第18話 トライ
「不思議な感じです」
陽毬の雰囲気が一変した。物静かで柔らかな凡そ彼女らしくない表情と声色だ。
「牡丹さん?」
「はい。陽毬様の体をお借りしております。それにしても本当に暖かい」
遠慮がちに指先だけに力を込める陽毬の体に入った牡丹。
その指先は俺の手と繋がっている。
「俺にも憑依できたりするのかな?」
「試してみないことには……」
「試すといえば、手を離します」
すっと陽毬の手を離そうとしたら、名残惜しそうに人差し指だけで俺の手を追うが完全に手が離れたところで動きが止まった。その仕草は控え目で……陽毬にはない感じにドキリとする。
これが陽毬の姿じゃあなかったら、そこまでドキドキしたりしないんだが……普段の彼女とのギャップがさ。中身が違うのは分かってるんだけど、ううむ。
「聞こえないわ。牡丹さんの声」
「体も動かせなくなった?」
「ええ。私の中に入っているから私の視界には入らない」
「つまり、見えないってことか」
「そうよ。それと、牡丹さんの声が聞こえる?」
「いや、聞こえてこないな」
「体の中に閉じ込められた状態なのかしら。私の体が遮断しているから、霊としては喋ることができないのかも」
「牡丹さん、聞こえますか? 陽毬から出てくることはできますか?」
出てきても俺には見えん。
と思ったら、陽毬から俺に手を握ってきた。
「うお」
牡丹の額が目の前に来たからちょっとビックリしてしまったぜ。
「簡単に出ることはできます。すごく不思議な感じでした」
「憑依ってイメージすると、陽毬と牡丹さんが心の中で会話できたりしそうなものだけど」
「それがまた、できないのよね。目を瞑ると牡丹さんの全身が見えるんだけど。なんて言ったらいいか。四角い部屋の中で牡丹さんが私と向い合せで立っているような」
「きっと俺なら、声だけが聞こえるのだろうなあ。試してみてもいいかな?」
コクリと頷きを返し、至近距離にいる牡丹が俺に体を預けるように体を傾ける。
わ、わわ。
思わず抱きとめようとしたが、すり抜けた。
軽くホラーだなこれ……。
「これ、中に入ってないよな」
手が俺の背中から出ているような気がするし。
陽毬が額から冷や汗をたらりと流していることから、まあ、そうなんだろうと思う。
「陽翔。牡丹さんを受け入れようと強く念じるの」
「そ、そうか。牡丹さん、俺の中にって?」
「あなたが言うと何だかいやらしいわね」
「し、失礼な」
気を取り直し、再度挑戦。
今度は牡丹さんの手の平が俺に触れたところで、彼女の手が弾かれてしまった。
強く念じているはずなんだけど、何だこの現象は。
「性別かも? 無意識に陽翔が牡丹さんを避けている?」
「そうなのかなあ。単純に同性じゃないとダメなのかもしれない」
「もっといろいろ試したいところだけど」
そう言って陽毬は空を見上げる。
空は茜色に染まっていて、もうすぐ日が落ちそうな時間帯になっていた。
「また明日来るとしようか」
「そうね。牡丹さん、また明日来ます」
「今日もありがとうございました。とても楽しい時間を過ごすことができました。またお待ちしております」
「また」のところで薄くはにかむ牡丹が消えてしまいそうな儚さで胸がチクりとする。
「はい!」
「待っていてください!」
だから、精一杯の笑顔で彼女へ言葉を返すんだ。
陽毬も彼女にしては珍しいくらいのこぼれんばかりのいい笑顔で元気よく手を振る。
いつかあなたが幸せに成仏できますように。儚くなくなり心からの微笑みを見せてくれますように。
「行こう」
「ええ」
ギュッと手を握りしめ、陽毬と並んで歩き出す。
「お二人に幸ありますように」
牡丹の祈るような声が後ろから聞こえた。
◇◇◇
翌日――。
朝から陽毬と待ち合わせをして、お堂の裏手にある杉の木の下に向かう。
俺たちの姿を見た長十郎は、「おおい」とばかりに手を振り愛馬の隼丸もひひんと俺たちに挨拶をする。
「今日は早いのだな」
着物の合わせ目辺りから手を中に入れ、あくびをしたフリをする長十郎。
彼なりの茶目っ気だろうけど、時代が違い過ぎて分からん……。
「早速ですが、試したいことがあるんです」
「ほうほう。昨日の今日で何か思いついたのだな。男子、三日会わざればというが」
「いえ、思いついたのは俺じゃあなくて、陽毬なんです」
「ほほお。才女とは、そなたも尻に敷かれぬよう」
何気ない一言だったんだろうが、陽毬の眉がピクリと動く。
「長十郎さん。私、こう、控え目で後ろから支える……縁の下で。ですので、才女とか言われますと照れますわ」
何その口調……。
「痛っ」
二の腕をつねられた!
近い方の左手は俺と手を繋いでいるから、わざわざ手を伸ばしてだぞ。
そんなあからさまな動きをしたら長十郎に思いっきり見られると思うのだが。
ほら、案の定。
「かかか。そなたらはほんに愉快でござるな」
「は、ははは」
変な笑い声が出てしまったよ。
後が怖いぞこれ……。恐る恐る陽毬の顔を覗き込むと、意外にも彼女はふんわりとした柔らかな表情をしていた。
そ、そうだったのか。
この場を和ませ、長十郎に楽しい時間を過ごして欲しいという思いから、このような態度を取ったのだな。
陽毬……なかなかやるじゃあないか。
「ほら、変な顔で頷かなくていいから、とっとと試す」
「へいへい」
前言撤回だ。
背中を押され、長十郎の前に立つ。
「長十郎さん、早速ですが試させてください」
「ほう?」
集中するため目を瞑り、彼を受け入れようと強く念じる。
そのまま一歩前に進み、彼と重なるように……。
「このまま俺の体に触れてください」
「承知した」
目を開けたら、長十郎の手が俺の肩にまさに触れようとしているところだった。
しかし、いざ彼の手が俺の肩に触れるとそのまま反対側へ弾かれてしまう。
昨日の牡丹と同じように。
「ううむ。陽毬もやってみてもらえる?」
「分かったわ」
俺と入れ替わるように陽毬が前に出る。
彼女の小さな手の平が長十郎の腕に触れるが、ダメだった。
「ううん。男の人ってことで少し委縮していたのかも。長十郎さん、少し待っててください」
「もちろんだとも」
踵を返した陽毬は俺の手をグイグイ引っ張り、大股で歩き始める。
「おいおい、どこまで行くんだよ」
「ここでいいわ」
お堂の表まで出た所で陽毬が立ち止まった。
続いて彼女は左右を見渡し、満足したように頷く。
「陽翔、私の肩に両手を置いて」
「お、おう?」
言われた通りに両手を陽毬の肩に手を置いた。
本当に華奢だなあ。思いっきり抱きしめたら折れてしまいそうだ。いや、俺が力強いのかと言われるとそうじゃあないんだけど……。
し、しかし。この格好はやばい。
陽毬が上目遣いで俺を見つめて来るし、彼女の桜色のぷるんとした唇が妙に目に焼き付いてしまって。
「もうちょっと寄って」
「寄るって、どこを」
「もう、まどろっこしい」
半歩進み踵を上げる陽毬。
「ち、近い」
「よし。大丈夫。多少鼓動が早まるくらいね」
長い睫毛が俺の顎に当たりそうだよお。
こっちは多少どころかえらい勢いで心臓が脈打ってる。
俺とは異なり彼女は澄ました顔で自分の胸に手を当て心音を確かめていた。
俺の気持ちなど知りはしない陽毬は体を離し、またしても俺の手をグイっと引っ張った。
「戻るわよ」
「お、おう」
「練習は終わり。まあ、見てなさい」
な、なるほど。さっきのは長十郎を憑依させるための練習だったってわけね。
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