11-4「肩」
フィエリテ市の陥落(かんらく)後、前線は落ち着きを取り戻しつつあった。
連邦軍はこれまでの戦いの勝者で、王立軍を優越(ゆうえつ)する戦力を保有し続けていた。だが、東に帝国、南に王国と、2つの前線を抱えたことから王国に対してさらなる攻勢(こうせい)に打って出ることができず、補給面でも、南大陸横断鉄道の輸送経路がフィエリテ市の手前で寸断(すんだん)されたことから問題が生じ、身動きが取れなくなったためだ。
おかげで、僕ら301Aが出撃する頻度(ひんど)も下がっていた。
夏が過ぎ、季節の変わり目になって天候も荒れがちだったこともあり、そもそも出撃のできない日が増えたことも、その理由だ。
僕ら301Aは、ベルランを装備して以来、前線に投入して成果が望め、生還も期待できる数少ない戦闘機部隊としてみなされ、連日の様に出撃を繰(く)り返して来た。
ベルランを装備する以前も数少ない実働(じつどう)部隊として出撃を繰(く)り返してきたが、フィエリテ市の失陥(しっかん)に前後した時期の出撃任務は特に厳(きび)しいものだったから、こうやって出撃の回数が減ったのは、正直言ってありがたかった。
フィエリテ市の失陥に前後する時期の出撃が特に厳(きび)しかったのは、戦場の上空が敵の手に落ちていたことに加え、フィエリテ市における戦いに敗北しつつあるという実感が、精神的にも重くのしかかってきていたからだった。
そこを生まれ故郷とするジャックは、特に辛(つら)かったはずだ。
彼は、小隊長としてそれまで通り僚機(りょうき)である僕らのことを気にかけ、暗くなりがちな雰囲気(ふんいき)を明るくするために冗談(じょうだん)を言ったりもしていたが、僕にはそれがかえって、無理をしているのではないかと不安だった。
だから、出撃の回数が減り、僕らの休息の時間が増え、ジャックが少しでも休むことができたのなら、嬉しかった。
それに、思いのほか、僕ら自身に疲労も蓄積(ちくせき)されていた様だった。
新王、フィリップ6世の戴冠式(たいかんしき)が行われたその翌日のことだ。
その日、前線上空の防空のために飛行した僕らは、会敵することも無く、無事に任務を終えて基地へと帰還してきていた。
事件は、滑走路への着陸時に発生した。
その日の着陸は、戦闘も無く燃料に余裕(よゆう)があったことから、悠々(ゆうゆう)と行えるはずだったのだが、そのことがかえって気の緩(ゆる)みにつながってしまったらしかった。
事故を起こしたのは、レイチェル中尉だった。
レイチェル中尉の機体は、いつも通り着陸進入したのだが、そこで機体の右側の主脚が折れた。中尉の機体はそれで、右側に落ち込み、翼を折(お)り、そのまま横転して、上下さかさまにひっくり返ってようやく停止した。
待機していた整備班が慌(あわ)てて駆け寄り、すぐに救助作業が開始されたことと、火災の発生も無かったことから、レイチェル中尉は無事だった。操縦席(そうじゅうせき)の後方に、防弾鋼鈑と一緒に配置されている転倒防止支柱(てんとうぼうししちゅう)が機能し、レイチェル中尉を保護してうまく地面との間に空間を作ってくれたことも、中尉の生還に大きく貢献(こうけん)していた。
事故の原因は、着陸時の降下速度がいつもよりも少し速かったことと、連日の出撃によって機体そのものに見えないダメージが蓄積(ちくせき)されていったためだった。
整備班が調べたところ、カイザーが、ベルランBの機体の主脚部分に、わずかに変形が生じている部品を発見した。この変形が着陸の衝撃(しょうげき)によって一気に広がったことが、主脚の破損につながったとのことだった。
ベルランは配備が始まったばかりの新鋭機であり、長時間に渡って連続使用された際に機体にどんな影響(えいきょう)が出るのかは、まだよくは分かっていない。
整備班は変形の生じていた部品をまずは交換し、その後、機体に何らかの異変が生じていないかを徹底的(徹底的)に調べ上げた。ベルランの開発にも関わり、機体について詳(くわ)しかったカイザーの存在が、この調査には大いに役立った。
調査の結果、他にも、主翼の付け根部分のボルトに緩(ゆる)みがある機体が発見された。これは、どうやら、主翼に20ミリ機関砲を装備し、その重量と空気抵抗が増したために当初の設計時よりも大きな力がかかっていたためであるらしい。
カイザーはこの調査結果を取りまとめてハットン中佐に提出し、中佐はその内容を然(しか)るべき部署へと送り届けた。整備班はそれと並行して、必要な部品を交換し、機体の問題をひとまず解決し、出撃後の点検整備の項目に、今回問題が生じていた個所も付け加えるという対策を行った。出撃後に必ず確認が行われるなら、ひとまず、同じ様な事故が起きることは無いだろう。
本来であれば、問題が解決するまで飛行停止となるものだったが、それを判断する権限は僕らには無い。そのうち、専門の技術者や担当者がより詳細な調査と行い、対策を検討して、正式な通達を出すはずだった。
この事故で誰も犠牲者が出なかったことは、不幸中の幸いだった。
もっとも、機体の問題はひとまず解決できても、僕ら、パイロットの疲労(ひろう)という問題は、すぐには解決できない。
僕らは連日の出撃で疲労し、出撃を終えて機体から降りるころには目を充血させてしまっていることも多くなっていた。今回の事故だって、機体側の問題もあるが、疲労によっていつもよりも着陸の際の降下速度が速くなっていたことも一因として存在する。
そういった意味でも、出撃の頻度(ひんど)が少なくなったのは、いいタイミングだった。
だが、ライカにとっては、それは、あまり嬉しいことでは無いようだった。
ライカも、僕らと同じ様に疲労していた。だが、彼女が目元を腫(は)らしていたのは、疲労によるものだけではなかった。
彼女は、僕らの前では普段通りにしようとしていたが、時折(ときおり)、悲しそうにうつむいている姿を何度も見かけたし、瞳を潤(うる)ませていることも、何度もあった。
シャルル8世の死を知ってから、ライカは、ずっと、そんな調子だった。
そんなライカにとっては、任務に集中しなければならない出撃中の方が、かえって気が楽な様だった。任務中の彼女の受け答えはしっかりとしていたが、それ以外の時、彼女はぼんやりとしていて、何か別のことをいつも考えている様であり、呼びかけにもすぐには気づかないこともあった。
南大陸横断鉄道の橋梁(きょうりょう)を攻撃した任務以来、ライカと僕は無事に仲直りをし、また同じ分隊を組んで飛ぶようになっていたが、元気を失ったライカを前にして、僕は、そのことを素直に喜べないでいた。
それに、何と言うか、これは、ライカらしくなかった。
僕のライカのイメージと言えば、何にでも興味を持ち、カメラを片手に、その小柄(こがら)な体であちこちを元気に明るく動き回っている。そういうものだ。
それが、萎(しお)れてしまった花のようになっている。
見ていて心配でしかたが無かったし、どうすればいいのか、焦燥感(しょうそうかん)だけがつのった。
アビゲイルが落ち込んでいた時もそうだったが、こういう時、僕は、どうすればいいのかが分からない。
何か良い言葉で励(はげ)ますことでもできればいいのだが、どんな言葉をかければいいのかも分からなかった。それに、僕が何かをしたことで、かえって傷つけてしまうのではないかと、恐ろしかった。
だが、僕はある日、とうとう、なけなしの勇気をかき集めた。
その日は、天候不順(てんこうふじゅん)で出撃の無い日で、僕は、空いた時間を潰(つぶ)すためと、気分転換のために、牧場の仕事を手伝わせてもらっていた。
相変わらず食いしん坊なアヒルたちにエサやりを終え、ふと、視線を別の方向へ向けると、そこに、膝(ひざ)を組んで草の上に座り、うつむいているライカの姿を見つけた。
アヒルやニワトリたちと、楽しそうに遊んでいた彼女の姿が思い出された。
その時とは、あまりにも違(ちが)う今の姿に、僕は、とうとう、いてもたってもいられなくなった。
僕は仕事に使っていた道具を手早く片付け、服についた埃(ほこり)を払(はら)い、手も清潔(せいけつ)に洗って一応のマナーを整えると、うつむいて座ったまま、何かにじっと耐えている様子のライカのところへ向かった。
「や、やぁ、ライカ! 」
僕はいつも通りに声をかけたつもりだったが、緊張(きんちょう)のせいで、少し調子の外れた声になっていた。
ライカは、すぐには僕の声に答えなかった。最近は、いつもこんな調子だ。
聞こえているのか、聞こえていないのかは分からなかったが、自分の中の気持ちと向き合うので精いっぱいで、周りに気を使うことができないのかも知れなかった。
「えっと、隣(となり)に、座ってもいいかな? 」
ライカはやっぱり返事をしなかったが、微かに、頷(うなず)いた様に見えた。
そう見えただけ、かも知れなかったが、僕は頷(うなず)いたのだということに決めて、ライカの隣(となり)に腰かけた。
腰かけたところまでは良かったのだが、やはり、僕はライカに、どんな言葉をかければいいのか分からなかった。
僕は、内心で困り果ててしまったが、それでも、何か、ライカを少しでも励(はげ)まし、その気持ちを少しでも楽にできる様な言葉をかけようと、必死になって考えた。
「……ライカ。シャルル8世は、ライカにとって、どんな人だったんだい? 」
そして、僕は、恐らくはライカの悲しみの元となっている、シャルル8世のことを聞くことにした。
ライカが感情を持て余しているのは、自分の心の中で渦巻(うずま)くいろいろなものを、外へと吐き出すことができていないからだと、僕は考えた。
だから、僕に話すことで、少しでも気持ちが軽くなればと、そう思ったからだ。
それに、レイチェル中尉がアビゲイルを立ち直らせた時、中尉はただ、アビゲイルの思いを聞いてくれただけなのだという。だから、自分の中にあるものを誰かに聞いてもらう、それだけでも、何か意味があるのではないかと思えた。
「その……、えっと、僕で良かったら、何でも、ライカの話を聞くからさ」
だが、ライカはすぐには口を開かなかった。
僕は、不味(まず)いことを聞いてしまったのかなと、心配になり、後悔をし始める。
「……王様はね、私にとっては、お父様、みたいな方、だったの」
ライカがやっと口を開いたのは、僕が、ライカにごめんと謝って、その場を立ち去りたいという衝動(しょうどう)に駆られ始めていた時だった。
一度、言葉になると、ライカの心の中に渦巻(うずま)いていた感情は、次々と溢(あふ)れ出てくる。
「王様は、優しかった。いつも、私のことを気にかけて下さっていたの。馬の乗り方も、飛行機の操縦(そうじゅう)のしかたも、みんな、みんな、王様から教えていただいたの。カメラの使い方だって、みんな……! 」
そこまで言うと、ライカは、その双眸から、涙をぽろぽろとこぼし始めた。
「それが、それが……! どうして、あんな目に遭(あ)わなきゃいけないの!? お父様がいったい、何をしたって言うの! 何にも悪いことなんてしていないのに! いつだって、みんなのためなんだって、頑張っていたのに……! 」
ライカの声が震(ふる)え、嗚咽(おえつ)が混じる。
そこにいたのは、僕が知っている、元気で明るい、純粋(じゅんすい)な心を持ったライカでは無かった。
高貴な家柄に生まれた、僕にとって遠い世界の存在では無かった。
空に出れば自由自在に機体を操(あやつ)り、何機もの撃墜(げきつい)記録を持つ、エースパイロットでも無かった。
親しかった誰かを失い、その悲しみに耐えかねて泣いている、1人の女の子だけが、そこにいた。
僕にはやはり、その、悲しみに暮れている女の子に、何と言ってなぐさめてあげればいいのか、全く考えもつかなかった。
「ライカ……。僕は、頼りないかもだけれど……、でも、君の側(そば)にいるから。僕の肩で良ければ、好きなだけ、使ってくれていいから」
だから、僕にできることは、ただ、その女の子の隣(となり)にいて、肩を貸すことだけだった。
「……うん。ありがと、ミーレス……」
ライカは鼻声でそう言うと、僕の肩に顔をうずめ、お父さん、お父さんと、そう呟きながら、泣き続けた。
僕は、ライカが泣き止むまでずっと、彼女の隣(となり)にいた。
彼女の、お父さん、と呼ぶ言葉が、僕の心に深く残る。
僕らは、この戦争で、もう、数えきれないほど、多くのものを失った。
だが、これからいったい、どれだけのものを、さらに失っていくのだろう?
いったい、何人の子供が、父親や母親を失って、こんな風に泣いているのだろう?
そう思うと、僕は、戦争というものが、より一層、嫌いになった。
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