審判の鐘の音



 午後からはイマジアの制御訓練をすると言われ、零夜ががっくりと肩を落とすのも無理はなかった。現状、零夜にとって「イマジアの訓練をする」とは「どう頑張っても上達しない課題に取り組む」ということであり、そこにかかる精神的負荷は相当のものだ。

「気持ちは分かるが」

 と、キヤが零夜を慰める。

「いつ暴発するか分からん能力なんざ、迂闊に使えないだろ。お前のイマジアは強力なんだ。モノにすれば、必ず身を助ける」

「分かってる」

 零夜の表情はなお暗い。キヤの話を聞く姿勢も、どことなく猫背気味で覇気がない。

「イメージの方向性を変えてみるか。この間は暴発したから、まずはロウソクの炎くらい小さなところから……いや、逆に難しいか……?」

 これまでの訓練内容を踏まえてあれこれ話しているうちに、ギャラリーが集まってくる。とは言ってもいつもの顔ぶればかりだ。ティエラにカルム、アリエとスジュ。ソーグは時々仕事の合間にやってきては、「うちの子らにも、そろそろイマジアの稽古をつけさせないとな」などと呟く。

 そんな中で、先の見えない訓練に光をもたらしてくれたのは、カルムの一言だった。

「言葉が強すぎるのかも知れませんね」


 零夜は当然、なんのことかさっぱり分からず首を傾げる。しかしキヤには心当たりがあるらしく「ああ」と同意半分、否定半分の声を出した。

「イマジアの威力や形態は、イマジアを呼び出す言葉によって変化します。キヤさんも、心当たりがあるでしょう?」

「そりゃ出力を調整するのに、ちょっと言葉を変えたり付け足したりはするが……だがそういうのは、まず基礎呪文が板についてからの話だろ?」

「そうとも限りません。レイヤくんの場合、基礎呪文が本当に基礎呪文なのか、そこから疑問が残りますし。少し言葉を整理してみましょう」

 零夜、キヤ、カルムの三人……そこに興味本位でついてきたティエラも加わった四人は、連れ立って草原に繰り出し、円になって腰を降ろした。カルムだけが、草の中に突き出した小さな白い岩に腰を降ろしたので、一見して隠者に教えを請う牧童三人、といった光景になる。


「レイヤくんの呪文は『クァレ・イスタ・イムニヤ』……『我が名をこそ讃えよ』ですね」

「なかなか強烈な呪文よね」ティエラが肩をすくめた。「神都にいるえらーい神官様だって、こんなに強い言葉は持たないんじゃない? 神の名を讃えよ、なら分かるんだけど」

「……これってもしかして、結構アレな呪文だったりする?」

「レイヤって、いっつも遠回しな言い方するよね。結構アレどころか、トリディア教の偉い人に聞かれたら怒られそうな呪文よ」

「怒られるで済めば良い方だな。最悪、不敬罪で投獄か処刑か……おいおい、そんな顔すんなって! 小声で唱えりゃ良い話なんだからさ」

 青い顔をして黙り込んだ零夜の背中を、キヤがばしばしと何度も叩く。

「でもまあカルムの言う通り、確かに言葉が強すぎるかもな。そのせいで、イマジアがコントロールできなくなってるのかもしれん。少し言葉を変えてみるか……しかし……」

 キヤは零夜を見たまま黙り込んだ。

「イマジアの出自が分からん以上、どう変えていくか見当もつかんな」

「イマジアの出自って?」

「力の発生源……イメージの大元だ」

 キヤが指を立て、小さく呪文を唱えた。細い雷撃が空に伸び、頭上高くで花火のように弾ける。


「俺の生まれは高山でな、天気が荒れると集落全体が雲に覆われた。雲から雲へ、細い光が縦横無尽に駆け巡る……俺はそういう光景を見て育った。それが、俺が持つ雷のイマジアの大元……俺の原風景だ。だから呪文を変えるにしても、『ルシャ閃け』の部分は残しておかないと、全く使い物にならなくなる」

「なるほど。ティエラは?」

「私は骨とか角、ひづめとかかな。だから、何かを支えたり覆ったりするものを作るのが得意なの。基礎呪文だと最初の二単語は『クーベ・ネイン護り、紡げ』だけど、状況に応じて変えることもあるわ。特に、食器とか楽器を顕現させる時なんかは、基礎呪文のままだとイメージしづらくって」

「ふうん……」

 よく分かっていないふうに頷く零夜の隣で、キヤが苦笑する。

「とにかく、イマジアの出自が分かれば呪文のアレンジもしやすいんだが……レイヤ、なんか心当たりはないのか?」

 黙り込んで、零夜は考える。初めて意識してイマジアを行使したとき、頭に思い浮かんだのは硫黄の匂いだった。家族旅行で温泉に行った時の、卵の腐ったようななんとも言えない匂い。

 しかしその家族旅行に、あれほどの威力の炎に繋がるようなイメージが付随しているかと言われると、肯定は出来ない。


 答えを見付けられず黙ったままの零夜に、「単語から考えて行きましょうか」とカルムが助け舟を出す。

「我が名をこそ讃えよ……ここで言う『我が名』とは、一体誰のことだと思いますか?」

「それは、多分……アイラ」

 その名前を出した瞬間に、キヤとティエラがわずかに緊張したのが分かった。我が名をこそ讃えよとはよく言ったもので、楔の山で起こった一連の出来事だけで、アイラの名は多くの爪痕を残していったようだった。

「話は聞いています。レイヤくんにそのイマジアを分け与えた人物ですね。そして、レイヤくんの身体を、一時的に支配したという」

 カルムは首を傾げ、少し考え込んだ。彼の目には闇しか見えていないはずだが、時おり何かを見定めるかのように、めしいた双眸を零夜に向ける。

 零夜がイマジアの制御訓練に汗を流すのは、もちろん異世界を生きていく上で必要だからという理由もあるが――それ以上に、イマジアをコントロールし自分のものにしてしまえば、アイラに身体を支配されないのではないかと、淡い期待を抱いているためだった。

 自分の身体なのに、思うように動かない。自分自身の手で誰かを傷付け、その感触もありありと感じながら、それを止めることは叶わない。あんな惨めで苦しい思いは、もう二度としたくなかった。


 その期待の中に、カルムは僅かな光を投げ込んだ。

「呪文を変えれば、アイラという人物からの干渉もいくらか抑えられるかもしれません」

 彼の説明によるとこうだ。クァレ・イスタ・イムニヤ――『我が名をこそ讃えよ』と宣言することにより、本来はアイラのものであった青き炎を、零夜自身の力として使役することができる。しかし同時に『我』と断じることにより、言葉を発した零夜と、力の根源であるアイラとのがなされているのではないか……。

「じゃあ、『我』の部分を『彼』に変えてみるとか? えーと、クァレ・ュルスタ・イムニヤ?」

「強調の部分や、讃えるって言葉も抜いた方が良くないか? 青き女神を否定してるとも取れるし、支配権はあくまでこっちにあるとして……」

「そうしたら、元の呪文から離れすぎちゃうと思うな。元々レイヤのイマジアが、他人のものだってことは事実なんだから……」

 知識の埒外に置かれ、零夜が口を挟む隙はない。その代わり、キヤとティエラが口にする単語を何度か脳内で繰り返し、少しでも知識を吸収しようと務める。

 話し合いの結果、呪文は『彼の名を讃えよ』に軟着陸した。キヤは『讃えよ』という単語に最後まで抵抗していたが、「その文言こそが呪文のかなめであり、恐らく外すことはできない」というティエラの意見に押された形だった。


 新たな呪文を胸に、零夜はいつもの練習場所に立つ。キヤはおなじみの塹壕の中に隠れ、ティエラとカルムは万が一の時のため、離れた場所に退避した。

 深呼吸をして、零夜は自分の腹に手をあてた。この奥に息づいている、熱く凶暴な生命の塊。それを真の意味で自分のものにするための、これは第一歩だ。

「――よし、いくぞ」

 自分で自分に合図を送り、零夜は一言一句はっきりと、呪文を紡いだ。

クァレ・ュナ・イムニヤ彼の名を讃えよ!」

 一瞬、浮遊感のようなものがあった。内臓だけが元の位置に置き去りにされるような、奇妙で不快な感覚。零夜は反射的に腹に力を入れた。連日の戦闘訓練で酷使され続けている筋肉が、鈍い痛みを主張する。

(この身体は、俺のものだ)

 両足の裏に感覚を集中する。浮遊感は間断なく零夜を惑わせ続けるが、足は確かに地についている。

(俺が支配者だ。あんたじゃない)

 その時、くつくつと喉の奥を鳴らす、愉快そうな笑い声が聞こえた。左右に視線を走らせるが、誰もいない。誰もいないだろうことを予感していた零夜は、やはり、と腑に落ちた気持ちで目を閉じた。赤っぽい闇の奥に、かすかな熱を感じた。熱は温度を上昇させながら、次第にその境界線を広げていく。


 ――ならば、せいぜい一人でやってみると良い。


 声が聞こえた。誰の声かなどと考えるまでもない。アイラの声は零夜の右耳をくすぐり、からかうように首筋をひと撫でして、そして消えていった。あとに残ったのは、行儀よく直上に火の粉を飛ばしながら燃える、ひとつかみの青い炎だけだ。


「やったな! レイヤ!」

 塹壕から顔を出したキヤが、歓喜の声を上げた。何のことか、と零夜が目を開けると、零夜の手には確かに、青い熱がおさまっていた。これまでになく安定した青い燃焼は、手のひらの領域を決して越えようとはせず、命令を待機するようにじりじりと低い音を立てている。

「やった……?」

 実感がなく、零夜は炎の灯った手を高く空へ掲げた。風が吹き、炎を揺らしていく。それでも熱は散らされることなく、手のひらに留まり続ける。

「やったあ、レイヤすごい!」

 ティエラが大喜びで、手を振りながら駆け寄ってくる。

「やった……」

 ガッツポーズをするように手のひらを握ると、青い炎は抵抗もせずに、なされるがままにかき消えた。かすかな硫黄の匂いが、零夜の鼻腔をくすぐった。

 身の内にある強大な力を、支配することに成功した。熱と硫黄の化身は、己の力の一部を零夜に明け渡したのだ。


「さっすが、俺の弟子!」

「いてっ!」

 背中を思い切り叩かれ、零夜は小さく抗議の声を上げた。キヤは気にする素振りもなく、「俺の指導のおかげだなー!」などと言いながら、零夜の髪を乱暴に撫でる。明らかに髪を乱すことを目的とした手付きだったが、不快な気持ちはなかった。

「ちょっと! これはキヤだけじゃなくて、私とカルムの手柄でもあるでしょ!」

 師匠ぶったキヤの発言に、ティエラが頬を膨らませる。彼女に手を引かれて来たカルムが、「一番は、レイヤくんの功績ですよ」と微笑んだ。



 長く伸びた草の陰で、夜を待ちきれないミトラがかすかな発光を始めた。風のひとふきが涼やかになり、夕暮れが近いことをいち早く知らせる。

 確かな手応えと喜びを噛み締めながら、零夜は肺いっぱいに草原の空気を吸い込んだ。硫黄の名残はとっくに風に散らされ、青々とした若草の香りの中に溶かされてしまっていた。

 プラド村へ続く小道を帰りながら、久しぶりに――本当に久しぶりに、零夜は晴れやかな気分でイグ・ムヮの風を受けていた。

 ここ数日で、零夜は確実に力を付けている。キヤの戦闘訓練に耐えうる体力と筋力、そしてようやく光明の見えてきた、イマジアのコントロール。キヤは自分のことのように嬉しそうに「及第点突破ってとこだな!」と零夜の背を叩いた。

「やるじゃねえか。これだけ出来りゃ、旅をしてもお荷物にはならんだろ。よくやったな、レイヤ」

 褒められ慣れていない零夜は頬を染め「キヤのおかげだよ」と照れ笑う。見上げた空は抜けそうに高い。疲れと充足感、自分を誇りたくなるようなくすぐったい気持ちが、空の透明感を更に美しく彩っている。


「よーし、今日は何か美味いもん食うか! 特別だ、俺がご馳走してやるよ」

「えっホント? やったー!」

「おいこら、レイヤの分だけに決まってんだろ!」

 キヤとティエラにもみくちゃにされながら、零夜はプラド村への帰路を急いだ。教会の鐘楼が、夕日と呼ぶにはまだ白っぽい光を受けて、風景の中に浮かび上がっていた。

 昼と夕とを繋ぐ時間帯。頭上には美しいグラデーションが表れ始める。東の空はネモフィラを敷き詰めたような明るい水色。最も夜に近い西の空は、夕焼けの赤を備えるための柔らかなとき色。

 西と東、二色の空を繋ぐように伸びるすじ雲を、なんとなしに目で追った。そのまま零夜の視線は、村で一番高い建物、教会の鐘楼へ留まった。真っ白な外壁は西の空と同じ色に染まっている。

 質素だが威厳のある佇まいに目を奪われたその瞬間――……鐘の音が響き渡った。


 それは、これまでに聞いたことのない音だった。

 夕刻を告げる時報の鐘よりずっとけたたましく、ひび割れている……泣き叫ぶような音。さっきまでの高揚は一瞬にして吹き飛び、零夜の全身が総毛立った。これは、。何故だかそう確信した。

 その確信を裏付けるように、微笑を浮かべていたはずのキヤの顔が堅くこわばっている。驚愕、緊張、恐怖――それらをないまぜにした表情。

「審判の鐘だ……」

 キヤが呟く。生唾を飲み込む音が、いやに大きく鼓膜を震わす。

「この村の子供のうち、誰かが――異端になった」


 鐘の音は三度繰り返された。三度目の音が空に消えるころには、村中の家という家から人々が顔を出していた。おのおのの恐怖で全身を染めながら、彼らはみなそびえる鐘塔を凝視する。

 そして誰も一言も発することなく、子供たち――今にも泣き出しそうな顔をしている彼らの愛し子たちに、怯えた目を向けた。その小さな身体の中に詰まっているのは、果たして彼らの愛する幼子の精神なのか、それとも――。



 日が沈む。空の青は夕焼けの赤に塗りつぶされる。西から斜めにさす光が、異様な空気に包まれたプラド村を赤く染め上げた。

 血のように赤い、燃えるような夕日。既視感を覚え、零夜は背後を振り返った。どこからか、細く高いクジラの歌声が聞こえたような気がした。


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