ。……あ、機体のことは大丈夫。基本的に誰か1人で作業するってことは無いし」
「それは信頼しているけど、彼女は悩んでいるの? やっぱり、スパイだって疑(うたが)われたのが、ショックが大きかったっていうことなのかい? 」
「さぁ、そこまでは俺には分からないよ。俺も彼女も、帝国人っぽく見えるから、戦争になってから、ああやって疑(うたが)われるのは初めてってわけでもないし。相談に乗ってあげたいところなんだけど、俺、そこまで彼女と仲良くはないしなぁ。同じ2世ってことで、話はするんだけど」
僕もこの前まで、仲間とのすれ違(ちが)いで悩んでいたから、カイザーの悩みは想像できる。
カイザーにはいつも僕らの機体をよく見てもらっているから、力になりたいとは思うのだが、僕だってエルザのことはよく知らない。
変に関わってしまって、彼女が聞かれたくないと思っていることを聞いて嫌われてしまうのも良くないし、こういう、複雑な対人関係は、僕の最も苦手とする分野だった。
だが、何かしてあげたかった。
整備班も、僕らと一緒に戦う仲間だからだ。
「うーん……。僕も、他のパイロットにエルザさんの力になれないか聞いてみるよ。ライカとアビゲイルなら、同じ女の子同士、僕らよりは少しはいい考えが浮かぶかもしれないし」
「でも、いいのかい? 」
「もちろん。整備班にはいつもお世話になっているしね」
「ありがとう。そんな風に言ってもらえて、嬉しいよ。……っと、さっきの、機体の話だけど、原因は多分、見当がついたから、明日の出撃までには直しておくよ。君たちパイロットはよく休んで、しっかり戦って、そして、必ずここへ帰って来るようにしてもらわないと」
僕はカイザーの好意に甘えて、その日はもう、休むことにした。
前線上空の空軍同士の戦いは、以前フィエリテ市上空で戦われていたものに比べれば、その規模(きぼ)も頻度(ひんど)も大きく下がっていたが、出撃すれば疲れる、という点は全く変わっていない。
任務中は敵機の出現に備えて常に意識をしっかりと集中して見張りをしなければならないし、以前より基地と戦場が近くなっているとはいえ、迷わずに飛んで帰ってくるためにはきちんと考えて、いろいろな計算もしなければならない。
もう何度も繰(く)り返していることだが、離着陸の時には今でも緊張(きんちょう)するし、相変わらず王立空軍は数の上で劣勢(れっせい)に立たされているから、天候が許せば出撃は1日に2回、場合によってはそれ以上もあり得る。
フィエリテ市の防空戦に王立空軍が敗れ、多くの部隊が消耗(しょうもう)しつくしていた時期に比べれば、王国は戦力を回復し、交代で休むことだってできるようになってきている。だが、それでも、大変なのは変わらない。
これまでは、これは戦争だから、という理由で、疲労を考えずに来たが、レイチェル中尉にそれでは長続きしないぞと戒(いまし)められて以来、僕は休める限りはしっかり休むことにしている。
何しろ、僕らにそう言ったレイチェル中尉自身が、ベルランの新鋭機故の不具合もあったにせよ、疲労に原因する事故を起こしている。中尉が僕らに注意を喚起(かんき)したのは、恐らくはそういった自分自身の体験にも基(もと)づくことだったのだろう。
僕は、僕1人だけで戦っているわけでは無い。
仲間に任せられることは、仲間に任せて、僕は、僕にできること、やるべきことに専念すればいい。
それが、僕らがこの戦争の中で生きていくうえで、もっとも確実な方法だ。
カイザーたち整備班は、僕ら、パイロットが眠っている間も、機体の整備を続けてくれている。僕らパイロットが彼らの熱意にこたえる方法は、しっかりと休息を取って、戦場で十分に機体の性能を発揮させて戦い、そして、無事に基地へと帰還することだった。
僕は、夕食前に受けた翌日の出撃に関するブリーフィングの内容を思い出しながら、眠りに落ちて行った。
そして、翌朝。基地中に鳴り響く警報によって叩き起こされた。
基地の宿舎には、就寝中の兵員にも緊急事態(きんきゅうじたい)を知らせるために各部屋に連絡用のスピーカーが設置されているから、警報を聞き逃すということはまず無い。
僕はベッドから跳ね起きると、すぐさま飛行服に着替え、部屋を飛び出した。
僕は、戦闘機のパイロットだ。そして、戦闘機のパイロットが、警報を聞いてまずやることと言えば、機体に乗り込んで、空へと飛びあがることだ。
警報がどうして鳴ったのか、敵機が接近してきているのはどちらの方向か、その規模はどの程度かは、飛びあがってから改めて確認すればいいことだ。
飛行機というものは、飛んでさえいなければ、どんな兵器よりも脆弱(ぜいじゃく)だった。開戦時の奇襲攻撃で多くの機体が空へ舞い上がる間も無く撃破され、その被害が王国の苦戦へと繋(つな)がっていることが思い出される。
とにかく、僕らは飛び立たなければ。
僕が建物から飛び出すと、駐機場の前では、今日の午前中の出撃に備えて準備中だった戦闘機のエンジンが始動されつつあった。
僕と同じ様に飛び起きて来た仲間たちと合流しながら、僕らは機体に向かって全速力で駆(か)け寄(よ)った。
機体の操縦席(そうじゅうせき)に入り込み、出撃の準備を整え、無線の電源を入れると、クラリス中尉からの通信が聞こえてくる。
《フォルス防空指揮所発表、敵機多数、来襲しつつあり。その数おおよそ100機以上、我が方の飛行場を主目標に攻撃を加えつつあり。301Aはただちに発進し、これを迎撃してください》
《301A、レイチェル中尉、了解した! おい、301A全機、聞こえているか!? 緊急発進だ! エンジンの暖機以下、通常の手順は全て省略。とにかく空に上がれ! 》
《《《了解! 》》》
僕らはレイチェル中尉の指示に応答し、それから、整備班に向けて、すぐに発進することを身振りで連絡する。エンジンの爆音で声が聞き取りづらいためだ。
整備班が機体の輪止めを外すと、僕らの機体は次々と滑走路へ向けて前進を開始し、そして、空へと飛びあがるために滑走を開始する。
僕らは、まだ朝日が昇ったばかりの空へと向かって、次々と飛翔(ひしょう)していった。
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