決意と交渉

 日頃から、理仁に頼り過ぎている自覚はあった。

 何事においても平凡の域を出ない零夜と違い、理仁は目に見えて非凡だった。医者である父親に憧れ、医者を目指し勉学に励む勤勉さ。どんなスポーツをさせてもすぐに上達する器用さ。誰にでも物怖じせず打ち解けていける陽気さ。何もかもが、零夜より優れている。

 嫉妬が全くないと言えば嘘になる。もしも自分が、理仁と同じか、それ以上の能力を持っていたら。そう夢想したことも一度や二度ではない。しかしそれ以上に、憧れの感情が強かった。


 理仁は零夜のヒーローだ。顔面の痣のために「おばけ」と呼ばれていた零夜が、そのために芽生えた臆病さや卑屈さをあまり引きずらずにいられるのも、理仁がいたからだ。

 だから理仁はヒーローで――零夜はヒーローの存在に、あまりにも頼り過ぎていた。



 そういったことを、零夜は布団の中でじっと考えていた。宴も終わり、本来の静寂が戻った深夜。キヤの寝息を聞きながら、零夜はいつまでも眠れずにいた。

(理仁を探して、見付けて、それから俺はどうするつもりなんだ?)

 理仁さえ見付けられれば、あとは理仁がなんとかしてくれるはずだ。そんなことを考えてしまっている自分に気が付き、零夜は自己嫌悪に下唇を噛んだ。

「甘えるな」

 布団に潜り込んで声に出すと、自分以外の誰かに叱咤されているような気持ちになる。

「俺がなんとかするんだ。もし理仁がピンチなら、俺が助ける。それで……二人で、美和のところに帰るんだ」


 吐いた息が、生温かく頬に絡み付く。人知れず行われた決意表明が、羊毛の布団に染み込んでいく。さすがに息苦しくなって、零夜は布団から顔を出した。冷たく新鮮な空気が肺に心地良い。深呼吸をしながら、零夜はもう一つの可能性に思い当たる。

 この奇妙な世界に来てしまったのは自分だけで、もしかしたら理仁は、元の世界に、無事でいるのかもしれない。

 それなら良い。それが一番良い。零夜は自嘲気味に微笑んだ。



 深夜にそういった決意をして、多少は腹が据わっていたのかもしれない。翌日、バータルとアルヌルに呼び出されても、零夜はそれほど緊張しなかった。

 族長の豪華な幕家の中、零夜は昨日と同じようにアルヌルと向かい合って座る。昨日と違う点は、アルヌルのそばにバータルが控えていること。そして零夜のそばにキヤがいないということだ。


 バータルは「よく眠れたか」「疲れは取れたか」など差し障りのない質問をいくつかしたあとで、「では本題に入るが」と切り出した。

「改めて確認したいのだが、ミトラと話すことができるというのは本当か?」

「……たぶん。俺も意識してやってるわけじゃなくて、でも、何を言ってるのかは解ります」

 バータルがアルヌルを振り返る。アルヌルは険しい顔をしたまま黙っていたが、やがてしっかりと頷いた。それを見て、バータルは再び零夜に向かう。

「きみには、同胞を助けてもらった恩がある。そこへ重ねて、図々しいことは承知の上で、頼みたいことがある」

 零夜が肯定的な態度を示すまでは、話の内容は明かさないつもりらしい。

 零夜なりに現状についてを夜通し考え、今すべき最善の選択が何であるか、答えはすでに出ていた。あとはその意思を表明するだけだ。零夜は乾いた口内を唾液で湿らせ、喋り始める。


「俺だって、行き場のないところを置いてもらってる身ですから、恩とか、そういうのは気にしないでください。ただ、俺もその……やるべきことがあります」

 大きく息を吸う。人にものを頼むのは苦手だった。条件を突きつけての交渉など、なおさらだ。だが、やらなければならない。

「人を探してるんです。たぶんこの辺りにいるはずで、でも確証はないんですけど……その人を探す手伝いを、してほしいんです」

「人探しか」

 ようやくアルヌルが口を開いた。

「その方は、レイヤ殿と親しい間柄かな?」

「はい。小さいころからの友人です」

「では、カルムに遠見をさせるといい」

 バータルが振り返り、「いいのですか?」と小声で尋ねる。アルヌルは迷いなく頷いた。


 その容貌に、零夜はどこか、自分と似たものを感じ取った。族長らしく威厳に満ちたアルヌルと、自信なさげに言葉をどもらせがちな零夜との間に、相似性があるというのもおかしな話だ。しかし、確かに似ていた。

 アルヌルもまた零夜と同じように、眠れぬ夜の間、ずっとこの話をすることを考えていたのかも知れない。そう思うと、不思議と親近感のようなものが湧きかける。しかし、さすがにそんなことを考えるのは失礼だろうと、零夜は馴れ馴れしい考えを打ち消した。


「それほどのことを頼むのだ。レイヤ殿、あなたが救ってくれたカルムという男は、神と通ずる力を持つ。その力は、本来ならばアランジャと、アランジャに深く関わる者にのみ恩恵を与えるべきものであるが……カルムの遠見とおみでご友人の行方ゆくえを探り、手掛かりがあれば若い者たちに追わせよう。対価はそれで構わないかな?」

「あ、ありがとうございます。それで……俺、何をすればいいですか?」

「あるミトラと話をしてほしい」

 バータルが会話を引き継ぐ。

「我々アランジャ族と深い関係にあるミトラで、長く良い協力関係を築いてきた。しかし最近、不可解なことが多いんだ」

 バータルが、ことの次第を説明する。



 アランジャ族は、彼らがイグ・ムヮと呼ぶ草原地帯を中心に生活を営む、遊牧民族である。彼らの生活は草原の豊かな動植物と、そしてミトラによって成り立っている。

 ミトラは、生の女神メシエ・トリドゥーヴァを裏切った不浄の生命である。とはいえ人間に恵みをもたらすミトラも多く、神都から遠く離れた地では、ミトラと共存する生活スタイルが定着している。そのため、ミトラの恵みに感謝を捧げるいわゆるミトラ信仰が、今なお根強く残っている。


 数多あまたあるミトラ信仰のうち最も一般的なものが「くさび信仰」だ。周囲の環境を変化させるほど強い力を持ったミトラを、人々は楔と呼ぶ。

 その地に根付いた――つまり大地に穿うがたれた楔は、地下を巡る生命の流れを地上に噴出させる。そして噴き出した生命の力は、周辺の土地に恵みをもたらす。ゆえに楔のミトラが存在する地域は極めて富んでおり、人間だけでなく、様々な生き物が命を謳歌する。


 イグ・ムヮもまた、楔の恩恵を受けている。


 イグ・ムヮを自治するアランジャ族は、牧草地からほど近い山地に住むミトラ――「大山風おおやまじの楔」と共に時代を重ねてきた。豊かな牧草に澄んだ水、清潔な風が吹き抜けるこの地で、アランジャ族は何代にもわたって繁栄してきたのだ。



「しかし最近、どうにも楔の様子がおかしい。冬があけても牧草の生えない土地があったり、山の手では疫病が流行はやったり……それに、ミトラたちが凶暴になりつつある。カルムやティエラを襲った、ノワケというミトラ。あれは本来おとなしく、人を襲うことなどあり得ない種だ。きみもそういえば、ミトラに襲われたのだったな? 死骸を調べたが、あれも滅多に地上に出てこないはずの無害な種だ。ミトラたちは楔の影響を受けやすい。恐らく大山風の楔が……人間に怒っている」

「怒ってる?」

 オウム返しに零夜が聞き返すと、バータルは律儀に「そうだ」と肯定する。


 そもそもの発端は、これまでは神都周辺の治安維持に熱心だったゼーゲンガルト議会が、ここ数年で本格的に辺境の統治に乗り出したことだった。

 ゼーゲンガルトは、女神メシエ・トリドゥーヴァを最高神とする「トリディア教」を国教とし、この辺りで最も力を持つ共和制国家である。

 ゼーゲンガルト議会で西方外地編入計画が制定されるに伴い、アランジャ族も遊牧をやめ定住するよう再三提言されていた。しかし言われたからといって、先祖代々続けてきた生活を急にやめられるはずがない。それは、やはり生活スタイルの変更を一方的に求められた、他の地方少数民族も同じだった。


 変化を急いていたゼーゲンガルト側は、各地に穿たれた楔を抜く――つまり、楔とされているミトラを殺すという非道に踏み切った。楔を抜かれてしまった地域では、楔由来の豊かな資源を得られなくなる。楔の恵みに長く深く依存してきた民族ほど、これまでと同じ生活を営むことは困難になり、共同体は瓦解していく……。



「もちろん大山風の楔は、いまだ一度も手を出されてはいない。我々が、言葉通り命を懸けて護っているからな。だが恐らく楔は、他の楔仲間たちが次々に殺されていることに気が付いているんだろう。大山風の楔は……人間を敵と認識しつつあるのではないかと、我々はそう考えている」

「じゃあ、俺が話をするのは、その……大山風の楔?」

 バータルが頷いた。

「我々は楔を裏切らないし、ゼーゲンガルトが大山風の楔に危害を加えるのなら、全力で抗う。そのことは何度も楔に伝えているのだが、彼の怒りはおさまらない。向こうの言葉が分からないので、楔の怒りを鎮めるため、我々が何を提供すべきなのかも分からないし……こちらの意向が正しく伝わっているのかも、確認しようがないんだ。どうか、きみの力で楔と対話し、楔の真意を聞きだしてくれないだろうか」


 この幕家に入り、アルヌルとバータルに向き合った時の覚悟はどこへやら、零夜の心臓はバクバクと大きく脈打っていた。

 信仰の対象となるほどの強い力を持ったミトラ。それも、今や人間を敵であると思っているミトラと話をする。下手をしたら命にかかわるようなことになるのではないか。

 零夜の危惧を察したのだろう。バータルは依頼の危険性を誤魔化すようなことはせず、「危険は伴うが、我々が全力できみを守る」と言いきった。


「……俺が協力すれば、理仁……友人を探す手伝いを、してくれるんですよね?」

「もちろんだ。我々はアランジャの誇りに懸けて、約束をたがわない」

 その答えを聞いた以上、胸中に不安はあれど、もはや迷いなど生じようもなかった。零夜が頷くと、バータルは頬に安堵の色を浮かべた。

「ありがとう、レイヤ」

 差し出されたバータルの右手を、零夜は控えめに握った。

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