第5話 未練
「そなたら、二人とも息を切らせていかがいたした?」
長十郎が杉の木へ片手をやり、眉をひそめている。
結局、全力疾走になってしまいお堂の裏手に着くころには完全に息が上がってしまう。
陽毬は余り運動が得意ではないのか、その場でへたり込んでいるほどだ。俺も彼女ほどじゃあないけど、肩で息をしてぜえはあいっている。
立ち上がるまで彼女と手を繋ぐのはやめておこうと思ったんだけど、彼女は息絶え絶えながらも手を伸ばし指先をピンと俺の方へ向けた。
すぐにでも長十郎の声が聞きたいんだなと察した俺は、彼女の指先へそっと手を添えたってわけだ。
俺としても彼女と触れていないと長十郎の姿が見えないから致し方ない。
自分から彼女の指先に触れにいって少しドキドキしているのは秘密にしておいてくれ。
「ちょ、ちょっとした事情がありまして」
息を整えつつ、長十郎に応じた。
「息災であればそれで良し」
カカカと腕を組み声を出して笑う長十郎は、本当に楽しそうで彼の実情を思うとなんだか胸が温かくなった。
俺たちのおバカな行動でも笑ってくれたんだなあと、ちょっと嬉しくなる。
「陽翔」
「ん?」
「引っ張って」
「お、おう」
彼女の指先に添えた手を戸惑いつつも握り、グイっと引っ張り上げる。
思った以上に彼女が軽くてビックリした。
あ。
どうやら力が強すぎたようでぼふんと彼女の頭が俺の胸に当たる。
彼女はよろめくが何とか体勢を立て直し、片手でパンパンと自分の服をはたく。
「っつ。勢いよく引っ張り過ぎよ」
「ご、ごめん。いろいろごめん」
「いろいろって。他にもあったの?」
「い、いや。引っ張った以外には何もない」
「ふうん」
な、何だよ。そのいやあな目は。
口元に手のひらを当てて、わざとらしい……。
「ま、まあ、何だ。浅井さん。今日もお話を聞かせてください」
「下手過ぎる誤魔化しね」
「う、うるせえ」
わざわざ突っ込まれなくても、自分だって分かっているさ。
で、でも、そこはな。生暖かく放っておいてくれるのが優しさってやつだろ。
俺たちのやり取りに対し目を細め楽し気に見守っていた長十郎が、口を開く。
「いくらでも話をしようぞ。数百年、誰とも会話しておらぬかったからな」
「長十郎さん……」
「す、すいません」
余りにも悲しい一言に俺も陽毬もうつむいてしまう。
「何。某は嬉しいのだ。死後、これほど朗らかな気分になったことはない。お主らには感謝しておる」
そう言えば、長十郎はずっと楽しそうに口元に微笑みを称えている。
最初に見た時だけ戸惑った厳しい顔をしていたが、その時だけだ。
彼は俺たちと会話をすることができて嬉しいと言ってくれている。
俺にとって「声」ってのは少しトラウマで苦手だったけど、この人の声は不快じゃあない。
むしろ、もっと彼の話を聞きたいと思わせてくれるんだ。
「長十郎さんは、転倒してここで……だったんですよね」
陽毬が言葉を濁しつつ、確認するように尋ねる。
「うむ。何から話せばいいものやら。某の半生を聞いてもつまらぬだろうし、とりとめも無くなる」
そうだよな。何から聞こうか。
どんなものを食べていたとか、お城ってどんなところなんてことを聞いてみたいな。
未練に繋がる話を聞きたいことは当然として、いきなり確信を聞くのもちょっと……。
「でしたら、恋のお話とか聞かせていただけますか?」
何て考えていたら、陽毬が少女らしい質問を投げたあ。それ、男が語るになかなかしんどい内容だと思うぞ……。
最初の一発目からそれって。
対する長十郎は「ふむ」と頷き、杉の木を物憂げに見上げる。
「余り聞いても楽しい話ではないが。それでも良いか?」
「もちろんです!」
陽毬……食いつき過ぎだろ。
思いっきり身を乗り出しているし。
「こんな某でも、
ぎゃああ。のっけから痒くなるう。
でも、それは最初だけだった。彼の話はまるで時代劇の一幕のように思えたんだ。(当たり前といえば当たり前なんだけどね)
牡丹は反物屋に奉公する寒村出身の娘だった。
よく働き器量良しで裕福な長者か誰かに見初められて妻妾として迎えられることも夢ではないと言われていたらしい。
そんな牡丹と長十郎が最初に出会ったのは、彼が十九、牡丹が十六の歳だった。
出会いは偶然で、軒先の掃除をしていた牡丹の元を長十郎が通りかかり、彼が木桶に誤ってぶつかり倒してしまったことから始まる。
木桶には水が満タンに入っていて、運悪く牡丹の草鞋を濡らしてしまう。
「すまぬ」と詫びる長十郎に、しゃがんで拭き掃除をしていた牡丹がすっと立ち上がり振り向き、「お気になさらず」と笑顔を見せたのだった。
「某は牡丹のその顔に一目で好きになってしまっての」
長十郎は懐かし気に顔を綻ばせる。
だが、下級役人の子である長十郎は裕福ではないから、牡丹を妾にするなどもってのほか。
それでも、長十郎は諦めきれなかった。彼女と夫婦になりたい。彼女の笑顔と共にありたいと。
牡丹は長十郎の身の上が分かっていたので、「困ります」と彼を拒絶していたが、彼の誠実さと熱心さに惹かれて行く。
長い時間をかけ、長十郎は自らの主君を含めた周囲の人々を説得して理解を得て、牡丹を年輩の同僚の養女としてもらうことで身分の差を解消し、ついに彼女との結婚を認められたのだった。
喜ぶ二人。
桜の散る頃に婚儀をあげようと約束し、長十郎は隣国へ伝令に向かう。
「その帰り道、某はここで倒れた」
「そんな……嘘……」
陽毬は両手を口に当て、かぶりを振る。
「牡丹さんは浅井さんを探しに来なかったのかな……」
思ったことがつい言葉に出てしまった。
「そうよね。心配した牡丹さんが」
俺の一人言に陽毬が反応する。
二人で目配せし合い、頷き合う。
「某は亡霊となりて以来、牡丹の姿を見てはおらぬ」
「探しに来なかったんですか?」
そんなはずはない。だって、長十郎のことを牡丹も好きだったんだろ?
「なあ、陽毬」と彼女に目を向けて、すぐに彼女から顔を逸らす。
だって、彼女のヘーゼルの目が赤くなって目に涙をためていたんだから。
見ちゃいけないものを見てしまったような気がして、顔を背けてしまった。
「来てはおらぬ」
しかし、長十郎は俺の期待とは裏腹に言葉を返す。
「で、でも。牡丹さんは長十郎さんのことを愛していたんですよね?」
今にも泣きだしそうな顔で陽毬が縋るように長十郎に尋ねる。
「愛していた……と某は信じておる。某は今でも牡丹を」
「浅井さんを見つけることができなかった……のでしょうか」
「分からぬ。あの後のことは。某はここから動くことができぬ。確かめようにも確かめようがないのだ」
ギュッと口を結び、杉の木を撫でる長十郎。
憂いを帯びた彼の姿に胸が締め付けられる。
死後、長十郎は牡丹と会うことが叶わなかった。これが彼の未練となり、幽霊となってしまったのだろうか。
亡霊の長十郎はついぞ牡丹に会うことが無かった――。
それって裏を返せば。
「浅井さんがここで亡くなったことを誰も知らないんですか?」
確認するように彼に尋ねると、彼は杉の木から手を離し虚空を見つめた。
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