9-2「レイチェル中尉」

 僕を基地の近くまで乗せて行ってくれる列車は、翌日の正午ごろ、予定通りに出発した。

 フィエリテ市から疎開する人々や、連邦と帝国に占領されてしまった地域からの難民たちと一緒だ。


 避難民たちは当面必要な最低限の身の回りの品だけを持ち、皆、一様に疲れた様な、不安そうな表情を浮かべている。


 住み慣れた故郷を離れ、不本意な形で見知らぬ土地へと行かなければならないのだから、気分が重くなるのも当然だろう。


 だが、例外的に、賑やかで明るい声もあった。

 フィエリテ市内から集団で疎開する、幼年学校に入りたての様な小さな子供達だ。

 子供たちは引率の先生の周りで、にこにこしながらはしゃいでいる。機関車に引かれた列車に乗るのがよほど嬉しいのだろう。それに、子供たちは、疎開を、旅行か何かと思っている様子だった。


 微笑ましい光景でもあったが、悲しい光景でもある。

 子供たちはよく分かっていない様子だったが、子供たちが再び家族と会えるのは、当分先のことになるのだ。


 だが、だからと言って、僕に何かができるわけでもない。

 僕にできるのは、牧場での仕事と、飛行機を飛ばすことだけだ。


 列車は、敵機の攻撃を受けることも無く順調に走り続け、午後に僕の基地の最寄り駅に到着した。


 多くの避難民たちはさらに南まで列車に乗っていくので、その駅で降りたのはごく少数だけだった。

 列車は、機関車の汽笛の音と共に、重そうに加速を始め、ゴトゴトと走り去っていた。


 駅までは、アラン伍長が迎えに来てくれていた。

 アラン伍長が運転するジャンティに乗り込み、基地へと移動する間に、僕は仲間たちの様子を教えてもらうことができた。

 仲間たちは、やはり無事であったらしい。今日も出撃中で、僕が基地に帰りつくぐらいに帰って来るらしい。


 アラン伍長は、最初の印象通り、気さくな好青年といった性格だった。王国南部の出身で、家族は代々、港の水先案内人をやっている家らしい。

 アラン伍長は兵役を終え、一度家に戻って仕事の勉強を始めたばかりだったのだが、急に戦争が始まって軍にとんぼ返りして来たのだという。何ともタイミングの悪いことだったが、本人は気にしていない様子で、それを笑い話にしている様子だった。

 もし、僕に兄がいるとしたら、こんな風だったのだろうか。


 やがて、ジャンティは、僕ら301Aの所属基地、フィエリテ南第5飛行場へと帰り着いた。

 聞いていた通り、ちょうど、仲間たちが作戦から帰還してくる所だった。


 ハットン中佐が操縦するプラティークを先頭に、エメロードⅡが、1、2、3、4機。

 仲間たちが全員揃って帰還してきてくれたことに、僕は、心底安堵した。


 仲間たちと離れていたのは、たった1日だけのことだったが、無性に懐かしく思える。

 僕は、帰って来た仲間たちを出迎えるために、ここまで送ってくれたアラン伍長にお礼を言ってから滑走路へと向かった。


 滑走路では、戻って来た飛行機たちがちょうど格納庫前に整列し、出撃後の点検作業に入り始めたところだった。

 並べられた機体から、ジャック、アビゲイル、ライカが降りてくる。僕が、おかえり、と出迎えると、みんな少し驚いて、それから嬉しそうな笑顔になり、そして、何故か気まずそうな表情になった。


 どういうことなのだろう、と、僕が怪訝に思っていると、奥の方から、僕の方に向かって歩いてくる人影が見えた。

 レイチェル中尉だ。

 中尉は、特に普段と変わりがない風な様子で、何気ない様子で、僕へと真っ直ぐに向かって来る。


 何故だろう? 背中に冷や汗が浮かぶ。


「よぉ、ミーレス。戻ったか。元気そうじゃないか」


 レイチェル中尉の声も、普段と変わらないように思える。

 だが、僕は、思わず姿勢を正し、中尉に向かって敬礼をしていた。


「ハッ! ミーレス一等兵、ただいま帰還いたしました! 」

「おー、報告御苦労。……歯ぁ食いしばれ! 」


 レイチェル中尉の拳は、彼女の言葉が終わるのとほぼ同時に飛んで来た。

 強烈なストレートパンチだ。目の前が一瞬暗くなり、次いで赤くなって、色合いが元に戻るのとほぼ同時に、無数の火花の様なものが散って見えた。

 僕は到底立っていることができず、芝生の上に背中から崩れ落ちる。


「立てや、ミーレス! 」


 レイチェル中尉はそんな僕の胸ぐらをつかむと、無理やり立たせ、僕を至近距離から睨みつけた。


「テメェ、誰が敵機に体当たりしろっつったヨ? ァア? アレ事故じゃなくてわざとだったよなァ? 死ぬ気だったのか貴様? 」

「い、ぃえっ、そんなつもりはありませんでした! 」

「だったら、あんなマネ、二度とするな! これは命令だ、ミーレス! 守れんというのなら、お前は二度と飛ばさんからな! 」

「は、はい! 分かりました、中尉! 」


 僕が何度も頷くと、レイチェル中尉はようやく僕を解放してくれた。


「あたしの言ったこと、よく覚えておけよ! 」


 そして、中尉はそう言うと、もう、機嫌の悪さを隠そうともせず、荒々しい足取りで歩き去って行った。


 僕は、中尉に殴られたのは、これが初めてではない。

 だが、あんなに怒っているレイチェル中尉を見たのは、これが初めてだった。


 レイチェル中尉と入れ替わりに、ジャック、アビゲイル、ライカがやって来た。


「よぉ、ミーレス。随分と無茶したな。あんなに怒り狂ったレイチェル中尉を見たのは初めてだったぜ」

「ああ、僕もだよ。さっきのパンチは、飛び切り強烈だった」


 恐ろしそうに肩をすくめて見せるジャックに、僕は苦笑いを返す。

 それから、僕は、全員の顔を見回して言った


「おかえり、みんな」


 3人はお互いに顔を見合わせると、それから、笑顔を見せる。


「「「おかえり、ミーレス」」」


 何だか、無性に嬉しい気持ちになった。


 それから、僕は、あることに気が付く。


「あれ? ミーレス、血が出てる! 」


 ライカが、心配と驚きの入り混じった声をあげた。

 どうやら、レイチェル中尉にパンチを食らった時に、唇を切ってしまったらしい。


 別に、このくらい大した怪我では無かったが、きちんと治療はした方がいいということになった。そういうわけで、僕はひとまず、基地の中に設けられた医務室へと向かった。


 だが、そこに軍医の姿は無かった

代わりにいたのは、クラリス中尉だった。

厚縁の眼鏡に、医者が着る様な白衣を身にまとっているが、クラリス中尉の淡い色の金髪と落ち着いた雰囲気に、妙に似合っている。


「あら、ミーレスさん? どうされたんですか? 」


 僕が事情を話すと、クラリス中尉は笑顔を見せた。


「まぁ、レイにぶたれたんですか? それじゃぁ、手当てをしないといけないわね」


 そう言うと、クラリス中尉は、僕に診察席に座る様に手で促した。

 僕は言われるがままに椅子に座ったが、それでも、まだ、どうしてクラリス中尉が医者の様な格好で医務室にいるのかが分からなかった。


「えっと、クラリス中尉? 」

「ああ、ごめんなさいね。この基地、軍医さんがまだいらっしゃらないの。だから、今は私がその代わり。大丈夫、これくらいの怪我の治療くらいならできるから」


 クラリス中尉は手際のいい手つきで治療道具をそろえ、僕の傷を治療してくれる。

 消毒液が傷口に染みたが、あまり嫌な感じでは無かった。何というか、この痛みが、レイチェル中尉の不器用な優しさだということが、何となく分かるからだ。


 治療はすぐに終わった。大した怪我でも無かったし、クラリス中尉も、言っていた通りによく治療の仕方を心得ていたので、簡単に終わった。


「あの、クラリス中尉。質問してもよろしいでしょうか? 」

「はい? 何かしら、ミーレスさん」

「あの、さっきおっしゃっていた、レイ、というのは? 」


 僕の問いかけに、少しきょとんとした後、クラリス中尉は何を尋ねられているのかを理解して、ああ、と声を漏らした。


「レイっていうのはね、レイチェル中尉のことよ。私ね、レイとは幼馴染なの」


 驚いた。まさか、クラリス中尉と、レイチェル中尉が、昔からの友人だったなんて。

 昔を思い出したのか、クラリス中尉はくすくすと笑うと、レイには内緒よ、と、昔話をしてくれる。


「私ね、今は大丈夫だけど、昔は病弱だったの。だから、冬の間は、故郷を離れて、南の、昔のオリヴィエ王国だった方で過ごしていたの。フィエリテ市の近くは、冬は寒いし、雪がたくさん降って外にもあまり出られなくなるから、私の健康に良くないってね。それで、レイとは、その時に出会ったのよ」


 レイチェル中尉は、クラリス中尉が幼い時、お世話になった宿屋を経営する夫婦の娘だったのだそうだ。年が近かったこともあり、自然と2人は仲良くなったのだという。


「言い方は悪いけど、レイってちょっと乱暴者でしょう? だけどね、本当はとても優しいの。ミーレスさん、貴方のことだって、心配で仕方が無かったのよ? レイは昨日、上層部当てに上申書を100通は書いていたわね。今の機材じゃ部下の命が守れないから、さっさと新型をよこせ、それかせめて今の機体の強化をしてくれって」

「100通も、ですか? 」

「ええ。紙の束を受け取ったハットン中佐が目を白黒させていたわ。レイはね、昔からそんなだった。ただ、とっても不器用なの。……私ね、昔は病弱で、引っ込み思案だったから、レイのことを怖がっていたの。だけどね、レイは、病弱な私が、部屋に引きこもっていたんじゃ直るものも直らないって、無理やり私を部屋から引っ張り出してね。いろんなところに連れて行ってくれて、いろんなものを見せてもらって、たくさんお話をして。そしたらね、私、いつの間にか身体が丈夫になっていたのよ」


 レイチェル中尉が幼かった頃のことなど、僕は想像がつかなかったが、クラリス中尉の思い出話は何となくだが、そうだったんだろうな、と納得できるものだった。


 レイチェル中尉は、教官として、僕らに厳しかった。時に怒り、時には、口よりも手が先に出るくらいだ。

 だが、中尉は、僕らが何かとんでもない間違いをしでかそうとした時だけ、そうやって怒る。手が出るのも、それは、本当に危険なことか、よほどの間違いを犯してしまった時だけだ。その指導のやり方は到底、器用なものとは言えなかったが、少なくとも、そうやって鍛えられたおかげで、僕はまだ生きている。


「レイはね、昔から不器用だったから、よく怪我をしていたのよ。それを、私が手当てしてあげていたの。私がこうやって怪我の治療をできるのは、そういうわけがあるの。あと、自分で自分の病弱な身体を何とかしようと思ったから、医学もちょっとだけ勉強もしたの。一時期は本気でお医者様になろうと思っていたくらい。だから、何か体調不良を感じたら、正式に軍医がいらっしゃるまでは、私に相談してくださいね」

「はい。ありがとうございました」


 僕はクラリス中尉にお礼を言うと、医務室を後にした。


 部屋を出ると、僕は、驚いた。

 何と、そこには、レイチェル中尉が、壁に背を預け、不機嫌そうに煙草をくゆらせていたからだ。


「ど、どうされたんですか、中尉殿? 」


 予想もしていなかった状況に、僕は若干、身構えながらそう尋ねる。


「いや、別に。……いきなり殴ったのは、さすがに悪かったかと思ってな」


 だが、レイチェル中尉の口から発せられた言葉は、僕にとって、さらに予想外なものだった。


「ミーレス。お前は、あの橋を、橋を渡ろうとしていた列車を守りたかった。それだけなんだろう? けどな、お前ひとりで、全部背負い込む必要は無いし、そんな大きな責任とか義務を、好き好んで抱え込む必要も無いってことだ。……あたしが言いたいのは、それだけだ」

「はい。……ありがとうございます、中尉」


 レイチェル中尉は、本当に不器用だ。僕は、少しだけ笑ってしまった。

 そんな僕を見て、フン、と、レイチェル中尉は不機嫌そうに鼻を鳴らす。


「クララの奴が、何か言ったか? 」

「いえ、何も」

「……。そうか」


 それから、レイチェル中尉は背中を壁から離すと、建物の外へと向かって歩き出す。


「ミーレス、今日の出撃はもう無いから、しっかり休んでおけよ。今晩には代わりの飛行機が届く。まぁ、元々は予備機用に要請していた奴なんだが、タイミングが良かった。その機体の準備ができ次第、また飛ぶことになるだろうから、そのつもりでいろ」

「はい、中尉殿! 」


 そんな中尉の背中に向かって、僕は、敬礼をし、中尉の背中が見えなくなるまで見送った。

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