9-8「ターン」

 操縦桿越しに、機体が風に取られる感触が伝わって来る。それは、少しずつ強くなり、今でははっきりと伝わって来る。

 もう、限界だ。通常の飛行を行うには、あまりにも危険な空へと変わってしまった。


 だが、僕らを追い回す敵機は、僕らへの追撃を止めなかった。

 彼らは、このまま、僕らと一緒にあの積乱雲の乱気流に巻き込まれて、墜落するつもりなのだろうか?


 僕らを執拗に追いかける敵機には、見覚えのある部隊章が描かれている。

 別の大陸の先住民族が使っていたという、投擲用の石斧だ。


 あの戦闘機たちは、いつか、ファレーズ城の近くで、僕らを待ち伏せしていた相手であるらしい。

 僕も覚えていたが、彼らの方でも、僕らのことを覚えていたのだろう。

 あの時の戦いの結果は、辛うじて引き分け、といったところだった。もしかすると、ここで僕らとの決着をつけようという考えでいるのかもしれない。


 因縁の相手、ということらしい。


 僕らは、南へ向かって逃げているつもりだった。だが、敵機の攻撃をかわす必要から、ずっと同じ所を飛行してしまっているらしい。

 僕らが操縦するエメロードⅡBは、連邦軍の主力戦闘機であるジョーよりも旋回性能でやや有利ではあった。だが、速度性能では劣るため、一度食いつかれてしまうと、容易には振り切れない。

 敵機の射撃をかわすこと自体はできていても、このままでは全滅を待つだけだった。


 少し前まで、あの積乱雲は僕らにとっての唯一の希望だった。

 だが、今やそれは、僕らを飲み込もうとする、巨大な怪物でしかない。

 もしそれに捕まれば、僕らはその怪物によってバラバラに噛砕かれ、二度と戻ることは無いだろう。

アビゲイル、ライカ、そして、僕。3人全員だ。


 僕は元々、飛行機に乗りたいというだけで軍に志願した人間だ。

 今、僕は戦うために戦闘機に乗っている。だが、死ぬことへの覚悟があるわけでは無い。

ただ、僕の知る人々、故郷を、戦火から少しでも遠ざけるための手段として僕が行えることが、戦闘機に乗ることだけだから、それをやっている。


 だが、このまま、3人全員で命を失うことが、果たして正しいことなのだろうか?


 僕は、考える。

 全員で生き残る方法を。


 敵機は、積乱雲がすぐそこに迫り、紫色の雷が閃き、風が翼を叩く様な状況になってきているのに、僕らを執拗に追いかけ続けている。

 それも、逃げ出す隙を見いだせない、容赦が無く、執念深い追撃だ。

 彼らがなぜそこまでしつこく僕らを追いかけて来るのか、僕には理解できなかった。一度取り逃がした獲物を、今度こそ逃がしはしないとでも言うのだろうか。それにしたって、乱気流に機体をからめとられて墜落する危険と天秤にかけるほどのことでは無いと思う。次の機会だってあるはずだ。

あるいは、どうしてもそうせざるを得ない理由でもあるのだろうか。

 僕には、到底理解できないし、想像もつかない。


 僕らは3機で、敵は4機。だが、もしも僕らが無傷だったら、いくらか状況はマシだっただろう。対処する方法もあったかもしれない。

 だが、アビゲイル機はかなりの損傷を負っており、これ以上空戦機動を繰り返せば、重大なトラブルを誘発することになりかねない。

 ライカ機も、僕の機体だって、ダメージは負っている。今日の空中戦は、無傷で切り抜けられる様な生易しいものではない。


 僕は、考える。


 頼れる教官であり、僕らの指揮官であるレイチェル中尉は、僕らを逃がすための囮となった。今、どういう状況になっているかは分からなかったが、中尉の機体が激しい損傷を負っていたのは間違いない。僕らを助けに来る余力はもう無いだろう。

 周りには、もう、味方は見当たらない。この状況からうまく逃げ出すことができたのか、あるいは、みんな、敵機の餌食となってしまったのか。

 だから、僕らだけでどうにかするしかない。


 どうすればいい?

 どうすれば……。


 僕は、絶望しなかった。

 ただ、そうか、と思った。


 今がどんな状況でも、僕は生きている。

 何かをすることができる。


 何かをすることができるということは、可能性はゼロでは無いということだ。

 それが、限りなくゼロに近似した、儚い可能性でしか無いのだとしても、そこには全てを賭ける価値があるはずだ。


 賭けるのは、僕自身。

 得るものは、僕ら全員での生還だ。


 こんな状況なのに、僕の口元には自然と笑みが浮かんだ。


 悪くない。

 悪くない賭けじゃないか!


《ライカ、聞いてく》

《ダメよ! 》


 僕は敵機の射撃を横目にしながら無線のスイッチを入れたが、ライカに機先を制された。


《まだな》

《あなたはいつだってそう! いつだって自分で全部背負い込もうとする! 自分を囮にするとか言うつもりだったんでしょう!? そんなの絶対、許さないからっ! 》


 まだ何も言っていないのだが、どうやら、ライカには全部お見通しだった様だ。


 だが、困った。

 このまま、3人全員、敵機の餌食になるか、乱気流でバラバラに引きちぎられるしか無いのだろうか。

 僕が敵機に突っ込んでいけば、アビゲイルとライカが逃げられる確率はグンと上がるだろう。確かに僕は危ない目に遭うが、だが、絶対に撃墜されるというわけじゃないはずだ。

 それが、天文学的に起こり得ない確率なのだとしても、ゼロじゃない。


 ライカ、君の言いたいことは、僕だって分かっているつもりだ。

 だが、何かを賭けずに、何かを得られる様な状況ではないんじゃないのか?


 僕はもう、仲間がやられるのを見たくはない。

 僕は既に、ジャックが撃墜される様を見ている。生きた心地がしなかった。それに、レイチェル中尉が今、どうなっているのかだって、少しも分からないじゃないか。


 僕は、アビゲイルが撃墜されるのを見たくはない。

 そして、ライカ。君が撃ち落とされるのだって、絶対に嫌だ!


 ライカは、僕の提案に対して、ダメだと言った。

 はっきりと、そう言った。


 僕は、その言葉が嬉しかった。

 僕が仲間を想う様に、ライカも僕のことを想ってくれていたからだ。同じ仲間として。


 だが、だからこそ。


 だからこそだ!


《ライカ! アビーを頼む! 》


 僕はそう言うと、操縦桿を思い切り引き、機体をターンさせた。


《ミーレスのばか! 》


 ライカの叫ぶ声が聞こえる。


 だが、僕は、僕にやれることをやるだけだ。

 僕が望むもののために。僕が僕自身のために、好んでやることだ。


 アビゲイル。そして、ライカ。

 どうか、君たちが2人共、無事に基地に帰り付きますように。

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