刃の向かう先
「レイヤ、起きろ。朝だぜ」
雑に揺り起こされて目が覚めた。布団の中でもぞもぞと動き、覚醒への準備を始めたばかりの零夜の耳元に、キヤは「朝だぞー、起きろー」と容赦のない大声を浴びせる。
「……起きてるよ、おはよう」
「おう、おはようさん。疲れは取れたか? 昨日遅くに起き出してたみたいだが、ちゃんと寝たか?」
「え、あ、気付いてたのか」
零夜が驚くと「まあな」とキヤは笑う。「物音がしたらたいてい起きる。で? ティエラと二人で何の話をしたんだ?」
「そ、そこまで分かるんだ」
「いや、今のはカマかけただけだ」
切れ長の目がにやりと細められる。油断も隙もあったものではない。
キヤのかけたカマに見事に引っかかった零夜は、別に隠すようなことでもないと、昨晩の出来事をかいつまんで話した。外にダンニールの姿を見付けて、興味本位で話しかけに行き、一悶着起こしてしまったこと。その帰りにティエラと鉢合わせ、少し話をしたこと。
ダンニールの境遇については、余り他人にぺらぺらと喋るようなことでもないかと思い、黙っていた。キヤは起き抜けの一服を吹かしながら、時おり「ふうん」と気怠げに相槌を打つ。
「お前って案外、厄介事に首を突っ込みに行く
「そんなつもりはないんだけど……」
「もっと鼻をきかせろよ。ほら」
キヤが、わずかに上を向いて鼻をひくつかせた。
「肉が茹でてある匂いだな。朝飯だ、行くぜ」
彼にならって、零夜も短く息を吸い込んで匂いを嗅いでみる。たしかに、茹だった肉に独特の、籠もった旨味の匂いがした。
「え、ホントにやるの?」
朝食後、準備運動を済ませた零夜の呟きに、ティエラは清々しいほどの笑顔で「そうだよ」と返した。
「レイヤ、冗談だと思ってたでしょう? やるに決まってるじゃない」
昨晩、寝る前に交わされた「明日は私と訓練をしよう」という言葉は、冗談でも社交辞令でもなかったらしい。
元気いっぱいに屈伸をするティエラは、普段は流すままにしている長い髪をひとつにまとめ、明らかにやる気満々である。零夜は困り顔でキヤに視線を送った。それは「どうにかしてくれ」という意思表示であったはずなのだが、キヤは「良いんじゃねえの」と呑気に頷く。
「確かに、たまには違う動きも相手にしねえとな」
同じ相手ばかり追っていては、動きがパターン化されて身体に染み付いてしまう。理屈は分かるのだが、問題はそこではない。年下の、しかも女の子を相手に戦闘訓練をするなど、零夜の常識ではとても許容できるものではないのだ。
本当にやるのかと何度訊いても、キヤは「もちろん」としか言わなかった。ティエラは平然としているが、零夜は心配でしかたない。草原育ちの彼女が逞しいのは充分に分かっている。騎馬や弓の腕ならば、競うまでもなく彼女の方が上だろう。しかし……
「剣の訓練なんだよ?」
「あら。私、剣も上手よ。なんてったってアランジャいちの剣の達人、ナランに稽古をつけてもらってるんだからね」
「でも、男性と女性だと筋力の差もあるし、女の子と本気で戦うっていうのは、ちょっと……」
全く乗り気でない態度の零夜に、「いいわ」とティエラの声が挑発の色を帯びる。
「レイヤが本気で来なくても、私は本気でやるから」
困ったな、というのが零夜の正直な感想だった。案の定、キヤの号令と共に始まった戦闘訓練は、いつも彼を相手にするのとでは全くレベルが違っていた。
キヤとティエラとでは、一回りも体格が違う。ティエラの打ち込んでくる一撃は、キヤが片手で打ち出す一撃にも勝らない。零夜が全力で木剣を振り下ろしても、キヤはそれを軽く剣の腹で止めるが、ティエラは両手で剣を支え、足を踏ん張って受けなければならなかった。
キヤとの戦闘訓練は、たいてい零夜がバテるか、どちらかが武器を失って終了となる。手元に近い側を強く叩いて、剣を取り落とさせよう。
穏便に終わらせるための作戦を決め、狙いを定めようと零夜はティエラの手元に視線をやった。剣は振り上げられ、天頂で力を溜めたのち振り下ろされる。その軌跡を読み、効果的な一撃をもって剣を弾き返す。
(よし、次でいける!)
再び、ティエラが大きなモーションを取った。それに合わせて、零夜も予備動作を始める。しかし――彼女の剣は、零夜の予想の範囲外に動いた。
これまで彼女が繰り出してきた攻撃とは全く違う。大きく円を描くように真横に振られた剣は、真円の軌跡をなぞって零夜の脇腹を狙う。
「うっ!」
慌てて予備動作を切り替え、その一撃を受ける。決して重たくはない。むしろ軽すぎる。剣はすぐに零夜から距離を取り、次の一撃へ向かう。また円を描く……かと思いきや、剣先はS字に似た曲線をなぞる。
(軌道が読めない!)
剣がどこから襲いくるか全く分からず、零夜は間合いを取ろうと背後へステップを踏んだ。その動きを見て、ティエラは爪先を地面へ食い込ませた。
朝露を吸って柔らかくなった土は、ブーツの丈夫な靴先にえぐられ、容易くめくれ上がる。ティエラが足を高く蹴り上げると、土の塊は崩壊しながら零夜の目の前を舞った。
「うわっ!」
そこでほとんど、勝負はついたようなものだった。背後へ跳ぼうとしたタイミングで虚を突かれた零夜はバランスを崩す。それは転倒するほど決定的な
重心を見失った零夜に、ティエラの木剣が襲いかかる。防御のために構えた剣と、ティエラが放った一撃とが交差する。その時、零夜は自分の剣に奇妙な力がかかるのをはっきりと感じた。
ティエラの剣からかけられる力は、零夜の力に逆らうわけではなく、しかし構えた剣の向きを確実に変えていく。あっと思う間もなく、零夜の剣の切っ先は内側を向いた。そこに打ち込むような一撃を喰らい、零夜自身の剣が零夜に襲いかかった。
「……勝負ありだな」
キヤの声は笑ってはいなかった。防御のために構えたはずの剣は零夜の首を掠め、両手を離れて地に落ちた。
一体何が起こったのか、状況を整理しようと努める零夜に、ティエラが手を差し出した。その手を取って立ち上がると、ティエラは「ね、」と微笑みながら言った。
「私、剣も上手でしょ」
零夜が返事をする間もなく、ティエラは零夜の手を引いて歩き始める。
「あー疲れた。汗かいちゃった。ちょっと顔洗ってくるね。行こ、レイヤ」
その場に木剣を残したまま、二人はプラド村の方へと歩いていった。
「アランジャ剣技か……」
二人の後姿を見送って、キヤは木剣を拾う。投げたり回したりして、しばしもてあそぶ。それに飽きると、キヤは大きく息を吐き、そのまま瞼を閉じた。キヤの沈黙に合わせるかのように、草原を流れていた穏やかな風も鳴りを潜める。
ほんの数秒の間、完全な静寂がキヤを包んだ。やがて静止に我慢できなくなった風が、彼の髪の毛をざわりと揺らす。そのタイミングで、キヤは紅い目を見開いた。空気を切り裂く高い音と共に、切っ先は真円を描く。次にS字の軌道。ついさっきのティエラの動きを、ほぼ完璧に再現する。
「……うん、よし」
それで満足したのか、キヤはもう一振りの木剣も拾い、二人を追ってプラド村へと向かった。
冷たい井戸水に、なかば呆然としていた意識がようやく冴えてくる。
零夜はティエラに負けた。それも手加減云々の話ではなく、明確な技量差で圧倒されたのだ。悔しさよりも恥ずかしさがあった。彼女を見くびって吐いた言葉の数々が、羞恥をともなって零夜をつつく。
ティエラはと言うと、得意げになっているかといえばそうではなかった。柔らかな布で顔を拭う彼女は、汗を流して清々しげに目を細めている。そしてその陰に、昨夜一緒に話をしたときの、その延長線上にある表情が見え隠れしていた。
「ティエラ。あのさ……ごめん。俺、ティエラは俺より弱いと思ってた」
「うん、そうだと思った。でも、別に良いのよ」
いたずらっぽくはにかんで、ティエラは靴の先で地面をこする。水滴が地面に描いた水玉が、ブーツの裏にかき消されていく。
「私たち女にとって、『なめられてる』ってのは好ましい状況なの。真っ向勝負の力比べじゃ、男の人にはとても敵わないもの。女だからって見くびってくる相手は、むしろやりやすいっていうわけ」
「よく分かったよ」
「……ううん、レイヤは分かってないと思う」
真正面からの否定の言葉に、零夜は思わず俯いていた顔を上げた。ティエラも、足元に落としていた視線を零夜に向けている。
「レイヤが思ってるよりも、もっと深刻な話なのよ」
ティエラの手が、零夜の首元に伸びた。身を引こうとした零夜を視線で牽制し、彼女が触れたのは左の首筋。木剣の刃が掠めた部分だ。
「もしあれが真剣だったら、レイヤは死んでた」
戦闘訓練用の木剣が、もし本物の刃物だったら……零夜は頸動脈を斬り裂かれ、恐らく即死していただろう。その光景を思い描くと、斬られた首筋になんとも言えない怖気が走った。ごくり、と音を立てて唾を呑む。
「遊び半分で、戦闘訓練なんて言い出したわけじゃないのよ。ただ昨日の夜、レイヤと話してて……不安になったの。この人、異端が出たら真っ先に殺されちゃう、って」
異端。その単語に零夜の肩が緊張する。
「レイヤは誰かのことを、すぐ『可哀想』って思うでしょ。さっきだって、そう。女の子相手に本気を出すなんて、怪我でもさせたら可哀想だ……そう思ってたんじゃない?」
反論できなかった。彼女の言う通りだった。
「同情するのは、別に悪いことじゃないわ。でも……」
木漏れ日に、青い瞳が揺らいだ。わずかに眉間に皺を寄せ、切羽詰まったような気迫を見せるティエラの目には、零夜の死が見据えられていた。
「異端の子は、みんな可哀想だよ。まだ子供だし、好きで異端になったわけじゃない。その『可哀想な』子たちを前にして……レイヤはちゃんと戦える?」
何か言おうと開いた唇からは、何の言葉も出てこなかった。
異端が零夜の目の前に立ちはだかったとき、零夜は剣を握ることが出来るだろうか。彼らに刃を突き立てることが出来るだろうか。そもそも、人間を斬ったことなど一度もないというのに……。
「困らせてごめんね。でも、覚悟はしておいて欲しくて」
覚悟。その単語を口の中だけで呟いた。右手には、さっきまで握っていた木剣の感触がまだ残っている。人間を相手に、刃を構えるということ。ミトラを相手にするのとでは、天と地ほども違うのだろう。どう違うのだろうか。零夜は自問する。どんな覚悟をすれば、異端とはいえ十五歳にも満たないほんの子供を、殺すことが出来るようになるだろう。
「……ティエラは、」
異端を殺せる? そう訊こうとしたが、どうしても口には出来なかった。彼女からは、きっと肯定の言葉が返ってくるだろう。それが恐ろしかった。
「……ねえ、お腹すいた!」
ワントーン高くした声で、ティエラが唐突に言った。「お腹すかない?」と畳み掛けるように尋ねられ、零夜は勢いに押されるままにうなずく。
「この間スジュが買ってきてくれたパン、すごく美味しかったよね。あのお店で何か買って、休憩にしよ?」
「う、うん。そうしようか」
じゃあ、キヤを呼びに行かなきゃ。そう言おうとした時、ちょうどいいタイミングで「おーい」と大きな声が空間に割って入った。
片手に木剣をまとめ持ち「俺を締め出す算段かあ?」などと言いながらやって来たキヤに、零夜は軽く手を振る。
「キヤ、お腹すいてない? キヤは運動してないし、すいてないか」
「ん? なんだ、食い気の話か。休憩にするなら、もう一戦やってからにしようぜ」
「それって、キヤが俺をこてんぱんにしたいだけじゃないか?」
「身体動かしてーんだよ」
木剣を投げて寄越しながら、キヤが言う。
もう一戦することに異論はないが、ここは宿の裏庭。井戸の目の前だ。場所を変えようかと提案する零夜に、キヤは「いや」と首を横に振る。
「狭い空間での戦闘も考慮しておくべきだ。そうだろ?」
「そりゃ、まあ」
そんなことを言っているうちに、ティエラは少し離れた日陰に座って「二人とも、がんばれー」と、のんびりした応援を始めている。
彼女の声が聞こえたのだろうか、何事かと裏口から顔を出したのはスジュだった。裏庭で何が行なわれているかを理解するなり、彼の頬に赤みがさす。
「うわあ、うわあ! レイヤ兄ちゃんとキヤ兄ちゃん、戦うの? うわあ、どっちが強い?」
「俺に決まってんだろー」
余裕綽々のキヤとは対照的に、零夜は「しまった」と肩を落とす。自分を慕ってくれている子供の前では、良い格好をしていたい。そういうちょっとした見栄のようなものは、零夜にもある。
スジュは、皿を拭いていたのであろう布巾を手に持ったまま、ティエラの隣にちょこんと座った。
「ね、スジュ。どっちを応援する?」
「んー、キヤ兄ちゃんの方が強そうだから、キヤ兄ちゃん!」
子供はよく見ているものだ。と言っても、まず零夜とキヤとでは体格からして圧倒的な差があるのだから、当然といえば当然なのだが。
「じゃ、私はレイヤを応援しよっと。がんばれー」
「がんばれー!」
ふうん。とキヤが意味ありげな視線を零夜に向ける。
「こりゃ、負けらんねえな?」
「うるさいな」
口を尖らせると、キヤだけでなくティエラまでおかしそうに笑う。それがまた気恥ずかしくて、零夜は尖らせた唇をちょっと舐め、横一文字に引き締める。
訓練開始の合図。昼前の空の下に、木剣のぶつかり合う乾いた音が響いた。
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