9-4「休暇」
7月に入り、フィエリテ市上空における激しい航空戦は、一旦、沈静化しつつあった。
戦力において連邦も帝国も王立軍を圧倒していたが、フィエリテ市を巡る攻防戦が三つ巴の様相となり、これまでの戦いで少なからず損害を負っていた。その損耗の回復と態勢の再構築のために、両軍ともその活動を自ら低下させたのだ。
これはつまり、連邦も帝国も、次の攻勢の準備に入ったということだったが、王立軍にとっても一息つく猶予ができていた。
一体、いつぶりになるのだろう。
僕らの部隊に、久しぶりに休暇がやって来た。
以前の様に、フィエリテ市周辺が天候不順で出撃を中止せざるを得ないなど、やむを得ない理由があって偶然休みになったわけでは無い。
本当に、丸一日の休暇だった。
これは、上層部としては連日出撃続きで疲労がたまっているはずの諸部隊に少しでも鋭気を養わせようという意図だったが、とにかく、僕らにとっては休みだ。
正式な休みであるから、その日だけに限ってだが、外出さえ認められている。
だが、困ったことに、外出できるとは言っても、僕らには行く当てが無かった。
レイチェル中尉や、整備班、基地に駐留している兵士たちは、近くの町の酒場へ、昼から酒を浴びる程飲むのだと言って意気揚々と軍用トラックを連ねて出かけて行った。だが、僕らは王国の法律によってまだ酒が飲める年齢では無いから、それについていくことはできない。
街を観光しても良かったかもしれないが、しかし、最寄りの、日帰りで帰って来られる様な距離にある街は小さく、しかも、王国ではありふれた、どこでも見ることができる様な場所でしかない。
基地の外を歩き回ると言っても、そこは、一面の田園地帯だ。芽を出して成長を続ける麦の青々とした力強い葉の海や、土地の区画分けを兼ねた防風林、空から見るとビーズを散りばめた様に見える農場の家。それらの景色はなかなか悪くは無いのだが、改めて見ると言っても、あまり面白くはない。
それに、空から眺めている方が断然、いい景色だ。
そういうわけで、僕は今、フィエリテ南第5飛行場の基地内に設けられた放牧用の柵の前に立ち、ぼんやりとしている。
わざわざ出歩くのも億劫だったから、牧場の愉快な仲間たちを眺めようと思ったからだ。
ここの動物たちは、本当によく世話をされている。そういう、幸せそうな動物たちを見ていると、何というか、妙に落ち着く。
僕の場合、故郷を思い出すからだろう。以前は、無性に家に帰りたいという衝動に駆られたし、今回も同じ様な気持ちだったが、エンジンの爆音や、大気を切り裂く鋭い音とは違って、穏やかな記憶を呼び起こしてくれる。
牧場の陽気な友人たちは、今日も、柵の中で、それぞれ思い思いの鳴き声で楽しそうな合唱を奏でている。
その中に、よく聞き知った声も混ざる。
柵の中にいるのは、動物たちだけでは無かった。
やはり、以前と同じ様に、ライカが、楽しそうに動物たちと遊んでいる。
彼女は、ありとあらゆるものに好奇心を持ち、物珍しいと思えば、すぐに写真に撮るのが大好きだ。だから、本当は街や基地の周辺へ散策に出かけて、写真をたくさん撮りたいと言っていたのだが、僕らが誰も基地から出ないと知ると、計画を変更して、こうやって動物たちと遊んでいる。
お気に入りは、真っ白なアヒルだ。さっきからふかふかの羽毛を撫でまわしたり、追いかけっこをしたり、何とも楽しそうに遊んでいる。動物たちもすっかりライカのことを友達として認識しているらしく、ライカの周りでみんな賑やかにやっている。
「ったく、単純なお姫様だねェ……」
そう、呆れたように言ったのはアビゲイルだった。
今回、彼女は二度寝を決め込んではいなかった。何でも、寝飽きた、とのことだ。
だが、かといってやることも無く、基地の人員も多くが街へと繰り出してしまったので、仕方なく僕と一緒に動物たちを眺めていたのだ。
「単純って? 」
「だって、そうだろ? あんな、どこにでもいそうな鳥とか動物とかで、あんだけはしゃげるんだからさ。ったく、羨ましいくらいだよ」
その時、そんなアビゲイルの言葉が耳に届いたのかどうなのかは分からなかったが、とにかく、いいタイミングで、ライカが僕らの方へ駆け寄って来た。
「ねぇ! アビー、この子、触ってみて! すっごい、ふっかふかよ! 」
そう言って、ライカは、瞳を宝石の様にきらきらと輝かせながら、自身が抱きかかえている1羽のアヒルをアビゲイルの方に差し出してくる。
アビゲイルはちょっとうんざりしたような表情を作ったが、ライカの真っ直ぐな視線に根負けしたらしい。アヒルを受け取ると、自身の胸に抱きよせ、その羽をひと撫でした。
「……。やべェ」
アビゲイルは、そう呟いたっきり、押し黙った。
そして、無言のまま、アヒルの羽を撫で続ける。
アヒルは、何だか誇らしげな様子で、クァッ、と鳴いた。
アビゲイルが夢中になるのも当然だろう。
そのアヒルは、最高級の羽毛布団の材料となる、最高の羽毛を提供してくれる種類のアヒルだ。
しかも、よく世話をされていて、健康で、毛並みも最高の状態だ。
ライカは、アビゲイルのそんな様子を見て、満足そうに笑うと、再び、動物たちとの賑やかな集会に戻っていった。
「よぉ、ミーレス。何してるんだ? 」
そこへ、ジャックがやって来た。
以前、フィエリテ市周辺の天候不順で出撃が中止された時、ジャックは炊事班と一緒にパンの焼き方の勉強会を開いていた。だが、今回は、炊事班もその多くが街へと繰り出して行ってしまったので、久しぶりに進学のための勉強をするのだと、朝から部屋にこもっていた。
「やぁ、ジャック。眺めているだけさ。勉強はひと段落着いたのかい?」
「まぁね。結構、忘れていることが多くて焦ったぜ。……ところで、ミーレス。眺めてるって、どっちを?」
「……。どっちって? 」
僕は、ジャックの質問の意図が分からず、真顔で問い返してしまった。
そんな僕を、ジャックは数秒、何か考えている風な様子で眺めていたが、やがて小さく、面白そうに笑った。
「いや、何でもない」
僕にはやはりジャックの考えは分からなかったが、変に問い詰めても迷惑だろうと思って、それ以上は何も聞かずに視線を柵の中へと戻す。
その時、ぐー、という、誰でも聞いたことがある音が鳴った。
音の出所は、ジャックの腹だ。
「あー、腹が減った。……けどよ、ミーレス。炊事班が出かけちゃってるから、今日の飯はあんまり期待できないんだよな」
「そうか……。それは、全然思いつかなかったよ」
言われてみると、確かに、もうすぐお昼だった。
街に繰り出していった人々は、今頃、どこかの酒場で、冷えたビールと美味しい料理を楽しんでいるはずだった。だが、炊事班もその多くが出かけてしまっているため、僕らの食事は貧しいものにならざるを得ないだろう。
せっかくの休みなのだ。たまには、僕も御馳走という奴にありつきたい。
空腹を自覚した僕は、柵に体重を預け、健康的で丸々と太った家禽たちを見回した。
「ああ……、ローストチキンが食べたい。そうでなくても、新鮮なのをそのまま煮ても、焼いても、それだけで最高なのに」
「ああ、まったくだ。厚切りにして、思い切り齧りつきたいぜ」
はぁ、とため息を漏らした僕たちを、ライカがムッとしたような顔で見ている。
「あなたたち、まさか、この子たちを食べる気!? 」
それからライカは、彼女の周りに集まってきていた家禽たちを、自身の後ろへと庇う様にする。
だが、僕には、そんな彼女の行動が理解できなかった。僕は牧場で生まれ育ち、動物たちとは幼いころから仲良くさせてもらっていたが、同時に、彼らは僕と家族の日々の糧でもあったからだ。
「え? ダメなの? 」
「だーめーに、決まっているでしょう! こーんなに、かわいいのに! 」
僕が真顔で聞き返すと、ライカは、僕の視線から守る様に、僕とライカの間をうろうろしていた鶏を抱きかかえた。
こんな反応をされるとは思っていなかった僕は戸惑うことしかできなかったが、ジャックは違う様だった。ふぅむ、と唸った彼は、突然、柵を飛び越える。
「な、何よ、ジャック! この子たちは渡さないわ! 」
突然乱入してきたジャックを警戒したライカは、身構えながら、威嚇する様にそう言った。
それに対し、ジャックは、ニヤリと不敵な笑みを浮かべる。
「ライカ、その心意気はいいけどよぉ、それだけの数を1人で守り切れるかなぁ? 」
「くっ……! やらせないわ! 」
ライカの周りに集まっているアヒルや鶏たちは、10羽を超えている。どう頑張っても、全てをジャックの魔の手から守りきることはできないだろう。
「へっへっへ、ローストチキンにしちゃうぜェ……」
悪い顔をしてじりじりと距離を詰めるジャックに、ライカは精一杯の威嚇で立ち向かう。
「ふーぅっ! ぅーっ! ぐるるるるーっ! 」
何というか、ライカは小柄だから、必死さは伝わって来るのだが、どうにも迫力に欠ける。
恐らく、ジャックは暇つぶしにライカをからかっているだけだろう。
いや、彼が腹ペコなのも事実だから、案外、本気かもしれない。
ライカと鳥たちは、ジャックが距離を詰めるのに合わせて、少しずつ後ずさりしていく。どうやら、鳥たちも身の危険を感じているらしく、しかも、敵と味方の区別までついている様だ。
だが、やがて、ライカと鳥たちは柵際まで追い詰められてしまった。
ジャックは、勝ち誇ったような笑顔を浮かべる。
「くっ! こうなったら! 」
追い詰められたライカは、彼女の周囲で身を小さくして固まっている鳥たちを振り返った。
「みんなであの悪いジャックを倒すのよ! それっ! 」
驚いたことに、鳥たちはライカのその言葉を理解した様だ。
びくびくとライカの後ろで震えていた鳥たちが一斉に思い思いの鳴き声を上げ、翼を広げて、ジャックへと向かって突撃を開始する。
「ぅわっ、ちょっと!? 冗談だったのに! 」
様々な鳴き声の入り混じった喚声をあげながら突っ込んで来る鳥たちの気迫に、ジャックはたまらず逃げ出し、慌てて柵を飛び越えて安全圏へと逃げ出すしか無かった。
鳥たちは、まるで勝鬨をあげる様に、翼を広げながら空へと向かって鳴き声を上げた。
僕は、呆気に取られ、それから、笑うしか無い。
せっかくの休日だったが、どうやら、ローストチキンにはあり付けそうも無かった。
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