10-5「カイザー」
僕が機体の脇(わき)に用意されたタラップを上り、主翼の上に立って操縦席(そうじゅうせき)に乗り込もうとすると、そこには先客がいた。
飛行服を身に着けていたが、どうも、パイロットには見えない。僕らの様なパイロットが身に着ける飛行服ではなく、簡易型の飛行服で、その下には作業用のつなぎを着ている様に見える。
どうやら、機体の最終チェックのために、まだ整備員の1人が作業をしているらしかった。
工場で本格生産に入ったばかりの機体であるだけに、特に気を使ってくれているらしい。
パイロットの僕としてはありがたい話ではあったが、僕は、操縦席(そうじゅうせき)に座っているその青年、恐らくは僕よりも2、3くらい年上らしい彼が振り返った時、僕は驚(おどろ)かされた。
その青年は、短く刈り込んだ金髪に、碧眼(へきがん)を持ち、白い肌と高い鼻筋の、整った顔立ちをしていた。
金髪に碧眼(へきがん)だけであれば、僕は毎日の様に見ているので驚(おどろ)きはしなかった。最近はあまりしっかりと顔を合わせてはいないが、とにかく、それは王国でもさほど珍しいものではない。特に、フィエリテ市周辺をはじめとする、王国の北部に住む人々には珍しくは無い特徴(とくちょう)だ。
僕が驚(おどろ)いたのは、その顔立ちだった。
肌は白く、高い鼻筋と整った顔立ち。
それは、マグナテラ大陸に最初に誕生した古代文明に祖を持つとし、長い年月の間ずっと大陸最大の勢力として君臨してきた、そして、今、僕らの王国と戦争をしている帝国の人々に多く見られる特徴(とくちょう)だったからだ。
僕は、そういった顔立ちの人を、それほど多くは見たことがない。
ジャックと軍の宿舎を抜け出してフィエリテ市内を観光していた時、同じく帝国からやって来た旅行者とすれ違ったことがあるだけだ。話にしか聞いたことの無かったその風貌(ふうぼう)にはとても驚(おどろ)かされた。
僕ら王国の人間と、帝国の人間とは、民族的に全く関わり合いが無いわけでは無い。王国の北部に多い金髪碧眼(きんぱつへきがん)の人々は、そのルーツをたどれば帝国へと行きつくからだ。
だが、長い年月の間に帝国人の特徴的(とくちょうてき)な顔立ちは薄(うす)れ、似ているけれど違(ちが)う。
僕らが思い描く帝国人そのもの、という姿をした人物と、僕は初めて間近に出会った。
僕が驚(おどろ)いたのは、彼の風貌(ふうぼう)に、ステレオタイプの帝国人らしさが多分に含まれていたからだけではない。
王国と帝国は、戦争をしている。
ならば、その、敵であるはずの国家の人間が、どうして、王国の最新鋭戦闘機であるベルランの操縦席(そうじゅうせき)にいるのかと、僕はそう思ったのだ。
「やぁ、君がコイツのパイロットになるのか。悪いけれど、もう少しチェックしたいことがあるから、もう1、2分くらい、待ってくれないか? 」
だが、その青年から発せられた言葉は、僕ら王国人がいつも使っている、耳慣れた言語だった。
不自然さは一切ない。彼もまた、普段からその言語を使っているらしかった。
僕は、彼を一目見た時の驚(おどろ)きからまだ立ち直れておらず、彼の言葉に答えることができなかった。だが、帝国人の特徴(とくちょう)を持つ青年は、そんな僕の様子に気が付いた様子も無い。彼はすぐに操縦席(そうじゅうせき)に並んだ計器類に視線を戻し、確認する作業に戻る。
これは、一体、どういうことなのだろうか?
だが、考えてみれば、話は簡単なものだった。
彼は、王国人なのだ。
帝国人の特徴(とくちょう)を備えた、王国人。
だから、彼は王立軍の所属だし、王立軍に所属する整備員であれば、王立空軍の最新鋭戦闘機の、出発前の最終チェックをしていても何も不思議はない。
平和だった時代には、僕ら王国と、帝国との間は、正式な手続きさえ経れば自由に行き来することができた。
当然、移民だって行われていた。王国北部には元々帝国にルーツを持つ人々は多かったし、彼だって、帝国出身者の2世か、3世なのだろう。
そうだとすると、僕が彼の風貌(ふうぼう)を見るなり、驚(おどろ)いてしまったのは少し失礼なことだったかもしれない。
「よし、異状なし。パイロットさん、後は、よろしく」
「あ……、はい。了解です」
どうやら、機体のチェックは全て終わったらしい。青年はチェックリストに印をつけると、立ち上がって僕に席を譲(ゆず)ってくれた。
「……ん? 俺の顔に、何か? 」
「あっ、いや、別に、何でも無いです」
金髪碧眼(きんぱつへきがん)の青年は、そこで僕の視線に気づいたらしく、不思議そうな顔をした。
僕は、しどろもどろになってしまう。彼の顔を注視するつもりは無かったのだが、無意識の内に、気になって目で追ってしまっていたらしい。
やはり、不愉快(ふゆかい)に思われただろうか?
「ああ、この顔のことか。いいさ、初対面の人のほとんどは似た様な反応をするから」
だが、青年は少しも気にしていない様子で、笑顔を見せ、握手(あくしゅ)をするために僕へ右手を差し出した。
「俺はフリードリヒ。両親が帝国出身で王国に移民してきた、いわゆる2世ってやつさ。みんなは俺のことを「カイザー」とか呼んだりする。今の帝国の皇帝が、俺と同じ名前でフリードリヒだから。良かったら君もそう呼んでくれ。何か偉(えら)くなったようで気分がいいんだ」
「そ、そうなんですか。よろしくお願いします」
僕は彼、フリードリヒ、もしくはカイザーと握手を交わし、それから、自分の名前はミーレスです、パイロットをしていますと、簡単に自己紹介をした。
近くではエンジンが爆音を発しながらプロペラを回しているから、お互いに普段は出さない様な大きな声だ。
「ああ、ミーレス。これからよろしく」
カイザーはそう言うと、機体から降りて、ハットン中佐が出発の準備をしているプラティークの方へと向かっていく。
僕はベルランの操縦席(そうじゅうせき)に腰かけ、事前にレクチャーされていた通りの配置になっている計器類に一通り目を通し、自分の眼でも何も問題が無いことを確認する。
僕は出発前の準備をしながら、カイザーが向かった方向に視線を向ける。
彼の言葉に、ちょっとした引っ掛かりを感じたからだ。
彼は、僕に、「これからよろしく」と言った。
挨拶(あいさつ)をする際によく使われる言い回しだったが、彼の言い方は、本当にこれからずっと僕らと関わる様な感じだった。
それに、彼が他の整備員とは異なり、飛行服を身に着けていることも、気になった点だ。
カイザーは、プラティークの脇で整備班の責任者らしき年長の整備員と会話を交わしている様子だった。それから2人は敬礼をして別れる。
それから、カイザーは、ハットン中佐のプラティークの主翼へと上り、そこで中佐と2、3言葉を交わすと、そのまま、プラティークの銃座へ、普段ならアラン伍長が乗っているはずの場所に乗り込んだ。
アラン伍長が今回プラティークに搭乗して来なかったのは、どうやら、カイザーを乗せるためであるらしかった。
どうやら、彼はこのまま、僕らと一緒にフィエリテ南第5飛行場まで同行する様だった。
新しく仲間が増えるという話を僕は聞いていなかったが、もしかすると、昨晩のレクチャーを受けていた際に、聞き逃していただけかもしれない。
恐らくは、新鋭機で、エンジンも以前のエメロードⅡの空冷式星形エンジンから、液冷式倒立V型エンジンへと変わることになるから、フィエリテ南第5飛行場の整備班にその扱い方を直接教えられる様に、扱いに慣れた整備員も一緒に送り出そうということなのだろう。そうでも無ければ、わざわざこういうことをする理由が思い浮かばない。
これは、悪いことではない。整備班は不慣れなエンジンの整備にてこずらずに済むし、僕らパイロットも、よく整備を受けた飛行機で飛ぶことができる。
《301A、各機、準備はいいか? 》
出発前の準備を全て終えたのを見計らったかのように、レイチェル中尉から無線で連絡が入って来た。
《こちらジャック、第1小隊第1分隊1番機、準備完了です》
いつもの様に、1番機のジャックから順に、レイチェル中尉に答えていく。
だが、2番機の返答が遅れ、少しの間があく。
そして、僕は、今は僕が2番機であることを思い出した。
《こ、こちらミーレス、2番機、用意できました》
《第1小隊第2分隊、3番機、ライカ、問題なしです》
《同じく4番機、アビゲイル、準備完了》
《こちらレイチェル、了解した。なら、各機、飛行を開始するぞ。ハットン中佐から離陸して、あたし、それから、お前らの順番だ。今回は空輸するだけだから曲芸飛行は実施しないが、通常の飛行動作に少しでも慣れておけ。それと、新型機のことで質問があれば、プラティークに同乗している整備員に聞けばいい。フリードリヒ伍長だ。ベルランについて専門の教育課程を受けているから、大抵のことは答えてくれるはずだ》
《フリードリヒ伍長です。仲間からは「カイザー」と呼ばれています。帝国の現皇帝と名前が同じなので。飛行中でも、飛行後でも、質問があればお答えします》
《そういうわけだ。不安な点があれば今質問してくれてもいいぞ》
無線は、しばし沈黙する。誰もすぐに確認したいことはない様子だった。
《よーし、各機、いい様だな。……ハットン中佐、301A、全機準備完了です》
《了解した。それでは、我々の家へと帰るとするか。出発する! 》
ハットン中佐はそう言うと、フォルス第2飛行場の管制塔とやり取りをし、出発の許可を得た。それから、近くで待機していた整備員に合図を出し、車輪止めを外してもらうと、機体を前進させ、誘導路へと入って行く。
僕らも、それに続く。
レイチェル中尉、ジャック、僕、ライカ、アビゲイルの順番だ。
いつもと順番が違うのが少し引っかかったが、それでも、僕はベルランに乗ることができて、とても嬉しかった。
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