尋問
背中を突き飛ばされ、零夜は堅い石床の上に倒れ込んだ。後ろ手に拘束されているために頭をかばうこともできず、側頭部が石床に打ち付けられる。
ダンニールに拘束されたのち、零夜は錠を掛けられたまま頭布を被せられ、ほとんど引きずられるようにして連れてこられた。
「さあ、洗いざらい話してもらおうか」
誰かが、零夜の髪を掴んで引っ張った。顔をゆがめながら、零夜は目の前の男を見る。見覚えのない顔だったが、服装からしてゼーゲンガルトの役人であることは容易に推測できる。男の背後で、腕組みをしたダンニールが零夜を睨んでいる。
プラド村を襲った暴風は、今は嘘のように消え失せていた。逃げ惑い隠れる必要のなくなった人々は、ようやく救護と被害状況の確認へと着手する。破壊された家々、荒れ野のようになった畑。家畜は死に、そして人間も死んだ。その惨状が明らかになればなるほど、村には悲しみと、そして怒りとが蔓延した。
誰もこれが、自然と発生した災害などと思ってはいない。誰かが、災厄を村へ呼び込んだに違いない。誰が?
――考えるまでもないことだった。
「俺は、何もしてない」
歯を食いしばりながら零夜が言うと、言葉が終わる前に頬を張られる。口内が切れ、血の味が滲む。痛い、と思う前に次の一撃が飛んでくる。手を縛られているために防御をすることも出来ず、まともに受ける蹴りは脳と内臓をぐらぐらと揺らした。
「アランジャの者からの密告で、お前が何か企んでいることは分かっているんだ。意地を張ったところで痛い目を見るだけだぞ」
何度か零夜の背や腹を蹴った後で、低い声で男が言った。しかし、話そうにも零夜は「何もしていない」しか言うべき言葉を持たない。
零夜が何も言わずにいると、役人の男は苛立ったような呆れたような顔をして、ダンニールを振り返った。ダンニールは無言でうなずく。零夜は再び床に転がされ、拘束された腕ごと背中を踏みつけられる。ひやり、と冷たいものが指先に振れた。ダンニールが、昏い空色の目で零夜を見下ろしている。
冷たいもの――恐らく金属製の何かが、爪と指との隙間に差し込まれた。その意味するところに思い当たり、零夜の顔から血の気が引く。恐怖の色がはっきりと見て取れたのだろう。ダンニールが勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「本当のことを言え。この村に異端が発生したのも、あの化け物が村を襲ったのも、お前が関係しているんだろう? 一体誰の差し金なんだ? アランジャの連中か、カノヤの者か……」
金属が、指先に食い込んでいく。「ちがう」と答えた零夜の声は、震えていた。
「俺は何も知らない。俺は、」
ダンニールが、零夜の背を押さえつけている男に目配せをした。それから一息置いて、
びり、と嫌な音が、肉体を這った。
薄暗い部屋に絶叫が響く。零夜は生まれて初めて、我を失って叫んでいた。剥がされた人差し指の爪の痕から、背骨を伝って脳髄まで、熱と激痛とが這い上がってくる。腕の筋肉が痙攣し、激痛の元凶を振りほどこうとするが、男の体重と拘束具に阻まれてそれも適わない。
零夜は意味をなさない音声と唾液とを吐きながら、堅い石の床に頭を打ち付けた。額の肉が削げたが、それすら指先の痛みを紛らわせるには至らなかった。電流のような激痛は、全身の内側を何度か反響しながら、徐々に減衰していく。ただ爪を剥がされた右手の人差し指には、誤魔化しようのない痛みと熱とが残っている。
「もう一度訊く」
零夜の呼吸が落ち着くのを待ってから、ダンニールが言った。粘度の高い、張り付くような声色だった。
「お前は……何者だ?」
右手の中指に金属が触れた。「嫌だ!」喉が潰れるかと思うほどの声で、零夜は叫ぶ。
「嫌だ、俺は何もしてない。ほんとに、ほんとに知らないんだ。嫌だ、やめて、いやだ、いや――」
泣こうが叫ぼうが容赦などなく、金属の工具は爪と肉とを引き剥がしていく。今度は一気に剥がさずに、爪は根元を残したまま指先にぶら下がった。悲鳴が枯れると、零夜の喉からは、泣き声ともうめき声ともつかない音しか漏れなくなる。
それでも何も「白状」しようとしない零夜に、ダンニールは忌々しげに「強情な奴だ」と呟いた。
涙と鼻水とよだれに汚れた顔を床にこすりつけ、零夜は震えた息を吐く。強情なのではなく、自白すべき事実を持たないだけだ。
お前は何者だ。カノヤの密偵か、あるいは人間ではない何かなのか。お前が子供を異端にしたんだろう。お前があの化け物を村に呼び寄せたのだろう。お前がすべての元凶なのだろう。
……何ひとつ答えられない。「違う」か「知らない」しか、零夜の話せることはなかった。そしてそれは、零夜を全ての元凶と信じて疑わない彼らにとっては、口を堅くつぐんでいるのと同義なのだった。
「聞いて、いるのか?」
腹部を蹴り上げられ、零夜は仰向けに転がった。内臓が痛んだが、爪を剥がされるよりはましだ。達観にも似た絶望に、零夜は空咳をする。
「僕の管轄地を荒らした報いは受けてもらうぞ。この――化け物め」
嫌な角度で腕を持ちあげられ、ごきんと鈍い音がした。関節が外れたらしい。引きつるような痛みが、肩から首の方まで広がっていく。苦悶の表情を浮かべた零夜の体を、ダンニールは容赦なく蹴り上げる。再び、零夜が嘔吐した。もはや胃液しか吐くものはなかった。
(本当に……俺は本当に、なにもしてないのに)
いくら無実を訴えても、誰の耳にも届かない。疑わしい人間の言うことは、全てが嘘なのだ。なぜ疑わしい? 素性が知れないから。よそ者だから。見た目が異質だから。
そう、見た? あの顔のあざ。気味が悪いったら……。
プラド村の人々が、零夜を横目に見ながらひそひそと話していた声が、頭蓋骨の内側に反響する。
鼻梁を伝った涙が、傷にしみた。全身が信じられないくらいの痛みに襲われているのに、こんな些細な痛みが気になることが不思議だった。
(もう嫌だ……もうたくさんだ。だったら俺はどうすれば、「本当のこと」を伝えられるんだ?)
痛みのためか、零夜は嘔気に息を詰まらせ、再び胃液を吐き戻した。吐瀉物のつんとした臭いと、内臓が痙攣する感覚とを感じながら、キヤの言葉を思い出す。「死ぬなよ」とキヤは言った。しかし、このままでは危ない。
もはや彼らの中で、事実は確定してしまっている。すなわち零夜は化け物の仲間であり、なにか意図があってプラド村を破壊した。その「事実」を零夜が白状しない限り、零夜の心身が擦り切れるまで、零夜を痛めつけ続けるだろう。しかし苦痛に耐えかねて「事実」を事実であると認めれば、刑罰としての死が待っている。いずれにせよ、死は目前にある。
(死ぬ? 死ぬのか、こんなところで……)
だめだ。と、零夜の頭の中に声がした。それはほかでもない零夜自身の声だった。だめだ。何をしてるんだ。強い語調の声が、零夜を叱咤する。
これまでに何度も――ミトラに食われかけたときも、大山風の楔と対峙したときも、何度も思ってきた。こんなところで死ぬわけにはいかない。やるべきことを残したまま、一方的にやられるばかりで死んでいくなど、許されるわけがない。
零夜の手の内には、力がある。
零夜は、閉じていた瞼を薄っすらと開いた。顔面の傷が開いたのか、目に血が滲んで視界が暗い。しかし、意識ははっきりしている。
良かった。
こんな時だというのに――自分でも驚くべきことだったが――零夜は笑っていた。
良かった。まだ抵抗できる。
「何を……笑っている?」
ダンニールは笑いながら、足で零夜の肩を小突いた。痛みと恐怖に、零夜の気が違ったとでも思ったのだろう。しかし零夜の顔を覗き込んで、その認識が間違いであったことをすぐに悟ることとなる。
心を折られたものの目では、決してない。ダンニールを見つめ返すその目に、怒りも憎しみもないことが、ダンニールにはかえって不気味に感じられた。
「お、お前……」
「
祝福の言葉を呟くと、零夜の内側に熱がこもった。しかし、熱は肉体の範疇外には広がろうとしない。両手首を戒めるイマジア抑制拘束具が、効果を発揮しているようだ。
ダンニールはわずかの焦りを見せたものの、何事も起こらないことが分かると、安堵の混じった嘲笑を浮かべる。
「無駄だ。その拘束具は、神都製の特注品だからな。異端審問官並みのイマジアの使い手でも、破ることは不可能だ」
ダンニールが何を言おうとも、零夜の心は乱れなかった。この身の内に燻る熱は、こんなものではない。こんなものではないはずだ。
硫黄の匂いを伴った、あの途方もない熱。有機物を炭化させ、大気を膨張させ、金属を溶かす、暴力的な熱。
そうだ。熱というものは、あらゆるものの原型を失わせる。零夜は指先で、手首に掛かっている拘束具に触れた。
金属製だろうか。あるいは、何か石のようなもので出来ているのか? 熱を指先に集中させ、指の腹で拘束具の表面を撫でる。そして再び、祝福の言葉を紡いだ。
熱と硫黄の化身。あらゆるものを燃焼させ、原初の姿へと変貌させるもの。
彼の名は――
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