9-6「大編隊」

 301Cと別れ、僕らは高度6000メートルへと上昇し、敵機の予測位置へ向かって飛行を続けていた。

 積乱雲はどんどん大きくなり、こちらへと近づきつつあったが、この空域全体が乱気流で危険地帯となるまでには、まだ若干の猶予がありそうだ。

 どうやら、交戦は避けられそうにない。


 僕らは少しの異変も見逃すまいと、見張に集中している。敵機の侵入高度は高度5000メートル付近だから、特に注意するのはやや下方の空だ。

 周囲を見回していると、防空指揮所とのやり取りを引き受けていたクラリス中尉から無線が入った。


《301A、301B、防空指揮所から連絡。敵編隊は高度6000メートルに上昇。敵機の侵入高度は高度6000メートル。注意してください! 》

《なァにィ? 敵機も高度を上げたのか? まぁいい。各機、敵機は同高度だ、注意しろ! 》

》》


 僕らはレイチェル中尉に答え、視線を、僕らから見て水平方向へと向けた。

 フィエリテ市を目指して侵入してくる敵機が、直前で高度を上げるという例は今まで遭遇したことがない。高高度に上がれば、王立空軍による迎撃や、対空砲による射撃を受けにくくはなるだろうが、高度6000メートルではそれほど大きな効果は得られないし、爆撃の命中精度が下がるだけだろう。


 敵の意図は分からなかったが、とにかく、敵は高度6000メートルに上昇してきたのだ。

 まだ敵は姿を見せていないが、接触はもうすぐだろう。僕らがさらに高度を取っている余裕はない。このまま、同高度で会敵することになるだろう。

少しでも戦いを優位に進めるためには、まず何よりも、敵機の姿を先に見つけることが大切だった。


《敵機発見! 敵機発見! 機数、30以上! 》


 最初に敵機発見の声をあげたのは、先頭を行く301Bのパトリック中尉だった。

 30機以上の、大編隊。これは、僕ら第1戦闘機大隊の総数よりも多く、今までに遭遇したことも無い様な規模だったが、防空指揮所からの事前情報の通りであり、僕は特に驚きはしなかった。


 だが、直後に飛び込んで来た、パトリック中尉の緊張した声で、僕は事態の深刻さを初めて知った。


《なんてこった! 爆撃機がいないぞ! 敵は全部戦闘機だ! 敵は30機以上の戦闘機集団! 》


 敵は、全て戦闘機。

 僕らは、敵機のおよそ半分は爆撃機だろうと予測してここまでやって来ていた。敵の戦闘機は多くても20機以下で、そうであれば僕らでも十分勝負になると考えていた。

 だが、敵機が全て戦闘機ということは、単純な計算で、第1戦闘機大隊の1.5倍の戦力を擁していることになる。

 その上、今、僕らは301Cと別行動を取っている。今、ぶつかれば、その戦力比は2倍以上になってしまう。


 戦えばどんな結果になるかは、目に見えている。

 もし、このまま空中戦に入れば、僕らはひとたまりもない。


 視認した時は砂粒の様に見えた敵機たちは、既に獰猛な戦闘機の形をしている。連邦軍の主力戦闘機である、大あごのジョーだ。


《レイチェル中尉! 攻撃を中止しよう! 我々だけでは勝負にならない! 》

《そうだな……、いや、もう遅い! 敵機に視認された! 》


 一旦、パトリック中尉の提案に同意しかけたレイチェル中尉だったが、即座に否定に転じた。

 敵機の編隊が、こちらへと機首を向けて来たからだ。

 あれは、こちらの存在を発見し、攻撃態勢に入ったのに違いなかった。


《くそ! やるしかないな! 全機散開、散開だ! 応戦するぞ! 》


 パトリック中尉は即座に交戦を決心し、301Bはその指示に応じ、すぐさま散開して戦闘隊形を形成した。正規の訓練を受けたパイロットたちだけにさすがの対応の早さだったが、その頼れる味方は8機しかいない。

 僕らは、経験の浅い半人前でしか無かったが、彼らの背中に隠れているわけにはいかないし、そのつもりもなかった。


《各機、分隊ごとで戦う基本を守れ! 絶対に孤立するな! 》

》》


 僕らは、レイチェル中尉の指示に答え、とにかく訓練でやって来た通り、隊形を開いて散開し、分隊ごとに戦闘態勢を整える。


 僕らは旋回も何もせず、真っ直ぐ、敵機の集団へ目掛けて突っ込んでいった。

 今、旋回に入っては、敵機に機体の側面を捉えられて、ハチの巣にされるだけだ。例えそれで一度は攻撃をかわすことができても、敵機に背後を取られ、延々と追いかけまわされることになる。

 真正面から突っ込む。今は、それが唯一の選択肢だった。


 301Bが、敵機の先頭集団と接触する。

 相対速度で、時速1000キロを超える交錯だった。一瞬の射撃機会をとらえ、双方が発砲し、数えきれない曳光弾の軌跡が蒼空を貫く。


 ジョーが1機、エンジン部分から火を噴いた。

 その直後、301Bの1機も、エンジン部分から火を噴く。


 僕には、炎を引き、黒煙をあげながら墜落していくその2機から、パイロットが脱出したかどうかを確認している暇は無かった。

 301Bの編隊を突き抜けて来た敵機が、僕らの眼前へと迫っている。

 ジョーの主翼に装備された、合計で6丁もの機関砲が、今度は僕ら目掛けて発射される。

 僕も、無我夢中で、狙いもロクに定められないままにトリガーを引いた。


 エンジン全開で突っ込んで来るジョーとの撃ち合いは、ほんの一瞬のことだ。僕と敵機は瞬きする様な間にすれ違い、そして、僕の眼の前には、後続のジョーが迫っている。


 衝突コースだ!

 それは、同時に、射撃すれば当たるということでもあったが、僕は欲をかかずに回避に専念した。

 その判断は、正しかったはずだ。僕の機体をジョーから放たれた曳光弾がかすめて行ったが、僕は1発も被弾せずに済んだ。

 僕らのエメロードⅡBは、残念ながら連邦軍のジョーよりも火力で劣る。正面から撃ちあっても、僕の方が撃ち負けるか、良くても相討ちになるだけだ。


 僕が望むのは、全員で基地に帰還することだ。

 戦いが始まったばかりという時に、僚機を置いて撃墜されてなどいられない。

 お互いに、お互いを守って飛ぶ。それが、僕らがレイチェル中尉から叩き込まれた戦い方だった。


 僕は、最初の撃ち合いを運よく切り抜けることができた。

 僕の僚機、ライカは無事だ。ジャックとアビゲイルの第1分隊もいるし、レイチェル中尉の機も問題なく飛行している。


 だが、ほっとしてなどいられない。敵機は旋回し、僕らを狙って、追って来るだろう。


《全機、敵の撃墜にこだわるな! 敵機とじゃれ合ってると、別の奴らに撃たれるぞ! 背中を意識しろ! 敵機に食いつかれても、逃げ回ってりゃあたしがどうにかしてやる! 》


 こんな時でも、レイチェル中尉は僕らのことを良く見ている。

 中尉の指揮の下なら、生き残れるかもしれない。そんな希望が、小さいけれど湧いてくる。


 敵機は、積極的に空中戦を挑んで来る様だった。正面から交錯した第一撃を終えると、敵機はそれぞれ旋回に入り、僕らにさらなる攻撃を加えるために機首を向けてくる。

 今逃げ出しても、僕らよりも高速を発揮できる敵機に追いつかれるだけだ。僕らは、その攻撃を受けて立つ他は無い。


 時間だ。時間が欲しい!

 僕らにとって、フィエリテ市の北の空を覆いつくすほどに成長した積乱雲が、唯一の希望になりつつあった。

 あれがこの空に到達すれば、敵機も引かざるを得ない。僕らが安全に退却できるのは、その瞬間だけだろう。


 その、唯一の機会が訪れるまで、とにかく、生き残らなければ。

 今は、全力で戦うだけだ!


 第一撃と同じ様に正面から撃ち合いながらすれ違った僕らと敵機は、そのまま互いの背後を取り、より有利な攻撃位置につこうと旋回戦に入って行く。


 僕ら、301Aの第2分隊にも、4機の敵機がついた。

 4機。4機だ!

 僕とライカの倍だ!


 敵機との戦力差から計算すると順当なところだったが、どうすれば振り切れるか、どうすれば勝ち筋が見いだせるか、全く想像もできなかった。

 2機編隊での基本戦術である、1機を囮とし、もう1機でその囮を狙う敵機を攻撃するという戦術も、通用しそうにない。こちらが2手に分かれれば、敵機も2手に分かれて、2機がかりで1機ずつを相手にすればいいだけだからだ。


 数の差というのは、単純な数字だけのものではないらしい。

 相手の方に戦術的な選択肢が遥かに多くなり、対して、数で劣る僕らは、敵より少ない選択肢しか持たない。通常であれば選択肢に入る戦術を、数の差が封じてしまう。そのことを今、僕は思い知らされている。

 敵がさほど巧妙でなくとも、僕らは追われ、追い詰められ、少しずつ撃ち減らされていくだろう。


 だが、何とか、切り抜けなければ。

 僕は、新しく覚えたおまじないが効果を発揮してくれるように強く念じながら、必死になって機体を操縦する。


 僕とライカは、少しでも敵機が狙いをつけにくくなるよう、お互いに前後を入れ替えながら回避に専念した。

 幸い、最高速度では劣っても、空中での運動性では、エメロードⅡBは負けていない。いや、ほんの少しだが上回っている様だ。そのおかげで、いくらかは被弾したが、致命傷にならずに済んでいる。

 それでも、敵機の追尾を振り切る術が無い以上、僕もライカも、いつかは被弾して、撃墜されてしまうだろう。


《ライカ、ミーレス! 3秒でいい、真っ直ぐに飛べェ!! 》


 何も思いつけず、焦燥感ばかりがつのっていたところに、突然、その声は飛び込んで来た。


 レイチェル中尉だ。


 僕は、中尉に何かを聞き返したり、その訳を問いかけたりしなかった。

 腹の底から轟く様な声をレイチェル中尉が出す時は、僕らに有無を言わさず、従えと言っている時だ。

 僕も、ライカも、レイチェル中尉の言葉に従い、機体を真っ直ぐにした。


 頭の中で、必死に数える。

 いつ、敵の弾丸が僕の機体をバラバラにしてしまうか、数えていなければ不安で仕方が無かった。


 3、2、1!


 後方から、敵機の弾丸は飛んでこなかった。

 代わりに、上空から、僕らの後方へ向かって曳光弾のシャワーが降り注ぐ。


 直後、僕らの上方から、レイチェル中尉の機体がたった1機で、4機の敵機を引き連れながら降って来て、一瞬で飛び去って行った。


 僕が慌てて背後を振り返ると、そこには、さっきまで僕らを追いかけていた敵機の姿が無い。

 代わりに、一筋の黒煙が地面へと向かって伸びており、その先に炎に包まれたジョーの姿があった。


 どうやら、レイチェル中尉が僕らを追っていた敵機を急襲し、その1機を撃墜してしまったらしい。他の機体は、それに驚いて逃げて行った様子だった。

 3秒間、真っ直ぐ飛べというのは、僕らを追いかけていた敵機を攻撃するためであったらしい。僕らが真っ直ぐ飛べば、それを追っている敵機も射撃の狙いをつけるために真っ直ぐに飛ぶ。レイチェル中尉はその3秒間の間に、狙いをつけ、射撃し、敵機を撃墜したことになる。

 しかも、たった1機で、4機の敵機に追われながら、だ。


 僕はレイチェル中尉の腕前を疑ったことは無かったが、それでも、過小評価していたのかもしれない。手品でも見ている様な気分だった。


 だが、のんきに感心している訳にはいかなかった。

 僕らは敵機から一時的に逃れることができたが、同じ様に、敵機に追いかけられている味方が何機もいるのだ。

 行動の自由を得た以上は、他の味方機を救うために、今度は僕らが動く番だった。


《ミーレス! あそこ! 真正面! 》

《了解! 》


 ライカの言葉はやや抽象的だったが、僕にも意味は理解できた。

 正面に、2機の敵機に追われている味方機がいる。


 僕とライカは、その味方機を救うために、機首を向け、全速力で突進した。

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