11
残念ですが、御母堂はもう目を覚ますことはありません。
僕は母を殺した。
僕はそれを、忘れることはできない。
「驚いたよ、シュルト。まさかお前まで裏切るとはな」
切りかかる、弾かれる。切りかかられる、弾く。4、5回そんなやり取りを繰り返した。僕らの実力は拮抗していた。
「どんな気持ちで、裏切り者を拷問したんだ?聞かせてくれよ」カーシェスが問う。
「聞いただろ、副団長の言葉。あの娘を、カナエを聖王陛下のもとに連れ戻したら、あの娘は殺される」
「それが何か俺たちに関係あるか?」
カーシェスの剣戟が激しくなる。さすがといったところか。受け流すのが精いっぱいだ。
「僕は裁かれたいんだ」
カーシェスの剣を強く弾き飛ばして距離をとる。蒸し暑い下水道の環境が体力をより奪う。陸地の傍らでは水が流れる音が聞こえる。
シュルトさんは、もしかして、女神さまを信じてないんじゃないですか?
山から反射した銀色の光がヴィオルナの街を照らしていた。彼女は、ほんの短い間だったが、僕の目をまっすぐ見つめてそう聞いた。
仲間が死んで、蘇ったとき、僕はシルヴィア様に祈った。僕が死んで、僕がよみがえったとき、僕はシルヴィア様に祈った。それが奇跡だ。シルヴィア様のもたらした"奇跡"だ。僕らはもう、死の恐怖におびえることはない。
死の定義は薄れていった。同時に生の定義も薄れていった。それらは対となる存在だから。僕らは誰一人として、誰かの心の支えになれていない。誰がいても、誰がいなくても、残るものは何もないのだから。
僕は今までに数え切れないほどの人を殺した。僕はそれに罪悪感を感じたことはない。
シュルトさんは、もしかして、女神さまを信じてないんじゃないですか?
母が死んだときも、僕はシルヴィア様に祈った。母は蘇らなかった。奇跡は起こらなかった。母は灰になった。真っ黒な灰に。
僕らは誰の心の支えにもなっていない。僕らは人殺しに罪悪感を抱いたことがない。本当にそうか?シルヴィア様は"奇跡"をもたらした。シルヴィア様は死を取り上げた。
本当にそうか?
母が死んだ。僕の心には穴が開いた。いびつな穴が。僕は初めてその穴を認識した。
カナエと一緒に教会に行った。カナエは"奇跡"を否定した。カナエと景色を見に行った。カナエは僕に尋ねた。シュルトさんは、もしかして、女神さまを信じてないんじゃないですか?
女神さまを信じてないんじゃないですか?
…そうだ。そうだとも。僕らは本当はみんな知っているんだ。人を殺して平気なわけがあるか。人が死んで平気なわけがあるか。シルヴィア様は何も取り上げちゃいない。何ももたらしてもいない。端的に言えば、目を背けていただけだ。
「裁かれる?何をだ?俺たちは何か罪を犯したか?」
互いをにらみ合っていた。汗が僕の額からゆっくりと流れ落ちる。
「ヴィオルナで諜士に向かって言ったよな。俺たちは人間じゃない。シュルト、お前も同じ気持ちだと思っていたがな。それともお前もイカれちまったのか?ルークのように」
汗が額から流れ落ちる。雫が右目に入って、反射的に目を閉じる。その瞬間にカーシェスが突っ込んでくる。カーシェスの剣を受け止める。
「あの娘は殺させない。僕はあの娘に会う」
「そうはさせない。お前はここで俺が止める」
剣が弾かれる。カーシェスが僕の腹に蹴りを見舞い、僕は体勢を崩してしまった。カーシェスが剣を振りかぶる。
僕らは歪だ。そして未熟だ。自分でそうだと認識できないほどに。しかし、僕は認識してしまった。僕らは壊れてなんかいない。今まで殺した人間と、母親の命が同じなわけあるかよ。今ならわかる。ルークは僕と同じだ。身内が誰か死んだんだ。
カナエ、君は僕たちとは何もかも違う世界から来た。けれども君は人間で、僕たちも君と同じ人間だ。それをわかっているのはこの世界で僕と君だけだ。
だから僕を裁いてくれ。僕の罪を赦さないでくれ。僕の大いなる罪を。それは君にしかできないことだ。
「終わりだ」
カーシェスが僕にとどめを刺そうと剣を振り下ろす。僕は右腕に仕込んだ魔法を発動させる。ナイフの柄に描かれていたものと同じ、爆発魔法。
右腕が爆発する。肉がはじけ飛んで骨が露出する。しかし、僕の右腕はその瞬間にまさしく爆発的な速度を得て、握られた剣は振り下ろされるカーシェスのそれより早く。彼の腹を貫いた。母を焼いた時と同じ匂いがした。
カーシェスが剣を放す。口から血を漏らして、その場に倒れた。
片手では難儀したが、それでもカーシェスの手足を縛ることはできた。
「やめろ…俺たちは同じ聖騎士団だろ!」
貯水槽の前まで運んできたあたりでカーシェスは目を覚ました。腹を貫かれたが喋る元気があるのは、さすが現役聖騎士団というところだ。
「ここはミダス運河じゃないけど、お前の言うことが本当だったら、案外こっちにもお仲間がいるかもな」
僕は仲間を殺そうとしている。僕はそれに罪悪感を抱いている。けれど、僕には目的があるんだ。
「なあ、昔からの幼馴染じゃないか。ど、どうしてこんなことする必要があるんだ!」
カーシェスが首だけ振り返って、僕を見ながらそう聞く。僕はカーシェスの背中に手を置いて、答える。
「生き返ったら、すぐ追ってくるだろ?」
僕は彼を貯水槽に突き落とした。
彼の体は、鎧の重さで浮かび上がってくることはない。
大いなる罪 黒桃太郎 @gohhong99
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