第8話 好々爺
老人は幽霊だと一目で分かる。
何故なら、ブロック塀に体の一部がめり込んでいるからだ。
生身の人間だったら、血がどばどば流れるし平気な顔でつっ立っていたりできない。
彼は年のころ60代半ばくらいだろうか。白髪に黒が混じった髪は伸び放題になっていて、口元もまた真っ白な髭が伸びっぱなしになっている。
肘の辺りに繕いがなされた灰色の着物(半纏と表現したほうがいいかもしれないけど)を着ていて細い帯を腰に巻いていた。
さっそく彼に声をかけようとした陽毬へ掴んだ手を引っ張り、彼女を押しとどめる。
「何かあった?」
「先に周囲の確認をした方がいいだろ」
右良し。左良し。後ろ良し。
普通の人から見たら、俺たちはブロック塀に向かって語りかけているように見えるからな。
別に変な人扱いされても俺個人としては問題ないんだけど、陽毬までそう思われるのは気分のいいものではない。
それに……下手したら職質を喰らうかもしれんしな……。
「オールグリーン。オーバー」
「全く……こういうところだけ細かいんだから」
「……ほっといてくれ」
「私のことも思って、確認してくれたんでしょ。それくらい分かっているわよ」
ツンと顎を上に向けた陽毬は、そのまま俺の手をグイっと引き老人の前までスタスタと歩いて行く。
「こんにちは」
「……」
陽毬が挨拶をするも、老人の反応がない。
「こんにちは!」
「……」
彼女より大きな声で今度は俺が挨拶をすると老人の眉がピクリと動く。
お、反応があった?
「お聞きしたいことがありまして。少しだけお話していただけますか?」
「……こりゃ、驚いた。儂の姿が見えるのか?」
「はい。俺の声が聞こえますか?」
「分かる。聞こえるぞ。人の声を聞くのは数十年ぶりかの」
老人は伸ばしっぱなしの前髪に指先を通し、額の上まで上げる。
視界を塞いでいた髪の毛を上にやり、俺たちの姿を良く見えるようにするだめだろうか。
驚く態度とは裏腹に老人は目を細め「うむうむ」と頷いていた。
「して何が聞きたいんじゃ。若いお二人さん」
「人を探しているんです。葛城城の城下町にかつてあったお店に務めていたみたいなんですが」
さっそく老人に尋ねてみると、彼は顎髭をさすり思案顔になる。
「ふむ。死んでからというもの、ここから動いておらぬからのお。儂の時代のことなら分かるがの」
「お爺さんの時代に『篠沢屋呉服店』はありましたか?」
「おお、おお。懐かしい。内職して篠沢屋へ行ったものじゃ」
「場所は分かりますか?」
「もちろんじゃ。じゃが、街の様子もすっかり変わっているんじゃないのかの。目印だけ伝えようぞ」
「ありがとうございます!」
陽毬と顔を見合わせ、喜色をあげ頷き合う。
まさか一発目で当たりを引くとは思っていなかった。
「葛城城西門から進んだところに並木道があっての。そこに樫の木があるのじゃ。ほんで、並木道に入って三軒目が篠沢屋じゃよ」
「樫の木ですか。他にも樫の木があるところってありましたか?」
「ないのお。当時は……じゃがな」
「貴重な情報をありがとうございます」
ペコリと二人揃ってお辞儀をし、老人に礼を述べる。
さあ行こうかとしたところで、陽毬が握った俺の手を引っ張った。
っと。とと。
思わぬ力が入ったことで、よろめきそうになる。
「お爺さん、お名前を教えてくれませんか。あ、すいません。私は
「儂は
ん、自己紹介を忘れたってこと?
いや、それだけじゃないようだ。陽毬は淀みなく言葉を続ける。
「お気に障ったらすいません。喜平さんはここに留まる未練や
「そうさの。儂のような亡霊が他にもいるのか分からぬが、儂にはこれといった恨みなんてないのお」
「幽霊は何人もいます。私は『見た』だけで、実際にお話するのは喜平さんが二人目ですが……」
「そうかそうか。久しく人と話などしておらんかったからのお。ふぉふぉ」
「喜平さんは、その、天に還りたいとか思わないんですか?」
「儂は死後、原因はとんと分からぬが迷うてここに亡霊として立っておる。それもまた数奇なもんで、悪くないもんじゃよ」
「そんなものですか」
「ふぉふぉふぉ。他にも亡霊がいるらしいが、儂のような亡霊は他にいないじゃろ」
老人――喜平は愉快そうに眉根を上げる。
「お嬢ちゃん、いや、陽毬ちゃんや。儂を気遣ってくれたのじゃろう。だが、心配無用。儂は天に召されることを望まんよ」
「余計なことを聞いてしまい、すいません」
「いやいや、優しい子じゃの。強く願えば、儂も天に昇れるかもしれぬのお。だとも、儂はここから街を見るのが好きなんじゃよ」
好々爺とはまさにこの人のような人のことを言うのだろうなあ。
掴みどころがなく、自由人。
幽霊になってさえこの世の楽しみを見いだせる彼は、変わっているけどとても強い人なんだなあ……なんて。
その生き方をどこか羨ましいとさえ思えてくるんだ。
「また遊びに来てもいいですか?」
「もちろんじゃよ。坊主……ええと名は、まあよい。またの」
俺の名は覚えてないのかよ。ま、まあいい。
いずれ忘れられないくらいにしてやるからな。何度だって来てやる。どうせ暇なんだろ、爺さん。
苦笑していると、陽毬と目が合う。
「楽しそうね」
「まあ、こんな明るい幽霊の爺さんにあったらな」
「そうね。幽霊にもいろんな人がいるのね」
「だな。行こうか」
「そうね。行きましょう」
喜平に別れを告げ、俺たちは葛城城を目指す。
◇◇◇
葛城城は修復工事中で中に入ることはできなかった。有名な観光地となっている城に比べれば、とても規模が小さい城だけど俺はこっちの方が好きかもしれない。
ちょっとしたお掘りもあるし、城壁だって備えている。
工事が終わっても、人がそうそう増えそうにないしじっくりとお城を観察できるのがよい。
城を一周回るのもこのサイズならすぐだし。
えっと、西門だったか。
「単純に方向が西ってわけじゃあないんだな」
「そうね。入り口が二か所しかないものね」
「駅と同じだな」
「確かに」
俺の言葉に陽毬がポンと手を打ち、同意する。
お城前にある看板によると、南西方向の門が西門らしい。
西門までてくてくとやって来て、城を背に様子を窺う。
「樫の木……ある?」
「住宅地になっていて、ダメね。こんな時は」
「こんな時は」
「ここよ」
陽毬は少しだけ膝をあげ、自分の膝をポンと叩く。
お、そうな。
歩きまわって探すしかないよな。
「すぐそこって喜平が言っていたような気がするし」
「そんなこと言っていたっけ。でも、自転車で、ってわけじゃあないからそう遠くないわよね」
「だよな」
なんて軽く考えておりました。
所詮徒歩で行ける距離だろ、なんて甘く考えていた自分を殴りつけたい。
こんなことなら、一旦駅にまで戻ってレンタルサイクルを借りてくればよかった。
ヒントは西門だけ。
樫の木がまだあるのかさえ分からぬまま、入り組んだ住宅地を歩き回っているだもの。
「だああ。ヒントが少なすぎだよ。樫の木さえ見つからねえ」
「そうね。私だって、すぐに発見できるとは思ってないわよ」
歩き疲れてコンビニ前のベンチに座り込む。
普段から歩き慣れていれば、これくらい平気になると思うんだけど、生憎体がなまり切っている。
陽毬もへたあっと体を曲げ大きく息を吐いていた。
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