7-10「ハットン中佐」
アビゲイルいわく、クーデターさえ辞さない僕らの行動は、迅速に行われた。
あれこれと悩んで時間を無駄にしている間にも、ファレーズ城では戦いが続いている。犠牲が増えている。
何かをするなら、早い方がいい。
僕らの基地、フィエリテ南第5飛行場には、幸いなことに人員があまりいなかった。
急に戦時になってしまったため、どこも人手が足りておらず、最小限の人員だけで動いている部隊が多いのだ。
今回の場合、それは僕らにとっては幸運なことだった。
通常の部隊であれば、僕らの様な階級の低い兵隊が、直接将校殿に面会することなど不可能に近いだろう。軍隊というのは、良くも悪くも階級社会で、指揮系統を明確にするために厳格なのだ。
その点、人員がいない分、僕らは普段から中佐と直接話す機会が多かったし、実際、作戦の説明はいつも中佐から直接受けて来たし、僕らの方から何か意見をすることもできた。
今も、中佐が司令部として使っている建物に、難なく入ることができた。
何しろ、警備に立っている歩哨もいないのだ。
さすがに基地の出入り口には警備の兵隊が配置されているが、内部は手薄と言わざるを得ない。
警備の兵士に、司令部への用件は何かなどと問われて、正直に司令官に直談判するためだなどと言っても通してはもらえなかっただろう。余計ないざこざを考えなくて済むのは有難かった。
もっとも、僕らには警戒するべき人もいた。
レイチェル中尉のことだ。
本心はどう思っていようと、レイチェル中尉はその立場上、僕らの向こう見ずな行動を抑制する立場にある。航空支援作戦の中止をハットン中佐が説明した時、反発した僕らを一喝して追い散らしたのも、その立場があるためだ。
レイチェル中尉は、僕らの教官であっただけに、僕らのことを良く知っている。もし、僕らが司令部の周りを団体でうろうろしているところを見かければ、すぐに僕らが何を考えているかを見抜いてしまうだろう。
そうなれば、僕らはまた、レイチェル中尉に蹴散らされてしまう。
1人対4人だが、残念ながら、あの人に勝てる気はまるでしない。
だが、僕らにとっての幸運は続いた。
司令部の近くに、レイチェル中尉の姿は無かったのだ。
その確認には、ジャックの伝説的な特技がとても役に立ってくれた。
彼はパイロット候補生になる前、志願兵に行われる基礎教育、訓練の時から、宿舎を抜け出して街に繰り出し、また隠密裏に戻って来ることの達人だったが、その特技を生かしてレイチェル中尉が近くに居ないことを確かめてくれたのだ。
僕らは自身の目や感覚で直接それを確認したわけでは無かったが、誰もジャックの判断を疑いはしなかったし、事実、そこにレイチェル中尉の姿は無かった。
唯一、僕らは、ハットン中佐と共にやって来たアラン伍長と出会った。どうやら、彼は普段はハットン中佐の従卒の様なこともやっているらしく、中佐の部屋の前で待機していたのだ。
当然、彼は僕らが何をしにここまでやって来たのか不思議がったが、僕らは口先でどうにか彼をごまかそうとした。
出撃が無くなり、暇だから、アラン伍長の仕事を代わりに来たのだと出まかせを言い、何とか伍長を納得させようとした。
アラン伍長は、いや、これは自分の仕事だからと、僕らの嘘を容易には受け入れなかったが、僕らは半ば無理やり、彼を追い出してしまった。
後々、僕らのやっていることが露見する危険性を高めてしまったが、この際、これは必要なリスクだ。
後は、時間との勝負だ。
いきなり全員で押し入ってしまってはさすがに大ごとになってしまうので、まずは、説得に志願したライカを僕らは送り出した。
ライカがハットン中佐を説得できなければ、僕らが部屋の中に取り込んで、みんなして直談判するつもりだ。
さすがに、武器の類は用意していない。それでは本当にクーデター、反乱になってしまう。
だが、僕らの要求を通すために、ファレーズ城の将兵の未来を変えるために、僕らは、多少、手荒なことでもするつもりだった。
もっとも警戒するべき人物、レイチェル中尉が司令部に接近してきてもすぐに分かる様に、僕とアビゲイルが窓の見張りについた。そして、ジャックがハットン中佐の部屋のドアに張り付き、中の様子を探る。
もし、説得が難航する様だったら、中からライカが僕らに合図を出し、そうしたら、全員で一斉に部屋の中に突入する予定だった。
僕らは、ライカを送り出した後、それぞれの持ち場について、じっとライカの合図か、状況が変わるのを待った。
1分、2分、……5分ほどが過ぎた時だ。
突然、部屋の扉が開き、ハットン中佐が顔を出した。
あまりにも予想外の出来事だったので、僕らは中佐の顔を見て驚き、身動きもできなかった。
やがて、中佐はそんな僕らの顔を見渡し、小さく笑顔を見せた。
「やぁ、本当に全員いるじゃないか。いや、ライカも君たちも、なかなかどうして、思い切ったことを考えるじゃないか」
それから中佐は、僕らに部屋の中に入りなさいと言い、手招きをしてから、部屋の中へ引っ込んでしまった。
一体、これはどういうことなのか。僕らは顔を見合わせたが、大人しく中佐の言うことに従うことにした。少なくとも、中佐の様子から、僕らにとって悪いことは起こらないだろうと思えたからだ。
部屋の中に入ると、そこには、どこか拍子抜けしてしまった様子のライカがいた。
僕らは中佐に言われるがまま、中佐の正面に一列に並んだ。
「諸君の言いたいことは、よく分かった。……私は、諸君らの提案を採用し、ファレーズ城に物資の投下を実施したいと思う」
僕は最初、自分の耳を疑った。
中佐の口から出て来たその言葉は、まさに僕らが聞きたかった言葉だったが、わずかな時間の間にハットン中佐が僕らの意見を了承するとはすぐには信じられなかったからだ。
だが、中佐ははっきりとそう言った。
「だが、条件がある」
喜んだのも一瞬のことで、僕は、その中佐の言葉に、再び緊張した。
どんな条件を突きつけられるのか、想像もつかない。
「条件というのは、物資の投下をエメロードⅡではなく、プラティークで実施し、エメロードⅡはその護衛に当たる、ということだ。……これが不服であるというのなら、作戦の実施は許可しない」
てっきり、僕は営倉入りでも言い渡されるものだと思っていたが、全く違った。
営倉入りせずに済みそうなのは素直に嬉しかったが、ハットン中佐の提示した条件はすぐに納得できるものでも無かった。
「中佐殿。しかし、それでは、プラティークが危険なのではないでしょうか? これまでプラティークが航空支援任務に投入されてこなかったのは、戦地上空の航空優勢が敵軍にあり、敵機の迎撃を受けた際になす術が無いからというお話でした。エメロードⅡが護衛に徹するとは言え、リスクが大き過ぎるのではないですか? 」
こういう時の役割は、僕らの中ではもう決まっている。ジャックが、僕ら全員の疑問と不安を言葉にしてくれた。
ハットン中佐は、椅子に腰かけたまま、机の上で両腕を組み、その上に自身のあごをのせながら僕らの方を見つめる。
「確かに、リスクは大きいかもしれん。だが、敵機の迎撃を受けることが分かっている以上、エメロードⅡに投下物資を装備させて出撃しても、投下前に物資を放棄せざるを得なくなる確率が高い。そうであれば、エメロードⅡは護衛に徹し、敵機の迎撃を食い止めてもらった方が成算は高い。……むろん、プラティークのパイロットは私が務める。これでもベテランなのでな」
中佐はどうやら、本気な様子だった。
僕らは、困ってしまった。
確かに、中佐の言っていることは間違ってはいないだろう。敵機の迎撃があれば、この前の様にエメロードⅡは反撃のために投下物資を放棄せざるを得なくなり、ファレーズ城には何も届けられなくなる。エメロードⅡはあくまで身軽にしておいて、プラティークに物資の運搬を任せる方が、まだ成功する可能性があると思えた。
だが、それでは、プラティークがあまりに危険なのだ。エメロードⅡの護衛をすり抜けて敵機が攻撃を加えれば、あっけなく撃墜されてしまうだろう。
今の前線の状況は、それほどに悪いのだ。
イエスともノーとも言えず、戸惑うばかりの僕たちに、ハットン中佐は笑って見せる。
「なぁに、案外、敵機の迎撃を受けずに済むかもしれんし、成功すれば何百人もの命が失われずに済むかもしれないのだ。少しくらい危ない思いをしても、十分過ぎるおつりが来るじゃないか。……それに、レイチェル中尉や、君たちが守ってくれるんだろ? 」
そう言うと、ハットン中佐は、僕らに似合わないウインクをして見せた。
僕らは、それで、ノーとは言えなくなってしまった。
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