9-10「彼」
僕は、生き延びることができた。
運が良かった。
それも、とてつもない幸運だ。
僕の機体を、完璧に仕上げてくれた整備班。
僕らのことを常に気にかけ、きちんと見ていてくれたレイチェル中尉。
僕と一緒に戦ってくれた、仲間たち。
みんなのおかげだ。
新しく覚えたおまじないだって、効果があったのかもしれない。
そして、何よりも、あの、黒いフェンリルのおかげだ。
僕らは、3機とも、何とか基地へと帰り着くことができた。
機体はボロボロで、僕らは疲れ果てていたが、それでも、帰り着くことができたのだ。
この日の空戦で、僕ら、第1戦闘機大隊は、その保有する戦闘機の半数以上を失った。
空中戦の結果、301Aから2機、301Bから4機、301Cから1機の、合計で7機の戦闘機が撃墜された。そして、被弾した機はそれ以上に多く、修理不能とされて廃棄された機体は、301Aから2機、301Bから2機、301Cから2機の、合計で6機にものぼった。
僕ら、第1戦闘機大隊は、今朝、空中で集合した時には、21機の戦闘機をその戦力として持っていた。だが、その内の13機を、この日、たった1度の空中戦で失ったことになる。
これに対して、僕ら、第1戦闘機大隊は、概算で6機の敵機を撃墜し、同じく6機にダメージを与えて撃退することができた。
確実なことは言えなかったが、10機前後の敵機を無力化したことになる。
数の上で大きく劣っていたあの状況では、かなりの善戦と言える。
だが、この日の空戦で、第1戦闘機大隊は、部隊としての実質的な戦闘能力を喪失した。
何よりも重大なのは、熟練のパイロットを失ったことだ。
まだ戦闘直後であり、確かなことは何も言えないのだが、少なくとも301Bから2名、301Cから1名の戦死者が出ている。
行方不明のパイロットもいるので、これは、これから増える可能性だってある。
だが、幸いなことに、ジャックも、レイチェル中尉も無事だった。
いや、レイチェル中尉は重大では無いものの怪我をしたということだから、無事、というのはおかしかったかもしれない。
ジャックは、撃墜された後にパラシュートでの脱出に成功していた。その後着地にも成功し、近くで陣地を築いて守備に当たっていた友軍に救助されたらしい。
レイチェル中尉は、積乱雲に救われた。もちろん、中尉の高い技量あってのことだったが、中尉を追いかけていた敵機は乱気流を恐れて追撃を諦めたらしい。中尉はそのまま機体を不時着させ、ジャックと同じ様に、近くの友軍に救出された。怪我は、不時着の際に負ったもので、打撲などであるらしい。
幸いなことに、僕の仲間は無事だった。
そう。幸いなことに。
他の部隊では戦死者だって出ているのに、僕は、こうやって、仲間の無事を喜んでいる。
もしかしたら、僕はとんでもなく自己中心的で、嫌な奴なのではないかと思えてくる。
だが、嬉しいものは、どうしたって、嬉しい。
僕はまた、ジャックと会えるし、レイチェル中尉に飛び方を習うことだってできる。
2人共、生きているからだ!
だが、もし、もしもだ。
その2人を、失ってしまっていたとしたら。
その恐ろしさに、僕は震えるしかない。
僕は、仲間が無事であったことを喜びつつも、これからずっと、何かを失うという恐怖と戦い続けなければならないのだという事実に、気が重くなった。
僕だけでなく、部隊の雰囲気も暗く、重い。
一番重症なのは、アビゲイルだ。ジャックもレイチェル中尉も生きていたとはいえ、2人が撃墜されるきっかけを作ったのは自分だと、彼女は自分自身を責めている。
僕は、少しでも励ましてあげたい気持ちだったが、結局、彼女に何も言うことができなかった。こんな時にどんな風に声をかければいいのか、僕には分からない。下手な言葉をかけて、余計に傷つけてしまうのも嫌だった。
アビゲイルは、しばらく1人にしてくれと言って、部屋に引きこもっている。
僕は、そんな姿を普段の彼女からは想像もしたことがなかったが、きっと、泣いているのだろう。
ライカも、機嫌が悪い。基地に帰還する途中、僕とほとんど口をきいてくれなかった。飛行に関して必要なやり取りだけだ。
着陸してからも、僕を睨みつけるばかりだ。
僕は彼女が止めるのも聞かずに敵機に向かっていったのだから、僕に対して怒るのは当然だとは思うが、僕には僕の言い分だって、ある。僕はただ、僕の大切な仲間を守りたかっただけだ。
だが、それを説明しようにも、ライカは僕と口をきいてくれない。
いや、実際には、一言だけ僕に口をきいてくれた。
本当に、一言だけだ。
「報告、あなたがやってね」
それだけだ。
報告、というのは、空中戦の結果を部隊の長であるハットン中佐に報告するという、普段ならレイチェル中尉が行っている仕事だった。
一応、パイロットコースの訓練中に、編隊長を務める訓練というのがあって、その時に上官に報告をする練習もしたからやり方自体は知っているのだが、何というか、これだけの損害を被った空戦のことを報告しに行くのは、何とも嫌な仕事だった。
だが、アビゲイルは到底、報告しに行けるような状態では無かったし、それは酷だ。そして、ライカも、引き受けてくれはしないだろう。
もしかすると、無茶をやった僕に、どんな報告をするのか楽しみだわ、と、当てつけの様なつもりなのかもしれない。
だが、仕事は仕事だ。
ついつい忘れそうになってしまうが、給与を支給されている以上、やらなければならないことは、こなさなければならない。
「黒い戦闘機か。ふぅむ……」
僕の報告を聞き、その内容を書類にしたため直しながらハットン中佐はそう呟くと、ペンを置いて、指で顎髭をもむ様に撫でた。
「中佐殿。心当たりがあるのですか? 」
「ああ、聞いたことがあるよ。ずいぶん昔なのだが、駐在武官として外国に赴任した時に、第3次大陸戦争を経験したというベテランパイロットから、そういう話を聞いたことがある。随分昔の話だが、その機体の塗装といい、その腕前といい、恐らく、間違いないだろう」
ハットン中佐はそう言うと、パイロット同士で戦い合うことなく済んだ平和な時代を懐かしむ様な表情を浮かべながら、僕に話してくれた。
その「雷帝」と呼ばれたパイロットの伝説を。
第3次大陸戦争は、飛行機という存在が生まれてから初めて戦われた大きな戦争だった。この戦争で飛行機が初めて軍事的に利用され、その存在が戦争に欠かせないものとして定着する結果となったのはよく知られたことだ。
今の時代とは違う、黎明期の三葉機や複葉機が飛ぶ戦場で「雷帝」と呼ばれるパイロットは誕生した。
雷帝が、第3次大陸戦争の戦場の空へ現れたのは、戦争の最後の1ヶ月間だけだった。
だが、そのたった1ヶ月の間に、雷帝はエースとして頭角を現し、そして、当時を戦ったパイロットたちにとって忘れ得ぬ存在になったのだという。
機体の全体を黒く塗ったその戦闘機は、恐ろしいほど速く、誰にも捉えることができなかった。そして、風を、とてもうまく利用したという。
彼が雷帝と呼ばれるきかっけとなったのは、ある時の空戦で、僕らが今回戦った様な積乱雲が迫る戦場でのことであったらしい。
雷帝はその時、まだそう呼ばれてはいなかったが、対戦したパイロットたちの間で「凄い奴がいる」と噂になっていたらしい。
そして、その噂の凄腕を落とそうと意気込んだ2人のパイロットが、戦いを挑んだのだという。
その、雷帝に戦いを挑んだパイロットは、当時、名の知れたエースだった。2人は雷帝を追い詰め、もう少しで撃墜できそうに見えたそうだ。
2人のパイロットの射撃が雷帝を捉えようとした時、雷が空に走った。
その雷は、雷帝の機体を直撃した。
普通なら、それで、墜落する。雷というのは本来、恐ろしいものだ。
だが、雷帝の機体は、平然としていた。
それどころか、ほとんど勝利を確信していた2人のパイロットをその状態から手玉に取り、逆に討ち取ってしまったのだという。
以来、彼は「雷帝」と、当時のパイロットたちから呼ばれる様になったのだという。
漆黒の機体にはそれ以降、稲妻の模様が描かれるようになり、当時のパイロットたちにとっての畏怖すべき存在となった。
それはさながら、雷帝ただ1人で、戦場の空を支配しているかの様であったらしい。
少し前の僕であれば、大げさな話だとしか思わなかっただろう。
だが、僕は、その強さが現実のものであるということを、もう、2回も見せつけられている。
「中佐殿。その、2人のエースを撃墜した時というのは、急上昇からの反転攻撃でしたか? 」
「ああ、そうだったと聞いた。……だがしかし、ミーレス。どうして、君がそれを知っているんだい? 」
「実は、今日の空戦で、僕は彼がそうやって敵機を撃墜するのを見たんです」
僕の説明に、ハットン中佐は納得した様に頷いた。
「なるほどな。……雷帝は当時16歳だったというから、今はもう、50歳前後というところか。私よりも上なのに、達者なものだなぁ」
中佐は昔話を終えると、今日はきつかっただろうから、もう休みなさいと言って、僕を送り出してくれた。
ハットン中佐も、プラティークのパイロットとして出撃自体はしていて、疲れているはずだったが、そんな素振りは全く見せない。
きっと、今日の戦いについて、中佐も責任を感じているのだろう。
中佐は僕らの指揮を執り、命令し、その結果、僕ら、第1戦闘機大隊は壊滅的な損害を出すことになった。
中佐が僕らパイロットのことをよく考えてくれているのは、これまでその指揮下で戦ってきたから、よく知っている。責任を感じていないはずが無い。
だが、中佐であろうと、誰であろうと、今日の空戦の結末は、さほど大きくは変わらなかっただろう。
防空指揮所から敵機接近の連絡を受けた時、僕らが得ていた情報はそのおおよその機数だけで、それがまさか、戦闘機だけによる部隊だとは、誰も知りようが無かった。これまでの戦いの例から言って、連邦軍は爆撃機に護衛の戦闘機をつけ、出撃してきていたから、敵機の中に爆撃機が混ざっていると考えるのは当然のことだ。
誰だってそう考えたし、実際、僕らは全員、同じ様に考えた。
そうであれば、敵機を黙って見過ごすことなどできない。
ハットン中佐の指揮は、決して不味かったわけでは無い。今回の結果は、様々な要素が僕らにとって不利に働いた結果によるものだ。
だが、僕はそのことをハットン中佐に対して堂々と言えるような身上では無かったし、そんな気力も残ってはいなかった。
実際、僕はくたくたに疲れていた。
今日の空中戦は、今まで戦ってきたどんな戦場よりも過酷なものだった。
今はとにかく、ぐっすりと眠りたい。
僕は自室へと向かい、飛行服を脱ぎ捨て、気軽な服装になると、そのままベッドへと倒れこんだ。
普通なら、これだけですぐに眠りに落ちるはずだった。
だが、僕は、なかなか寝付くことができなかった。
あの、黒い戦闘機、雷帝と呼ばれるパイロットが操る機体のことが頭に浮かんで、離れない。
僕は、彼に2回、生かされた。
理由も分からずに。
そういう面で見れば、彼は僕にとっての恩人だった。
だが、雷帝は、あの偉大なパイロット、大空の支配者は、僕にとっての倒すべき敵だ。
彼は帝国軍のエースパイロットで、マードック曹長を僕らから奪った、憎むべき敵なのだ。
だが、僕には、彼のことを単純に憎むことができなかった。
僕の命を救ってくれたから、というだけではない。
あの、飛び方。
誰にも見ることのできない風を読み、自在に使いこなす、あの飛行。
彼には、彼以外には見えない世界が見えている。
それは、彼、ただ1人だけが知っている。
雷帝は僕の前に2度、現れた。
そのどちらも、僚機をたった1機だけ、従えている。
羨ましいと思った。
僕も、彼の僚機となって、誰も見たことの無い、僕1人では到底見ることのできない空を、世界を、自由に飛んで行くことができたとしたら。
それは、一体、どれほど素晴らしいのだろう!
だが、そんなことはできない。
何故なら、僕らは敵同士だからだ。
彼は僕の命を救ってくれた。僕たちを黙って逃がしてくれた。
だが、次もそうであるとは限らない。
戦争は終わらない。戦いはこれからも続く。
だとすれば、僕らは再び、雷帝と、あの空の支配者と、もう1度戦うことになるだろう。
その時、僕は、自分を、仲間を、守れるのだろうか?
強くなりたい。
あの雷帝と並んで飛べるほど、腕のいいパイロットになりたい。
そうでなければ、僕は、僕自身も、僕の大切な仲間も、僕の故郷や家族も、守ることはできないだろう。
僕は、ただ、空を飛びたい。それだけの理由でパイロットになっただけの人間だ。
だから、飛行機に乗ることができ、操縦することができるだけでも幸せだった。大切な仲間たちと一緒に、どこまでも、どこまでも、飛んで行くことができれば、それ以上の幸福は無いのだと思っていた。
だが、そのためには、力が要る。
何者にも負けない、強い力が要る。
だが、どうすればいい?
どうすれば、あの雷帝に、並ぶことができる?
いや……。僕は、どうやったら彼を追い越すことができるのだろう?
彼と並ぶだけでは、足りない。
それでは、僕は、彼から、仲間を、僕が守りたいものを、守ることはできない。
僕は、自身の内に沸き起こる、それまでに感じたことの無い強い衝動に駆られながら、しかし、途方に暮れることしかできなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます