11-3「戴冠式(たいかんしき)」

 シャルル8世に代わり、新たにイリス=オリヴィエ連合王国の王冠を戴(いただ)いた新たな王は、フィリップ6世として即位することとなった。


 フィリップ6世は、今年で満22歳となった青年だ。その存在が公表されたのは2年前で、将来、王位につく人物として、王国民の間では広く認知されていた。

 もっとも、この様な形で即位することになるとは、誰も予想してはいなかったが。


 フィリップ6世の存在が、つい2年前まで公表されていなかったのは、王国の決まりごとだからだ。

 イリス=オリヴィエ連合王国の王家は、伝統的に満20歳になるまでは、王の血縁であっても、その存在が公表されることは無い。これは、国民皆兵制が採用されてからできた、比較的新しい決まりごとだ。


 国民皆兵である以上、王家の人間であっても特別扱いされず、軍に徴兵されることになっている。実際には旧貴族階級出身者たちの間に存在する不文律(ふぶんりつ)によって、徴兵される前に軍へ志願して入隊することになるが、軍に在籍中に特別扱いされることを防ぐために、その身分や出自は非公開とされている。

 非公開は徹底(てってい)しており、王家の人間であることはごく一部の人々、王家に個人的に関係する人々と、王家に関係する庶務(しょむ)を統括(とうかつ)する省庁の人間にしか知らされていない。


 フィリップ6世は、軍に在籍中(ざいせきちゅう)は陸軍にいて、歩兵だったそうだ。その勤務態度(きんむたいど)はまじめなもので、兵役を何の問題も無く勤(つと)め上げたあと、退役と同時にその存在を公表された。

 射撃が優れている、とか、リーダーシップがあって将来士官として有望だ、とか、そういう特別な評判は存在せず、強いて言うなら仲間思いで勇敢(ゆうかん)な好青年であったらしい。


 その存在が公になった後、王子として王国民の間に認知されたフィリップ6世は、王と共に各地に出向き、そこで直接、王としての公務のやり方を学んでいった。

 イリス=オリヴィエ連合王国の王として求められる素質というのは、帝国の皇帝の様に、君主としての威厳(いげん)を持つことや、強力な指導力を発揮(はっき)することでは無い。ただ、その行いが、王国民にとっての模範(もはん)となることだ。

 その素質を持つかどうかは、軍に在籍中(ざいせきちゅう)の素行(そこう)や、その存在が公表されてからの公務に取り組む姿勢などで推(お)し量(はか)られるのだが、フィリップ6世は条件を十分に満たしている様だった。


 フィリップ6世が即位することについては、僕らは誰も驚(おどろ)きはしなかった。フィリップ6世はシャルル8世の息子であり、長男だ。血統から言っても、家系から言っても、新王となることは当然だった。


 だが、僕らは、シャルル8世が連邦によって処刑されて、数日しか経っていないのに王位につくということには、驚(おどろ)かざるを得なかった。

 まだ、王の死に対して、喪(も)に服(ふく)している様な時期のことだ。その死を哀(かな)しみ、追悼(ついとう)するべき時に、王の位につくというのは珍(めずら)しいことだった。


 今が戦時である、ということが、急な即位の理由であるらしい。

 王様という存在には、実務的な権利は何も存在しない。王国の統治は国民によって選ばれた政府によって行われており、王が不在であっても実務面での問題は何ら生じないのだが、今は何より、王国の象徴(しょうちょう)としての王、という存在が必要とされていた。


 フィリップ6世の戴冠式(たいかんしき)は、旧オリヴィエ王国の首都であったクレール市において、オリヴィエ王国時代に王宮として使われていた建物を使用して行われた。

 その様子はラジオによって全世界へ向けて放送され、これによって、王国はこの理不尽(りふじん)な戦争には屈(くっ)しないという姿勢を鮮明(せんめい)に打ち出す形となった。


 そのラジオ放送は、全ての王国民が可能な限り拝聴(はいちょう)することとされたために、僕も聞くこととなった。


 僕らの基地、フィエリテ南第5飛行場の格納庫が臨時の集合場所となり、職務のためにどうしても集まれない人員以外は、基地の全員が集まった。

 格納庫が集合場所となったのは、基地には他に全員で集まれそうな場所が無かったためだ。フィエリテ南第5飛行場は、あくまで1個飛行中隊の分散配備を前提とした施設であって、常設のきちんとした基地の様な大きな建物や設備は存在しない。


 僕らは格納庫内に置かれた飛行機の隙間(すきま)を埋める様に集まり、最大音量で放送されるラジオに耳を傾(かたむ)けた。


 皆、制服の胸に、簡易に作った喪章(もしょう)を身に着けている。王立軍に対して、シャルル8世の死に対し、3日間の喪(も)に服(ふく)することが決められたためだ。

 それは本来、黒い布とかを使って作るものだったが、基地にはそういったものは無かったので、紙を墨(すみ)で黒く塗(ぬ)って代用している。

 他にも、こういった時には礼服(れいふく)で集まるのが当然だったが、開戦以来の混乱でそういったものを持っている者は少なく、普通の軍服や、作業着姿のままの兵士や整備員の姿の方が多かった。


 フィリップ6世の即位というのは、それだけ、急に行われたことだった。


 戴冠式(たいかんしき)の様子は、アナウンサーによる実況付きで放送された。


 王位の継承(けいしょう)のためには、その、具体的な証のために、王冠の他に宝剣を前王から受け継ぐこととなっている。

 これらの品は、フィエリテ市の陥落(かんらく)以前にクレール市へと運び出されており、戴冠式(たいかんしき)はその開催(かいさい)される場所以外は全て、王国の建国以来の伝統に則(のっと)って行われた。


 これは、どうやら、事前にこういった事態(じたい)を想定し、予め準備していたものであるらしい。シャルル8世が戦場に倒れる、あるいは、今回の様に囚(とら)われて処刑されてしまう様な事態(じたい)に、既(すで)に備えていたということだ。

 このことから、シャルル8世は全てを覚悟したうえで、フィエリテ市に最後まで残っていたということが分かる。

 ますます、僕の中でのシャルル8世のイメージは、それまでの希薄(きはく)な印象(いんしょう)から来るものとはかけ離(はな)れたものとなっていた。


 喪(も)も明けない内に戴冠式(たいかんしき)が行われることとなったのも、事前に、その様にせよと、手順が決められていたためだった。


 戴冠式(たいかんしき)の式典が終わると、フィリップ6世は、その場で王国の全ての民衆に向けて演説を行った。

 父から後事(こうじ)を託(たく)されていたフィリップ6世の言葉は、悲壮だったが、芯のあるものだった。


 新王はまず、現在が厳しい状況であることを述べ、好転する見込みが無いことも認めた。その上で、辛(つら)い戦時下の生活を強いられている多くの国民へ向けて、今回の戦争を回避できなかったことを国家元首として謝罪し、前線で苦しい戦いを続けている将兵へ感謝の言葉を述べた。


 その上で、新王は、この戦争を止めるつもりは無いと、はっきりと口にした。


 フィリップ6世は、王国にとって一方的に始められたこの戦争を非難し、連邦や帝国の誤りを指摘し、その誤ったことを押し通そうとする姿勢を批判した。

 そして、その、連邦や帝国の誤った考えによって始まったこの戦争による死者に対し、1分以上、黙祷(もくとう)を捧(ささ)げた。その中には当然、フィリップ6世の父であるシャルル8世も含まれてはいたが、その多くは、これまでの戦火に倒れた王立軍の将兵、そして、戦禍(せんか)によって失われた、王国民に対するものだった。


 黙祷(もくとう)を終えると、フィリップ6世は再び口を開き、王国が抵抗を続ける理由を述べた。


 王国は、永世中立国として、国際法や国家間の慣習を守ってきた。にもかかわらず、連邦も、帝国も、自身の一方的な都合によって、王国への攻撃を開始した。

 新王はそれを、力を持ったが故の傲慢(ごうまん)だと断じ、また、連邦と帝国がお互いの存在を決して認めず、何度も大陸に戦乱をもたらしてきたことは、無益なことだと言った。

 王国は、その誤りを連邦と帝国に示し、より強固な平和を築くために戦うのだと、新王はその考えを示し、そして、自身の即位はあくまで仮のものであると宣言した。

 正式な即位は、王国の首都、フィエリテ市を取り戻した際に、王家の伝統に従い、フィエリテ市の大聖堂において、改めて行うのだと。


 それは、新王が、戦争の継続と、失われた王国の領土の奪還(だっかん)について、その決意を強く示したものだった。


 新王は、最後に、これからも続く戦いに、王国民の助力が得られる様にと願い、演説の締(し)めくくりとした。


 それは、10分にも満たない演説だった。


 僕には、正直に言って、その演説が良かったか、悪かったかなど、判断のつけようも無かったし、その様な資格も能力も持ってはいなかった。

 だが、格納庫の中に集まってその放送を聞いていた人々の多くが、これからの戦いに臨む覚悟を決めたようだった。


 僕は、その演説を聞いて、特別に感動したとか、高揚(こうよう)したとか、そういうことは無かった。

 強いて思ったことをあげれば、「王様って大変だな」という程度のものだ。


 だが、新王が言う様に、連邦や帝国が、自身の都合によって戦争を始めたことは、やはり、正すべきことなのだと思った。

 もし、それを認めてしまえば、例え平和な時代が訪れたとしても、安心して生活することができなくなる。こちらは真っ当な暮らしをしているだけなのに、こういった大勢力の都合でいつまた、戦いが始まるか、不安でびくびくと過ごさなければならないし、正義や道理ではなく、力の強弱だけで全てが決まる世界がやって来てしまう。


 力の強弱で、正しいか悪いか、全てが決まる。それは、ある意味では自然の摂理(せつり)なのかもしれなかった。

 だが、できることなら、そういった世界で生きることは避けたかった。そんな世界での生活が幸福なものであるとは、とても思えない。


 僕は、他の多くの人々と同じ様に、これからも続くであろう、この戦争へ立ち向かう決意を新たに固め直したが、同時に、気が遠くなるような気持にもなった。


 それ以外に方法が無いのだとしても、僕らは、力によって物事が決まる世界を阻止するために、自身も同じく力を持って示す他は無い。言論によって異を唱え反論しても、連邦や帝国は何とも思わないだろう。

 だから、彼らがいかに強大な戦力を持っていようと、それを理由に思うままにできないということを、僕らは示さなければならなかった。


 そのために、僕らもまた、力で立ち向かうというのは、やはり、矛盾していることの様にも思える。だが、今は、それ以外に方法が無い。言論で解決するつもりがあったのなら、連邦も帝国も、王国を攻撃したりしなかったはずだ。


 そして、そのための戦いが、いつまで続くのか。僕にはまるで、見当もつかなかった。

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