第9話:「雷帝」

9-1「フィエリテ市」

 王都の空に、ぽん、ぽん、ぽん、ぽん、と、花火の様なものが撃ち上げられている。

 それは、空中で炸裂し、白、赤、オレンジ、黄色、緑、青、紫など、様々な色合いがあり、まるで小さな子供が空に絵の具でいたずらをしている様に広がっていく。

 僕は、フィエリテ市の南側を流れる河に不時着し、沈んでいく機体の上で途方に暮れながら、その光景を見上げていた。


 幼いころ、家族で見に行ったサーカスの記憶が蘇る。

 平和だったころの、良い記憶の1つだ。

 あの時も、客寄せのために昼間から賑やかに花火が打ち上げられていた。ああいう、昼でも楽しめる様に、破裂音を響かせながら色とりどりの煙を発する花火を昼花火というらしいが、地上から眺めている分には、本当にそれとそっくりだ。


 だが、それは、実際には敵機を攻撃するために対空砲から放たれた砲弾が炸裂しているものだった。

 様々な色がついているのは、その砲弾がどの対空砲から発射されたのかを分かり易くする目的だ。当然、射撃する時はきちんと狙いをつけているのだが、攻撃目標への観測誤差や空中の風などによって、発射した砲弾が目標からズレる場合がある。このため、自分の撃った砲弾が実際に目標からどれほどズレているかを確認し、射撃しながら随時照準を修正していく必要がある。

 王立軍の対空射撃は、数門の対空砲で1つの目標を照準して一斉に射撃することになっている。ほとんどの対空砲は色なしの砲弾を撃ち出すのだが、同一の指揮で同じ目標を狙う対空砲の中に1門だけ色付きの砲弾を放つ対空砲が決められており、その砲の照準を目安に他の対空砲も照準を修正していく、というやり方をやっている。


 撃たれているのは、河にかかる橋梁を爆撃しようと緩降下した1機のシタデルを守るべく、僕らの前に立ちはだかった2機のシタデルだ。

 その2機は囮を務めるためにそもそも爆弾を搭載してきていなかったか、既に攻撃の機会は去ったと判断したのだろう。王立軍からの対空砲火を避けるために高度を取りつつ、旋回をして、西側の連邦軍の占領地へと機首を向けて逃走しつつあった。


 あの2機には、僕の僚機たちが戦いを挑んでいたはずだったが、フィエリテ市に近づき過ぎたために深追いするのをやめた様だった。

 フィエリテ市の上空を、王立空軍は主に2つの空域に区切って防空戦を戦っている。フィエリテ市の周囲は主に戦闘機による迎撃を実施する区域とされ、フィエリテ市の上空は主に対空砲による迎撃を実施する区域とされている。これは、味方の対空射撃で、味方の戦闘機を誤射してしまわない様にし、対空砲が遠慮なく敵機を撃てる様にするための工夫だ。


 僚機たちが、不時着した僕を心配するかのように、対空射撃の邪魔にならない空域でぐるぐると旋回している。

 僕を除いた、4機が揃っている。

 よかった。僕以外は、みんな、無事な様子だ。


 僕は、彼らを安心させるために、向こうから見えるかどうかわからなかったが、とりあえず手を振って見せた。

 それが見えたのかどうかは分からなかったが、レイチェル中尉の機体が左右に翼を振り、それを合図とした様に、僕の僚機たちは基地の方向へ機首を向ける。


 敵機との交戦を終えた第1戦闘機大隊は、ハットン中佐が操縦するプラティークを中心に集合し、帰還していく。

 数えてみるが、最初より3機か、4機ほど少ない様に見える。シタデルと空中で衝突した僕と、301Cの1機の他に、敵戦闘機との空中戦中に1機か2機、こちらに被害が出ている様だった。


 乗機を失ってしまったパイロットが、僕と同じ様に無事でいると良いのだが。


 だが、僕は、呑気に他人の心配をしていられる状況でも無かった。


 いよいよ、足元まで水が来た。

 僕が乗っていた機体は、もう、ほとんど水没している。重量のある機首の方へと傾きながら、ずずずず、と沈んでいく。

 もう、見えているのは、機体後方の尾翼と、操縦席の風防の一部だけだ。

 僕は、少しでも水に濡れないように、まだ水面から出ている機体の後方へと移動する。


 こんな悪あがきをしても、いつか機体が完全に沈んでしまうのは時間の問題だったが、かといって水の中に入っても、河の流れに流されていくだけだろう。

 というか、水に浮いていられる自信が無い。


 せっかく生き残ったのはいいものの、どうも、あまりよろしくない状況だった。


「おーい、パイロットさん、大丈夫かい? 」


 呼びかけられた方を振り返ると、そこには、小舟に乗った白いひげの男性の姿があった。

 どうやら、この辺りで働いている労働者の1人の様で、僕が不時着したのを見つけて助けに来てくれたらしい。


 ああ、何ていい人なんだ!

 僕は、その人の健康長寿と幸福を、神と、僕が知っている全ての聖人に祈った。


 僕は、機体が全て沈んでしまう前に、その男性の小舟へと乗り移ることができた。

 機体は、まるで僕がその小舟に乗り移るのを待っていたかのように、急速に沈み始め、やがて、完全に水面下に消えて行った。

 どうやら、この辺りの水深は結構深い様だ。後に残ったのは、機体に搭載されていた燃料やエンジンオイルなどの油膜だけだった。


 僕は、沈んでいった僕の機体にも、感謝の祈りを捧げた。彼は素晴らしい飛行機だった。僕の操縦によく従ってくれたし、そして、僕の命までも守ってくれたのだ。

 ありがとう。言葉にはしなかったが、僕は、友達と別れた時の様に、少し寂しかった。


 僕と同じ様に不時着したシタデルの方を見ると、あちらはまだ水面に浮かんでいた。大型というだけでなく、さすがの頑丈さだ。


 その翼の上に、その機体に乗り込んでいたパイロットたちが並んでいる。何人もいる。負傷しているのか、肩で支えられている者もいた。

 機体の周囲には、僕を助けに来たのと同じ様に何艘もの小舟が集まってきていた。中には、動力付きの小型艇もいて、小型艇には付近にいた王立軍の兵士が乗っている。

 敵機のパイロットたちは、これから王国の捕虜となる。


 戦い合った相手とは言え、僕はシタデルのパイロットたちと面識は無かったし、敵ではあっても憎いという感覚は無い。ただ、お互いに任務を果たそうとしただけだ。

 だから、彼らが捕虜となった時、過酷な扱いを受けないかが少しだけ心配だった。


 だが、彼らを捕虜にしに来た小型艇の兵士たちは、礼節をきちんと守った態度でシタデルのパイロットたちに接した。指揮官らしい人物と、連邦側の最高位の士官らしいパイロットが敬礼を交わし、話始めた様子を見て、ひとまず、僕は安堵する。


 やがて、小舟は岸辺へとたどり着き、僕は、僕を助けてくれた男性の案内で、近くの労働者の詰め所へと向かった。

 河川を利用した水運を担っている、河川港の一部らしかった。詰め所はそこで働く人々の休息場所になっているらしく、椅子やテーブル、簡単な炊事道具、仮眠用のベッドなどが配置されている。


 男性は、僕にお茶をごちそうしてくれた。

 戦いの後のそのお茶は、全身に染み渡る様に、とても美味しい。身体の中心から、じんわりと僕を暖めてくれる。


 王立空軍へ僕のことが連絡され、迎えが手配されるまで、僕は男性とおしゃべりをした。


 男性は、ずっと、この河川港で働いてきたらしい。

 今日、僕が守った橋梁が架けられる様子も見たし、そこをイリス=オリヴィエ縦断線の1番列車が通過する様も見たという。

 あの橋は男性の思い出と一緒にあるもので、それを守ってくれてありがとう、と、彼は僕に言った。


 それから、男性は、どうして僕が機体の上で途方に暮れていたのかと聞いてきた。

 河は結構広いのだが、泳ぎができる人なら渡り切れる大きさだ。流れはあるが緩やかなので、無理をしない限りは横断もできるらしい。

 僕は、少し気恥ずかしかったが、自分が泳げないことを正直に打ち明けた。


 飛行機みたいに難しい機械の操縦ができるのに、泳ぎはできないのかと、男性は笑った。ひとしきり笑った後、実は自分も泳げないんだと、彼は教えてくれた。

 彼は、兵役に就いていた時は、海軍にいたらしい。海軍だったのに泳げなかったのかと僕が驚くと、男性は頷き、だから毎日船が沈没しないように神様におまじないをしていたんだ、と言った。

 そのおまじないのおかげで、男性が乗っていた船はどんな嵐でも大波でも沈むことがなく、無事に兵役を全うできたのだそうだ。


 僕は、そのおまじないを教えてもらった。

 船にも効果があったのだから、もしかしたら飛行機にも効果があるかもしれないと思ったからだ。

 今回みたいなことは、もう、こりごりだ。いや、自分で選んだことではあるのだが、避けられるものなら避けたい。

 これから、飛行機に乗る時は、点検や確認を欠かさないのはもちろん、このおまじないも毎度行うことにするつもりだった。


 やがて、僕のことを知った王立空軍の迎えがやって来た。

 フィエリテ市の地下壕に設置された防空指揮所から派遣されてきた士官で、僕を、ジャンティと呼ばれる、王立軍で一般的に使用されている汎用車両で、近くの軍の宿舎へと送り届けてくれた。


 フィエリテ市から、僕の基地、フィエリテ南第5飛行場へ向かうためには1度鉄道を使うしか無いのだが、輸送力の問題で僕が乗る分の都合がつかないらしい。一応、1人だけなので翌日には手配ができるとのことだったが、今晩一晩は、軍の宿舎に泊ってもらうしかないとのことだった。


 そのまま部屋でじっとしていても良かったが、考えてみれば、僕は随分久しぶりにフィエリテ市の市内にやって来た。少し散歩してもいいかと尋ねると、大丈夫だ、との返事をもらうことができた。


 正式に許可を得て、僕はフィエリテ市の街中に出かけた。

 着替えが無く、飛行服のままでの散歩だから、周囲の人々からじろじろ見られたが、僕は気にしないことにした。それよりも、フィエリテ市が今どんな風になっているのか、それを僕の目で見てみたかった。


 以前、他の兵士から聞いた通り、かなり変わっている。

 街並みから賑やかさ、華やかさは失われ、飾り気のない素っ気ない印象を受ける。行き交う人々の数は相変わらず多かったが、警戒中なのか武装を身に着けた兵士や、軍服姿が目立つ。

 だが、一般の人々の姿も、多く混ざる。

 フィエリテ市には、まだ、大勢の人々が暮らしているのだ。


 おかげで、僕は、自分のやるべきことを、もう一度確かめることができた。


 この人たちのために、僕は、何度でも飛ぶつもりだ。


 空はもう、僕がかつて夢見た様な、冒険の場では無くなっていた。

 だが、それでも、飛ばなければならない。

 かつて、僕が無邪気に憧れた空を、もう一度取り戻し、人々が安心して眠りにつくことができる様にするために。

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