第9話 薄幸の美女

「だよなあ。幽霊を探すって視点に切り替えるのもあるかもしれない」

「それも悪くないわね。この辺りで人の霊を見かけないし、お城の反対側にでも行ってみる?」

「うん」

「気長に行きましょう。コンビニでお弁当でも買いましょっか」

「だな」

 

 お弁当という言葉に反応して、俺の腹がぐううと主張し始めた。

 朝から出て、もうお昼かあ。


「ね、何か聞こえない?」

「ん?」


 ちょいちょいと耳に自分の手をやる陽毬。

 俺も彼女の真似をして耳を澄ましてみる。

 

 チリンチリン――。

 とても小さな響きだが、澄んだ鈴の音色が耳に届く。

 集中していないと聞けないくらいだから、そもそも音が小さいのか遠いかのどっちかだな。

 しかし、この鈴の音。妙に気になる。

 

「こっち……かな」

「いや、こっちかもしれない」


 どうやら陽毬も俺と同じ気持ちで、耳を澄まし音の方向を探っていた。

 チリンチリン――。

 かすかな音。

 自分が地面を踏みしめる音の方が大きく感じるくらいだ。

 

 右だ左だと陽毬と言い合いつつも、鈴の音を追って辿り着いたのは小さな公園だった。

 公園といっても遊戯の一つも無く、一人用の男女に分かれたトイレと街灯が二本にベンチが二脚しかない。

 公園は広場になっていて、周囲を木々が囲んでいた。

 

「あっちかな」

「そうね。あの電柱の裏手みたい」


 電柱ではなく右手にある街灯まで進む。

 すると、木々の隙間から着物姿の人影を発見する。

 

「あの人」

 

 発見したのは同時だったらしい。陽毬が俺に目配せしてくる。

 眉をんーとひそめ、目を細める姿がちょっと可愛いと思ってしまった。

 件の人影は美しい艶のある長い黒髪に白装束と、一目みて彼女が幽霊だと分かる。

 面長で切れ長の目から伸びる睫毛が儚げで、右手に持った小刀? を静かに振るっている。

 小刀の柄には赤い紐で結ばれた鈴がついていて、これが音の原因だったってわけか。

 それにしても、鈴を振る彼女の姿はなんだか物悲しくて切なさを誘う。

 目を離すと消えてしまいそうな、朧げな印象を与える二十歳くらいの女の人だった。

 

 声をかけるのも戸惑われる透けるような肌をした彼女へどうすべきか陽毬と――。


「こんにちは」


 ってええ。躊躇なく行ったあ。

 陽毬から声をかけられた黒髪の女の人は鈴を鳴らす手を止め、こちらに顔を向けた。


「鈴の音が聞こえるのですか?」


 無表情に彼女はそう呟く。

 

「はい。鈴の音を追ってここまで来ました。ね、陽翔」

「う、うん」


 そこで俺に振るのかよお。

 分かった。

 ここは俺がしゃきっと聞いてみせる。

 

「あ、あの。俺、日向陽翔ひなた はるとって言います。こっちは向井陽毬むかい ひなたです」

「ご丁寧なごあいさつをありがとうございます。不躾に聞き返してしまい、申し訳ありませんでした」

 

 しずしずと長い黒髪の女の人はお辞儀をする。

 その仕草に見とれてしまいそうになった。陽毬も「綺麗」とか呟いているし。

 そうなんだ。彼女は綺麗過ぎる。それがまた現実であることを遠ざけているのだ。

 彼女は元人間のはずなんだけど、妖精とか精霊とか別の何かなんじゃあないかって思えてくる。

 

「私は牡丹と申します。生憎、もてなせるものは何もございませんが」

「牡丹さん!」


 陽毬と俺の声が重なった。


「あれが長十郎さんの探していた牡丹さん?」


 膝を落とし陽毬の耳元で囁くと、彼女もうーんと首を傾ける。

 「葛城城」「篠沢呉服店」「牡丹」というキーワードは合致しているけど、彼女は長十郎に聞いていた牡丹の印象と余りにかけ離れている。

 長十郎は笑うと「花が咲いたようだ」と表現していたけど、彼女の場合、吸い込まれるような透明な微笑み……って感じなんだよな。

 長十郎の語りから俺の想像していた牡丹は、元気いっぱいでいつもにこにことした生命力溢れる女性だった。


「長十郎さんから聞いていたイメージと少し……違うわね」


 今度は陽毬が俺の耳に口元を寄せ囁く。

 

「今何とおっしゃいました?」


 不意に淑やかな声が耳に届く。

 聞こえていた?

 ハッとなり、落とした膝を伸ばすと俺の肩が陽毬の頭にぶつかりそうになってしまう。

 こ、こんな近くにいたんだ。

 そらそうだよな。彼女と目線を合わせ囁き合っていたんだもの……。意識すると急に。

 俺の思いなんて知りもしない陽毬が肘で俺の腹をこづく。

 

「すいません。悪く言ったつもりはなかったんです」

「そ、そうなんです」


 しっかりと口上を述べる陽毬に対し、なんて情けない俺の発言なんだ。

 

「いえ、そうではなく、先ほど『長十郎』とおっしゃいませんでしたか?」

「まさか、長十郎さんを知っているんですか?」


 牡丹に問い返すと、彼女は頬を朱に染め目を瞑りゆっくりと頷く。


「長十郎様……」


 目をつぶったまま艶っぽく息を吐き、彼の名前を口にする牡丹。

 もうその姿を見るだけでどれだけ彼女がどれだけ長十郎に恋い焦がれているのか分かる。

 たまたま名前が同じだけ……という線も捨てがたい。

 俺の知る長十郎と別人だったら、いや、その時は彼女の知る長十郎を探せばいいさ。

 うん。

 

「どうする?」

 

 違ってたらガッカリするだろうなあと内心思いつつ、陽毬に尋ねる。


「牡丹さんから長十郎さんのことを聞いてみたらどう?」

「そうだな。俺たちの知る長十郎さんかそれで判別がつくか」


 だよな。聞いちゃった方がいい。

 問いかけようとした陽毬へ「俺が喋る」と目配せし、今だに目を瞑り小刀を胸に抱えて彼のことを思い描いている牡丹へ目を向けた。

 

「牡丹さん。長十郎さんと牡丹さんのことを聞かせていただけますか?」

「長十郎様。逞しく頼りがいがあり、勇ましいお方でした」


 ……。あ、いや。のろけじゃあなくて……。

 こいつは聞き方がまずかったな。牡丹は久方ぶりに長十郎の名を聞いたことで想いが止まらなくなっているんだ。


「牡丹さん。牡丹さんは生前どんなことをしていたんですか?」

「私はずっと女中をしておりました」

「ひょっとしてその奉公をしていたところって、篠沢ってお店ですか?」

「そうです。陽翔様は篠沢の者なのですか?」


 表情の動きが少ないものの、僅かに口元をあげ声色にも喜色が混じる牡丹。

 こいつは、大当たりじゃないのか!?


「いえ、違います。もう一つ、尋ねたいことがあります」

「はい。私に分かることでしたらどのようなことでも」

「長十郎さんは伝令に向かわれた? そして、その後、戦が起こった?」

「よくご存じですね。もう……随分と昔のことです」


 牡丹は顔を伏せ、着物から伸びたほっそりとした指先を僅かに震わせる。

 辛いことを思い出させてしまったようで、胸が締め付けられる思いだ。

 だけど、聞かなきゃならない。

 長十郎のためだけじゃなく、彼女のためにも。

 きっと彼女もこの世に未練を残して、ここに幽霊として佇んでいるのだろうから。

 彼女の様子から鑑みるに飄々とした喜平とはまるで事情が異なることは明白だ。

 彼女の儚げで朧げな雰囲気は、何か抱えているものがあるからに違いない。

 それが、「未練」なんじゃないかって俺にでも容易に想像できる。


「辛いことを思い出させしまい、すいません。ですが、今でなくてもいいんです。長十郎さんが伝令に出た後、牡丹さんに何があったのかを教えて欲しいんです」

「少しだけ……待っていただけますか。私も長く、ここで、誰かに自分のことを語ることなんてありませんでした。ですから……」


 彼女もまた長十郎と同じくらい長い時間を幽霊として過ごしてきたんだ。

 ずっと長十郎のことを想いながら。

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