3.村人たち

 外へ出ると、村はもう山の影に飲まれつつあった。午後の日差しを反射してキラキラ輝いていた川面も夕暮れの蒼色に沈み、まだ西日の残る川原には家路につく男たちの長い影が揺れている。春の陽気は、まだ肌寒い夜気に追いやられようとしていた。


「小さい村ですから、酒場はすぐそこ……」あ、という口のままアーダの言葉は途切れた。アンサーラが小首をかしげると、彼女は呟く。「瞳の色が……」


「ああ、周囲の明るさで色が変わるのです。奇妙ですよね」


「いえ、そんなことは……その、知らなかったもので……エルフは皆さんそうなのですか?」


「いいえ。エルフでも珍しいと思いますよ。わたくしは混血で、母はデイエルフですが父はナイトエルフなので」


「あ、その、ごめんなさい、わたし、不躾に……」


 アンサーラは目を細めて微笑んだ。「お気になさらず。わたくしも気にしておりません」


 道は比較的大きな建物に行き着いていた。切り妻が×字に交差した板葺きの三角屋根と、それを支える丸太の外柱。長方形で奥行きのある、ロングハウスの形をしている。酒と人間の体臭が一緒くたに燻された酒場のにおいが外からでも感じられた。中へ入り、アーダが店主に事情を説明する間、アンサーラはざっと店内を見回す。


 一間続きの広々した店内。中央の床には炉が掘られ、煤で黒く染まった石組みの中で熾火が赤々と輝いている。炉を挟んで向かい合うように長いテーブルと腰掛椅子が並べてあり、隅には少人数向けの四角いテーブル席もあった。二人のいるカウンターテーブルには出番を待つ木製マグが整然と並び、店主は右手を下に入れながらアーダの話を聞いている。おそらく、いざという時のための武器が隠してあるのだろう。アンサーラをじろじろと見ていたが、やがて右手をカウンターテーブルの上に戻した。いちおうは信用してくれたらしい。


 あそこのテーブルを使ってくれ、と隅を指差す店主に従って、アンサーラは腰を落ち着けて荷を下ろした。アーダも同じテーブルについたが、共通の話題はハーブくらいしかなく、会話は長続きしなかった。旅の話を聞きたがる若者は多いが、アーダはそういうタイプではないようだ。しかし彼女の存在が、店にやって来る村人たちへの安心材料になったのは間違いない。無遠慮に視線を向けつつも、平静を装ってそれぞれの場所に腰を下ろしていく。


 アーダは反対側の隅に腰かけた赤毛の青年にちらちらと見え透いた視線を送っていたが、相手は完全に無視していた。シャツの胸元からのぞく逞しい胸。なめし皮のズボンとベスト。アンサーラの人間離れした鋭敏な感覚が獣と死のにおいを捉える。おそらく狩人だ。顔の右側を走るギザギザの傷跡は完治しているものの、一年と経ってはいない。


 やがて村長が姿を現した。店内を見渡しながら中央の炉端まで移動する。「ふむ、だいたい揃っておるようだな。では始めよう。あちらにおられるのが魔獣の専門家、エルフのアンサーラどのだ。人狼事件の解決を依頼し、引き受けてくださった」


 紹介を受けてアンサーラは立ち上がり、礼儀正しく頭を下げた。村人のうち何人かがパチパチと手を打ち、村長は話を続ける。


「さて、それではまず人狼について何か情報がある者、実際に目撃した者から話を聞き、その後アンサーラどのからご意見をいただく。最初に――」


 村長から指名を受ける前に壮年の男が颯爽と立ち上がって陳情を始めた。牛を殺されたオーケだ。せっかく開墾した土地を耕そうとしていた矢先の出来事で、とても一人では手が足りないし、農地の拡大は村全体の食糧事情に影響する。ゆえに、村の共同基金から牛馬の購入費用を出してもらいたいという訴えだった。しかし村の共同基金は水車の建設に使うと決まっていたはずだ、と別の男が意見する。両者が口論を始める前に村長が割って入り、その件については後でじっくり話し合おうということになった。


 次に挙手したニルスは、食い殺されたニワトリがどれだけ良い卵をたくさん産んでくれたか、彼女を失った悲しみはいかばかりか、という話をして何人かの同情を得た。


 その後は人狼の目撃情報が続く。多少の誇張があったとしても、狼や野犬の見間違いでないのは明らかだ。大きさは人間ほどで、二足で走って行ったとか、人間離れした跳躍力で土塁を飛び越えたとか、深夜に村の通りをうろついているのを見たとかいう内容だった。


 村人たちの取り留めない話も出尽くした頃、座ってエールを飲み始めていた村長が再び立ち上がる。「あー、こんなもんか? どうでしょう、アンサーラどの。お役に立ちましたか」


「ええ、とても。人狼については早急に解決する必要がありますね。ところで……最初に被害に遭われたヨエルさんが森に行った理由をご存知の方はおられませんか?」


 ぴくり、と一人が肩を揺らしたのをアンサーラは見逃さなかった。栗色のふわふわした髪の、柔和な印象の青年。童顔で、目の下にそばかすが散っている。顔を伏せて足元を見たままじっと動かない。他の村人たちは互いに見合って首をかしげるばかりだ。


「発見者は確か、マルクさん、でしたよね」


 村長はその青年を指した。「マルクは彼です」


「マルクさん、ヨエルさんを探しに行ったのはあなた一人ではありませんよね?」


 青年は肩に首を埋めたまま、「は、はい、他にも……」と、数人の名を挙げた。


「そしてあなたが最初に見つけた。彼の居場所に心当たりがあったのですか?」


「な、な、無いです。偶然です」


「そうだよな」別の若者が同調した。ヨエルを探しに行った一人らしい。「あそこはお決まりの場所の一つだったから、そのうち誰かが探しに行っただろう。マルクが偶然最初に行ったってだけで」


「なるほど……みなさん訪れる場所でしたか。それなら誰が居てもおかしくはないですね。念のためお聞きしますが、マルクさん、他に人影や大きな獣など見かけませんでしたか」


 マルクは明らかに動揺した。伏せた顔の下で目を左右に動かし、浮き出た玉の汗が滑らかな肌を滑り落ちる。


「マルクさん?」


「誰も見てませんし会ってません。ぼく、ちょっと気分が悪いので、これで失礼します」


 早口で言い切ると、腰掛椅子を倒す勢いで立ち上がり、誰とも目を合わせないようにしながらずんずん扉へ向かって出て行ってしまった。


「アンサーラどの」村長はため息とともに木製マグをテーブルに置く。「マルクは子供の頃からヨエルと仲が良くてね。あれ以来あんな調子で……わかってやってください」


「そうでしたか……まだ一〇日前のことですものね。配慮が足りませんでした。あとは事件前の森の様子についてお聞きしたいのですが」


「ああ、それは彼に直接聞くといいでしょう。エスキル」


 村長はアーダが気にしていた赤毛の青年に呼びかけた。青年が顔を上げる。「はい」


 アンサーラは軽く会釈した。「エスキルさん。ヨエルさんの事件以前に、森で狼を見かけましたか」


「いいや。もし見かけたら村長と衛士に知らせる決まりだ」


「見知らぬ人間がうろついていた、などは?」


「ないな」


「では……普段見かけない痕跡はありませんでしたか。たとえば、大きな足跡や爪痕などは」


「……ない。いつもと変わったところは、何も」


「そうですか……わかりました。ありがとうございました。必要なお話は全て聞けたと思います」


 あっさりしたやり取りに肩透かしを食らいながらも村長は咳払いして、今後も何か新しい情報があれば自分かアンサーラどのに直接お伝えするように、と付け加えて解散を告げた。


 村人たちがどやどやと酒場から出ていく中、エスキルが腰を浮かせるのを見てアーダも立ち上がり、そそくさと彼に近寄る。「エスキル」狩人は聞こえていないかのように無視した。アーダは唇を噛み、さらに数歩踏み出してベストの裾を指先で掴んだ。「エスキル、これから……」


 振り向いたエスキルの冷徹な目が、アーダの口を塞ぐ。上着を引いて指先を振りほどき、狩人は酒場を出ていった。その背中はまるでこの世の人間全てを拒絶しているかのようで、アーダはしばしその場に立ち尽くしたが、やがてとぼとぼと外の夕闇に消えていった。


「アンサーラどの」村長は――火の前に座っていたせいかエールのせいか――汗をぬぐいながら対面に座った。「お約束の報酬ですが……オーケの件もあって、余裕がなくてですね、その、成功報酬として銀貨一五枚ではいかがでしょう。それと滞在中は、この酒場での食事代はわしが持ちますので」


「はい。それで構いません」


「えっ、あっ、そうですか? やぁ、ありがとうございます。それではわしはこの辺で。よろしく頼みましたぞ」


 アンサーラの気が変わる前にと、村長はいそいそと立ち去った。酒場から村人の目と耳がなくなるのを見計らってベントがテーブルに手を突く。「五〇枚までは出す気だったぞ。あれは」


「わたくしの目的は、あくまでも魔獣退治ですから」


 衛士は対面の椅子に腰を下ろし、腕を組んでむっつりとアンサーラを睨んだ。


「なぁ、傭兵ってのは、つまり商人だ。腕っぷしを商品にして売り、金を貰う。だから信用できる。だが、よくわからん理由で危険な仕事を引き受けるようなやつは信用ならねぇ。たいていは裏があるもんだ。たとえば……自分の罪を誰かに着せようとしている、とかな。しかもあんたはここ最近で村を訪れた唯一の旅人だ。人狼が外から来た可能性も無くなったわけじゃねぇんだぜ」


「なるほど。あなたはとても職務に忠実な方なのですね。そう言っておけば、わたくしが人狼かその仲間だった場合、次に狙われるのはご自身という目論見ですか。これから毎晩、寝ずに待ち構えるおつもりですか」


「おれは衛士だ。アードリグのエリアス王に忠誠を誓った身で、ウラク村の秩序を守るようにと命じられている。そして毎年、季節のはじまりの第一週には農場にいる家内に給金が届けられる。あんた、家族は?」


「おりません」


「なら、ますます信用ならねぇってわけだ」


 アンサーラが微笑み、ベントはその意図を図りかねて眉根を寄せた。


「睡眠不足で職務に支障が出ないよう、現時点で分かっている事を話しておいたほうが良さそうですね。わたくしはこの村へ来るより前に、ヨエルさんの殺害現場を調べています。もちろん被害者の方の名前や前後の経緯までは知りませんでしたが、そこへわたくしを導いた痕跡と合わせて、ヨエルさんを殺害したものが何か・・は分かっています。問題は……」

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