4-6「決死」

≪中尉! 待っていてください、今、行きますから! ≫


≪……バッキャロッ! 何、考えてんだっ!? ≫


 無線越しのライカの呼びかけに、レイチェル中尉は絞り出す様な声で罵声を返す。


 中尉の乗るエメロードⅡは、今、旋回戦の最中だった。追いすがる黒い戦闘機を引き離そうと、機体に許される限りの急旋回を続けている。


 旋回半径では、速度に劣る分、エメロードⅡが勝っている様だった。それでも、黒い戦闘機が中尉との旋回戦を止めないのは、既に、中尉の機体に実弾が搭載されていないことを見抜いているからだろう。


 今、中尉が旋回を止めればその瞬間、敵機に撃墜される。

 だから中尉は旋回を止めることができない。生還を果たすために、旋回時に全身に重くのしかかるような荷重に耐え続けているのだ。

 絞り出す様な声でしゃべるのが精いっぱいだろう。


≪あたし、は! 逃げろ、って! 言ったんだ! ≫


≪でもっ! 中尉を置いていくなんて、できない! ≫


 ライカは本当に、今、その一心で機体を飛ばしているのだろう。


 彼女の性格は、純粋じゅんすいなものだ。一つのことに向かって、容易に全力になる。

 その思いは誰よりも強く、真っすぐだ。


 だが、それ故に危うい。

 ライカは、周り何て少しも見えてはいない!


 だからこそ、放っておいては危険なのだ。

 ライカの僚機である僕が、彼女の背中を守らなければ!


 それが、僕が今、果たすべき役割なのだ。


 ライカの乗るエメロードは彼女の意思を体現する様に、中尉が悪戦苦闘している場所に向かって、真っすぐ、放たれた矢の様に向かっていく。

 僕は、僕がライカに追いつき、そして僕らが、中尉がまだ飛行を続けている間に中尉のいる場所までたどり着けるように祈りながら、ライカの機体を追う。


 だが、実弾を有していないという点は、僕もライカも、中尉と変わらない。

 そもそも機体の性能も違うし、パイロットの技量はあの黒い戦闘機のパイロットと比べるべくもない。

 空中戦など、出来はしないだろう。


 それでも黒い戦闘機は、中尉の機体に実弾が無いことは気づいていても、僕らの機体まで実弾を持っていないということまでは、知らないはずだ。

 だから中尉とドッグファイトを繰り広げているところに僕らが飛び込んでいけば、チャンスはある。


 戦いの間に突進し、かき乱したその瞬間に、全力で離脱するのだ。


 中尉を救い出し、ライカと僕自身も生きて帰るためには、これ以外の手段は思い付かない。


 成算の薄い作戦だということは、百も承知だ。

 だが今の僕に考え付くこと、できることは、これしか無いのだ。


 可能性は小さくとも、僕にできることがあるのなら。


 僕は、迷いたくはない!


 だが現実は、僕に都合よく変わってくれはしない。


 中尉のもと辿たどり着くのは、僕らよりも、マードック曹長をほふった、あの凄腕のもう1機の黒い戦闘機の方が、圧倒的に早い。


 僕らはまだ、中尉が戦っている高度にすら辿たどり着いてはいない。

 エメロードの上昇力は高度が増すにつれて鈍り始め、その性能の限界を露呈ろていし始めている。

 何てもどかしいんだ!


≪戻れ! 命令だ! あたしのことはいい! 戻れ! ≫


 敵機からの射撃を浴びながら、中尉は僕らに叫び続けていた。


 攻撃は、急旋回中を襲われたため機体の下面に集中した。主翼に格納されていた車輪が破壊されて空中に破片をき散らしながら飛び出していった。

 そして、エンジン部分に命中した弾丸が、中尉の機体の息の根を止めた。


 中尉のエメロードⅡは黒煙をばっと噴き出すと、次にエンジン部分から出火し、推力を失って、旋回していた勢いのまま、ゆっくりと横転しながら落ちていく。


≪中尉っ! レイチェル中尉っ!≫


 ライカが、錯乱さくらんした様に叫んでいる。


 きっと、彼女は泣いているのだろう。声で何となく分かる。

 だが、今は、彼女をなぐさめている場合などではない。


 あの2機の黒い戦闘機は、次は、僕らに襲いかかって来るのに違いないのだから。


 僕は、冷静に、2人で生き残る方法を考えなければならない。


 幸い、中尉は強運の持ち主だった。機体はマードック曹長のベルランの様に爆発したりせず、中尉には脱出する時間が与えられた。

 横転中の機体をどうやったのか安定させた中尉は、そのままキャノピーを開き、空中に身を躍らせた。


 真っ白なパラシュートが開き、僕はひとまず安堵あんどした。


 後は、ライカと、僕だけだ。


≪ライカ。聞こえるかい、ライカ! ≫


 僕の呼びかけに、ライカの応答はない。だが、聞こえてはいるはずだ。


≪あの黒い戦闘機は、次に僕らを狙ってくる! 今すぐ引き返すんだ! 中尉は無事に脱出した! 後は、僕らが生き残るんだ! ≫


 やはり、応答はない。きっと、気持ちの整理がつかないのだろう。


 僕は、大きく息を吸い込むと、目いっぱいの声で叫んだ。


≪ライカ! 君まで撃墜されるつもりか!? そうなったら、マードック曹長やレイチェル中尉に、どうやって言い訳するんだ! 今すぐ引き返すんだ、僕と一緒に! ≫


≪……うん、分かった≫


 短い沈黙の後に返って来たライカの声は、小さく、押し殺したような声だ。


 とにかくライカの機は旋回を始め、少しでも速度を得るために機首を下に向けた。


 僕もライカに合わせて機体を旋回させ、機首を下に向けながら、操縦席の中でめいっぱい身体と首を動かして、黒い戦闘機の動向を確認する。


 レイチェル中尉との旋回戦を終えた黒い戦闘機が、僕らを発見し、追撃をかけてきていた。


 僕は、必死に逃げた。

 エメロードはそのエンジンを全力で稼働させ、今までに経験したことが無いくらいの速度でプロペラを回転させている。

 降下によって速度を得たおかげで、速度計は毎時500キロ以上を表示している!


 だが、黒い戦闘機との距離は、ぐんぐん、縮まった。


 後方を確認するともう、射撃位置につこうとしている。


 僕は、左に旋回しようか、右に旋回しようか、それとも、このまま真っすぐ飛び続けようか、逡巡しゅんじゅんした。


 被弾を避けるためには旋回するべきだが、そうなれば、僕1機で、2機の黒い戦闘機を相手どらなければならなくなるし、孤立した状態から生還することなど、機体の性能差と僕自身の技量から言って、まず不可能だ。

 かといって真っすぐ飛んでいてはいい的にしかならないし、僕が撃墜された後、ライカも立て続けに撃墜される結果にしかならないだろう。


 さて、どうしようか。


 しかし、悩んでいる時間があろうはずもない。

 僕はただ、最悪を回避することにした。


 ここで2機とも撃墜されては、つまらない。


 僕は機体を右に90度横転させると、全身を踏ん張りながら操縦桿を引き、右急旋回へと移った。


≪ミーレス! ≫


 ライカが、僕が何をしようとしているのかを理解したのか、僕の名を叫んだ。


 なぁに、心配はいらないさ、ライカ。

 旋回性能では、エメロードの方が、黒い戦闘機よりも上ななんだ。

 だって、複葉機なんだぞ?


 僕がやることは簡単だ。

 旋回戦で、相手の背後を取り、攻撃するぞと見せかけ、相手が回避行動に入った瞬間を狙って、一目散に逃げだす。

 それだけだ。


 もちろん、機体の性能から言って速度では勝負にならないから、すぐに追いつかれてしまうだろう。

 だから普通に逃げずに、地面めがけて真っ逆さまに急降下するつもりだ。

 エメロードの設計上の制限速度を超えてしまうだろうが、後は地面すれすれまで降下して、運を天に任せて操縦桿を引くだけだ。


 簡単じゃないか!


 正直に言って泣けてくるが、それでも僕はあきらめたりなんかしない。

 こんなことであきらめては、レイチェル中尉に何をされるか分かったものではない。


 僕とライカを追って来ていた黒い戦闘機は、僕の誘いに乗った。


 僕を追って急旋回に入り、同時に、機首に発砲の閃光が光る。

 僕の機体のすぐ後方を、曳光弾の軌跡が貫いていった。


 僕は、実弾を地上でさわったことがある。

 その時は何とも思わなかったのだが、実際に撃たれてみると生きた心地がしなかった。


 だが、思った通り、旋回性能ではエメロードが黒い戦闘機を上回っていた。


 僕のエメロードは鋭く弧を描くと、見事に黒い戦闘機の後方についたのだ。


 僕は、実弾が無いことは百も承知の上で、機関銃の照準器をのぞき込む。昔ながらの、望遠鏡みたいなやつだ。


 照準器には狙いをつけるための十字線が刻まれ、偏差射撃をやり易くするための目盛りがいくらか入っている。

 その中に、黒い戦闘機の機影が収まった!


 そう思った瞬間、黒い戦闘機は、ふっと、僕の視界から消え去った。


 僕は、慌てて照準器から目を離し、首と目玉を動かして、消えた敵機の姿を探す。


 それは、いつの間にか、僕の背後についていた。


 何をどうやったのか。まるで手品の様だった。

 手品には普通、種も仕かけもあるはずだが、僕には予想もつかなかった。


 黒い戦闘機が僕の背後にいると知った時、僕が理解できたことは1つだけだ。


 撃たれる!

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