9-3「復帰」

 僕がフィエリテ市の河に沈めてしまった機体の代わりは、レイチェル中尉が言っていた通り、その日の晩には到着した。

 到着した時は、いくつかの木製の専用コンテナに分割して納められた状態だった機体だったが、整備班が徹夜をして、翌朝には完璧に仕上げ、試運転にまでこぎつけていた。


 エンジンは快調に回り、機体は塗装されたてで汚れ一つない。343いう機体番号が白い塗料で垂直尾翼に描かれている。

 本当に、工場から出荷されたばかりの新品だ。


 徹夜をしてまで仕上げてもらい、整備班には何とも申し訳なく、頭が上がらない気持ちだったが、それ以上に、彼らの身体が心配だった。

 今、王立空軍は、連邦と帝国、自身より遥かに強大な2つの勢力を相手取って戦っており、数で劣る分を補うために、僕らパイロットにもかなりの負荷がかかっている。出撃が頻繁に行われ、まとまって休めるのは天候不順で出撃ができなくなる時だけだった。

 それは、出撃の度に機体の整備や点検を行う整備班にも、大きな負担がかかっているということでもあった。


 心配になった僕は知り合いの整備員にたずねてみたが、彼は笑って言った。

 パイロットが出撃している間に、自分たちは寝ているから大丈夫だ、と。

 そんなことより、戦場で実弾を撃ちあっているパイロットのために、機体の不調が出ることの方が大問題で、それが心配でのんびり休んでなどいられない、とのことだった。


 僕は開戦以来、敵機の攻撃から人々を守るためだと思って戦闘機を操って来た。

 だが、そんな僕らを、整備班が守っていてくれたのだと気づかされた。


 エンジンの試運転を終えると、僕は、機体の試験飛行を行った。整備班の丁寧な整備のおかげで、機体の状態はとても良い。

 午前中にも301Aには出撃命令があり、僕も参加したかったのだが、レイチェル中尉から、試験飛行も終わっていない様な機体での出撃は禁止だ、と言われてしまった。

 僕は逆らうこともできず、大人しく従う他は無かったのだが、この分なら午後の出撃には参加できるはずだった。


 試験飛行を終え、機体の点検と整備をしてくれる整備員たちに交じって機体の掃除を手伝っていると、出撃に出ていた僚機たちが基地へと帰還してきた。

 その姿を見て、僕はほっとする。

 良かった。今日も、全員帰って来た。


 ふと、気づくと、僕の周りで作業をしていた整備員たちも皆、僕と同じ様にほっとしたような表情をしていることに気が付いた。

 その時、僕にも、彼らがどんな気持ちで働いているのかが少しだけ分かった。


 彼らは、いつも、僕らパイロットが帰って来られる様にしてくれている。

 僕らパイロットだけではない。部隊の全員で、僕らは戦っている。


 僕は、僕自身と機体だけではなく、多くの人々と一緒に飛んでいたのだ。

 じんわりと、胸の内が暖かくなるような、そんな心地だった。


 午後になり、いよいよ、僕も出撃任務に復帰することになった。

 といっても、僕が連邦の四発爆撃機、シタデルと衝突して乗機を失ったのは一昨日のことなので、僕が戦列を離れていたのはわずかに2日間のことでしかない。


 それでも、随分、久しぶりに出撃する気分だ。

 飛び立っていく仲間を見送り、その帰りを祈りながら待っている時間が、これほど長く感じられるとは思わなかった。


 出撃は今までと同じ、フィエリテ市上空での戦闘空中哨戒任務だ。

 一昨日と同じ様に、ハットン中佐の指揮下にある第1戦闘機大隊全機を集中しての出撃となる。どうやら、このやり方は上層部にも有効であると認められたらしく、僕の部隊は引き続きこの戦法を取ることになったらしい。

 他の部隊でも、順次、大隊単位で戦闘機を集中運用するために調整中とのことだった。だが、ハットン中佐が当初に望んでいた、もっと大きな連隊単位での集中運用は、まだ見送られているらしい。


 数を集中すれば戦力として強力になるのは、素人目に見ても明らかな話だったが、やはり、フィエリテ市上空に常に警戒の戦闘機を飛ばすローテーションを組むためには、そこまでの大規模な戦力集中をやると間に合わなくなるらしい。

 飛行機が空中に浮かんでいられる時間は、どうあがいても有限で、限られているためだ。

 警戒の戦闘機が飛んでいる時は確かに高い防空の効果が見込めるが、戦闘機がいない時に敵機が飛んできてはどうしようもなくなってしまう、というのが、上層部がハットン中佐の提案を完全に採用できないでいる理由だった。

 どちらの言い分にも相応の理由かあるので、僕としてはどちらがいいかなど、判断のしようも無い。


 もっとも、僕の様な1パイロットが、どうこうと口出しする様な問題でも無かったが。


 第1戦闘機大隊は、ハットン中佐が操縦するプラティークを中心に、フィエリテ市の南側の空中で集合を終えた。

 前回、僕が参加した時は、全部で19機ものエメロードⅡと編隊を組んだのだが、今回は17機と、ハットン中佐のプラティークが1機、合計18機で作る編隊だった。

 足りないのは、301Bの1機と、301Cの1機だった。

 301Bはパイロット1名が負傷したため参加できず、301Cは補充機が到着しないため参加できない、とのことだった。


 負傷者が出ているため、純粋に喜べはしないのだが、戦死者が出たわけでは無かったことに僕は安心した。

 同時に、僚機たちと翼を並べて飛ぶことに、妙に懐かしさを覚える。

 自分でもよく分からないが、自分のあるべき場所、居場所に戻って来た。そんな感覚だ。


 大隊は集合を終えると、フィエリテ市の上空へと進入し、フィエリテの防空指揮所の指揮下に入った。

 入れ違いに、戦闘空中哨戒を終えた戦闘機の編隊が、それぞれの基地へと帰還して行くのが見える。どうやら、彼らは今日、敵と遭遇せずに済んだらしい。


 今日のフィエリテ市の空は、比較的、穏やかである様だ。

 だが、到底、機を抜くことなどできはしない。

 そこは、戦場だ。

 フィエリテ市の空を飛ぶのはもう、何度目になるかも分からないが、飛ぶ度に、そのことを思い出さされる。


 地平線に、幾筋もの煙が立ち上っているのが見える。

 それは、戦闘によって引き起こされた火災によるものだ。


 あの煙の下で、誰かの家だったものが、燃えている。

 ある人の故郷であり、思い出でもある場所が、灰になっていく。


 無益なことだと思う。


 連邦には連邦の、帝国には帝国の、そして、王国には王国の都合がある。


 開戦時は、僕らも混乱していてよく分かっていなかったが、1カ月近くも経った今では、どういう思惑でこの戦争が始まったのかも分かってきている。

 連邦は、アルシュ山脈の北方に形成された帝国との主戦線で反抗への道筋を見いだせず、徒に人命だけが失われていく状況を打破するために、僕らを攻撃した。

 ある日のプロパガンダ放送で、連邦の偉い政治家が、勇ましい口調で演説していたのを覚えている。彼女は言っていた。これは、100万人の連邦市民を救うための行いなのだ、と。

 一方の帝国は、そんな連邦による攻撃を、自国領では無く、王国内で迎え撃つために僕らを攻撃した。そして今は、連邦による侵略から、王国を守るために戦っているのだなどと主張している。

 以前のプロパガンダ放送で、ある大臣が、皇帝を代弁して演説したのを覚えている。彼は言っていた。帝国が王国を支配すれば、平穏が約束されるのだと。


 だが、結局、どちらの場合も、戦火に焼かれるのは王国だ。

 例えどちらかの陣営に降伏し、あるいは同盟を結んでその傘下に加わったとしても、結局、王国が戦場で無くなるわけでは無い。その上、王国はその政治的、軍事的な権利を抑圧され、制限され、その国民である僕らは、連邦、あるいは帝国の指示なり命令なりに、否も無く従うしかなくなってしまうだろう。


 そんな事態を、僕らは誰も、望んではいない。

 僕らが欲しているのは、戦争とは無縁で、明日のことをそれが当然の様に心配することができた、あの平穏だった頃の王国を取り戻すことだけだ。


 そのために戦うというのは、甚だしい矛盾でもあるが、それ以外に手段が無いのも否定のできない現実だった。

 この戦争は、王国が外交的な折衝を試みたにもかかわらず、連邦と帝国がそれを無視して始めたものなのだから。


 任務に復帰し、第1戦闘機大隊で編隊を組んだ時、僕は、確かに懐かしいと感じた。

 そこが、もう、僕の居場所になってしまっているからだ。


 これが、戦争ではなく、ただ、冒険のために、まだ見たことも無い様な世界を探しに行くために、渡り鳥たちの様に飛んでいるのだったら、どんなに素敵だっただろう。

 そして、この機体を完璧に仕上げてくれた整備員の人たちを乗せて、空を、どこまでも、どこまでも、飛んでいくことができたら、どんなに楽しかっただろう。


 だが、今は、それは僕の夢でしかない。


 現実の僕は、フィエリテ市に爆弾を落とそうとする敵機を迎え撃つために飛んでいる、戦闘機パイロットだ。

 僕はこの戦争の当事者であり、それが不本意なことであろうと、そうであることしかできない1人の人間に過ぎない。


 ならば、せめて、そういう夢を、夢として追うことができる時代が来るまで、全力を尽くそうと思う。

 この、僕の居場所でもある仲間たちと一緒に、平和になった空を自由に飛ぶことができる様に。


 僕は、気合を入れるためにゴーグルの位置を直し、少しの異変も見逃すまいと、視線を凝らす。


 幸いなことに、この日、僕らは敵機と会敵しなかった。

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