第11話:「対決」

11-1「失陥」

 僕らは、懸命(けんめい)に戦った。

 そして、王立軍は勇敢(ゆうかん)に戦い、戦力で大きく劣(おと)りながらも、連邦軍に対して抵抗を続けた。

 僕らは何度も勝利を手にし、小さくはあるものの、戦果を確実に積み上げていった。

 王立軍は各所で連邦軍を苦戦させ、その侵攻を押しとどめ、後退させることすらあった。


 だが、それで、戦局は覆(くつがえ)らない。

 連邦軍の戦力は王立軍を圧倒しており、いくつかの局所的な勝利では、その差を埋めることは到底(とうてい)、不可能だった。


 僕らは、南大陸横断鉄道の橋梁(きょうりょう)を破壊した。

 それは、戦争の長期的な面では明らかに効果があることだったが、短期的に連邦軍の侵攻を食い止める役には立たなかった。

 フィエリテ市にはいくつもの橋が架けられており、その内の数本を、連邦軍は迅速に確保し、フィエリテ市内へと大兵力を送り込んで来たからだ。

 王立軍はそれらの橋の破壊を試みたが、連邦軍の侵攻は素早く、破壊が間に合わなかった橋はそのまま連邦軍の侵攻経路として機能した。


 フィエリテ市には、かつて、百万に届こうかという、多くの人々が暮らしていた。

 その人々は戦火を逃れるために例外なく避難させられ、市街地には戦争によって残骸(ざんがい)となりつつある建物だけが残されている。

フィエリテ市に最後まで残っているのは、王国の王冠を戴(いただ)く王と、王国の首都を守ることを固く決意している王立軍の一部の部隊だけだった。


 僕らの故郷、王国は、議会を開き、かつて存在した専制君主による絶対権力を否定し、法によって統治が行われるようになってからかなり経つ。

 だが、未だに王国を名乗っているからには、王が存在している。


 具体的な統治は、議会によって選ばれ、王によって形式的に任命された政府によって行われているから、僕や民衆は普段、王国に王様がいることを意識する機会は少ない。

 はっきり言ってしまうと、ほとんどの時、忘れている。


 その王様の名を、シャルル8世という。


 僕は王様という存在を普段から意識したことがなく、忘れかけているくらいだったから、王様がどの様な人物なのかをあまり知らない。

 国家元首であり、イリス=オリヴィエ連合王国の統一の象徴ではあったが、その存在は、少なくとも実務的な面では形式的なものでしかない。

 僕らにとっては、祭日などの行事にお出ましをいただき、ありがたいお言葉をいただくといったほどの関わり合いしか無かった。


 いつだったか、王国の祭日に、全国民に向けてラジオ越(ご)しに演説しているのを聞いたことがある。その内容は覚えてはいないが、さほど威厳(いげん)は感じさせないものの、その声は柔和(にゅうわ)で、誠実で穏やかな性格を持った人物の様に思えた。

 王国の王様は、政治的な実権を自ら放棄(ほうき)して久しい。具体的な活動と言えば、こういった祭日などでお言葉を述べ、国民からの謁見(えっけん)に応じることであったり、災害などで被災した地域に出向き、困窮(こんきゅう)している国民を励(はげ)ましたり、外国からの大使や使節を応接したりするくらいで、失礼な物言いではあるが、名君か、暗君かの評価もできない。


 ただ、僕は、王様について悪い噂(うわさ)は聞いたことが無い。

 国家元首としての儀礼(ぎれい)や式典においては、王様は厳(おごそ)かで格式高い存在だったが、その普段の私生活は質素なもので、王国と同じく君主を持つ国家である帝国の皇帝とは、比較するのもバカバカしくなるほどだ。

 国民との謁見(えっけん)に応じる時も、その態度は謙虚(けんきょ)なものだそうで、謁見する側がかえって恐縮(きょうしゅく)してしまうほどであるという。


 シャルル8世はそうした、穏やかな性質を持った存在であり、だからこそ、未だにフィエリテ市に残り、そこで戦っている王立軍部隊を共にあることが、僕には意外だった。


 何故なら、王国の実際の統治を担う政府は、フィエリテ市からの一般市民の退去と時を同じくして、避難をしているからだ。政府の避難先はかつてのオリヴィエ王国の首都であった南のクレール市で、政府はそこから、王国の統治と、戦争の遂行のために必要な指揮を執っている。

 軍の司令部だって、同じだ。こちらは、フィエリテ市が失陥した際に新たな前線となり、王国の中央部にあって、王国の経済上ではフィエリテ市と並び立つほど重要な都市となるフォルス市に新たに司令部を立てている。


 イリス=オリヴィエ連合王国の中枢にいた人々の中で、ただ1人、王だけが、未だにその居を離れていない。

 王国の統治を行わなければならない政府、王立軍の諸部隊を統括し戦闘の指揮を取らなければならない軍の司令部と異なり、具体的な実権を持たず権威だけを持っていた王様は、かえって自由に行動できたということかも知れない。


 王様が、戦場となったフィエリテ市に残ったことは、聞き知っていた柔和(にゅうわ)な人となりからは想像もできないことだった。


 これは、古くからの伝承に歌われる様な、兵士たちの陣頭に立って自ら戦う、勇敢(ゆうかん)で英雄的な王というものを連想させてくれることだったが、同時に、危険な行為でもあった。


 王国の政府と、軍の司令部は共に、既(すで)にフィエリテ市から脱出している。

 王国を具体的に統治し、その軍隊を指揮して進退させる、いわば頭脳に当たる部分がフィエリテ市を放棄(ほうき)したということは、1つの事実を示している。


 フィエリテ市の防衛が、もはや、不可能であるということだ。


 繰(く)り返しになるが、僕らは、懸命(けんめい)に戦っている。

 フィエリテ市に残り、防戦を続けている王立軍の諸部隊は勇敢(ゆうかん)であり、連邦軍を何度も弾(はじ)き返し、時には後退させることすらあった。


 だが、徐々に連邦軍によって押され、フィエリテ市の市街地は、着実に連邦軍の掌中(しょうちゅう)へと落ちつつあった。

 戦力の圧倒的な差は埋めようが無く、何よりも、フィエリテ市上空の航空優勢(こうくうゆうせい)を連邦軍によって握(にぎ)られたことが大きい。

 連邦軍は様々な攻撃機を使用し、縦横無尽(じゅうおうむじん)に王立軍に対して攻撃を加えた。

 王立空軍はなけなしの戦力を投入して、少しでも友軍を支援しようとしたが、その規模と成功率は、連邦軍の行っている航空作戦とは比較にならない。


 地上にいる王立軍はその行動を連邦軍機によって阻害(そがい)され、思う様に戦うことができなかった。

 その様な状況で、戦場の兵士たちがその勇敢(ゆうかん)さによって局地的な勝利を得ようとも、それを全体の勝利へとつなげることは望めない。


 フィエリテ市で粘(ねば)り強く続けられた戦闘は、王立軍が態勢(たいせい)を立て直し新たな防衛線を築くための時間稼ぎがその目的のほとんどであり、残りは、一方的な都合で戦争をしかけて来た相手に対し、その思い通りにはさせはしないという、意地だ。


 王立軍は戦い続けたが、徐々に追い詰められ、9月の中旬にはとうとう、王国の支配する地域は王宮を中心とする一画だけとなっていた。


 イリス=オリヴィエ連合王国の王様、シャルル8世は、この時に至ってもまだ、王宮に残り、フィエリテ市の市街地戦を生き残ったわずかな将兵と共にいた。

 王様は自ら負傷兵の手当てをし、時には、銃を取って戦いもしたらしい。


 連邦軍は、フィエリテ市の中で、王宮を中心とするわずかな区画だけを支配するのみとなった王立軍に対し、降伏勧告を実施した。

 生き残った王立軍の将兵は、これに応じようとはしなかった。彼らがそこで長く戦えば戦うほど、王立軍が新たな防衛線をより強固に築き上げることが可能となり、王国が今後も戦い続ける上でより大きな意味を持ってくるからだ。


 だが、最終的に、彼らは連邦軍に対して降伏することを選んだ。

 降伏をよしとしない将兵を説得したのは、シャルル8世であったらしい。

 王様は、最後まで戦おうとする将兵を、そんな彼らだからこそ、王国の将来のために必要だと言って諭(さと)し、これまでの戦いに感謝の意を示した上で、降伏を受け入れることを納得させた。

 王立軍は連邦軍に対し、生き残った全将兵の生命を保証することを条件に降伏を受諾(じゅだく)し、連邦軍もそれを受け入れた。


 フィエリテ市に連邦軍が突入を果たしてから、1ヶ月近くが経過しようとしている時だった。

 誕暦3698年9月20日、王国は、ついに、その首都を失った。

 生き残った王立軍将兵はその日、武器を捨てて降伏し、フィエリテ市の全地域が、連邦軍による支配下となった。


 それは、大きな悲劇の始まりになった。

 連邦軍は、確かに、王立軍に対し、生き残った全将兵の生命を保証することを約束し、それを守った。


 だが、その、「全将兵」の中に、イリス=オリヴィエ連合王国の王、シャルル8世は含まれていなかった。


 シャルル8世は、王立軍が投降したその翌日、連邦によって開かれた軍事法廷によって裁(さば)かれ、処刑されることが決まった。


 罪状は、「王という地位にあった」こと、それだけだった。


 処刑は、その日の内に実行に移された。

 シャルル8世は目隠しをされた状態で、臨時の処刑場となった王宮の中庭へと引き出され、そこで銃殺された。


 そして、その事実は、連邦のプロパガンダ放送によって、全世界へと放送された。

 それは、フィエリテ市の失陥と、連邦軍の完全な勝利を印象付けるために行われた放送であり、連邦側としては王国の戦意を阻喪(そそう)させ、具体的な成果を見せることで自国民の戦意を高揚(こうよう)させようという意図であったのだろう。


 だが、放送の中で、シャルル8世へと向けられた銃口からの銃声が響いた時、僕らは、連邦が意図したのとは全く別の感想を抱いていた。


 王様が、いったい、何をしたと言うんだ?

 シャルル8世は、政治的な実権をとっくの昔に失った、王国の形式的で権威的な存在でしか無かった。

 その王様がやっていたことと言えば、祭日の際に国民に向けてお祝いの言葉を述べたり、国民と謁見(えっけん)してその言葉に耳を傾けたり、困難に直面している国民に対して励(はげ)ましの言葉を向けたりするくらいだ。


 連邦軍が、自軍に向けて弾丸を放ったということで、王様を罪に問うということなら、まだ理解できたかもしれない。実際、シャルル8世は自ら銃を手に取って戦っていた。

 だが、王様は、王様であることを罪とされ、処刑された。


 連邦は、祭日を祝い、国民の言葉に耳を傾け、励(はげ)ましたことが、罪だとでも言うのか?


 連邦には連邦の主義主張があり、それは、十分に尊重されるべきものだ。

 それは、僕だって、分かっているつもりだった。


 だが、僕らは、こんなやり方は間違っている。そう思わざるを得なかった。

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