第27話 奥さん事件です

「あ、あの……」

「何?」

「そこで喋ると……」

「へええ」


 陽毬が嫌らしい笑みを浮かべたところで、思わず目を閉じる。

 すると、また先ほどの林の中の広場が視界に広がった。

 

『長十郎さん、だいたい分かりました』

『ほうほう』


 切り株に腰かけたままの長十郎へ向け指を一本立てる。


『ここは俺と長十郎さんが会話できる脳内空間とでも言えばいいのでしょうか。そんな感じです』

『確かにそなたとそれがしはここでお互いに会話が成立するでござるな』

『きっと、陽毬と手を離したら風景は一切見えなくなると思います』

『ふむ』

『でも、声はきっと聞こえます。真っ暗な空間になるかもしれませんが……』

『相分かった。外が見えぬのが残念だがのお』

『俺が目を開けている時も見えませんでした?』

『目を開けている時とな。再びやってくれんか?』

『分かりました』


 言われるままに目を開ける。


「長十郎さんと頭の中で会っているのね?」

「ちょ、ちょっとだけ離れてくれると嬉しい……」


 何でそのままの体勢なんだよお。

 こんなんじゃ、動揺するだけで思考が鈍るだろ。


「嬉しい癖に」

「嬉しくないわけじゃないけど、こう、ほらさ」


 漂う香りだけでもクラクラきそうになるのに。

 勘弁してくれよ。全く。

 

「ふうん。まあいいわ。ちゃんと長十郎さんと会えているなら良しよ」

「陽毬も頭の中で牡丹さんと会っていたんだな」

「そうよ。それで、長十郎さんに手を触れてみなさい」

「分かった」


 再び目を閉じ、長十郎の前に戻ってきた。


『長十郎さん、握手をしてもらえますか?』

『もちろんだとも』


 握手をすると、視界が外に切り替わった。

 だけど、体が勝手に動いている。

 

「こ、これは珍妙な……」

「長十郎さんですか?」


 俺の口が俺の意思とは関係なく動く。

 なるほど、俺の体を動かしているのは長十郎か。

 陽毬がにこやかにほほ笑み、俺の中にいる長十郎へ問いかける。


「如何にも、そうでござるが。この体は陽翔のもの」

「うまく行ったようですね」

「これはそなたらの力か?」

「はい。私と陽翔が手を繋いでいる時だけ、長十郎さんが外に出てくることができます」

「陽翔に体は戻るのか?」


 長十郎の焦る気持ちが頭の中に直接伝わってきた。

 体を貸している間は、彼の心の内が手に取るように分かるのか。

 万が一でも俺に体の主導権が戻らなかったら、と思う彼の優しい気持ちに心が暖かくなる。

 ずっと杉の木の下で、自由に歩きまわりたいと思っていただろうに、彼にとってある意味これはチャンスだ。

 だけど、彼はそうしようとしない。

 ただ俺の体の心配だけをしている。

 

「はい。陽翔が目を開ければ元に戻ります。体から出る時は、自由に出ることができます。長十郎さんが陽翔の体から『出たい』と念じるだけです」

「ほうほう。目を開けてくれ。陽翔」


 聞こえるままに目を開けると、体を自由に動かすことができるようになった。

 なるほど。面白い仕組みだ。


『このまま移動できそうですし、長十郎さんに外の景色を見てもらうこともできますね』

『そなたらの気遣い。それだけでそれがしは充分だ』

『そう言わず、たまには連れ出させてくださいよ』

『そなたが構わぬのなら、それがしは大歓迎だぞ』


 切り株に座ったまま、腕を組み朗らかに笑う長十郎であった。

 

『それではそろろろ、それがしはここからおいとまするとしよう』


 そう言うや否や、長十郎の姿が忽然と姿を消し、それと前後して木漏れ日の世界が消えて行く。

 目を開けると、またしても陽毬の顔が。

 

「だから、近いって」

「ワザとよ。あなたの反応が面白くて」

「長十郎さんもいるんだし、もうちょっと、ほら」

「へえ。二人きりならって、いやらしい」

「何でそうなる!」


 ダ、ダメだ。

 からかわれていることは重々承知しているが、つい彼女の言葉に乗っかってしまう。

 

「面白い体験をさせてくれて感謝するぞ。陽翔、陽毬」


 定位置の隼丸の隣に立つ長十郎が改めて感謝の意を述べた。


「また来ますね。さ、行くわよ。陽翔」

「え?」

「ほら、宿題を終わらせないといけないでしょ。ひょっとして、お勉強が得意だった?」

「いや、全く」

「それ自慢するところじゃないからね」


 何て言いつつ、陽毬は長十郎にペコリとお辞儀して俺の手をグイっと引っ張る。


「また来ます。長十郎さん」


 軽く片手を振り、俺も長十郎へ別れを告げた。

 

 ◇◇◇

 

 陽毬が先行し、グイグイと引っ張られながら細い路地の外まで出て来る。

 

「ど、どうしたんだ? 宿題なんて夜にでもできるだろ」

「全く……鈍いわね」

「な、何が?」

「いい? 陽翔は無事、長十郎さんを憑依させることができた。ならどうするの?」

「えっと、二人を桜並木のところまで連れて来て……あ、あああああ」

「やっと気が付いたようね」


 桜並木に二人を連れ出すことで頭が一杯だった。

 じゃあ、桜並木って一体どこにあるんだ? と言われると……ハテナマークが。

 それに、連れ出す日は俺と陽毬が別々に行動しなきゃならない。土地勘がある彼女に道案内を任せるってこともできないんだ。

 桜が散るまでにまだ時間は残されているけど、どうせなら満開の内に二人を会わせてあげたい。

 となると、善は急げってわけか。


「まずは電車に乗りましょう」

「ん?」


 陽毬に何か考えがあるんだな。ここは素直についていくとするか。

 

 到着した先は葛城駅だった。

 牡丹がいる公園がある駅だ。

 

「なるほど。やっと分かった。さすが陽毬だな」

「でしょ。さすが私! 褒めていいわよ」

「すごい、陽毬。さすが、陽毬。さすさす」

「酷い、余りに酷いわ……」

「すまん……」


 褒めろと言われて、なかなかいい言葉が浮かばなかった。

 

「ほら。これで我慢してあげる」


 陽毬は立ち止まって首を俺の方へ傾ける。

 すると彼女の頭が俺の方へ少し寄って……。

 

 なでなで。

 開いた方の手で彼女の頭を撫でると、彼女は気持ちよさそうに目を細める。


「良し。行きましょう」

「おう。目指すは葛城城だ」


 長十郎と牡丹の思い出を今に伝える葛城城が見えるところってのは、二人にとって良い場所だと思う。

 あとは城の近くに桜がないか探すだけだ。

 

 ◇◇◇

 

「ただいまー」


 あの後、バッチリの場所が見つかったので牡丹に会ってから帰宅することとなった。

 まだ早かったのか、誰も帰宅していない様子。

 一人リビングにあるソファーに座り、何気なくテレビをぽちっとつける。

 

 ニュースで花見客の特集が組まれていて、ああ、春だなあと思っているうちにいつしかウトウトしてきて……。

 

「お兄ちゃん、そろそろ起きたらー?」

「重い」

「ご褒美でしょー。妹に乗っかられるのって」

「いや。それは無い。空想と現実は違うのだ」

「ひどーい」

「分かったから、どいてくれ」

「もうー」


 妹を押しのけ、体を起こす。

 ふあああ。

 随分眠っていたようで、既に父が食卓でご飯を食べていた。

 

「どうだ? 陽翔。新しい学校は?」

「順調。勉強以外はさ」

「そうかそうか」


 父親は愉快そうにビールをごくごくと飲む。


「陽翔、お友達はできたの?」

「ちょっと、お母さん、それは」


 分かっている妹が母親を諫めるが、俺は肩を竦め言ってやった。

 

「うん。友達はもうできたよ」

「え、ええええ! 事件、事件よ。お母さん」

「ちょっと、陽翔も友達の一人や二人くらいすぐできるわよ。ね、陽翔」

「そうそう」


 ははは。

 立ち上がり、炊飯器からご飯をよそう。

 

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