2.人狼事件
「最初の被害者はヨエルという青年でした。もう一〇日前になります。発見者はマルクという同世代の若者で、東の森で発見した時にはもう、無残な姿になっていたと……遺体を回収する時にわしも見ましたが、そりゃ酷い有様で、背骨までかみ砕かれて上と下がバラバラに……腕もかなり欠損していました。顔は無傷でしたが、それが逆に……恐怖の表情が張り付いていて……」
あの場所か、とアンサーラは現場を思い浮かべた。死体を引きずった跡は、村人がヨエル青年の遺体を回収した時のものだろう。他にも追跡可能な痕跡はあったから、住処を見つけるのは難しくない。獲物を判別可能な状態で残して去ったのは奇妙だが――。
「そのヨエルさんという方は一人で森に行ったのでしょうか」
「それはそうでしょう。でなければ被害者は二人になっていたはず……」村長は顎をさすった。「いや、もし二人だったら、もう一人が人狼。そういうことですか?」
「そういう可能性もありますね。ちなみにヨエルさんは金髪でしたか。それとも赤毛でしたか」
「ヨエルは金髪でしたが……それが何か?」
「いえ、少し気になっただけです。そもそも彼はなぜ森へ行ったのでしょう?」
「それはわかりませんが、東の森は柴刈りや採集に村の者もよく行きますし、若い連中などはその……二人きりになりたい時とかに、その……わかるでしょう? そういう時は男のほうが先に行って準備をしておくものでして、厚手の布を敷いておくとかですね……ま、まぁ、とにかく、理由はどうあれ一人で行くこと自体はそれほどおかしな話ではありません。もちろん東の森といっても目の届く近場に限ります。奥まで行くことはありませんし、ヨエルが見つかった場所も村の近くでした」
「その東の森に最近狼の群れが出没していた、ということはありませんか」
「いや、あれは普通の狼の仕業では……」
「はい。それは承知のうえでお聞きしています」
「ですよね。うーん、わしの知る限り、ありませんねぇ。ベント?」村長は目線を上げて衛士に問うた。ベントというらしい衛士は腕を組んだまま、扉に背を預けている。「東の森で狼ですか。おれんとこにも報告はありませんね。エスキルに聞いてみちゃどうです」
「そうだな。ああ、アンサーラどの。エスキルは狩人で、東の森なら奥のほうまでよく知っています。もし狼を見かけていたなら報告してくれるはずですが……おお、そうだ、あとで酒場に村人を集めましょう。そこで話してもらえれば」
「わかりました。ヨエルさんが最初の被害者ということは、それ以前には無かった。そして次の被害者が出た、と」
「ええ、被害者というか、オーケのところの牛ですね。これがまた……腹を裂かれて内臓を食い荒らされて、かなり酷い有様でした。その次がニルスのところのニワトリで、朝起きたら家の前一面に血と羽毛が飛び散っていたと。まさに惨劇の――」
「あの、ちょっと待ってください」アンサーラは思わず口を挟んだ。「人間の被害者はヨエルさんだけなのですか?」
「ええ、そうです。だからといって今後も人間が襲われないとは限らんでしょう? それに、オーケの牛もニルスのニワトリも村の中で殺害された。通りでは狼の足跡が見つかり、土塁の上を人間大の狼が二足で走る姿を見た者までいる。つまり人狼はこの村に、自由に出入りできるのです。そして最初の事件前後から今日まで村を訪れた旅人はいない。考えたくはないが……村人の誰かが人狼になった可能性が高い」
「人狼になる……ですか」
「狼の霊に憑かれたまま最初の満月を迎えると変身するのですよね? 狼の肉を食うと人狼になるなんて話もありますが、それが馬鹿げた迷信だってことくらい分かりますよ。それならみんな人豚だの人鶏だの人魚だのにならないと理屈に合わない。ただ、人狼に噛まれると人狼になるという言い伝え……本当でしょうか?」
「噛まれても人狼にはなりません」
狼の霊も迷信だが、アンサーラは敢えて口にしなかった。迷信深い人間をいちいち啓蒙して回っていたらきりがない。
「よかった、それを聞けば多少は安心できましょう。村はまだ平静を保っていますが、恐怖と疑心暗鬼が病のように広がっています。何かのきっかけで、それが爆発しやしないかと……」
アンサーラが人の気配に目を向けると、奥の戸口に、まだ二〇歳にも満たない若い娘が立っていた。人間としては標準的な体型。足首まである長いアンダードレスの上からエプロンドレスを重ねて両肩のブローチで留めている。頭巾の下から零れ落ちる金髪の巻き毛と青い瞳が瑞々しい。その視線を追って村長は振り返った。「おお、アーダ。こちらはエルフのアンサーラどのだ。人狼の件を解決してくださる。アンサーラどの、これは娘のアーダです」
アンサーラとアーダは互いに頭を下げて挨拶を交わした。よそよそしさの奥に怯えが見て取れる。村長が用件を問うと、彼女は戸口から離れず控えめに答えた。「ハーブ茶の用意ができましたので、お出ししようかと……」
「おっと、そうだな、気が利かず申し訳なかった、アンサーラどの。ベリーの果実酒やエールもありますが……」そこで声を潜める。「それと、ウスケポも。妻に知られると飲み干されてしまいますのでご内密に」
「確か、蒸留酒でしたね。あとで分けて下さい。しかし今は、ハーブ茶で」
アーダはもう一度会釈して戸口の奥に消えた。それを見送って村長は向き直る。「ついでに我が愛妻も紹介しておきましょうか」女だてらに村一番の酒豪で、と小声で付け足しながら返事も待たずに腰を浮かせたので、アンサーラは慌てて話を進めた。
「それはのちほど、お手すきでしたら。それで、今までの話から察するに、ヨエルさんの事件以前に人狼の目撃談などは無かった、ですね?」
「そうですね……あいや、待ってください。ひいじいさんの頃に村から人狼が出て、村人総出で森に追い払ったっていう昔話を聞いたことがあります。もしや人狼が復讐のために戻ってきた……?」
「いえ、人狼の寿命は人間とたいして変わりませんから、それは無いでしょう」
「ですか。もしや、霊だけ戻ってきたなんてことは……」
「ありえません」
ふんわりした甘い香りとともにアーダが戻ってきた。薄い小金色の液体が、シチュー皿より一回り小さな金属製の皿に注がれている。アンサーラは両手で受け取り、村長も膝の上に置いたが、衛士のベントは断った。香りとともに口へ運ぶ。まだほんのりと温かい。
「おいしい。カモミールですね。それからミントと……エルダーフラワー」
奥に戻ろうとしていたアーダは足を止めた。「あ、ありがとうございます。ハーブ、お詳しいのですね」
それはエルフに対する侮辱だが、彼女にそんな意図はないだろう――アンサーラは微笑みで応えた。七〇〇歳以上の年齢差があっても外見上は同世代に見える二人だ。アーダも微笑みを返したが、その表情にはまだぎこちなさが残っている。
「村長。おれはそろそろ行く」ベントが扉から背を離し、村長は口に含んだハーブ茶を飲み込んだ。「うむ。人狼の件で話がある者は酒場に集まるよう伝えてもらえるか。それとエスキルに、マルクもだな」
わかった、と衛士は外へ出て行った。
「ところで、アンサーラどの。申し訳ないがこの村には宿がない。酒場で食事と暖は取れますが……」
「お気遣いなく。屋根があるだけで十分です」
「そう言ってもらえるとありがたい。アーダ、アンサーラどのを酒場に案内して差し上げなさい」
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