異端審問



 正午の太陽が、足元にぽっかりと丸い影を落としている。

「では一列に並んで。すぐに終わりますからね。怖くないですよ」

 三つ編みの異端審問官――シースが、子供たちを広場に集めている。子供たちは各々広場の外へ、彼らの親を探そうと不安げな視線を向けていた。恐らくこの村の全員ではないかと思われるほどの人数が、教会前の広場に集まっていた。ソーグも、零夜に絡んだ男たちも群衆の中にいる。


 零夜は集団の中を縫い、人々の背中の隙間から広場を覗き込んだ。広場の中央にはシースと十数人の子供たち、そしてリヒトの姿がある。

 今の今まで隔離されていた子供たちは、正午の太陽に目をしばたたかせる。心なしか皆、少し痩せてやつれているように思えた。不安と恐怖で食事も喉を通らなかったのかもしれない。無理もない。同じ場所に隔離された子供の中に、異端が混じっているかも知れないのだ。いつ何時、異端が発症し、殺されないとも限らない。それだけでなく、あるいは自分が、異端そのものかもしれないのだ。事態の深刻さを理解できる年齢の子供たちほど憔悴しきっており、まだ幼い子らは不安げながらもどこかぽかんと呆けているのが、かえって憐れだった。

 零夜は、なんとかリヒトと視線を合わせられないかと、彼の姿を目で追い続けた。しかし彼の隻眼はただ己のなすべきことにのみ向けられており、そこに零夜が滑り込む余地などなかった。



「では、異端審問官序列第三位シース・ゼイアンと、その端数リヒト・エクシーンの立ち会いのもと、異端審問の儀をり行います」

 シースの宣言により、広場はしんと静まりかえった。誰もが息を殺し、広場の子供たちに注目している。

 シースは細い金属の鎖に下がった、藍色の宝石を額の前に掲げる。雫型の宝石がわずかに揺れながら、日光を受けてきらきらと煌めいている。

「ひとりずつ、前に出て名乗りなさい。さあ、君から」

 リヒトに促され、男の子がシースの前へ出た。零夜から見て、まだ就学年齢にも達していないような幼い子供だ。彼は怯えた目をシースに向ける。

 一体どんな仰々しい儀式が行なわれるのかと、零夜はじっと目を凝らした。しかし、零夜の期待するような大層な道具や呪文は、いくら待てども登場しない。

 シースは男の子の額に宝石を近付け、何やら一言二言を呟いた。宝石は相変わらず日光を受け、細い藍色の光を放っている。

「……下がって良いですよ。では、次」

  一瞬戸惑ったのち、自分がもはや自由であることを理解した子供は、彼の名前を呼ぶ母親の元へ一目散に駆け寄っていく。


(さっきのが、異端審問の儀?)

 一部始終を見ていても、零夜にはなにがなんだかさっぱり理解できなかった。

 キヤから受けた説明を思い出す。どの子供が異端であるのか知るためには、異端審問官のみが持つ最高純度の審判石アビト・ストーンが必要だと言っていた。シースの持つあの藍色の石が、審判石アビト・ストーンであることは間違いない。しかし一見ただの美しい宝石のようにしか見えないあの石が、どういうふうに異端を告発するのか、想像すら出来なかった。



 大人たちが見守る中、異端審問の儀は滞りなく進む。

 子供たちは次々と儀式を終えていった。十歳ほどの男の子や女の子。よちよち歩きの幼児は、兄と思しき少年に連れられて。

 水車小屋の前で粉挽きを手伝っていた女の子や、水路の掃除をしていた男の子。零夜が見たことのある顔も、始めて見る顔も、みな同じ表情で儀式に臨む。

 単調に続く儀式には、まだ何の変化も見られない。

「下がっていいですよ」とシースが言うと、ある子は安堵の表情で、またある子はせきを切ったように泣きわめきながら、親の懐へと飛び込んでいった。

 無事に我が子を迎えた親たちは、みな一様にそそくさと教会をあとにした。この先に起こることは自分たちには全く関係のないことだと言いたげに、無関心を装いながら。

 北塔に隔離されていた子供は、早くも全員の潔白が証明された。次は西塔の子供たちだ。


 西塔から子供たちが現れる。子供の列の両側を固める男たちの手には、しっかりと武器が握られている。もしこの列の中に異端がいれば、そして今この瞬間に異端が「発症」すれば、彼らの持つ刃物は躊躇なく子供たちへ向けられるのだ。改めてその事を考えると、腰のベルトに挿した短剣がいやに気になった。

 零夜は、子供の姿をした「異端」に刃を向けることが出来るだろうか。たとえ自分の命が危機に晒されるような状況でも……。


 儀式は粛々と進行する。西塔にも異端はいなかった。残るは東塔のみ。最後の列の中にアリエとスジュの姿を見付け、零夜の胃が縮こまった。

 スジュは、アリエのスカートの裾をしっかりと握りしめている。アリエは今にも倒れてしまいそうなほど蒼白な顔をしながらも、スジュを怖がらせまいと、震える手で弟の肩を抱いている。

 列になった子供たちは、リヒトに促され、一人ずつシースの前へ出る。

 何も起こらない。「では、次」……何も起こらない。「では、次」……。


 やがて残りの子供たちはわずか四人となり、観衆もその子らの親たちと役人たち、そして零夜のみとなった。

 ――嫌な予感がしていた。宿に帰りキヤたちと合流すべきだ。ここにいるべきではない。直感的にそう感じる。しかしそれが出来なかった。観衆の中で、ほとんど気絶しそうなほどに青ざめた顔のソーグが、広場の子供たちを見つめていた。



 また一人が自由の身となり、残る子供たちはあと数人だ。とうとうアリエの番が回ってきた。責任感が強く、快活で聡明な少女。アリエは姿勢の良さをもって潔白を証明しようとでもいうように、背をぴんと伸ばして堂々と、審問の場に歩み出た。自身の名を告げるアリエの声は、見るものの同情を誘うほどに震えていた。

 アリエの額に、藍色の宝石が掲げられる。唾を呑む音が、零夜の耳に大きく響く。宝石はわずかに左右に振れながら、――しかし、何の変化も表すことなく輝き続けている。「下がりなさい」と、シースがアリエの背を優しく押した。

「お父さん!」

 アリエは叫びながら、ソーグの胸へ飛び込んだ。ソーグは身をかがめ、娘を強く抱きしめる。

 良かった。零夜は思わず安堵の息をついたが、アリエを抱きとめたソーグの身体からは、まだ緊張が抜けていなかった。残った子供たちの集団の中から、七つほどの男の子が前へ出る。スジュだ。

 ソーグが、関節が白く浮き出すほど強く拳を握る。「お願いします、お願いします、お願いします、神さま」彼の唇が、そう動いた。


 スジュはさっきまで掴んでいた姉のスカートの代わりに、自分のズボンを強く握りしめていた。よろけるように前に出て、今にもかき消えてしまいそうな細い声で名を告げる。シースが彼の額に宝石を掲げる。

 審判石アビト・ストーンが、ちらりと煌めいた。次の瞬間、「ぎゃあっ!」と幼い悲鳴が上がった。


 ――黒い腕。影よりも黒い無数の手が、スジュの腹から突き出している。スジュはその勢いに引っ張られるようにして、大きく背をのけぞらせている。

 スジュの体内より現れた漆黒の腕は、その手のひらを高々と空に掲げた。そして一瞬の静止ののち、まるで滝が崩壊するかのような勢いで、目の前にいる男に襲いかかった。


「リヒト!」

 シースが吼えた。その指示を待たず、傍に控えていたリヒトは前へ出ていた。腰に下げていた銀の細剣を抜き、あるじへ襲いかかる邪悪な黒を横一文字に叩き斬る。

 腕は銀色の閃きに両断され、黒い霧となって消えていった。その軌跡のあとには、何が起こったのか理解できず呆然とするスジュの、蒼白な顔だけが残されていた。


 零夜もまた血の気の引いた頭で、目の前の光景を凝視していた。今しがた自分が見たものが信じられなかった。光をくり抜いたような黒。禍々しいあの腕は、確かにスジュの中から現れたように見えた。だとしたら……

(……スジュが、異端?)

 千の命を奪う「異端」と、好奇心旺盛で甘えたがりな男の子。そのふたつがどうしても結びつかず、零夜は混乱する。

 違う。そんなわけはない。そんなことは有り得ない。スジュが異端ではないという理由を必死に探す。どこかに救いがあるはずだ。

 誰かが言ってくれればいい。「間違いでした」と。だって、きっと何かの間違いなのだから……。


 誰もが身を凍らせ口を閉ざした沈黙の中、「随分、進行しているようですね」とリヒトが言った。銀色の剣は鞘におさめられることはなく、震えるスジュに向けられたままだ。

「そうですね。ここまで進行していては、更生プロトコルも意味をなさない。神都に移送するまでに発症する可能性の方が高いでしょうね。残念ですが……」

 シースが淡々と言葉を紡ぐ。

「この場でとしましょう」


 昼下がりの広場に慟哭が響いた。ソーグは倒れ伏し、拳を何度も何度も地に打ち付ける。

「スジュ、どうして、どうして! どうして俺の子が!」

「お父さん……」

 父と姉の元へ駆け寄ろうとしたスジュの鼻先に、銀の剣先が突きつけられた。痙攣するようにして動きを止めたスジュを、「動くな」とリヒトが低い声で牽制する。

 父親――ソーグが息子をかばうのではないか。零夜はそう思ったが、ソーグは視線ばかりをスジュに向け、その場から一歩も動かなかった。寄り添う娘の細い身体を抱きしめ、助けに走り出そうとする自分を必死に制しているように見えた。


 零夜もまた、その場から動けずにいた。

「処分」すると、シースは言った。その言葉の意味を考える。否、考えるまでもなく、よく理解はできているはずだ。理解できてはいたが――理解したくなかった。


「異端の子よ」

 残る子供たちの審問が済み、儀式は終了した。宝石を懐へしまいながら、シースは思いのほか柔和な声で、怯えている小さな男の子に呼びかける。

「恐れることはありません。死をもってその悪しき魂をみそぎ、青き女神の慈悲をたまわりなさい」

 地べたに尻もちをついているスジュの肩に、リヒトの足が掛けられた。そのままスジュは仰向けに倒される。子供の肩を踏みつけ見下ろすリヒトの表情は、幼子の命を奪うべく輝く剣と同様、どこまでも無機質だった。

 欠けた食器を廃棄するように、こぼれたミルクを拭き取るように、それが当たり前だとでも言いたげに――いや、そのような主張すらする必要もなく、リヒトは剣を振り上げる。


「やめろ! 理仁!」

 ほとんど無意識に、零夜は叫んでいた。

 スジュを死なせたくない。あるいは、幼い子供への非道が許せない。そんなありふれた正義感ではなく、ただ理仁が――顔が同じなだけの別人だとしても、理仁の姿をした男が――無抵抗の子供を殺める姿を見たくないという、極めて身勝手な衝動だった。

 リヒトの動きが止まる。冷ややかな目が零夜を捉えると、村の入口で会ったときにも見た、あの人間くさい有機的な光が、再びリヒトの瞳に灯った。囁くような、吐息に近いようなかすかな声で「れいや」とリヒトが呟いた。しかし、


「何をしているんですか、リヒト」

 地を這うような声が、リヒトの心臓を鷲掴んだ。シースが、穏やかな笑顔を頬に貼り付けたままに、射抜くような視線をリヒトに向けていた。その瞳の黒に塗りつぶされるように、酷薄な光がリヒトに戻る。

「行っちゃだめだ! 、理仁!」

 深海の夢の中で、微笑みながら溶け落ちていったリヒト。あの青色の向こうへ行ってしまったら、本当に、もう二度と会えない。

 衝動に突き動かされ、零夜はついに走り出した。しかしリヒトの元へ駆け寄るより早く、三つ編みの男が立ち塞がる。シースは腰の剣――リヒトのものと同じ銀色の細剣を抜き、一切の躊躇なく振り払った。


「馬鹿野郎ッ! 下がれ!」

 同時に、零夜は首根っこを捕まれ後方に引き倒される。零夜の首を確実に捉えていた銀の軌跡は、零夜の頬と鼻梁びりょうを切り裂き赤を散らせた。顔面に走る鋭い痛みに、それでも零夜は怯むことなく、キヤに抑えられたまま手だけをリヒトに伸ばす。

「理仁! 頼む、やめてくれ!」

「やりなさい、リヒト」

 零夜の言葉に上書きするように、シースがリヒトに命ずる。リヒトは、一瞬の間を空けて――子供の心臓へ向け、剣を振り下ろした。



 その子供が最期に見たものは、よく晴れた空の青だった。最期に聞いたものは、優しかった父親の咆哮だった。

 小さな身体から血液が流れ出るにつれ、丸く幼い瞳は光を失くし、やがて何者も届かない深い死の底へと沈んでいく。


 頬の傷から散った赤と、リヒトの足元に広がる赤とが、零夜の意識に混じり合う。血に塗りつぶされた視界の向こうで、リヒトは零夜に背を向けた。全くの無関心からくる行動にも思えたし、意図的に零夜を見ないようにしているようにも思えた。

「……異端をかばいだてする行為は、本来ならば死罪に値します」

 柔らかい布で剣の汚れを拭いながら、穏やかな声でシースが言う。

「あなたはどうやら、異端をかばうというよりも彼を」シースは視線でリヒトを示す。「止めたかっただけのようですから、今回は見逃しますが」


 ゆったりとした足取りで近付いてくるシースに、背後でキヤが身構えたのが分かった。血の臭いと脈打つ痛みの中、零夜は呆然とシースを見上げる。

「次は無いものと思いなさい」

 傷が痛む。鼻梁の傷から溢れた生ぬるい血液は、鼻から喉へ流れ込み、強烈な嘔気を誘う。

「ま、待って、」

 背を向けたシースを追おうとするが、立ち上がろうとした脚に力が入らなかった。零夜はキヤの大きな手に肩を押さえられたまま、なすすべなくリヒトを見送る。

 シースと同様に、布で細剣の血を拭い、腰のベルトへ佩きなおす……リヒトの動作を見守りながら、零夜はふと目を細めた。彼の手首に、黒尽くめの全身に不釣り合いな色を見た。

 赤色と青色。細い糸を丁寧に編んで作られた、あれは……

美和みかずのミサンガだ」

 見間違えるはずなどない。あの日、この異世界に引きずり込まれたあの日――美和が理仁に贈った二本のミサンガが、リヒト・エクシーンの手首に確かにあった。


「理仁」

 絶望をそのまま吐き出したような声が、零夜の唇からこぼれ落ちた。

「あれは理仁だ……絶対に、絶対に理仁だ! 理仁、待ってくれ! 行かないでくれ! 行かないで……!」

 叫んだ口端から、血液混じりの唾が飛ぶ。もつれる脚で立ち上がろうとしたが、キヤに強く引き戻され、零夜は再び尻もちをついた。「これ以上はマズい」と、キヤが耳打ちをする。「冗談抜きで、殺されるぞ」

「でも」と反論しようと口を開いた時、血液が気道に流れ込み、零夜は激しく咳き込んだ。異物を吸い込んで狭まった気管が、ヒューッと苦しげな音を立てる。


 零夜が呼ぶ声が聞こえていただろうに、リヒトは振り返ろうともしなかった。零夜は発作のような咳を繰り返しながら、滲む視線を必死に伸ばし、リヒトの姿が見えなくなるまで彼の背を追い続けた。



 日が大きく傾き、あらゆるものの影が長く育まれ始める。プラド村に、異端の居ない夜が訪れようとしている。

 人の声のかき消えた広場の隅で、小さなミトラたちがかさこそと、『かわいそ、かわいそ』と囁いていた。

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