1-6「宝石」
中等練習機で空中分解事故を起こしかけて大いに反省した僕は、以後は、教官の言うことを素直に聞き、熱心に訓練に励む模範的なパイロットに徹することにした。
そのおかげもあってか、僕は無事に、次の訓練課程に進むことができた。
いよいよ、実戦的な訓練課程に移行することになる。
中等練習機での訓練を卒業したパイロット候補生たちは、そこから、機種ごとの訓練に分かれていく。
双発以上の中・大型機、単発の戦闘機や攻撃機、水上飛行機などだ。
これは、それぞれの機種に求められる技能が、異なっているためだ。全ての機種に習熟したパイロットを育成しようとすると、その期間は
どの分野を志望するかを聞かれた際、僕は、双発機と答えた。
双発機は単発機と違って曲芸飛行はほとんどできないが、僕は中等練習機で空中分解未遂を経験して以来、戦闘機の様に忙しく曲芸飛行をする機種は何となく苦手に思っていた。
それに、幼かったあの日に、僕の牧場に舞い降りたパイロットたちが双発機に乗っていたことを、僕は忘れたことなど無い。
双発機は一般に単発機よりも航続距離が長く、世界中を飛行機で冒険するなら、双発機の方が断然いいと思ったのだ。
だが、僕は戦闘機の訓練課程に進むことになった。
希望が通らなかったのは、やはり、中等練習機で事故を起こしかけたせいだったのだろうか。しかし、戦闘機パイロットというのは、いわゆる空軍と呼ばれる組織の中では花形的な存在で、志望者は多く、狭き門とされている。
だから、どうして僕が戦闘機のパイロットに選ばれたのか、僕にはさっぱり分からなかった。
僕はただ、幼い頃にあこがれたあのパイロットたちの様にはなれないということが、とても残念だった。
しかし、そんな気持ちは、ずぐに吹き飛ぶことになった。
戦闘機パイロットへの道に進んだ僕は、そこで、「
僕が新しく乗ることになった高等練習機、「エメロード」は、今まで乗って来た初等練習機や中等練習機と同じ様に単発複葉複座の飛行機だったが、その原型はほんの数年前まで第一線の主力戦闘機として使用されていたものだった。
複葉で一部は布張りという旧態依然とした設計だったが、エンジンは900馬力以上を発揮し、水平最大速度は毎時400キロメートルを超える。複座の高等練習機型でも単座の戦闘機型と同じ様に、武装として7.7ミリ機関銃を機首に2丁、下翼に2丁装備し、空戦に耐えるだけの性能を有している。それまでの練習機では、車輪は固定式だったが、エメロードでは胴体に収納できる様にされており、その性能発揮に大いに貢献していた。
何より素晴らしいのは、その軽快さだ。
初等練習機も、中等練習機も、必要十分な運動性能を持ち、様々な曲芸飛行をこなすことができた。操縦性も素直でパイロットの操作によく従い、安定性も良い機体だったが、エメロードにはそれらには無かった「鋭さ」があった。
操縦桿を倒すと瞬時に動き、操縦桿を戻すとピタリと止まる。
パイロットの意識とほぼタイムラグなく、機体の動きが追従して来る。
パイロットのイメージを現実のものとしてくれる。
それがエメロードだった。
僕はエメロードに乗って初めて、戦闘機というものがどんなものなのかを理解できた気がした。
飛行機はよく鳥に例えられるが、戦闘機は同じ鳥でも、
他の鳥たちを狩るために作られている。
僕は、中等練習機で無茶をして以来、曲芸飛行はなるべく行わないと心に決めたはずだった。だが、もう一度あんな風に飛びたい、自由に、重力を感じず、ただ風と一体になる様に飛びたいという、封印したはずの欲求が、どんどん大きくなっていった。
エメロードなら、この機体なら、今までできなかった様な飛び方もできるだろう。
自由自在に、思いのままに!
それは、きっと、素晴らしいに違いない!
ある日、僕は、とうとう我慢ができなくなった。
それは、同じく戦闘機乗りの卵として訓練に励んでいる仲間たちと編隊飛行の訓練をした後の帰り道で、もう間もなく飛行場に帰り着こうかというところだった。
その日はたまたま、普段から僕らの面倒を見てくれていた教官が留守だった。
急に訓練を中止するわけにも行かなかったので、僕らは教官なしで訓練に出ていたのだ。
どんな理由かは分からないが、司令部に急に呼び出しを受けて、その日の朝、慌ただしく出かけて行った。帰りはきっと、夕方になるだろう。
だから、僕が何かをしでかしても、
仲間たちは、まぁ、きっと、黙っていてくれるだろう。
着陸態勢を取り、徐々に高度と速度を落としていく編隊の最後尾に位置していた僕は、緊張で乾いた唇を舌でぺろりと
エメロードに搭載された空冷星形14気筒エンジン「カモミ」が咆哮し、14個のシリンダーが激しい鼓動を刻む。
エンジンが回る音と振動、風を切るプロペラの
十分な速度を得ると、僕は、思い切り操縦桿を引いた。
もちろん、機体に設けられた制限速度には余裕を持っている。
エメロードは、僕の操作に従い、一瞬で空高く駆けあがっていった。
僕は、機体に身体を押し付けられる感覚に耐えながら、興奮を抑えきれなかった。
僕の思い描いたのと、寸分たがわぬ動作。
ほんのちょっとした調整や、細かい動作でさえ、僕の意思を体現するかのように実現してくれる。
まるで、機体が僕自身の身体の一部になったかのようだった。
その時、その瞬間、僕はこの世界の全てと一体になったかのような、言い表し様もない感動と幸福感でいっぱいだった。
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