7-6「空中戦」
敵機は、僕らから見て、左上方から襲い掛かって来た。
それに対して、僕らは左に一斉に急旋回を実施した。
これは、ちょうど、敵機の真下にもぐりこむ様な動きになる。
ハットン中佐の判断は的確だと思う。
仮に、僕らが右旋回したとすれば、敵機と並行することになり、彼らにより多くの時間、射撃するチャンスを与えてしまうことになる。敵機の方が速度は出ているので、やがて僕らを追い越し、背中を向け、反撃のチャンスを得ることができるかもしれないが、そうなるまでにいったい何機が生き残れるだろうか。
直進したままであれば、敵に対して直角に動くことになるので一見、射撃しにくい様に思えるが、僕らの動きは敵に容易に予想され、まるで訓練で使う標的を撃つ様に狙い撃ちされてしまうだろう。
上昇するという手もあったが、これは、僕らが巡航速度からの加速中であるため、やはり不利だ。速度が乗っていない状態では、急上昇しても時間あたりに動ける距離が少なく、これも、敵機にとっては狙い易かっただろう。
左旋回して敵機の下側にもぐりこめば、敵機が射撃できる時間をもっとも小さくできる上に、敵機から追撃される危険も少ない。
何故なら、僕らは敵機から見て、低空にいるからだ。もし、敵機が僕らを無理に追って機首を下げようものなら、地上に激突してしまう危険が大きくなる。
僕らが敵機から射撃を受けたのは、実際、ほんの一瞬のことだった。敵機は深入りして地面に衝突することを避けて機首を上げ、上昇して高度を回復しながら真っ直ぐに飛び去って行く。
僕らは左旋回をしたので、ちょうど、敵機は僕らと反対側に向かっていく形になる。
反撃するための態勢を取るのに、もっとも多くの時間的な猶予があるということだ。
あの一瞬の間にこの判断を下したハットン中佐は、やはり、優れたパイロットなのだろう。
《中佐! 後はあたしに任せてください! プラティークじゃ空戦はきつ過ぎるでしょう!? 》
《ああ、その通りだな。申し訳ないが、こちらはこのまま離脱させてもらうとする。各機、以後はレイチェル中尉の指揮下に入れ。全機の生還を期待する! 》
いくらハットン中佐の腕がいいといっても、プラティークで空中戦をするのは難しい。敵機との空戦中の指揮はレイチェル中尉が引き継ぎ、プラティークにはそのまま戦闘空域を離脱してもらうことになった。
《各機、聞こえていたな!? 今後はあたしが指揮をとる。空戦は初めてだが、やれるな!? 》
《《はいっ! 》》
《よォシっ! いい返事じゃないか! 》
僕らの応答に、レイチェル中尉は満足げだった。
《各機、インメルマン・ターンだ! 高度を取った後散開、敵機と対抗する! 合図を待て! 》
インメルマン・ターンというのは、インメルマンというパイロットが考案した空戦技術の一つだ。曲芸飛行に、空中で縦に一回転するループというものがあるが、インメルマン・ターンはループの頂点で操縦桿を一度戻し、背面飛行になっている状態から180度機体を横転させて水平飛行に移るという動作だ。
これは、機首を上げて普通に上昇をするより、素早く、効率的に高度を稼げるというメリットがある。
今、僕らは、敵機に対して高度有利を取られている。少しでも上空に上がらなければ、敵機に対して反撃するのは難しいだろう。
《行くぞ、お前ら! 訓練でやって来たことをしっかりやれば生き残れる! 》
レイチェル中尉はそう言って僕らを激励し、機首を上げた。
僕らも、その後に続く。
エメロードⅡBは、今まで僕らが乗ってきていた複葉のエメロードよりも100キロ以上最高速度が速い。必然的に、速度が乗った状態から急上昇すると、身体にかかる負担も大きなものになる。
僕は、必死に歯を食いしばり、脚を踏ん張って負荷に耐えた。
《機首戻せ! 左に倒せ! 》
とにかく、耳に入って来るレイチェル中尉の指示に従い、僕は機体を操作した。
ふっと、身体が軽くなり、世界の上下が普段の様に戻る。
だが、ほっとしたのも束の間、正面には、こちらへ機首を向けた敵機の姿が見えていた。
《各機、散開、散開! 適当に逃げ回ってればその内あたしが全部叩き落してやるが、やれると思ったらどんどん撃っていけ! 数撃ちゃ当たるっていうからな、まずはそっからだ! よぉし、全機、かかれ! 》
レイチェル中尉の指揮で僕らは散開し、空戦をやり易い様にお互いに距離を取った。ジャックとアビゲイルの第1分隊は右へ、ライカと僕の第2分隊は左へ、レイチェル中尉は上へ。
敵も4機編隊を崩し、2機1組になって、突進してくる。
1組がレイチェル中尉の機体へと向かい、もう1組が第2分隊、つまり僕に向かって来た。
正面に大あごを開いた敵機が迫り、両翼に装備された合計6丁もの機関銃が咆哮する。
シャワーの様に浴びせられる弾丸を、僕は機体をわずかに旋回させてかわした。お互いに正面を向け合っていたために相対速度が大きく、お互いに相手の動きを追尾することは難しい。無理に反撃しようとせずに回避するだけなら、それほど難しいことではない。
敵の攻撃をかわした後、僕は、反撃に転じるために機体を旋回させ、敵機が飛び去った方向へと機首を向けた。
どうやら、旋回はこちらの方が早い様だった。敵機が僕の方に機首を向け直すのは、僕が旋回を終えるのよりも一歩遅れている。
それに、僕が左旋回をしたのと同じ様に、敵機も左に旋回した様子だった。敵の旋回がこちらよりも若干遅れている分、僕は敵機の背後につけそうだった。
《ライカ! 僕がまず、攻撃を仕掛ける! そうしたら、反撃に僕の後ろにつく敵機を撃ってくれ! 教科書通りに! 》
《了解! 》
無線越しに短く打ち合わせをし、僕は、敵機へ向かって突進した。
2機編隊で空戦をする際の基本戦術に、1機を囮にして、もう1機が囮に食いついた敵機を屠る、というものがある。
単純明快な戦術だが、有効なものだ。
僕が単機で突っ込んでいけば、敵機はそれに応じ、この、2機編隊における基本的かつ有名な空戦術を仕掛けてくるはずだ。
僕は、1機を囮にして僕の背後につこうとする敵機を、ライカに撃ってもらうつもりだった。
ライカに敵機を引き受けてもらう選択肢もあったが、飛行機に触れて来た期間が長い分、操縦はライカの方に一日の長がある。僕が敵機を引き受けて、ライカに撃ってもらう方が、短時間に、かつ、確実に、敵機を討ち取れるというのが僕の考えだ。
僕は光像式になって照準中の視界が良くなった照準器に敵機を捉える。垂直尾翼に、投擲用の石斧が描かれているのがはっきり見えた。
その石斧は、地理の授業で見たことがある。遠く大陸の外、海の向こうにある別の大陸に先住していた人々が好んで用いていたという武器で、トマホークと呼ばれているものだ。
それが大きく描かれているのは、恐らくはその戦闘機乗っているパイロットたちが、その先住の人々と何らかの関りがあるからなのだろう。
だが、相手がどこの誰であろうと、今は、お互いに戦う相手でしかない。
敵機の大きさが分からないので勘で距離を測り、僕は、トリガーを引いた。
もちろん、撃つ以上は、当てるつもりだ。
機体が震え、装備された7.7ミリ機関銃と12.7ミリ機関砲が次々と弾丸を吐き出していく。
残念なことに、敵機に命中弾を与えることはできなかった。
だが、僕は、彼らの後ろにつくことには成功した。
同時に、2機の敵機は二手に分かれ、僕の予定通り、1機が、さらに僕の背後を取るために回り込んで来る。
僕は、前方を逃げる敵機と、背後に回り込んだ敵機を相互に確認しながら、忙しく機体を操縦し、まぐれ当たりでもあればと、射撃を繰り返した。
だが、敵機にはなかなか命中しない。背後の敵機も僕を撃って来るので、落ち着いて狙いをつけられないためだ。
僕は、なるべく動きが単調にならない様に、自機の動きを頭の中で想像しながら、必死に機体を操った。
訓練の際、レイチェル中尉によく言われたことだったが、今の僕の様に、目標を追いかけている状態の機体というのは、狙いがつけやすいのだという。
というのは、前方の機体を追って飛行するため、追われている機体が通った場所を追っている機体も通ってしまうためで、撃つ側としては動きを予想するのが容易になるということらしい。
実戦で敵機を引き付ける役をこなすのは初めてだったが、正直、たまったものじゃない!
予想されない様に動きつつ敵機を追うのがまず難しいし、それに、敵機の射撃が後方から断続的に浴びせられてくる!
無数の弾丸が僕の機体をかすめ、いや、たった今、数発命中した!
幸い、機体にいくつか穴が開いただけで、操縦には全く問題が無かったが、涙が出そうな気分だった。生きた心地がしない。
《ライカ! 早く! 》
僕はたまらず、悲鳴のような声を上げる。
《分かってる! 》
ライカはそう答えると、数秒の間を空けて、僕を追っている敵機に向かって射撃を加えた。
うまい射撃だった。曳光弾の軌跡が敵機を包み込み、放たれた弾丸が次々と命中していく。
敵機はエンジン部分から薄く煙を引くと、ライカの攻撃から逃れるために逃げて行った。
どうやら撃墜には至らなかった様だが、これで、僕らと対峙しているのはあと1機だけだ。
これで、僕らが優位に立った!
僕はもう、回避を考慮することなく、照準に専念する。
照準器に敵機を捉え、トリガーを引く。
今度は、攻撃が命中した! 弾丸が幾つも敵機に命中し、破片が飛び散るのがはっきりと見える。その破片をかわすために、僕は進路を変えなければならなかったほどだ。
だが、それで、致命傷を与えられたわけでは無かった。
敵機は増速し、これ以上の交戦を諦めて逃げに入る。
どうやら、敵機は想像以上に頑丈な機体の様だ。かなり命中弾を与えたはずだったが、まだ飛行に支障が出ていない。
しかも、速度性能では、僕の乗るエメロードⅡBを上回っている様子だった。逃げる敵機を追ってみたが、逃げることに専念した敵機からは少しずつ引き離されていく。
すぐに、僕は追撃を諦めることにした。僕らのひとまずの目標は、僕らを待ち伏せし、迎撃してきた敵機を追い払って、自らの基地に安全に帰還することだから、無暗に深追いする必要は無いはずだ。
《ミーレス、無事!? 》
敵機の追撃をやめ、引き返して来た僕と合流したライカは、僕の機体が被弾したのを見ていたらしく、心配そうな声だった。
《ああ、僕は大丈夫。機体も問題はない。ライカ》
ありがとう。心配してくれたライカにそうお礼を言おうと、彼女の機体の方を振り返った僕は、視界の中に彼女の機体以外のものを見つけて息をのんだ。
《ライカ! かわせ! 後ろに敵機! 》
いつの間にかライカに忍び寄っていた敵機が機関銃を発射するのと、僕がそう警告したのは、ほとんど同時だった。
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