4-7「雛鳥」

 僕は、身体を前にかがめ、操縦桿にしがみつく様に、少しでも身体を小さくするような姿勢を取った。


 撃墜されるのだとしても、運が良ければまだ脱出のチャンスがある。だから僕自身の身体に弾丸が命中しないよう、少しでも被弾面積を小さくしようと思ったのだ。

 それに、エメロードには操縦席の後方に、7.7ミリ機関銃弾に耐える程度の防弾鋼鈑が備え付けられている。運が良ければ、僕はかすり傷も負わないだろう。


 そう、運が良ければ!


 脳裏に、様々な情景が浮かんでくる。


 僕が生まれ育った牧場での日々。両親や、弟、妹たちの顔。僕らの生活を支えてくれる家畜たちの姿や、畑に実った作物の姿。仲が良かった、人懐っこい性格の馬。森の木漏こもれ日や、心地の良い小道、草原を吹き抜ける風。そして、あの日、僕の飛行場に降り立った双発機に乗っていた、勇敢な冒険飛行家たちの姿。


 だが不思議なことに、被弾の衝撃は、いつまで経っても訪れはしなかった。


 僕は、恐る恐る身体を起こし、そろりそろりと、慎重に後方を確認する。


 黒い戦闘機は、まだ、そこにいた。

 それも、2機ともだ。


 前方の1機が、後方を飛ぶ1機の射線をさえぎるような格好で飛んでいる。

 前方で射線をさえぎっている機は、マードック曹長を撃墜し、レイチェル中尉をも撃墜した機体だろう。そして後方の機は、つい先ほど、僕を撃墜しようとした機の様だった。


 僕には、何が起こったのか分からない。


 しばらく、といってもほんの短い間、僕の後ろを飛んでいた黒い戦闘機は、前方の1機が翼を左右に振ったのを合図にして、左上方に急旋回し、機首を反転させて、北を目がけて飛び去って行った。


 僕は、唖然あぜんとしたまま、遠ざかっていく2機の黒い機体を見送るしかない。


 青空の中で、キラ、キラ、と、何かが光るのが見える。

 全ての発端となった、あの所属不明機、銀色の双発機だった。

 所属不明機は戦いの最中に、はるか彼方、恐らくは高度10000メートルはあろうかという高空へと飛び去り、北へ向かって悠々ゆうゆうと飛んでいた。


 2機の黒い戦闘機はその所属不明機と合流するつもりなのか、高度を上げながら北へと向かい、やがて、ゴマ粒の様に小さくなっていった。


≪ミーレス! おい、ミーレス! 無事かっ!? ≫


 呆気に取られていた僕は、ジャックの声で正気を取り戻した。


 気がつくと、僕の周りを仲間たちが取り囲んでいる。


 ジャックも、アビゲイルも、そしてライカもいる。

 ライカは無事だったようだ。それとどうやら、ジャックとアビゲイルも、僕らを心配して引き返して来た様子だった。


≪おい、ミーレス! 返事してくれよ! ≫


 僕は、しばらく無言のままだったのだが、再三のジャックの呼びかけで、ようやく、僕が返事をして仲間を安心させないといけないのだということに気が付いた。


≪あ……、ああ、ジャック。こちら、ミーレス≫


≪ミーレス! おい、無事なのか!? ≫

≪うん、大丈夫。……どこも、怪我はしてないし、機体も、無事みたいだ≫


 無線の向こうで、ジャックは深々と、安堵あんどの吐息をらした。


 今となっては後の祭りだったが、僕とライカの行動は、ジャックを大いに心配させたのに違いない。

 後で、彼にはきちんと謝る必要があるだろう。


≪……はぁ。どうなるかって思ったよ、本当に。とにかく、これで、俺たちは全員だ。俺たちは、だけど。……とにかく、基地へ帰ろう≫


 ジャックの提案に、異議を唱える者はいない。


 僕は、今、無性に基地が恋しかった。

 機体から飛び降り、シャワーへと直行する。シャワーを浴びた後は、兵舎のベッドに倒れこみ、そのまま惰眠だみんむさぼりたい。

 兵舎のベッドはクッションが固く、お世辞にも寝心地がいいとは言えなかったが、今はどんなベッドであろうと、僕はどうでも良かった。


 僕ら4機は、少し形の崩れた編隊を組むと、進路を方位180に取り、基地へと向かう。


 何故、という言葉が、頭に浮かぶ。


 あの黒い戦闘機は、どうして、僕を撃墜しなかったのだろう?


 僕は機体の性能でも、腕前でも、あの黒い戦闘機に完敗していた。

 カルロス軍曹、マードック曹長、レイチェル中尉と同じ様に、僕は撃墜されるのだと思った。


 だが彼らは、僕を撃ってこなかった。

 マードック曹長と、レイチェル中尉を撃墜した機。

 その機はまるで、僕をかばっている様ですらあった。


 に落ちない。

 あれは、どういうことだったのだろうか?


 あの2機の黒い戦闘機は、そもそもどうして僕らの王国の空へと入り込んできていたのだろう。

 たまたま迷い込んだというわけでは無いだろう。恐らくは、あの銀色の大きな双発機、僕らにとって所属不明機を支援するために飛んで来たのだ。


 だとすれば、銀色の双発機が安全な高度まで上がり、守る必要が無くなったから、僕を撃たずに引き返したのだろうか。


 しかし仮にそうだとしても、僕を撃とうとした機と僕の間に、まるで僕をかばう様に割って入る必要など無いはずだ。

 所詮しょせん、パイロット候補生が乗った高等練習機に過ぎないとはいえ、チェックメイトまでたどり着いたものをむざむざ見逃す理由など、僕には考えられない。


 そう思っている内に、僕は、周りを飛んでいる仲間たちの機体を見て、あることに気がついた。


 僕らの乗る飛行機は、みな、橙色オレンジ色に塗装されている。

 それは、その機にまだ一人前ではない、「未熟な雛鳥ひなどり」が乗っていることを示すものだ。


 つまり、僕が見逃されたのは、僕が雛鳥ひなどりだったからだ。

 未熟で、か弱い、庇護ひごされるべき存在と見なされたからだ。


 僕は彼らに、正確には、マードック曹長とレイチェル中尉を撃墜したあの凄腕のパイロットに、なんの脅威と見なされなかったのだ。

 撃墜する必要のない、その価値も無い存在だと。


 僕は彼に、情けをかけられたのではない。


 一戦力としても、見なされなかった。


 それだけなのだ!


 これはあくまで、僕の仮定でしかない。

 本当は燃料がギリギリで引き返さざる得なかったとか、そういう理由なのかもしれない。


 だが、その可能性に思い至った時、僕は、複雑な気持ちだった。


 単純に、生き残った。その幸運に感謝すればいいのか。

 僕を戦力と見なさず、黙って返してくれたあのパイロットに、感謝すればいいのか。


 それとも、その様なあつかいを受けたことに、いきどおればいいのか。


 少なくとも僕は、あの黒い戦闘機のパイロット、僕をかばい、その一方でマードック曹長とレイチェル中尉を素晴らしい腕前でほふった、顔も名前も分からないパイロットを、忘れることは無いだろう。


 今日、起きたあらゆる出来事が、僕の心に重くのしかかる。


 脱出を確認できたカルロス軍曹と、レイチェル中尉はきっと、救出されるに違いない。敵地ではなく、王国の国内に降下したからだ。

 怪我をしているかもしれないが、とにかく、生きて再会することができる。そう信じることができる。


 だが、マードック曹長は?


 僕にとって、曹長は命の恩人だ。その凄腕と、豪快な性格は、僕らがイメージする「空の男」の、一種の典型例だった。


 彼と僕は、パイロットコースの初年度、たった1年ほどしか関わったことがない。

 それでも僕は、マードック曹長が好きだった。

 彼を、尊敬していた。


 パイロットをしていれば、また会うこともあるだろう。そうしたら、曹長から、いろいろと面白い空の話が聞けるだろう。そして曹長と、空の話ができるだろう。


 僕は、それを楽しみにしていた。


 だが、出来なくなった。

 出来なくなったのだ!


 僕はそれでもまだ、曹長に奇跡が起きていて、彼がひょっこり、僕らの前に姿を現すことを期待している。

 それが、望みの無い、僕の願望なのだと理解しているのに!


 僕はマードック曹長を、僕らから奪ったパイロットに、


 彼が、マードック曹長をほふり、その一方では僕を生かした、その差は何だ?

 僕が生き残らされたことに、どんな意味がある?


 僕はもう、あの2機の黒い戦闘機のことが、頭の中に焼き付いて離れない。


 空を飛び続ける限り、僕は、いつか、彼らと、また相対することになるに違いない。


 どこか、を感じるのだ。

 それは、奇妙な確信だった。

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