4-5「誕暦3698年5月15日」

 誕暦3698年5月15日。

 僕は、その日、その時、その瞬間を、一生忘れることはできないだろう。

 忘れようとしても、無駄だ。

 もう、脳裏に焼き付いて、消すことなんてできやしない。


 世界が色を失って、灰色になったような感覚だった。


 これは、あくまで僕の感覚であって、実際に世界が無色になったわけでは無い。

 だがその瞬間、僕は気が遠くなったような、呆然としたそんな感じで、色があっても色がある様に感じられない、そんな状態だった。


 黒い戦闘機から放たれた弾丸は、マードック曹長が乗るベルランの機体下面に吸い込まれる様に命中した。


 曹長のベルランは無数の弾丸によってえぐられ、砕かれ、やがて黒煙を噴出すると、カッと紅蓮ぐれんの炎を吐き出し、そして、ふくれ上がった。


 機体は、一瞬でバラバラになった。


 千切れた機首と、主翼と、尾翼。数えきれない破片。それらが、炎と黒煙を引きながら、ふらふらと揺らぎながら、落ちていく。


 マードック曹長が乗っていたはずの操縦室近辺は、跡形もない。


≪そんな! 曹長! マードック曹長! ≫


 レイチェル中尉から、聞いたことの無い様な悲痛な叫びが発せられる。


 僕も同じ気持ちだった。僕だって、思わず叫んだのだ。

 だが、その後はもう、声も出ない。


 目玉だけが、きょろきょろと動く。

 僕は必死で、マードック曹長の姿を探した。


 あの、真っ白なパラシュートが開くことを祈りながら、懸命けんめいに探した。

 曹長が、あの爆発から、奇跡的に脱出していると、信じたかった。


 だがそれは、どこにも見つからない。


 どこにもだ!


 僕は、目の前で起こったその出来事を、すぐには受け入れることができなかった。


 僕は、マードック曹長が勝つと、信じて疑っていなかった。

 僕が中等練習機で空中分解事故を起こしかけた時、冷静沈着に機体を立て直し、無事に僕を地上へと返してくれた恩人なのだ。

 王国でも最高のパイロットの1人だったのだ。


 あの豪快な、空の男が、負けるはず何て無い。

 そう信じていた。


 だから漫然まんぜんと、言われるがままに僕はその場を離れることだってできたのだ。

 僕らなどいなくとも、曹長たちが負けるはずが無いと思ったからだ。


 どうして僕は、無理にでも引き返さなかったのだろう!


 何もできないだろうということは、分かっている。

 それでも、それでも、だ!


 そうすれば、曹長は!


≪ジャック! ねぇ、ジャック! 戻ろう、いますぐに戻ろう! ≫


 僕の思考は、無線機越しに飛び込んで来たライカの言葉で、悔やみきれない後悔から、現実へと引き戻された。


≪このままじゃ、中尉もやられちゃう! 助けに行こうよ! ≫


≪馬鹿言うんじゃないよ! あたしらに何ができるっていうんだい!? ≫


 必死に訴えかけるライカを、アビゲイルが叱責しっせきする。


≪機体の性能も、腕だって向こうが上だ! 弾も無いのに、行って、どうするつもり!? ≫


 アビゲイルの言葉は感情的だったが、それでも、恐らくは僕らの中では最も冷静に物事を見れている様だった。


≪でもっ! 中尉を置いていくなんて、出来ない! 私たちは、何のためにパイロットをやっているのよ! ≫


≪そんなこと、分かってるわよ、こっちだって! ≫


≪アビゲイル、中尉は貴女の親戚なんでしょう!? 貴女がそんな薄情だなんて知らなかった! ≫


≪あーもぅ、この、馬鹿姫が! 何で中尉があたしらを逃がしたか考えろっ! 引き返していって、全滅させられたらどうすんだ!? ≫


 ライカとアビゲイルが言い合っている間、ジャックは黙ったままだった。


 僕はジャックでは無いが、彼の気持ちはよく分かる。

 どうするのか、決められないのだろう。


 ジャックは、僕らの班の班長で、編隊長だ。

 僕らは彼の指示に従うし、だからこそ、ジャックは悩んでいるのだろう。


 彼が、決めるのだ。

 レイチェル中尉をこのまま見殺しにし、真っすぐに逃げ続けるか。

 それとも中尉を助けに向かい、4機とも撃墜されるか。


 軽々しく決められる様な話では無い。


 ここで迷わない様な奴だったら、僕は、ジャックと親友では無かっただろう。

 だが、いつまでも悩んでいられる様な、そんな状況でも無いのは確かだ。


 ジャックが沈黙を保っていたのは、1分にも満たない時間だっただろう。


≪ライカ、ダメだ。引き返せない≫


 ジャックは、そう、震えた声で言い切った。


≪どうしてよっ!? 中尉を見殺しにするつもり!? ≫

≪俺達が行っても、中尉の足手まといになるだけだ。むざむざ出て行って、何もできずに全滅させられて。それこそ、中尉にボコボコにされる。……そうだろ、なぁ?≫


 ジャックの確認に、誰も答えられなかった。

 僕は彼のために、彼の言葉を肯定したかった。だがそれは、このまま中尉を見殺しにすることに同意することになる。


 誰も、何も言えなかった。


 ジャックは、悩んだ末に決断したのに。彼は、彼の負った責任に、たった1人で、立派に向き合ったのに。


 この時の僕らは、卑怯者ひきょうものだった。


≪俺は……、俺は、編隊長だ。だ、だから、みんなを連れて帰る、その、ぎ、義務がある。だから、ライカ。引き返さない≫


 ジャックの声の震えは一段と酷くなったが、しかし、彼の言葉は、意思は、明瞭に届く。


 重苦しい沈黙。

 機体のプロペラだけが、いつもと何事も違わないかのように、ブブブブブ、と回っている。


≪そんなの……、そんなの、嫌! ≫


 ライカはそう叫ぶと、突然、機首を上げ、機体を反転させた。


≪ライカ! ダメだ、戻れ、ライカ! ≫


≪あんの、馬鹿姫が! この分からず屋が! ≫


 ジャックがライカを呼び戻そうとし、アビゲイルが悪態をいたが、ライカは聞く耳を持たない様だった。


 僕は、大きく息を吸い込むと、ゆっくりと吐き出し、肺の中を空にする。


 このままでは、中尉に加え、ライカまでも撃墜されてしまうだろう。


 あのマードック曹長を撃墜した相手だ。それくらい、簡単にできるだろう。


 だが、このまま逃げ続ければ、僕らは助かるだろう。


 あの黒い戦闘機は、僕らのエメロードよりも100キロメートル以上、優速であることは、空戦の様相から言って間違いない。

 だがこのまま、高度を犠牲にして速度を得つつ逃げ続ければ、そうそう追いつかれないだろう。それに、事態が事態であるだけに、他の味方機も出撃してきているはずだ。


 僕らは、戦闘機に乗っているとはいえ、所詮しょせん、卵からかえったばかりの、未熟なひよこに過ぎない。

 引き返せば、あの成熟し切った猛禽もうきん餌食えじきになるだけだし、このまま逃げても、誰も非難はしないだろう。


 レイチェル中尉も、カルロス軍曹も、仮に、マードック曹長だって、決して、僕らを非難しはしないだろう。


 ライカの行動は、あまりに無鉄砲で、無謀で、常識はずれなものだ。


 だが僕は、編隊の4番機だ。

 編隊の3番機であるライカの僚機で、いざ、戦いとなれば、お互いに援護し、生き残るために全力を尽くす、いわば、運命共同体だ。


 僕は未熟なひよこに過ぎないかもしれないが、一人前に成長した時、今、この時、僚機を見捨てたことをどう思うだろうか。1度、守るべき相手を見てみぬふりをした僕は、例えば将来、ジャックと編隊を組み、危機におちいった時、彼と共に最後まで戦い抜く「戦友」となれるだろうか。


 それに、ライカはジャックほどには親密ではないが、いい友人だ。

 いずれ彼女とは離れ離れになるにしろ、今日、彼女とさよならをするのは、あまりにも寂しい。唐突過ぎる。

 そして、レイチェル中尉は僕にとっては厳しく恐ろしい教官殿だが、何となく目をかけてくれている気はしている。彼女から学ばなければならないことはきっと、まだまだたくさんある。


 正直なところ、僕は、自分の命がしい。


 だが同時に、ジャックや、アビゲイル、ライカ、レイチェル中尉の命がしい。

 カルロス軍曹の無事を祈っているし、マードック曹長にだって、奇跡があることを、まだ未練がましく願っている。


 今の状況は、全てを取ることはできない状況だ。

 あの黒い戦闘機は、僕などよりもはるかに強く、僕は未熟で、弱い。


 ジャックが下した決断は、勇気あるものだ。

 責任ある言葉だ。

 尊敬に値するものだ。


 それは分かっている。

 僕だって、分かっている!


 だが僕は、それでも、なにもせずにはいられない。

 僕は未熟な雛鳥ひなどりで、旧式で弾薬も搭載していない飛行機に乗っている。


 それでも僕は、戦闘機に乗っているのだ!


 僕は、鋭く息を吸い込み、肺に詰め込むと、ぐっと歯を食いしばり、全身に力をめ、操縦桿を思い切り引いた。


≪ごめん、ジャック! ≫


 そんな言葉を残して僕は、ライカを追う。

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