第6話 陽毬
「分からぬ。亡霊となりて、この木の下で世を眺めておったが、ついぞ武士の一人にさえ見かけなかったのだ」
「誰か一人くらいはここを通りかかったんじゃ」
「うむ。もちろん誰一人通らぬことはなかった。だが、某の遺体はそのまま風化しておる」
「……」
やっぱりそうか。
長十郎は自分の生きた時代に遺体が発見されることはなかった。
もし、彼の遺体を発見した者がいたとしたら、牡丹に話が伝わる可能性が高い。
それが叶わなかったから、長十郎の遺体は風化したんだ。
誰も、何も、彼の死を知らず。
朽ち果て……それでも尚、彼はここで数百年の時を過ごし……。
「それって、牡丹さんも長十郎さんの死を知らぬままってことじゃない……ずっと長十郎さんがどこかで生きていると信じていたってわけよね」
ドキッとした。
陽毬の目からぽろぽろ涙が流れるままになっていたからだ。
長十郎が倒れた後、何か事情があり、彼を捜索する者がいなくなったのだろうか? 歴史は闇の中、長十郎が知らぬなら推測することしかできない。
「きっと……いや、向井さん」
彼女の手をギュッと握る。
「どうしたの?」
陽毬はハンカチを目に当て、笑顔を作ろうとするが目から流れ落ちる涙が止まっていない。
「俺たちで、探そう。牡丹さんを」
「あなたにしてはいいことを言うじゃない。私も牡丹さんを探したいって思っていたところよ」
ニカっとワザとらしい笑みを浮かべたら、彼女も泣き笑いで返してくれた。
「すまぬの。つまらぬ話だっだろうに」
「いえ、そんなことはありません! ね、陽翔」
「もちろんだよ。それでですね、浅井さん」
彼の名を呼び、大きく息を吸い込む。
「牡丹さんに浅井さんのことを知らせたいんです。覚えている限り、牡丹さんの身の上を教えてくれませんか?」
「もちろん構わんが……何分、昔のことだが良いのか?」
「はい。浅井さんが『良し』とするのでしたら、俺は探したい。牡丹さんはきっと浅井さんの身を案じていたはずだから」
「主らが牡丹を探してくれるというのなら、是非もない。お願いできるか?」
「はい!」
陽毬と頷き合う。
よかった。彼女も俺と同じ気持ちで。
一人暴走してしまったと思っちゃったから、彼女も頷いてくれてホッとしたよ。
「絶対に見つけようね。陽翔」
「うん。意地でも探し当てる」
「あはは。普段、頼りないのに、ちょっとだけ頼もしく見えちゃったわ」
「失礼な」
会って二日目で頼りないって言われてしまうとは……ま、まあ事実だから仕方ない。
「そういや、陽毬」
「なあに?」
「そのハンカチ」
「ちょっとコーヒーで汚れているけど、問題ないわ」
「え、えっと」
「ふうん」
「だから、その顔やめろって!」
「あはは」
全く……。
でも、陽毬の目からもう涙は流れていない。
泣いているよりいやらしい笑みを浮かべていた方が彼女らしい。
思わずクスリとしてしまったら、何故か長十郎もつられて朗らかに笑うのだった。
◇◇◇
この後、長十郎から牡丹のことを聞いたのだけど……。現代にまで繋がる情報は殆どなかった。
そらまあそうだよなあとは納得できるが、現実問題、どうやって牡丹を発見するか雲を掴むようなものだ。
だというのに、陽毬はフォークにさしたハンバーグを口に運びご満悦な様子。
「んー。おいし」
「お、おう」
「陽翔、食べないの?」
「すぐ食べるさ。牡丹さんをどうやって見つけようかって考えていてさ」
「考えるのは後々。腹が減ってはというでしょ」
「そうだな」
彼女の言う事ももっともだ。空腹では碌なアイデアも浮かばないよな。うん。
長十郎と別れた俺たちは、駅前のファミレスに入った。
彼から聞いた情報を俺たちなりにまとめたかったからだ。誘ってくれたのはもちろん陽毬。
彼女へ「この後相談したい」って言おう言おうと思っていたら、彼女からファミレスに誘ってくれたんだ。我ながら情けない。
食事まで摂ってなんて考えていなかったから、嬉しい誤算だった。
もちろん、女の子と二人で食事なんて人生初である。いや、二度目だ。
昼にファーストフード店で軽い食事を摂ったからな。すげえ俺。二度も女の子とお食事なんて。
……。分かっている。
分かっているから、これ以上何も考えたくない。
「牡丹さんをどうやって探すのか考えているのは分かるけど、おもしろい顔がますますおもしろくなっているわよ」
「た、食べるさ」
自分の心のうちを見透かされたような気がして、あからさまにびくうっと肩を揺らしてしまった。
いい感じで勘違いしてくれてホッとしたよ。
おおっと、また思考が逸れかけた。
じゅーじゅーと音を立てなくなった鉄板に乗ったハンバーグへナイフを通し、口へ運ぶ。
うめえ。
前を向くと陽毬のしつこいくらいふーふーする姿が子供っぽくて可愛い。
いいね。やっぱり、こういうのって。
舞い上がるなと言われても、やっぱりさ。
分かっているさ。彼女は牡丹のことを相談するために俺と食事をしていることくらい。
食事が終わり、ドリンクバーに二人一緒に向かって……彼女の手の甲が俺に触れたりなんか……しなかったけど、まあ、それはいい。
そんなこんなでコーヒーを持って席に戻る。
「さて、じゃあ、情報をまとめましょうか」
「うん。といっても殆ど情報は無いんだけどな」
長十郎と牡丹が住んでいたのは城下町で、城の名前は
それ以外に分かることと言えば、牡丹の務めていた反物屋くらいか。
「あ、えっと。反物屋の名前って何だっけか」
「篠沢よ。篠沢屋呉服店」
「そうだったそうだった。それで長十郎さんは城の傍の長屋に住んでいるとか言っていたな」
「あれ? 陽翔」
「ん?」
「浅井さんじゃなくて、長十郎さんて言ったわよね。呼び方変えたの?」
「うん。牡丹さんと合わせて長十郎さんって呼んだ方がいいかなって思って」
牡丹さんを名前で呼ぶなら、浅井さんじゃなくて長十郎さんって呼んだ方がしっくりくるしさ。
「ふうん」
「な、何だよ」
「長十郎さんだけ名前で呼ぶんだあ?」
「……」
言わんとしていることは分かる。だけど、な。
そいつは難しいってもんだぜえ。
「陽翔」
「へい」
「へいじゃなくて、分かっているわよね?」
分かりません。分かりません。
呼び方なんてどうだっていいじゃないかあ。
「あ、そういうことね。私の名前は
覚えるも何も、既に心にその名を刻み込んでいる。忘れるわけないじゃないか。
心の中でバッチリ名前呼びだからな。
「お、おう」
「じゃあ、忘れないうちに呼んでみよう? ね?」
「ううう。陽毬さん」
「呼び捨てでいいわよ。私も呼び捨てにしてるし」
「分かった。陽毬」
「うん。それでいいの。私だけ名前で呼ばれないってなんか仲間外れにされちゃったみたいだし」
そういうことだったのか。
可愛らしく口を尖らせる陽毬にクスリと声を漏らす。
「何よ」
「いや、何でもないさ。可愛いと思って」
「もう、あなたに子供扱いされるなんて!」
「そんなこと……ないよ?」
さきほど、執拗にふーふーしていた姿を思い出してしまった。
「今の間は……まあいいわ。話を続けましょう」
「だな」
といっても分かるのは城と店の名前だけなんだけどさ。
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