10
下水道はひどい匂いだ。入り組んでいるので換気が行き届いていないし、蒸し暑い。おまけに足元は最悪だ。点検用の通路はあるが、水道内を隈なく探すには人が通ることを想定していないような場所も通る必要がある。
「聖騎士団に入った頃は、こんなところに来る羽目になるとは思わなかったなあ」
先頭を行くカーシェスは、軽口を叩きながらも、足にまとわりつく汚物に苛立ちを感じているようだ。そらそうだ。こんな不快なところ誰だって腹が立つ。僕は鞘に入った剣が汚水に浸からないよう、慎重に持ちながら後をついていく。
「有毒なガスが発生しないよう。地下水道の各所に空気を浄化する魔法陣が置いてあるらしいが…この分では本当かどうかわからんな」
メイエフは冷静を装っているが、忙しなく剣の柄を叩く指が、苛立ちを伝えていた。
クロウは何も言わずに着いてきている。汗が顔を流れ、顎から滴となって落ちた。
皆が等しく焦燥感を感じていた。もちろん、僕も含めて。僕らはいつの間にか獲物を探していた。殴りつけて、引き裂いて殺せる相手を、獣のように血走った目で見つけようとしていた。
この世界は僕らにとって楽園のようなものだ。誰かを殺したって罪に問われることがない。誰だって生き返るんだから。
いいや、本当はそのことも気にしたことなんかない。僕らが殺した穢れたものが、どうなったかなんて気にも留めない。僕らが拷問して殺した人たちがその後生き返ったのか、死んだままなのかなんて、どっちだろうと関係がない。人の生というものは、獣以下の下卑た欲望を満たすための存在へと成り果てた。
これが死の意味に気付けなかったものの末路だ。勝手なものだ、母の死と、それ以外の死が違うように映るだなんて。だけど、それすら気づくことが出来なければ、それは人間なんかじゃない。
「分水嶺だ。文字通りのな」
僕らは何度目かの分岐点に差し掛かっていた。メイエフが言うには、今までのそれとは違って、大きく行き先が変わる地点のようだ。地図を睨みつけながらそう言っていた。
「どうする?二手に分かれるか?」
カーシェスがみんなに聞いた。答えは決まっていた。
「逃すわけにはいかない。当然分かれて追う」
僕がそう答えた。
僕とカーシェス、メイエフとクロウの二人組に分かれた。下水道の奥、さらなる闇へと進んでいった。
「ネズミがいなくなった」
二手に分かれて歩き始めてからどれくらい経っただろうか。暗闇の中では時間の感覚も相当に狂う。ただ、久しぶりに言葉を発した気がした。
「当たりかもしれないな。誰かがちょっと前に通ったんだ」
横にいるはずのカーシェスがそう答えた。僕はそっちを向かなかったし、彼もこっちを向いてないだろう。
ゴミや排泄物を喰らい、醜く肥え太ったネズミは、人間を見ると、慌てて身を隠した。たまに逃げ遅れたやつを、蹴り転がしながら歩いてきた。それをさっきからしばらく見ていない。
「急ぐか。こんなとこまで降りてきたかいがあれば良いがな」
カーシェスがそう言って、僕らはまた無言で歩き始めた。
「あれ」
思わず呆けた声が口から出たのは疲労のせいもあっただろうが、単純に見えた光景に驚いたというのが大きかった。
もう少し歩くと開けたところに出る。明かりもある。地上との連絡地点の一つだ。水道の傍に、作業用の大き目の陸地がある。そこに見知らぬ男が二人、僕らを待ち構えていた。
「念のため聞くが、カーシェス、知り合いか?」
「いいや。見たことない顔だ」
「じゃあ当たりだな」
「話しかけてみるか。案外良いやつらかもしれん」
そうして僕らは彼らと対峙した。長いコートで、フードをかぶって、マスクもしていたので、良いやつかどうかは見た目では分からなかった。ただ、何となく強そうな雰囲気は感じ取っていた。
「やあ。ここは通してはくれないのかな?」
とりあえず友好的に話しかけてみた。
「追われていたのは知っていた。だから待つことにした」
並んでいる内の右の奴がそういった。微妙に会話が成り立っていない。
「そう——」
左のやつが何かを投げてきた。刺さると致命傷になるやつ。体を横にそらしてそれをかわすと、右のやつが突っ込んできて、右手を振りかぶるのが見えた。
「——か」
脚を投げ出して仰向けに倒れる。薙ぐのか突くのか知らんがこれで躱せる。受け身を取って跳ね起きる。続いて突っ込んできた左のやつの剣をカーシェスが防ぎ、右のやつの二撃目を僕が剣で防いで、同時に左の二本目の剣を蹴り飛ばし、反動で距離を取った。
いつの間に左で剣を握ったんだ?やっぱりこいつら凄腕だ。そんなことを考える頭とは別に体は動いている。剣を両手で持ち、男に向かって駆け出す。右。左。どっちから来る。男の後ろでカーシェスともう一人が闘っている。相手がこっちを見る。左。立ち止まる。切り上げ。空ぶる。右がくる。剣で弾いて懐に入り込む。この距離では互いの剣は届かない。柄で水月を殴る。体が離れる。腕が放り出されたままだ。貰った。
剣を握ったままの両手が宙に飛ぶ。奴の目。とても驚いたという感じだ。そうだ。お前は終わったんだ。吹っ飛ばした体に追いつくように、剣を振るい、奴の首を切り飛ばした。高い金属音が二つ鳴り、その後に鈍い音がした。
カーシェスの方を見ると、彼もちょうど相手を倒したところだった。
「死体をどうする?そこに沈めるか?」
陸地の反対側には貯水槽があった。光の加減もあるかもしれないが、底は見えなかった。
「いいや。時間が惜しい。さっさと行こう」
死体から剣を引き抜きながらカーシェスが答えた。
「そうだな」
僕は駆け出してカーシェスに切りかかった。
金属音が鳴り響いた。
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