ほころび(1/2)


 気の重くなる話を聞かされ、ただでさえ前途多難な状況に更に暗い影がさしたものの、今やるべきことが変わるわけではない。

 零夜はとにかく、強くなる必要があった。これからどんなことがあろうとも、最善の方向へ進むためには、道を開拓する実力を備えていなければならないのだ。

 肉体と精神を限界まで動かし、食事をし、眠る。それだけの生活が始まった。午前は戦闘訓練、午後からはイマジアの制御訓練。少しでも心身を鍛えなければならない。この世界に、異端という脅威が存在すると知った今、強さを希求する思いは増すばかりだった。



 最初の一日だけで、疲労は身体の芯までたっぷりと浸透した。休む間もなく迎えた二日目は、繰り越しの疲労に加えて「慣れてきたんじゃないか?」というキヤの(加減の全く分かっていない)判断により更なる特訓メニューが追加され、とうとう零夜は嘔吐した。ティエラや宿の子供たちに見られていなかったのは幸いだったが、これにはさすがのキヤも「すまん……」と謝らざるを得なかったようだ。


 イマジアの制御訓練もあまり捗らず、青い炎は暴発と沈黙とを繰り返した。日に日に蓄積する疲労を回復するために、いつも以上の休息も必要となり、理仁の情報を集めるために歩き回ることも出来ない。一進一退だと言えればまだましだが、一進しつつ二歩も三歩も後退しているような、そんな気分だった。


 しかし目に見える進歩はないにせよ、愚直に足踏みを続けていれば、多少なりとも変化は訪れるものだ。

「あんた、ミトラ学者なんだって?」

 午前の戦闘訓練を終え、冷たい井戸水を一気飲みしている最中に話しかけられ、零夜は軽くむせこんだ。何度か空咳をしてから、「はい」と返事をする。

 男たちは二、三人で連れ立ち、零夜に話しかけるタイミングを伺っていたようだった。彼らは互いに意図をはらんだ視線を交わす。「ミトラ学者」という、彼らにとっては得体の知れない肩書きを背負っている零夜に対して、どういった態度を取るか決めかねているという様子だ。


「あー、それはつまり、ミトラに詳しいってことだよな?」

「はい。まあ……」

 零夜が答えると、男たちは意を決したように顔を見合わせた。

「ちょっと見て欲しいミトラがいるんだが、頼めるかい? 手に負えないやつがいるんだよ。もう何人も怪我させられてる。駆除しようと思ったんだが、面倒なことになっててな」

 日陰で涼んでいるキヤに小声で相談すると、キヤは「良いんじゃねーの?」と軽い調子で言った。

「行って来いよ。恩を売っとけば、村の連中の態度も多少は軟化するかも知れんしな」

「でも俺、ミトラ学者じゃないんだけど……」

「馬鹿。そんなの適当に誤魔化しときゃ良いんだよ。どうせ分かりゃしねーんだから。ほら、行くならさっさと行ってこい」

 キヤに背中を押され、零夜は不安を引きずりながらも依頼を了承することにした。男たちは安心と、まだ零夜へ対する疑念の残った半端な笑みを浮かべ、口々に自己紹介をする。

 零夜に話しかけてきたリーダー格の男はジルバートといい、毛先の硬そうな髭を口元から顎にかけてたたえる大男だ。彼は体格に見合わず小心のようで、せわしない視線を辺りに走らせ、零夜をその身体の影に隠すようにしながら現場に案内した。



 村の居住地と耕作地の中間に位置するその場所は、一見して何の変哲もないただの草原地帯だった。

 しかしジルバートの視線を辿れば、問題のミトラがどこにいるのかは一目瞭然だ。草地の中に、不自然に盛り上がった小山がある。小山の上に塊になって咲くシロツメグサが、丸く可愛らしい花を風に揺らして、虫やミトラを誘惑している。

「あそこにいるんですか?」

「ああ。ここは西方統括部の接収地なんだ。近いうちに統括部の管理支部を建てるから、それまでに土地を整備しておけって言われてるんだが……どうにも、あのミトラをどかせなくて困ってる」

「厄介なことになったって言ってましたけど、具体的にはどんなことに?」

「畑がやられたんだ」

 ジルバートの指す先には、時季の割にうら寂しい畑が広がっていた。柵で区切られたほかの場所には、水と光の恩恵を一身に受け実を結ばんとしている穀物が、海原のように広がっている。しかしその一区画だけは、まるで几帳面な画家がきっちりと絵の具で塗りつぶしたかのように、立ち枯れの薄茶色に支配されているのだった。


「ここと、ひとつ向こうの道を言った先の玉黍たまきび畑、村を挟んで向かいにある麦がやられた。あのミトラ、俺たちの骨を折るよりも、畑を枯らした方が効果があるって分かってやがる」

「襲ってきたりはしないんですか?」

「向こうから襲ってくることはないな。少なくとも、人間を殺すつもりはないらしい。無理にどかそうとしなけりゃ良い話なんだが、放っておけば接収の期限に間に合わないし」

「じゃあ、役所に相談してみたら……」

「そんなことしたら、畑を潰してでもどかせって言われて終わりだよ。今回だけでも、結構な被害が出てるんだ。これ以上あのミトラにちょっかいを出したら、どれ程の畑がやられるか……考えるのも恐ろしいよ」


 話を聞くに、確かに零夜の出番であるようだった。零夜は改めて、草に埋もれかけた小山を観察する。見れば見るほどそれは土饅頭で、まさしく墓のようだった。

 一歩近付くと、「気を付けろ」とジルバートが警告した。「近付くと地面から手を出して、足を掴んでくるんだ。そのまま振り回されて、骨折したやつもいる」

 それを聞いて、無警戒に足を進められる零夜ではない。その場に立ち止まり「あの」と声をかける。まさか零夜がミトラに話しかけているなどと思わないジルバートは、自分に話しかけられていると思い「なんだ?」と答える。

「あ、違います。そうじゃなくて、ミトラに……」

「おい、そこで何をしている?」

 説明をしようとした零夜の声を、聞き覚えのある尖った声が遮った。ぎくりと肩をすくめたのは零夜ばかりではなく、ジルバートたちもまた同じ反応をする。

 声の方を振り返ると、小道の先に立っているダンニールが、不機嫌そうに零夜たちを睨みつけている。


「何をしているんだ、と聞いている」

 高圧的に言いながら、ダンニールは大股で零夜たちの間に割って入った。ここにこの顔ぶれが集まっていることが、心底気に入らないといった様子だった。ダンニールは零夜の存在を無視して、気まずそうに立ち尽くしているジルバートたちを睨みつけた。

「この男はスパイの可能性が高い要警戒対象であるからして、不要な接触は極力避けるようにと言い渡しておいたはずだが?」

 なるほど、そういうことだったのか、と零夜は辟易する。村人たちのよそよそしい態度や、最初から零夜を疑ってかかるようなあの視線。ただ零夜が異質だというだけでなく、ダンニールの明確な悪意がそうさせていたのだ。


「しかし、ダンニール様……」

 ジルバートが、大ぶりな身体を最大限に縮こまらせて、引きつった声で弁解をする。

「土地整備のためにも、ここに居座るミトラを駆除することは急務でして……この者の力を借りることは、ひいてはゼーゲンガルトのためにも……」

「ミトラの駆除? そんな話は聞いていないが?」

 ジルバートたちは彫刻のように身を強張らせ、じっと下を向いたままだ。やがてジルバートが、さっき零夜に話したようなことをぼそぼそと説明する。ダンニールは腕を組んだままそれを聞き、そして一言「そんなものは、畑を潰してでも駆除してしまえば良いだろう」と、ジルバートの予想通りのことを言ってのけた。

「殺してしまえば、それ以上畑が荒れることもあるまい。目先の被害にとらわれ、大きな決断を先延ばしにするな」

「ですが、畑の持ち主たちの生活は……」

「黙れ!」

 引き下がるジルバートを、ダンニールが一喝した。

「そもそもそのように重大な話ならなぜ、まず我々西方統括部に指示を仰がない? 素性も知れん旅人の、それもスパイの疑いのかかっている者の知恵を請うなど、我々に対する侮辱であると思い付きもしなかったか?」

 俯いたままの男たちの脳天に、ダンニールは容赦なく叱責を浴びせる。容赦も気遣いも全くない怒声に零夜がわずかに顔をしかめた時、その瞬間を見逃すまいとしたかのように、ダンニールの視線が零夜を突き刺した。相変わらず、「お前を見下しているぞ」という意図を隠すつもりもない、露骨で品性のない視線だ。


「いつまでそこにいるつもりだ? お前がすべきことなど何もない。それとも、ぼーっと突っ立ってるのが趣味なのか?」

 ああ、そうかよ。そう吐き捨てて立ち去ってしまいたい気持ちは確かにある。ここに留まれば留まるほど不快な思いをさせられることは間違いないのだし、正直なところ、この場がどのように収束しようと零夜の知ったことではないのだ。ダンニールがいる限り、この村の人々の態度が軟化することはないだろう。零夜にとっては、手を貸したところで大したメリットはない。


 しかし――立ち枯れの畑と、その外側で青々とした葉を揺らす、まだ健常な作物たち。プラド村に来て初めての夜の、宴の賑やかさ。テーブルに並ぶ料理の多彩なこと。そういったものを思うと、どうにも零夜は、ある種の責任のようなものを感じずにはいられないのだった。

 畑の作物、繕い仕事と小麦菓子、宿の子供たちの笑い声。この村にある全ての事象は複雑に絡み合い、生活というひと繋がりの糸を形成している。その糸は信じられないほど繊細な作りをしていて、一本の繊維でも欠けようものなら、そこからどんどんほつれていって、糸としての体裁を成さなくなってしまうのだ。

 綻びを繕う力があるにもかかわらず、利己的な損得勘定の結果その力を行使しないというのは、零夜にとって耐え難く後ろめたかった。


「あの……俺なら、力になれると思うから」

 零夜が言うと、ダンニールも、ジルバートたちすらも、驚いたように目を見張った。ここまで悪意のある対応をされれば、怒るか萎縮するか、そのどちらかの反応しかないと想定していたのだろう。不意を突かれた表情だった。

「つまり、その……俺は専門家だから、どんなミトラがいるか分かれば、穏便にどかせられるかもしれないし」

 食い下がる零夜を、ダンニールは疑り深い目で睨めつける。零夜が一体何を考えているのか、どういった策略で自分を陥れようとしているのか、なんとか見破ってやるぞといった粘着質な視線だった。その粘り気を払うようにかぶりを振って、零夜は目の前の男の心情を考える。


 ダンニールは始めから零夜を疑ってかかっている。零夜が協力しようとするのは、腹に抱えた悪どい企みがあるからなのだと決めつけている。他意などなにもないといくら説明したところで、彼が零夜を信用することはあり得ないだろう。

 ならば、ダンニールが腑に落ちるような「それらしい理屈」を用意してやればいい。この男は、零夜がどういった企みを抱えていると知ったら納得するだろうか。慎重に考え、言葉を選ぶ。

「……ダンニール。俺はあんたが思ってるようなスパイじゃない。本当に、ただのミトラ学者なんだ。ただ俺は、学者としての名声が欲しいんだ。そのためには、えっと……」

「権力者の後ろ盾が必要というわけか?」

 零夜が相応しい単語を探しているうちに、正解はダンニールの方から提示された。便乗して、零夜は小刻みに頷いてみせる。ダンニールの食いついた「それらしい理屈」は、要するに出世欲なのだった。

「ここで上手くミトラを駆除できれば、役人である僕の目の前で、ミトラ学者としての実力を示せるからな。だがそれなら、最初から僕のご機嫌取りでもしておくんだったな」

 ダンニールの両目には、零夜を甚振いたぶる喜びが煌々と灯っていた。これまでダンニールの悪意に対して無反応を貫いてきた零夜が、自分にへりくだり始めたのがたまらなく快感であるようだった。


「良いだろう」

 他者を見下す快感は、時に人を寛容にする。ダンニールは底意地の悪い笑みを浮かべたまま、顎で零夜を指した。

「お手並み拝見、というやつだ。せいぜいやってみるが良い」

 ようやくダンニールの許可が下り、零夜は「良かった」とジルバートたちに目配せをした。しかし、その視線はさりげなく逸らされる。もうこれ以上、ダンニールの不興を買いたくないといった態度だった。行き場を失った視線はしばし宙をさまよい、そして例の小山に着地する。

 アランジャ族の綿飾りのようなシロツメグサが、小山の上で頭を揺らしていた。


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