可能性の収束地点
幸いだったのは、身体を苛んだ倦怠感と頭痛は、翌朝にはすっかり消え失せていたことだった。
理仁の手がかりを探すというのに、二日酔いではあんまりだ。零夜はベッドから降りるなり大きく伸びをして、両頬に手を打ち付けて気合を入れる。支度を整えて階下に降りれば、既にティエラとカルムが朝食を取っていた。
「おはよう、レイヤ。よく眠れた?」
「うん、おはよう」
カウンター席に座ると、昨日の零夜の体たらくを見ていたらしいソーグが「二日酔いにはこれが良いぞ」とコップを差し出した。二日酔いではないのだが、せっかくなのでありがたくいただくことにする。口に含むと、ペパーミントの爽やかさの後に仄かな苦味が追いかけてきて、二日酔いはともかく寝覚めの一杯としては最適の飲み物だった。
「それでね、レイヤの探し人のことなんだけど」
テーブルにつき、朝食として出された平パンを齧る零夜に、ティエラが話しかける。
「カルムの遠見では、近くにいる……いずれ会えるって見えたでしょう? でも、さっきソーグさんに訊いてみたんだけど、ここ最近でプラド村に来た人ってそんなにいないんだって。たいていはゼーゲンガルトの役人とか、顔なじみの商隊とかばっかりで……何か心当たりはある?」
「どうだろう。多分その、探してる友達は……俺と同じ境遇だと思うんだ。つまり、身寄りがなくて」
「金もない」
会話に横入りしてきたのはキヤだ。彼も零夜より早く起き出していて、朝から運動でもしていたのか、頬が軽く火照っている。
「そうだろ? だったらそういう妙な奴ってのは、とにかく目立つし話題になる。聞き込みするまでもなく、すぐ分かるだろ。どうだソーグ、最近いたか? 身元が不明で、金も荷物も持ってなくて、ここがどこだか分からない~なんて言うやつ」
「そんな奴がいたら、すぐに外地検問官に通報するに決まってるだろ」
ソーグの答えに、零夜の肝が冷える。零夜が即時通報されなかったのは、ひとえにアランジャ族とゼーゲンガルトとの関係が悪かったからにほかならなかったのだ。それを思い知り、余計に理仁の安否が気にかかる。
「うーん。ここに来てないっていうことは、これから来るのかなあ? カルムはどう思う?」
カルムは首をかしげて、低く穏やかな声で「そうだね……」と推測を始める。
「レイヤくんと探し人との縁は、確かにイグ・ムヮの周辺に繋がっていました。営地におらず、プラド村にもいないとなれば、あとは……」
「草原のどっかに埋まってるなんて言わないよな?」
キヤが、不吉な茶々を入れる。零夜は青い顔で「冗談はやめてくれよ」と言うが、キヤとしても冗談のつもりはないらしい。獣、強盗、肉食性のミトラ。命を脅かすものは、この世界には数え切れないほど存在するのだ。
しかしカルムは
「あれは、確かに生きている気配でしたよ。レイヤくん、安心して。今はともかく待つことです。二人を繋いでいる糸は強固なものです。待てばいずれ、運命が二人を引き合わせることでしょう」
「運命、ねえ……」
胡散臭いと言いたげな調子で、キヤが呟いた。ティエラは咎めるような目でキヤを見たが、カルムは気を悪くする様子もない。
「極めて高い可能性、という言葉の方が適切でしょうか。私の
その時、大きな音がした。テーブルを拭いていたスジュが、水差しをひっくり返したらしい。中に入っていた水がテーブルにすじ模様を描き、ぽたぽたと床に垂れ落ちる。皆が思わずカルムを見たが、彼はただ平然と微笑むばかりだ。
「……あれも視えてたのか?」
恐る恐る紡がれたキヤの言葉を、カルムは「いいえ」と否定する。
「この能力の難点は、世界の大きな流れが視えるのみで、微細な動きは捉えられないところです。こぼれた水が床に落ちることは分かっても、どの床板を濡らすのかまでは分かりません。
レイヤくんと探し人が、いつ、どこで再会できるのかは全く視えない。この村に現れた不吉な兆候にしても、どのようなことが起こるか知るためには、ひとつひとつ可能性を検証していくしかないのです」
それを聞いて、零夜は「そういえば」と思い出す。カルムとティエラがプラド村へ来たのは、カルムの遠見で視えた不吉の前兆――その詳細を探るためだった。
「一体なんなのかねえ、不吉なことって言ってもさ」
ソーグが、皆でつまめそうな小麦菓子を持って会話に加わる。
「何年か前も、そういうことがあっただろう。あん時は、井戸にミトラの毒が混ざったんだったな。カルムさんが前もって警告してくれてなきゃ、人死にが出てたとこだ。今回も、ああいう厄介事かねえ」
「それを調べるために来たのです。まずは井戸と
「ああ、みんな協力するだろうよ。なんてったってカルムさんには、世話になり通しだ。もちろん、ティエラにもな!」
「あ、そしたら」
咀嚼していたパンを水で流し込んで、零夜が控えめに右手を挙げた。
「俺、手伝ってもいいかな? ここで理仁を待つにしても、何もしないわけにはいかないし」
「もちろん……」
「駄目だ。お前は俺と、戦闘訓練をする」
ティエラの賛成を遮ったのはキヤだった。「なんで」と零夜が文句を言うと、キヤは零夜の後頭部をげんこつで軽く叩く。
「お前さ、心配になんねーの。自分の戦闘能力が」
「そりゃ、まあ」
叩かれた場所をさすりながら言い惑う零夜に、「俺はなるぜ」とキヤが言う。
「探し人を待って、すぐ見つかりゃ良いさ。だがまたあちこち探す羽目になったとして、言っとくがお前じゃ三日と持たないね。火力はあるが、コントロールがてんでなってない。基礎的な身体の作りも……」
「待って待って。それをどうして、キヤが指図するのよ?」
ティエラの言い分はもっともだった。だがキヤが怯むことはない。
「それはだな、
「ん……?」
キヤの言葉の意味を考えるために、零夜は一旦パンを皿に置く必要があった。
「キヤ、自分の旅はどうするんだよ」
「言わなかったか? 俺は旅をすること自体が旅の目的で、どこに向かってるとか、何がしたいとかはないんだって。だから、しばらくお前に付き合うことにしたんだ」
「いや、いやいや、おかしくないか?」
「なにが?」
「えっと……なんか、おかしいと思う」
「そうかあ? 俺は愉快な連れが出来る。お前は頼もしい連れが出来る。良いこと尽くしじゃないか」
「ん……まあ、そう……かな。……俺って、愉快かな?」
「細かいことは考えんなって! 俺が稽古をつけてやるって言ってんだ。なんの文句がある?」
腑に落ちない点は多いものの、おおよそキヤの言う通りだった。零夜は理仁だけでなく、元の世界に帰る手がかりも探さなければならないのだ。もし理仁がすぐに見付かったとしても、その後もこの異世界をうろうろしなければならない可能性は大いにある。その場合、望んで手に入れた力ではないにせよ、せっかく手元にある戦闘能力を駆使できないのでは話にならない。
「それだったら、こっちのことは気にしなくて大丈夫よ。やることはたくさんあるけど、プラド村の人たちに協力してもらえば人手は充分に足りてるから。レイヤ、そうしてもらったら?」
事情を飲み込んだティエラも、キヤの提案に賛成のようだった。
「だってレイヤって……うん、私だって、レイヤの
「野盗に襲われたら負けそう」
「うん、そうそう。弱いわけじゃないんだけど」
「頼りない」
「そう!」
キヤとティエラに好き勝手に評価され、零夜はがっくりと肩を落とす。一言も反論の余地がないのがまた辛い。
短い付き合いの中で、この二人は零夜という人間のことをよく理解しているようだった。人並み外れた力を手にしたとしても、それを使いこなせない。まず使いこなす以前の問題として、そも他人との闘争において零夜は決定的に
訓練を積めば、そういった短所もある程度は補えるようになるかも知れない。そう考えると、キヤの申し出は零夜にとってはあつらえ向きなのである。
「じゃあ……宜しく、お願いします」
「おう、任せとけ! 飯食ったら、さっそくビシバシしごいてやる!」
「え、今日から?」
「当たり前だろ!」
すぐにでも訓練を始めると聞いて、律儀にもパンを噛む速度を早める零夜は、やはりどこまでも真面目で従順な気質だった。焦る零夜の様子を見て、ティエラが笑みをこぼす。
「レイヤの探してる……リヒトさん、だったっけ。その人のこと、私からも村の人たちに聞いておくね」
「うん、ありがとう」
パンの最後のひときれを喉の奥に押し込んで、零夜は立ち上がった。キヤは早速、ソーグにあれこれ聞いて、戦闘訓練に使えそうな道具や場所がないかを調べている。からになった食器類を片付けるアリエとスジュに礼を言って、零夜も駆け足でキヤの元に向かい、訓練の準備に取り掛かった。
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