7-8「出撃中止」
機体の修理には、半日ほどが必要だった。
それも、整備員たちがほぼ徹夜して作業してくれた結果だ。
整備員たちは交換が必要な部品は全て交換し、機体に開いた穴は全て埋めて表面を研磨して塗装を施し、性能発揮に全く問題が無い状態にまでしてくれた。
修理後の機体と、修理前の機体は、少しも見分けがつかないほどだ。
昨日、他にやれることの無かった僕は整備員たちを手伝っていたが、途中で、翌日以降の出撃に差し支えるだろうからと言われて追い出されてしまった。僕は整備員たちの好意に甘え、早めに睡眠をとったおかげで、今朝の体調はかなり良い。
それは、他の仲間たちも同じで、早朝に待機所に集合した僕らは皆、少し顔色が良い様に思えた。
誰も自覚していなかったことだが、思っていたよりも体に疲れが溜まっていたらしい。昨日、僕らの気が抜けた様になっていたのは、慣れだけでなく、無自覚の内に抱え込んでいた疲労も原因だったかもしれない。
今日は、機体も、体調も万全だ。
昨日の様なことがあっても、今度は航空支援を成功させることができるだろう。
作戦には失敗したが、全員で無事に生還できたことで、僕らには自信のようなものが生まれつつあった。
パイロットコースを途中で切り上げて急に正規のパイロットになったため、ジャックも、アビゲイルも、ライカも、僕も、内心では、まともに戦っていけるかが不安だった。
だが、僕らの技量でも、ハットン中佐やレイチェル中尉の指揮に従えばある程度通用するということが分かって来た。
ファレーズ城に孤軍となっている友軍を、僕らなら守れるかもしれない。
そんな希望を、この朝、僕は抱いていた。
やがて、いつもと同じ様に、待機所にハットン中佐とレイチェル中尉が入って来た。
僕らは腰かけていた椅子から立ち上がり、姿勢を正し、敬礼して2人を出迎える。
入って来た2人が返礼の手を下ろすと、僕らは、これまでと同じ様にテーブルの周りに集合した。
こうやって、ハットン中佐が広げた地図の上でその日の作戦の説明を受けるのが、これまでの流れだったからだ。
だが、この日、テーブルの上には何も無かった。
ハットン中佐はわずかな資料を持って来ただけで、いつものように大判の地図を持って来ていない。
そして、ハットン中佐は、テーブルの周りに集まった僕らを見渡し、どこか、苦しそうな表情になった。
よく見てみれば、レイチェル中尉の表情も、どこか不機嫌そうだ。
これまでと、何かが違う。
「あー……、みんな、すまない。非常に言いにくいのだが、今日の出撃は無い」
ハットン中佐の言葉に、僕らはお互いの顔を見合わせた。
にわかには、中佐の言葉が信じられなかったからだ。
「……ぇっと、大隊長殿。今日の出撃が無いというのは、どういうことでありますか? ファレーズ城近辺の天候不順ですか? 」
「いや、そうではない。……司令部からの通達があった」
僕らの疑問を察知し、気を使って問い掛けてくれたジャックに、ハットン中佐は首を左右に振って見せた。
「これは、正式な命令だ。……ファレーズ城への航空支援は、中止。中断ではなく、中止だ。以後、諸君ら301Aは、別任務に就くことになる」
僕には、中佐の言うことが理解できなかった。
いや、それは正確ではない。僕は、ハットン中佐が、ファレーズ城への航空支援任務が中止されたと言っているのが、きちんと分かっていた。
ただ、納得できなかったのだ。
「おじさまっ! いえ、中佐! どうして、どうしてですか!? 私が……、私が撃墜されそうになったせいですか!? 」
真っ先に動いたのは、ライカだ。テーブルに両手を勢い良くつき、身を乗り出す様にしてハットン中佐を問い詰める。
「隊長殿。意見いたしますが、自分たちは戦えます! 戦えるのに、友軍を見捨てろっていうんですか!? 」
次に声をあげたのは、アビゲイルだ。ライカの様に身を乗り出したりはしなかったが、その声には命令への反発がはっきりと含まれている。
僕も同じ気持ちだったが、ハットン中佐の様子から、中佐自身も上層部からの作戦中止命令には不服があるのだろうということも何となく察しはついていた。だから、まずは中佐から詳細な説明を聞こうと、僕は黙って中佐の方を注視している。
恐らくはジャックも僕と同じ考えなのだろう。不満げに唇をへの字にしながら、中佐の言葉を待っている。
「まず、はっきり言っておくが、ライカ。君が撃墜されそうになったせいではない。そして、アビゲイル一等兵。我々が、友軍を主体的に切り捨てようというのでもない。……これは、ファレーズ城に籠る友軍からの要請なのだ」
中佐は命令への不服を隠そうともしない僕らへ怒ることも無く、静かに、だが、はっきりとした口調で言った。
「昨日の航空支援の失敗、そして敵機による迎撃があったことを知ったファレーズ城の選抜部隊は、以後の航空支援作戦の中止を申し入れて来たのだ。既に、敵軍の侵攻を足止めするという選抜部隊の目的は、必要とされた期日を達成しつつある。作戦はもう選抜部隊だけの力で十分完遂できるため、王立空軍は来るべきフィエリテ防衛戦のために戦力の再建と温存を図るべし、と。……上層部はこの提案を、受け入れた」
つまり、選抜部隊は、王立軍の主力部隊の戦力を温存させるために、僕らの支援を自ら断って来たということだった。
それは、選抜部隊が既に、自らの生還の望みを捨てているということを意味している。
僕らが航空支援を続ければ、僕らに損耗は出るのは避けられないだろうが、ファレーズ城の選抜部隊はまだまだ持ちこたえることができるはずだった。
そして、その持ちこたえている期間の間に、王立軍は態勢を立て直し、戦力を整え、全面的な反攻は無理でも、ファレーズ城の選抜部隊の脱出を支援するための限定的な反撃を実施できる様になるはずだった。
後になって分かったことだが、実際、王立軍の上層部では、選抜部隊の脱出を支援するための作戦をこの時練り上げつつあり、投入する部隊の編成作業にも着手しつつあった。
ファレーズ城の選抜部隊を救出するためには、その選抜部隊を構成する要員以上の犠牲が生じるだろう。
だが、僕個人の感情では、それは必ず実施しなければならないことだったし、僕自身、ファレーズ城の選抜部隊を救出する作戦に喜んで参加するつもりだった。
何故なら、選抜部隊は、僕らを救うために孤軍となったのだ。
侵略者に対し、なす術も無く敗退を続ける王立軍を救い、それによって僕らの故郷を戦火から守り、家族や友人を助ける、そのために志願してくれたのだ。
そんな彼らを見捨てることなど、一体、誰にできるだろうか。
いや、いったい、どこの誰に、そんなことが許されるというのだろうか!
だが、僕は、この決定を下した司令部を単純に批判することもできなかった。
何故なら、作戦中止は、捨て駒となる選抜部隊自身の要請であるからだ。
「中佐殿。しかし、それでは、選抜部隊の人たちはどうなるんです? まさか、本当に、城を枕に全員討ち死にさせるつもりなんでしょうか。司令部は? 」
そう問いかけたジャックの言葉は、口調も落ち着いていて、一見平静に思えるが、実際のところは、彼の心の中では怒りや悲しみ、様々な感情が荒れ狂っていただろう。
「むろん、司令部に、将兵に死を強要する権利は無い。選抜部隊には、作戦完遂後に連邦軍に対して投降せよとの指令を発している。……だが、選抜部隊は、それも拒否している。最後の一兵になるまで、断固侵略者と戦うと言ってきたそうだ」
「中佐殿。それでは、選抜部隊は、自ら進んで全滅するというのですか!? 」
僕は中佐の話を最後まで聞くつもりだったが、その内容があまりにも衝撃的で、思わず、口を出してしまっていた。
「そうだ。……選抜部隊の全員、任務に志願したその時から、既にそのつもりだと」
「そんなの、嫌です! 」
ライカが、目尻に涙を浮かべながら吠え立てる。
「脱出の支援ができなくても、せめて、せめて私たちの支援だけでも続けさせてください! もっと時間が稼げれば、状況はきっと変わるはず! 少なくとも、こんなやり方、間違っています! 」
「そうです、中佐! あたしらだけでも支援を続けさせてください! 」
「俺たちの損耗が問題だというなら、任せてください! 1機も失わずにやって見せます! 」
「お願いします、中佐! 友軍を見捨てるなんて、僕たちは嫌です! 」
「黙れ! 半人前が! 」
ハットン中佐に詰め寄ろうとした僕らを、レイチェル中尉の一喝が制止した。
待機所の窓ガラスが震えたのではと思えるほどの大声だった。その衝撃をともなっている様にさえ思える声に、僕らは金縛りにでも遭ったかのように動けなかった。
「友軍を見捨てたいとか、誰が思うもんか! けどな、これは選抜部隊が自分から言ってきたことなんだ! 王国のために、あたしらのためにな! その、何百人もの人間の覚悟と決意を踏みにじれっていうのか!? そんな資格が誰にある!? それに、ジャック、この大馬鹿野郎! 1機も失わずに戦い続けるだとか、自惚れもいいところだぞ!? そんな嘴の黄色いひよこどもなんざ、危なくて出撃させられるか! 」
僕らは、それで、納得も、気持ちの整理もできたわけでは無かった。
ただ、レイチェル中尉の剣幕に、言葉の強さに圧倒されて、飲まれてしまった。
「これは、厳命である」
短い沈黙ののち、ハットン中佐が口を開く。
「現時点を持って、ファレーズ城への航空作戦は中止。301A所属の各員は、以後の作戦に備え待機する様に。……以上、解散せよ」
僕らは、中佐の指示にすぐには従わず、何かを言おうとして、何かを言いたくて、それでも何も言葉に出来ずに、もどかしくその場に留まっていた。
「解散だっつってんだろうが! 散れっ、散れっ! この半人前共が! 」
だが、結局は、レイチェル中尉に怒鳴られ、追い散らされることしかできなかった。
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