第2話 同行先で待っていたのは

 自分は岸未知夫。日本生まれの日本育ち、単なる小学校教師だ。

 なのに、扉の向こうから呼びかける声は、一貫して“ロード・マンナイト”と呼んでいる。

 人違いですよ、もしくは、部屋をお間違えではありませんかと、ドアを開けて言ってやるべきなのだろうか。

 だけど、僕の今置かれた状況とそれに付随する言い表しがたい肌感覚は、僕の方が間違っているんじゃないかと不安にさせてくれる。ここはロード・マンナイトとやらになりきって返事をするべき?

 振り返って、少し前まで横たわっていたベッドを見やると、キングサイズで広々としており、布団もいい物を使っている。装飾だって凝っており、脚柱には獅子や龍といった勇ましいイメージの生き物が彫られていると今さらながら認識できた。

 高価そうな寝床は、ロード・マンナイト“様”と様付けされて呼ばれていることと符合する。ひょっとして、貴族か何かかな? ネグリジェにズボンという寝間着姿は、中世の頃の西洋では男でも普通だったんじゃなかったっけ。

「ロード・マンナイト様? お目覚めではありませんか? もしや、こちらでも何か異変が」

 声の調子が変わった。緊張感を帯びた言葉が途切れると、ノックが今度は激しく乱打された。

 僕は依然として、壮大などっきりを仕掛けられている可能性を頭の片隅に置いていた。外国人とおぼしき名前を呼びながら、その言葉は日本語である点がどうしても気になったからだ。

 けれども、いつまで経っても返事しないでいたせいだろう、ドアの向こうはいよいよ騒然としてきた。断片的に聞こえる会話と雰囲気から、複数名が集まり、ドアを破る相談を始めたようだ。これは限界が来たと感じた。

 僕はえーい、ままよとばかりに、ベッドから弾かれたように駆け出すと、ドアのノブにしがみつき、横スライド式の閂錠を開けた。

「や、やあ。遅くなってすまぬ。昨晩は寝付きが悪くてな。たった今目覚めたところ」

 同時に、そんなことを口走っていた。言いたい内容は考えていた通りなんだが、「すまぬ」とか「悪くてな」という言い回しは、意図していないものである。外からの意志の力が働いた、とても形容したくなる、不思議な感覚にまとわりつかれている心地だ。髪だの声だのの気味悪く感じていたのに、今のしゃべるという行為に関しては、外からの力が真逆に気持ちよく感じられる。しっくりくる、と言えばいいのだろうか。

「ご無事でしたか。焦りました。お目覚めしたばかりのところを申し訳ないのでありますが、事件が起きました。至急、二階の221号室にお越し願います」

 僕は話の内容以前に、自分の視線の高さに面食らっていた。いつもよりずっと高い位置にある。文字通りの目算で、一九〇センチメートルくらいはありそう。暗い室内では感じ取れなかったが、明るい廊下に出たことで、しっかり認識できたと思われる。これがいたずらの結果なら、もはや完全に犯罪だが……。僕はパニックに陥る前に、眼下の男性達が金髪碧眼のいかにもな西洋人なのに、全員が流暢な日本語を話していることに気付いた。金髪碧眼だからって日本語がぺらぺらであっちゃいけない法はないが、五、六人が揃いも揃ってとなると普通じゃない。

 ということは……あまり考えたくない事態だけれども、ここは現世ではないのかもしれない。かといって、俗に言う死後の世界とも違うようだ。時空を遡ったか、はたまた、別世界、異次元てやつ?

 絵空事を真剣に思い描き始めた僕の前で、最初にドアをノックしたであろう声の主が、きらめく目で見上げてきた。若い男性と表現するよりも、青年もしくは年長の少年と言った方が近そうな顔立ちをしている。

「ロード・マンナイト様。ことは一刻を争います。お早くしないと、事件解決の手掛かりが消えるかもしれないと、いつも口を酸っぱくしておっしゃっているじゃありませんか」

 若干聞き取りにくいほどの早口で言うと、彼はきびすを返して歩き出した。他の者は一時的に互いに顔を見合わせ、先陣を切った青年の行動に多少驚かされたようだが、すぐに僕の方を見て、急ぐようにと促してきた。

 こんな寝間着っぽい格好でいいのかなという思いがよぎるも、何度も急かされるくらいの緊急事態ならば、服を気にしている余裕はないのが当然。このままの姿で先導されるがままに付き従う。

 踊り場を一度ぐるっと回ったきりで二階に着いたようなので、元々は三階にいたことになるなと考えつつ、問題の部屋、221号室の前に到着した。ドアは開いており、その真ん前には小柄な少年が立っている。先ほどの青年とよく似た顔立ちで、今も親しげに言葉を交わしている風だ。兄弟かもしれない。

「この部屋は……」

「はい、客室ですが、昨晩はスチム・モントルー博士がご使用でした」

「博士……」

「はい。でも、被害に遭ったのは博士ではありません」

 こちとら何がどうなってどんな事態なのかまったく分かっていない。なのに一言呟く度に、青年がフォローするかのごとく応えてくれる。おかげで、僕は周囲の者から奇異の目で見られることなくいられたし、状況も徐々に掴めてきたようだ。それにしても……「被害」だって? 少年も見張りに立っているように見えてきた。

「被害……」

「ええっと、亡くなったのは歌手兼踊り子のタイナ・ジェパンシィ嬢。この上の階の客室を使っていました」

「亡くなった、だって?」

 今度こそ、叫ばずにはいられなかった。


 つづく

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