9-7「乱戦」
敵と味方、合わせて40機以上の戦闘機による空中戦だった。
こんな規模での空中戦は、もちろん、初めての経験だ。
もう、どこに味方がいるのか、どこから敵機が襲って来るのか、まるで見当がつかない。
僕とライカは、敵味方が入り乱れる戦場で、まだほとんどダメージを負っていない。
レイチェル中尉が、僕らを追いかけまわしていた敵機を追い払ってくれたおかげだった。
行動の自由を得た僕らは、敵機に追われている他の味方を少しでも援護するために飛びまわっていた。
救うことができたのは、2機か、3機か。
だが、きりがない!
敵の数は、僕らの2倍以上だ。追い払っても、追い払っても、どこかで味方機がまた追いかけられている。
空に、幾筋もの黒煙が引かれていく。
誰かが、誰かに撃墜され、墜落していった痕跡だ。
だが、それが敵なのか、味方なのかは、まったく分からない。
とにかく、どこか1点を注視している余裕がない。
前後左右、常に確認していなければ、僕らは気づいた時には敵の餌食になってしまっているだろう。ここは、今、そういう状況だ。
《301A、301B各機! こちらプラティーク! これより301Cが突入する! それに合わせて態勢を立て直し、積乱雲の接近に合わせて離脱せよ! 繰り返す……》
無線越しに、ハットン中佐の声が飛び込んで来る。
後から来る手はずになっていた301Cが、この空域に到着したらしい。
301Cと別れ、先行していたおかげで僕らは数の上で大きなハンデを背負うことになっていたが、301Cが時間差をつけて到着したことには、有利な面もある。
敵機は、戦う相手が僕らだけだと思って、総力で僕らを追いかけまわしている。数の上で圧倒的に有利な状況でもあり、そんなチャンスを見逃す手は無いのだろう。
だが、そこに、301Cが付け込む隙がある。
敵機は僕らに夢中で、301Cは敵機にすぐには気づかれない。奇襲が狙えるはずだった。
30秒もしない内に、301Cの8機が、戦場に突入を開始した。
散開隊形を取らず、密集した編隊を組んだ状態での突撃だった。
空戦機動を行いやすい散開隊形を取らなかったのは、火力を密集させて、数機でいいから敵機を確実に撃破しようというのと、練度の低い新米パイロットが敵機に狙われて、ドッグファイトに入ったりしにくくするためだろう。
301Cの戦闘機8機で、彼らが加わっても敵機は僕らの1.5倍以上いる計算になるが、乱戦状態に整然と隊列を組み、外部から戦況を観察して十分な準備の上で突入してきた301Cの攻撃は効果的だった。
僕らを追いまわすのに夢中になっていたジョーが1機、撃墜され、もう1機が薄く煙を吹きながら離脱していった。敵機はその連携を乱し、僕らへの追跡が弱まる。
その隙に、僕ら、301Aと、301Bは、どうにか態勢を立て直すことができた。
分断されていた部隊が集合し、もう1度、戦力としてまとまることができる。
やはり、機数が減っている。
301Bは4機、そして、301Aも2機、足りない!
《くそっ! ジャックとアビゲイルはどこだ!? 探せ! 》
レイチェル中尉に言われるのよりも早く、僕は、必死になって仲間の姿を探していた。
すぐに、2人は見つかった。
ジャック機と、アビゲイル機は、敵機を追いかけている最中だった。
ジャックとアビゲイルが追っているのは、2機のジョーだ。そして、その敵機の先には、1機の味方機が飛んでいる。
味方機は、エンジン部分から煙を吹いている。どうやら、撃墜される寸前の様だ。
エンジンの出力が上がらない様で、速度も落ちてきている。
どうやら、ジャックとアビゲイルは、その味方機を救おうとしているらしい。
だが、その状態の2機は、敵機にとっては良い攻撃目標だった。
その背後に、別の敵機が迫っている。
《ジャック! アビー! 後方に敵だ! 》
レイチェル中尉の警告で、ジャックもアビゲイルも敵機の接近に気が付いたはずだった。
ジャック機は回避行動に入ろうとするが、だが、アビゲイル機は尚も敵機に食い下がる。
僕の耳に、2人の無線が届く。
《アビー! 何してる! 敵機が後ろについてる! 》
《分かってる! でも、もう少し! 今やらなきゃ、アイツがやられちまう! 》
アビゲイルは、何としても、撃墜される寸前の味方機を救いたかったのだろう。
《ライカ、ミーレス! 援護するぞ、続け! 》
了解!
僕らは僚機を救うため、2人を追う敵機目掛けて突進した。
だが、僕らが辿り着くよりも、敵機がジャックとアビゲイルを射程に収める方が、ずっと早かった。
敵機が、アビゲイルに狙いを定める。
ジョーの翼に装備された、6丁もの12.7ミリ機関砲が、一斉に火を噴いた。
《アビー! 》
ジャック機が、アビゲイル機と、彼女を狙う敵機との射線に飛び込んでいく。
それは、ほんの一瞬のことだった。
アビゲイル機に向かって放たれた弾丸は、その盾として飛び込んで来たジャック機に次々と突き刺さっていった。
「ジャック!! 」
僕は、心臓を目に見えない何かで鷲掴みにされた様な感覚がした。
被弾したジャック機は、エンジンを停止させ、地面に向かって墜落し始める。
《そんな!? ジャック!? 》
《アビー、ボケっとしてんじゃない!! かわせ! 》
アビゲイルの明らかに動揺した声に、レイチェル中尉の叫び声が続く。
その声で、アビゲイル機はかろうじて回避行動に入った。
彼女の機体が直前まで存在した場所を、敵機から放たれた弾丸の雨が貫いていく。
《アビー! 集中しろ! 》
《中尉! でも、ジャックが……! 》
《んなこたァ分かってる! 後で考えろ! 今は生き残るのが先だ! アビー、お前はあたしの後ろにつけ! あたしの背中だけしっかり見ていろ! ライカ、ミーレス、お前らもあたしから離れるな! いいな!? 》
ジャック機は、どんどん、高度を下げて行く。
ジャックは、無事なのか。僕は彼の機体がどうなるのかを、最後まで見届けたかったが、そうすることはできなかった。
301Cの突入によって連携を崩した敵機が、態勢を立て直し、再び僕らへと襲い掛かって来たからだ。
僕らはいつの間にか、敵機たちのど真ん中にいた。
周囲にいた敵機が全て、僕らを狙ってきている様だった。
ジャック機がどうなったのか、ジャックとアビーが救おうとしていた味方機がどうなったのか、もう、見届ける余裕は無い。
敵機は、瀕死の獲物に群がる狼たちの様だ。
彼らは、執拗に、貪欲に、僕らを追い立てる。
僕らは、今や、羊でしかなかった。
狼たちに追い詰められ、互いに身体を寄せ合うしかない、獲物だ。
僕らは少しずつ被弾し、傷を負っていく。だが、敵機は、僕らが最後の1機になっても攻撃を止めないつもりの様だった。
《このっ! これ以上、やらせるか! 》
《アビー、この馬鹿! 》
突然、アビゲイル機が急旋回に入り、レイチェル中尉が悪態を吐く。
ジャックが撃墜されたことに、アビゲイルは責任を感じているのだろう。責任を感じて、自分を責めて、そして、冷静さを失っている。
彼女は、僕らを追い詰める敵機に少しでも反撃し、この状況を打開しようとしたのだろう。
アビゲイルなりに、勝算もあったのかもしれない。彼女は、僕らの中では最もタフなパイロットで、旋回戦を得意とする。敵機に対して格闘戦を挑めば、対等な条件なら必ず勝てると思ったのかもしれない。
だが、今は、根本的に数が違った。
アビゲイル機は敵の内の1機に食らいつき、命中弾を与えたが、別の複数の敵機から集中的な射撃を浴びてしまう。
だが、致命傷にはならなかった。レイチェル中尉が咄嗟に射線に割って入り、アビゲイルをかばったからだ。
レイチェル中尉の機体は、燃料タンクのある胴体部分から出火し、黒煙を引いた。
だが、火災はすぐに鎮火した。エメロードⅡBには燃料タンクの火災に備えて、手動でスイッチを入れることで作動し消火剤と炭酸ガスを噴射する消火装置が備え付けられており、それがうまく機能してくれた様だった。
だが、燃料タンクから白い線が空に引かれている。エンジンはまだ回っているが、燃料漏れを起こしている様だった。
《301A各機、何とかして離脱しろ! あたしが囮になる! いいな、あたしにかまうんじゃないぞ! これは、命令だ! 》
レイチェル中尉はそう言うと、敵機の中へ、損傷した機体で突っ込んでいった。
敵機たちが、その、瀕死の獲物へと向かって群がる様に向かっていく。
《そんな! 中尉! あたしも戦います! 》
《アビー、しっかりして! あなたの機体じゃ、もう無理よ! 》
アビゲイルは尚も敵機と戦うために旋回しようとしたが、それを、ライカが制止した。
アビゲイルの機体は、これまでの被弾で穴があちこちに開いている。今のところ機体の飛行に影響は出ていない様子だったが、いつ問題が表面化するか分からない、危険な状態だった。
《アビー! 今のあなたは、いつものあなたじゃない! このまま行ってもやられちゃうだけ! 今は離脱しましょう! 》
《嫌だ! 》
ライカの言葉に、アビゲイルは叫ぶ。
《あたしのせいでジャックがやられたんだ! あたしのせいで、レイチェル中尉も! 黙って見てろってのか!? あたしは戦う! 》
《この、分からず屋! 》
旋回し、敵機へ向かっていこうとするアビゲイル機を、ライカ機が撃った。
本当に、撃った。
1発か2発だろうが、命中さえした。
僕は、現在の状況も一瞬忘れて、呆気に取られるしか無かった。
アビゲイルも同じだろう。呆気に取られて、彼女は旋回に入るのを止めた。
《いい!? アビー、あなたが今戻って行ったら、あなたをかばったジャックやレイチェル中尉の行動が無駄になる! あなたは絶対に、生きて戻らなきゃならないのよ! 私たちも! 》
《……っ。分かった、分かったよ! 》
アビゲイルは、そう悔しそうに言うと、大声で言葉にならない声で怒鳴った。それから機体を水平飛行に戻し、戦場を離脱する方向に機首を向け、それを維持する。
《よし! 》
ライカは、満足した様にそう言った。
僕は、2人の後に続きながら、尚も何が起こったのかを理解できずにいた。
何というか、あまりにも突然で、唐突過ぎて、どんな感想を抱けばいいのかも分からなかったのだ。
ライカの意外な面というか、思い切りの良さを思い知らされた。
とにかく、僕ら、301Aは、残存機3機で、レイチェル中尉の命令に従い、戦場からの離脱を図った。
当然だが、敵機は黙って僕らを逃がしてはくれない。
どこからか現れた4機の敵機が、僕らを追って来る。
僕は最後尾で敵の攻撃を引き付け、回避しながら、祈る様に、すぐそこまで迫って来た積乱雲を見上げた。
積乱雲は目前にまで迫り、まるでおとぎ話や悪夢の中に出てくる怪物の様に、その黒い身体をうねらせている。
それは、恐ろしい存在だった。もし、僕がその怪物に捕まれば、ひとたまりも無く、空中で機体ごとバラバラにされてしまうかもしれない。
だが、今は、あの雲が、僕らにとっての唯一の希望だった。
あの積乱雲が、強烈な乱気流と雷雨がやってくれば、敵も逃げ出すはずだ。
僕らが敵機から逃れるすべは、もう、それしか残されていない。
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