打算と策略の小部屋



 尋問室から解放され、零夜が通された部屋は、清潔で静かだった。建物の外には、深夜とは思えない喧騒が満ちているはずだ。嵐に襲われた村は、夜闇の中でようやく被害の状況確認を終え、生存者の捜索や怪我人の手当てに奔走し始めている。

 しかしこの部屋は、音こそ届けど生々しい騒ぎからは完全に隔絶されていた。独特の静けさと緊張感がある。それがこの部屋のこざっぱりとした内装のためなのか、あるいはベルメリオという男の醸しだす雰囲気のせいなのかは分からない。


 プラド村の役人の娘が、先ほどまでここにいて零夜の手当てをしていた。彼女の弱弱しい癒しの力は、剥がされた爪を完全に復元するには至らない。爪の代わりと言っては頼りなさすぎる薄い皮が指先を覆っただけだった。それでも、流血と激痛とが止まったことはありがたい。

 怪我人が多くいるであろう状況で、これ以上癒し手を拘束しておくことも申し訳なく、零夜は自分から治療の続行を断った。あとは包帯を巻いておけば充分だ。



「まずは名乗っておこう」

 癒し手が去り、治療を見守っていたベルメリオが、ようやくといった調子で話し始める。

「俺はベルメリオ・アルカントーラ。見ての通り異端審問官で、序列は第四位だ」

 彼の印象は、同じ異端審問官であるシースとは随分違っていた。シースは物腰が柔らかく、形式ばった正しさを纏う人物だった。対して、目の前の男は正反対と言っていい。テーブルを挟んで向かいに座り、遠慮なく真正面から零夜を見つめる彼からは、気さくさと、尊大な自信がうかがえる。

 彼の髪が、炎のような赤い色だからだろうか。鉱石灯の光が当たると、赤い髪の表面に金色の光沢が輝く。その煌びやかな色調が、どことなく傲慢そうな印象に拍車をかけているのかもしれない。

 零夜は失礼にならない程度に彼を観察しながら、じっと考える。ベルメリオという男が、一体どういった人物なのか。


 観察されていることに気付いているのかいないのか、ベルメリオはなおも親密な空気を崩すことなく、話し続ける。

「先ほどは、本当に申し訳ないことをした。ダンニール・トーノは優秀な公吏こうりではあるんだが、公務に私情を挟みすぎるようだな。厳重に注意しておこう。だが、今回に限っては容赦してやってほしい。この辺りは少々政治的に難しい土地でね。彼が君を疑うのも、無理はない話なんだ」

「……それは、分かっています」

 イグ・ムヮにおけるアランジャ族とゼーゲンガルトの対立、そしてカノヤという異国の脅威は、零夜も何度か聞かされている。零夜の態度に敵意がないことが分かり、ダンニールは安心したような表情を見せた。

「君のことは、こちらでも把握している。レイヤ・マイト。イヨ国のミトラ学者だとか」

 零夜のために用意された設定は、上手く活きているようだった。零夜は「そうです」と肯定しながら、彼にしては珍しく、少し苛立っていた。この部屋の静けさが、まやかしの平穏が、焦りを増長させる。のんびりと椅子に座って話をしている場合ではない。今すぐにやらなければならないことがあるのに。


 零夜の焦燥に気が付いたのか、あるいはこれ以上この場の緊張感をほぐす必要はないと判断したのかもしれない。ベルメリオは「本題だが」と切り出す。

「我々はこれから、化け物に攫われたというアランジャの娘を助けるため、正式に兵を送る。化け物の討伐と少女の救出作戦に、君にも協力してほしい」

 両者の視線が、テーブルの上でかち合った。わずかに膝を乗り出すように、前のめりに座っている、ベルメリオの表情は至って真剣だ。


「……ティエラを」

 思いのほかしゃがれた声が出て、思わず咳をした。そして零夜は咳払いののち、もう一度「ティエラを」と言い直す。

「どうして、あなたたちが気にするんですか」

 ベルメリオは木製のテーブルに肘をつき、水差しから自分のカップに水を入れてぐいと飲んだ。

「あの娘は、我々にとって価値のある人間だ。我々の手で保護する必要がある」

「神聖な青色を持っているから……ですか?」

「その通り。まったく今回のことは、実に頭が痛い」

 目の下にわずかの疲労を滲ませながら、ベルメリオは深く溜め息をついた。

「あの娘には、ここを離れて神都で暮らすよう再三言っていたんだがな。神都でならば満足な教育も受けさせてやれるし、こういった危険からも守ってやれるというのに」

 ティエラの、その存在そのものの持つ政治的価値を思い出す。聖なる青い色を持つ少女。皆が彼女の髪や瞳に、神性を見出している。

 トリディア教を国教とするゼーゲンガルトにとっては、出来る限り彼女を手元に置いておきたいことだろう。いかなるものにも手出しさせず、女神の象徴として庇護しておきたいはずだ。


 だからこそ、ベルメリオは焦っているに違いなかった。もしティエラが――女神の恩寵を一身に受けるはずの青色の少女が、何者とも分からない化け物に攫われ害されたとなっては、女神の威信にきずがつきかねない。それはつまり、国教たるトリディア教が毀損されることを意味する。

 なんとしてでも助け出さねばならないし、更に言えばその救出劇は「ゼーゲンガルトが助け出した」というストーリーでなくてはならないはずだ。


「君はミトラの専門家だし、戦闘面でも随分と腕が立つと聞いた。我々はプラド村の方にも人手を割かねばならないし、とかく頭数が足りないわけだ。我々は知識と戦力を手に入れる。君はこの窮地から脱することが出来る。決して悪い提案ではないと思うが」

 断る理由はなかった。ベルメリオの言う通り、零夜は自由の身になればすぐにでも、ティエラを助けに行くつもりだった。それに、頭数が増えてありがたいのは零夜にとっても同じだ。

 それでも手放しに喜ぶ気になれないのは、相手の手の内が見えなさすぎるからだろうか。釈放する代わりに力を貸せ。単純な話ではあるが、単純すぎる。要求以上の何かがあるのではないかと、勘ぐってしまう。


 しかし、あまり熟考している時間がないのも事実だった。こうしている間にも、ティエラがどんな目に遭っているのか分からない。零夜が「分かりました」と言うと、ベルメリオの顔に喜色が浮かんだ。

「良かった。馬や装備はこちらで用意させよう。君が協力してくれるなら、俺も安心して任せられる」

 話がまとまり、零夜はようやくコップ一杯の水を口に含んだ。切れた口内にひどく沁みて、薄っすらと血の味がする。不快ではあったが、今さら気にするようなことでもなかった。喉の渇きを潤すと、不思議と活力が湧いて来る。

 恐らくは、大きな打算の上に乗せられている。とはいえ、不毛な尋問から早々に解放されたのは幸いだった。ティエラを助けに行ける。向かうべきものの正体が何であろうとも、今はまず行動を起こせるというだけで前進だ。休んでいる暇はない。すぐに、山へ向かわなければならない。


 やるべきことを頭の中で整理しながらも、零夜はひとつ、ひとつだけ、どうしても確かめたいことがあった。

「あの、少し訊きたいことが、あるんですが」

 断られても元々だと、零夜は思い切って口を開く。

「プラド村に来ていた、異端審問官の……」

「シースか?」

「はい。その人の……えっと、確か……端数。端数の人は、どういった……人なんですか?」

 リヒト・エクシーンと呼ばれていた彼は、手首にミサンガをつけていた。零夜の妹が手ずから編んで瑠璃沢理仁に贈った、この世にふたつとないものだ。あれを見たからこそ、零夜はリヒト・エクシーンこそが理仁であると確信出来ている。


 しかし今となっては――多くのことが起こり過ぎた。スジュの死、罵声と殺意に村を追われた失意、嵐に襲われて壊滅したプラド村、そして、連れ去られたティエラ……あまりに多くの出来事の中に、一瞬だけ目にしたミサンガの記憶は、霞の中に覆い隠されようとしている。

 あれはもしかしたら、自分の見間違いだったのではないか? そんな危惧が頭をもたげ、どうしても消えてくれないのだった。

 あの男はリヒト・エクシーンという、理仁によく似ているだけの全くの別人なのかもしれない。零夜が理仁の面影を投影するあまり、ありもしないミサンガを幻視したのかもしれない。あるいは、似たような装飾品を見間違えたとか……そうではないのだと、今の零夜はどうしても断言できなかった。


「ああ、リヒトか」

 ベルメリオの口からその名前を聞き、零夜の心臓が掴まれたように縮こまる。

「何年か前に雇い入れたらしい。腕も立つし頭も切れる、優秀な端数だ。こっちに欲しいもんだが、どうにもシースに心酔しているふしがある。かっさらうのは無理だろうな。俺は嫌われているようだし」

 言葉の節々に皮肉か軽蔑のような調子を聞き取って、零夜は怪訝な顔をした。それを見て、ベルメリオが苦笑する。

「一口に異端審問官と言っても、色々あるんだ。シースは根っからのトリディア教会派だ。教義を第一に重んじ、メシエ・トリドゥーヴァのいかなる意思にも背かない。異端審問官としては立派かもしれないが……奴はどうにも、血の通った人間の営みってものを、軽視しすぎている」

「……じゃあ、リヒトは」

「何か気になることでも?」

「いえ……」


 何年も前に雇い入れた。その一言が、零夜の耳の内側でこだましている。頭を振って、薄暗い反響を、嫌な予感ごと振り払う。

「いえ、大丈夫です。それより、すぐに出発したい」

 迷いを奥底に押し込んで、零夜ははっきりと言った。

「馬を貸してください。ティエラが連れ去られた場所は、分かっています」

 それを聞いて、ベルメリオはうなずいた。

「君の荷物を持ってこさせよう。しばらくここで待機していてくれ」

 部屋を出ていくベルメリオの後ろ姿に、零夜は険しい視線を向ける。その背中に何かしらの思惑を読み取ることが出来ればよかったのだが、見えたものはひるがえる黒いマントと、澄んだ赤い審判石の煌めきだけだった。



***



 風が強くなっている。イヴァナ平原は、風のやむことのない土地だ。ここに生まれ育ったダンニールには、そのことはよく分かっている。しかし、今夜の風は明らかにおかしい。重たい、禍々しい風だ。

(あいつがここに来てから、何もかもおかしくなった……)

 暗い窓の外を透かし見ながら、ダンニールは歯噛みをする。


 プラド村はようやくパニック状態から抜け出しつつあった。

 救助や救護がひと段落すれば、人々は失ったものを悲しむと同時に、怒りを噴出させる。この事件の真相究明を望み、元凶となったものへの罰を求めるはずだ。

 あの男――レイヤ・マイトさえ捕まえていれば、村人たちを納得させることは容易かっただろうが、今となってはもう遅い。条件付きとはいえ、彼は釈放されてしまった。皆が納得できる「犯人」を提示出来なかった時、怒りと不満の矛先は行政へと向かうだろう。


「見るからに不服そうな顔をしているな」

 背後から聞こえた声に、ダンニールの体が跳ねた。

 振り向き、声の主を確認するまでもない。夜を背にした窓ガラスは、室内の光を反射して鏡のようになっている。いつの間に部屋から出てきたベルメリオの姿も、窓に向かって眉をひそめていたダンニールの表情も、そこにはっきりと映し出しているのだった。


 体の向きを変え、即座に頭を下げる。「だから、そう畏まるなって」と彼は言うが、立場上、そして不満を抱いた表情を見られてしまった以上、こうするほかない。

「俺があの男を釈放したのが、納得いかないんだろう?」

 頭を下げたまま、「そういうわけでは……」と言い訳をしようとするダンニールの言葉は、「いや」と短い声で遮られる。

「構わないさ。俺はそこまで狭量じゃあない」

「しかし、審問官様に対して異論を持つなど、あってはならないことで……」

「硬いやつだな。しかし、そうだな……ちょうどいい。悪いと思うなら、ひとつ協力してくれないか」


 そろりと、様子を窺いながらダンニールは顔を上げる。ベルメリオはもうダンニールを見てすらおらず、その向こうの窓を見ていた。窓の先の闇を見通そうとしているのか、あるいは窓に映った光景を見つめているのかは分からない。

「協力、ですか」

 なぜそんな言葉を使うのか、ダンニールには理解出来なかった。協力も何も、ベルメリオはダンニールに対して命令出来る立場のはずだ。命令さえすれば、ダンニールは決して首を横に振れない。

 違和感はすぐさま不安に変換されるが、拒絶など出来るわけがない。

「お前には、レイヤ・マイトと共に化け物の追跡に当たってもらう。こっちは後から正式に命令を出す」

「……はい」

「だが、記録に残してはならないこともある。分かるな?」

「え、ええ……」


 ダンニールがうなずくと、ベルメリオは片頬を持ちあげ、懐から革袋を取り出した。手のひらにすっぽりと収まる程度の大きさの袋は、口を組紐で固く閉じられている。袋の形状から、何か丸みを帯びたものが入っているらしいということしか推察されない。

「これを持っていろ」

 革袋は、ダンニールの手へと渡る。

「ほかに知るべきことも、やるべきことも何もない。ただ、持っているだけでいい」

 厚い革越しに伝わる感触からは、中身を知るための情報は何ひとつ得られなかった。そもそも中身を知ろうとする好奇心すら、抱いてはいけないたぐいのものなのだろう。ダンニールは生唾を飲み込むと、「はい」と小さく返事をした。

 大きな力には、逆らわず流されるのが一番良い。ここイヴァナ平原で生まれ育った彼が、これまでの人生で身に着けた、最も重要な教訓だった。

「開けるなよ。開けた時にどうなるかなんて、俺も知らんからな」

 どんな脅し文句よりも恐ろしい脅しを付け加えられ、革袋を握るダンニールの手に汗が滲む。


 慄きつつも従順に受け取ったダンニールを見て、ベルメリオは満足げに頷いた。そして、窓に背を向ける。ダンニールが密かに安堵の息をついた時、「ああ、それと」と、まるでそのタイミングを見計らっていたかのように、ベルメリオが言った。

「レイヤ・マイトだが……事が終わったあとで良い。機会を見て殺してしまえ」

 その時、彼がどんな表情をしていたのか、もちろんダンニールには知るよしもなかった。

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