9-5「積乱雲」

 休暇はたった1日だけだったが、連日、出撃続きだった僕らにとってはいい気分転換だった。その日だけは、僕らは任務も、この戦争のことも忘れることができた。


 だが、休暇が終われば、僕らはまた、現実に向き合わなければならない。


 相変わらず、連邦軍機も、帝国軍機も、フィエリテ市上空に現れる頻度は低いままだったが、いつ活動を再開してもおかしくはない。僕らの方から、いつごろまた飛んできますかと聞くわけにもいかないので、結局、僕らはいつ敵機が飛んできても歓迎会を開けるように、万全な準備を整えて待ち構えるしかなかった。


 7月に入り、フィエリテ市周辺は夏の色合いを濃くしつつある。

 編隊を組み、空から見下ろしていると、少し前に比べて緑がはっきりとしているのが分かる。フィエリテ市周辺の気候は、冬が長く、夏が短いが、その短い夏の間に植物たちは精一杯その葉を広げ、少しでも多くの養分を蓄えようとしている様だ。


 変わったのは、大地の色合いだけではない。

 空の表情も変わった様に思える。


 太陽は、春の柔らかな光から、突き刺す様な強い光に変わってきている。僕らが暮らしている惑星と、太陽の位置関係が変化し、僕らの真上から光が降り注ぐようになってきたためだ。

 太陽光が降り注ぐ角度が大きくなるに連れ、空の色がより鮮やかに変わって来たように感じる。徐々に青色が濃くなり、雲の白との濃淡がはっきりとしたものになった。


 気温も、上がってきている。フィエリテ市周辺の地域の夏は短く、気温もそれほど高くはならないのだが、それでも、摂氏30度程度にまでなることがある。

 もっとも、上空5000メートルともなれば、地表付近がどんな気温であろうと、飛行服に仕込まれた電熱線なしには辛い気温になるのだが。


 僕らは、今、フィエリテ市のすぐ南の空域で、高度を5000メートル付近に取り、敵機の侵入に備えて、ぐるぐると旋回しながら警戒に当たっている。

 すっかり定着した、第1戦闘機大隊に所属する全機での、大きな編隊だ。

 僕ら、301Aは相変わらず5機だけだったが、他の部隊は増援や補充を受けて増強されていた。明確に増えたのは、301Bの6機から8機への増加だけだったが、それでも、僕らの戦力がより充実してきたということには変わりがない。


 空中集合の目印と、各編隊の誘導、支援のために相変わらず前線まで同行してきているハットン中佐のプラティーク1機を中心に、戦闘機が、僕ら301Aが5機、301Bが8機、301Cが8機。合計で22機の飛行機によって作られる編隊だった。

 相変わらず、本来の定数を満たさない部隊のより集まりでしか無かったが、真っ青な空をたくさんの機体が翼を連ねながら飛んでいる光景を見ると、とても頼もしく思えてくる。


 何というか、空の王様になったような気分だった。


 今、フィエリテ市の上空に僕らしか存在しないのは、連邦も帝国も次の攻勢をかけるために準備中で、出撃を控えているだけであり、状況としては、僕らが劣勢なことには変わりがない。だからこれは、僕の錯覚でしか無いのだが、それでも、飛んでいて気分が良かった。


《あー、眩しい。サングラスが欲しい》


 無線に、ライカの少し困ったような声が混じる。

 任務中の私語は、基本的に禁止されていたが、これは、僕ら4人だけに通じる、レイチェル中尉やハットン中佐には秘密の回線だった。

 以前から、僕らはこの様な違反行為をこっそりと繰り返している。レイチェル中尉には見抜かれたことがあったのだが、今はジャックの発案で毎日周波数を変えるという対策を取っているのでもう安心だ。


《ライカ、どうしたの? 》

《日差しが眩しいのよ、ずっと。ミーレスは平気なの? 》

《うん、僕は平気だけど》

《そうなの? 私だけ? 》

《そうだな、俺も特に問題ないかな。眩しいは眩しいけど、気になるほどでは》

《あたしも平気だけど。ライカ、あんたの瞳の色のせいじゃない? 》


 言われてみると、確かに、ライカの瞳だけ、僕らよりも色素が薄い。僕もジャックもアビゲイルも、ブラウン系の瞳だが、ライカだけ澄んだブルーの瞳を持つ。


《ぅー、そうかも。あたしもブラウンの瞳に生まれればよかったかしら》

《そうかな? 僕は、ライカの瞳は綺麗だと思うけど。何というか、宝石みたいで》


 僕は何気なく言ったつもりだったが、僕らの会話は突然、数秒間の沈黙に陥った。


《……そう? ありがと》


 やがて、ライカからそう返事が返って来たが、会話はそれ以上続かなかった。


 何か、僕は不味いことでもしてしまったのだろうか?

 誰かに聞くわけにも行かず、僕は、無性に心配になって来た。


《第1戦闘機大隊各機、北方に注意してください》


 その時、耳に飛び込んできたのは、ハットン中佐が操縦するプラティークに搭乗しているクラリス中尉の声だ。


《クラリス中尉、どういうことか? 敵襲か? 》

《いえ、レイチェル中尉。積乱雲です》


 レイチェル中尉の確認に、クラリス中尉はそう答える。

 北の方へ視線を向けると、確かに、そこには大きな雲ができていた。


 南から吹き寄せる風が、アルシュ山脈の山々にぶつかり、高空へと押し上げられることで急速に出来上がった雲だ。

 まだ、積乱雲になりかけ、といった具合だったが、じきに巨大化していくだろう。

 夏のフィエリ市周辺で、時折見られる気象現象だった。アルシュ山脈付近で出来上がった積乱雲は、やがてフィエリテ市の周辺にまで到達し、激しい雨や風を巻き起こすだろう。


 僕らは、注意するべきだ。

 あの雲は、30分もしない内にフィエリテ市の空を覆いつくすだろう。それくらい急激な気象変化が起きようとしている。

 そうなれば、積乱雲の周りに形成される強烈な乱気流によって、僕らは飛行どころではなくなってしまう。


《現在、防空指揮所に、当空域から一時退避できないか、確認中です。……いえ、ちょっと待ってください》


 僕らは戦うために飛んでいるわけだから、危険は覚悟してきている。だが、避けられる様な危険であれば、出来得る限り避けたかった。

 事故で墜落して怪我なり、命を失うなどするのは嫌だし、そういう避けられる理由で機体を失ってしまっては、苦労して機体を仕上げてくれている整備員たちに申し訳が無い。


 クラリス中尉は、恐らくは防空指揮所との交信をしているのだろうが、その結果を待つ間にも、積乱雲はどんどん成長し、少しずつこちらへと迫って来る様だった。


《……防空指揮所から、連絡がありました。西方より敵機の侵入を確認、天候の許す限り迎撃せよ、とのことです。数は30機以上、高度5000メートルで東進中とのことです》

《ったく、間の悪い! ハットン中佐、事故は嫌ですよ!》

《しかし、放っておくわけにもいかないだろう。敵はかなりの大編隊だが、これまでの例から言って、半数は爆撃機だ。爆撃を許せば被害は無視できん。なぁに、敵も、あの積乱雲が近づいて来るのを見れば、諦めて帰るだろう。それまで足止めをして、我々もさっさと退散することにしよう》

《……、了解! 》


 ハットン中佐の言う通り、敵機の侵入は無視できない。僕らは、敵機から爆弾が落とされるのを阻止するために戦闘機に乗っているのだ。


 敵機は30機以上と、これまでにない規模だったが、少し足止めすれば積乱雲がやって来て、敵も引き返すはずだった。僕らは数で劣っているが、ハットン中佐のプラティーク以外は全機が戦闘機であり、足止めするだけでいいのだから勝算は十分にある。


 即興で、僕らの役割が決められた。

 僕らの301Aと301Bが、護衛についているだろう敵の戦闘機部隊を抑え、301Cが爆撃機を攻撃することとされた。

 対戦闘機戦に301Bが選ばれたのは、正規の教育を受けたパイロットで構成されたもっとも練度の高い中隊だから当然だった。それに加えて、僕ら、301Aも選ばれたのは、今回会敵する敵機は大規模で護衛の戦闘機が多く、301Bだけでは苦戦することが予想されたからだ。

 301Cでは無く、301Aなのは、機数の配分の問題と、301Cに加わっている新米パイロットよりも、同じ新米でも僕らの方に実戦経験が多く、僅差で練度が上であると判断されたためだった。


 考えてみると、僕らは、積極的に戦闘機を相手に空戦を挑むのは、これが初めてだった。敵戦闘機と空戦したこと自体はあったが、戦い慣れているとは到底言えなかった。

 自然と、操縦桿を握る手に汗が滲んだ。


 第1戦闘機大隊は敵機を迎撃するために防空指揮所から指示があった進路を取った。

 敵の護衛戦闘機を相手とするため、少しでも優位に立とうと、僕らの301Aと301Bは高度6000メートルまで上昇する。爆撃機を狙う301Cは高度5000メートルを維持したままだ。

 まず、301Aと301Bが先行して、敵の護衛戦闘機に攻撃を仕掛け、その注意を引いた隙に、301Cが無防備となるはずの敵爆撃機を攻撃するという作戦だった。


 301Cと別れ、高度6000メートルに向かって上昇する僕らに、レイチェル中尉が励ます様に言う。


《よぉし、喜べ、者ども。やっと戦闘機乗りの本分だ。上へ下への大騒ぎさ。パイロットコースの訓練じゃ一番繰り返しやってきたことじゃないか。訓練を思い出せ! あたしが散々しごいてやったんだからな! そうすりゃ嫌でも生きて帰れる! 》

》》


 それだけで、無条件で生還を確信できたわけでは無かったが、後ろ向きに考えるよりは、前向きに考える方がよほどマシだろう。


 僕は、一度双眸を閉じ、数回深呼吸をしてから、再び双眸を開く。

 そうだ、訓練。訓練を思い出すんだ。

 何度も、何度も繰り返した、様々な空戦機動。レイチェル中尉に怒鳴られながら叩き込まれた心構え。それら全てを出し切る。そうすれば、みんなで基地へと帰れる!


 気合を入れると、僕は操縦桿を握り直し、計器の類を素早く確認した。

 何も、問題は無い。機体の状態は最高だ。


 北の方では、どんどん大きくなった積乱雲が、黒くそびえ立つ様になっている。

 時折、紫色の稲妻が、チカ、チカ、と閃いている。


 あの積乱雲が到達すれば、僕らは、敵も味方も無く、逃げ出すしかないだろう。

 あの雲が僕らに幸運をもたらしてくれるのか、それとも、不運を運んでくるかは、まだ、分からなかった。

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