5
「拓生、君は頭が良くて助かるよ! 無事にミカを見つけてくれるし、人の少ない裏門を選んでくれるし。車を見ただけで足を止めてくれたのも助かる」
「なにもかも思惑通りってことか?」
「まあ、そういうことかな」
奴の顔を睨みつけるが、意に介さずである。
「さて、ミカを渡してもらおうか?」
佐久馬はこちらに手を伸ばす。俺はミカの腕をぐっと引き寄せた。
「お前にはやらねえよ。俺は、ミカが大事だからな」
そう言うと、奴はむっとして返す。
「それは僕だって同じだ。ミカは大切な資料だ。失うわけにはいかないんだ」
「……お前は何か勘違いをしている」
「……なに?」
「お前が少し時間をくれたおかげで、考えることができた」
佐久馬と俺とでは、ミカに対する扱いが違っている。佐久馬はあくまで彼女をモノとみていたけれど、俺にはそうは思えなかった。
「ミカは、お前のものでもないし、俺のものでもない。ミカ自身のものだろう。……ミカがどうしたいか、それで決めるべきだ。そうじゃないのか」
それを聞いて、佐久馬は少しひるんだような様子を見せた。
「そんなことは許されない。彼女は僕らの開発ロボット……所有物だぞ」
「じゃあ、ミカの意思はどうなるんだ」
「ミカの、意思……」
「お前は、ミカを最も人間に近いロボットと言っておきながら、人間らしいことをさせていないのは、お前じゃないのか」
本当にミカを『人間らしく』させたいのであれば、人間として接すればいい。モノとして見ているままでは、何も進まない。何かを求めるのならば、こちらから手を差し伸べるべきなのだ。
佐久馬は、黙り込んでしまった。
「あっははは、こりゃ面白いな!」
突如、俺の後方……バンの停まっていたあたりから声がした。
黒いバンから出て来たのは、同じような真っ黒のスーツに身を包んだ女性だった。
「な……管理官? なぜあなたがここに?」
管理官?
「ミカ、知ってるか?」
俺は隣のミカにそっと耳打ちする。
「少しだけ見たことある、かな? 多分偉い人だよ」
それはなんとなく分かる。佐久馬の様子からして、少なくとも奴の上司だということは察することができる。
「いや、面白いものを見たな! まさか少年が口弁で負けるとは思わなかったよ」
「管理官! 僕の質問に答えてください!」
管理官と呼ばれた女性はこちらに近づいてくると、俺と、後ろに隠れたミカの顔を順に覗き込む。
「うん、やめ!」
「……はい?」
「だから、この子はこのまま! 学校生活を見届けましょう!」
「な、何を言ってるんですか! ミカはまだ未完成で、回収しなければと……!」
「まあ、なんとかなるんじゃない? 君もせっかく転入したことだしさ、学校生活を楽しみなよ」
「何を言っているんですか!」
「まあその腕はまずいから、早く少年に直してもらうようにね。……そうだ、今から研究所に連れて行こう」
こちらが呆気にとられている中で、女性はミカの方をピシッと指差す。俺は咄嗟にミカを後ろ手に隠した。すると女性は、あははと笑う。
「そんなに警戒しなさんなって。君だって、ミカの腕が直らないのは困るだろう。……そうだな、代わりと言っちゃなんだが、これを渡しておこう」
そう言って俺に手渡されたのは黒いスマートフォンだ。
「これは私の仕事道具。なければ仕事ができないから、彼女が戻ってきたら必ずそこの少年に渡してくれ」
そう言って佐久馬の方を指さしたあと、少し声をひそめて俺だけに聞こえるように呟いた。
「……あと実は、これでミカの居場所も分かる」
「……え?」
今、聞き捨てならないことを聞いたような気がした。
「なんてな! まあ、そういうことだから、この子はいったん預かるよ」
俺が戸惑っている間に、ミカの手は引かれ、黒いバンの中へと連れて行かれる。心配げな表情のミカは、女性により後部座席に乗せられ、すぐに扉が閉められる。
「君の言っていることは、確かに的を射ている……」
背後から話しかけてきたのは佐久馬だった。険しい顔をしてこちらを見ている。
「だが、それはいささか乱暴というやつだよ。すぐに許容できるものじゃない……君もいずれ分かるはずだ」
手をこちらに突き出して来るので受け取れば、俺の自転車の鍵だった。
そして、奴はバンの助手席に乗ると、車は発進し、あっという間に見えなくなってしまった。
俺は、自転車の鍵と二つのスマートフォンを握りしめて、校門の前でただ立ち尽くしていた。
◇
研究所の処置室に入ると白い壁と様々な器具が目に入る。それを見ただけで、私は懐かしい気分に襲われた。たった一週間ほど離れていただけなのに。
……帰って来てしまった。その想いが強かった。
「ミカ、寝ておくといい。充電をしておくべきだ」
サクマに言われ、目を閉じてスリープモードに切り替える……ふりをする。これは最近身につけた狸寝入りという技だ。目は見えないが、音はちゃんと拾える。
しばらく、サクマが私の腕を直す音が続いていた。時折、どうやったらこんな風になるんだ……とか、信じられない、とか悪態をつく声が聞こえてくる。ふと、誰かの足音が近づいてきた。それはこの処置室で止まり、サクマに声をかける。先ほど居た女の人の声だ。
「怪我の功名、だったかもしれないな」
「何がです?」
「もちろんミカのことだよ、少年」
声の離れ具合からして、女の人は部屋の入口あたりに立っているのだろう、と思った。
「君がミカにデータを戻してしまったのは確かにミスだった。まあ、記憶データが一部取り出されていたら、不審に思うよな。しかし君はそれを実行に移す前に」
「確認を取るべきだった。貴女に」
「分かってるじゃないか。データ回復によりミカの情報処理能力、および社会適応力は向上した。だからこそ自力で脱走できたわけだが」
「ミカはまだ未完成品ですよ。まだ実地試験には早い」
「機械部位はな。だがAIは十分だろう。足りないところはこれから補っていけばいい。……確か、研究所のもう使われていない社宅に住んでいたんだろ? 上出来じゃないか。やはり記憶を戻したのは正解だったようだ」
「……つまり、あの記憶データにミカの成長記憶があったことを認めるんですね」
サクマの言葉に、女性の声が少し詰まる。
「……なに?」
「あの記憶は、ミカにとっても、拓生にとっても重要なものだった。違いますか」
それを聞きながら、私はその時のことを思い出していた。タクミのことを思い出した、その時だ。
1ギガバイトにも満たないそのデータは、私の寝ている時、突然に飛び込んで来た。それはいきなりで、でも心地よい温度のお湯に飛び込んだような、とても温かい記憶だった。
私はその中から一際色濃く残った彼を見つけた。彼はまだ幼く、生意気なところもある子供だったけれど、それでも私の救世主だった。彼はまるで、私にとって太陽のような人だった。
「質問があります。……なぜ、拓生はミカのことを知らなかったんですか」
「子供の頃に見たミカの姿と違ったんだろう。ミカは二回モデルチェンジをしているからな。無理もない」
「……僕にはそれだけとは思えません。……拓生の記憶が消えているのと、ミカの記憶データが取り除かれていたのと、なにか関係があるんじゃないですか」
サクマはなおも続ける。
「研究所で、彼の記憶を消す何かが行われたんじゃないですか。彼らが、何か知ってはならないことを知ってしまったために」
しばらく、沈黙が続いていた。それを破ったのは女性の異様に明るい声だった。
「だからどうした? それが行われた、という証拠はあるのか?」
今度はサクマが押し黙る番だった。
「分かってるだろう、君は言うことだけ聞いていれば良いんだ」
女性の声は淡々としていた。
「始末書は書かなくていい、だが報告書は頼むよ、少年」
「……分かりました」
カツカツ、と足音が遠ざかる音がする。
「子供の記憶を奪うなんて……何を考えているんだ……!」
そう絞り出すように言うサクマの声は、本当に悔しそうだった。
そして私の肩に手を置くと、私に話しかける。
「ミカ。君……起きてるのか?」
ええ……なんでバレたんだろう。
「……起きてないよ」
「馬鹿、そういう時は何も返事しなくていいんだよ」
観念して目を開けるとすぐそこにサクマの顔があった。
「今の話……聞いていたか?」
こくりと一つ頷くとサクマは、はぁーーっと長いため息をついた。
「いいかい、このことは絶対に拓生には言わないでくれ」
小さい頃の記憶がないなんて、彼にとってはショックだろう、そう言うサクマは少し寂しそうな顔をしていた。
「……うん、分かったよ」
「頼むよ。……さて、腕は大丈夫そうかな。じゃあ家まで送っていくよ。車を呼んでこよう」
「え、いいよ、私一人で帰れるよ」
腕の様子を確認した後、携帯を取り出すサクマに思わず声をかける。するとサクマはこちらを鋭い眼差しで睨んだ。
「そんなことを言って、また壊れたらどうする? 君はまだ未完成品なんだ。それを生活させるだなんて……あの人は何を考えているのか」
「あ、ご、ごめんなさい……」
サクマの目はその時少し怖かった。
◇
『ブラフですよ、ブラフ。貴方が素直にミカを手放すよう、嘘をついただけなんですよ』
黒いスマートフォンのパスコードと格闘している俺に、アナは呆れたように言う。ミカの家の部屋の中央で、俺は寝そべっていた。
あの女性がこちらに渡してきた黒いスマートフォン。これには、まあ当たり前だが、パスコードがかかっていた。だからミカの居場所が分かるなんていうのも確かめようがない。
『もしあちら側がミカの居場所を知っていたんだとしたら、なんですぐに連れ戻しに来なかったかってことです。だから嘘なんですよ』
「そうかもしれねえけど……」
『もうあきらめて終わりにしたらどうです?』
「そうでなくても強制終了さ」
その声に入口の方を見れば、そこには佐久馬が立っていた。
「お前……何しに来たんだよ」
「何しにって……彼女を届けに来たんだよ」
佐久馬の背後から顔を出したのはミカだった。
「ミカ! ……もう腕は大丈夫なのか?」
「うん。サクマが直してくれたよ」
そう言って左手指を曲げ伸ばしして見せる。本当に腕は直ったようだ。
「……心配かけてごめんね、タクミくん」
「いや別に……」
「はいはい、いいかな?」
会話を遮るように手を鳴らす佐久馬を睨む。本当にこいつはたった一年で性格が悪くなったな。
「明日の朝、腕の調整をしにここに来るから。その後登校。拓生とは別! いいかな?」
「ええ! 明日タクミくんと登校できないの!」
「……まあ、登校したら会えるんだ、いいだろミカ」
俺がそう言うとミカはしぶしぶと頷いた。
「……いやに聞き分けがいいね」
佐久馬がいぶかしげにこちらを見てくるので、俺はすがすがしく笑ってやる。
「まあ、これからまた『クラスメイト』なんだしな。仲良くしとこうぜってことだ。な!」
佐久馬はその言葉……特にクラスメイトのところに酷く嫌な顔をする。大概、面倒だとでも思っているのだろう。お互い様だ。こちとら厄介なクラスメイトが増えて、いい迷惑だ。
「あと、俺のガラケーの弁償代、今度払ってくれよ?」
佐久馬はさらに眉間の皺を深くした。
*
次の日の朝、教室に入ると中沢が声をかけてきた。
「おい! 拓生! 今朝、転校生ちゃんが転校生と登校してたんだけど!」
「ややこしいな。……あー、まあそういうこともあるだろ」
「いいの? 彼氏の座が危ういわよ」
席に着くと、隣に座った樋口も口を出してくる。
「だから別に付き合ってないって」
「そういえばこの前、彼女左腕に大けがしてたけど……案外すぐ治っちゃったのね」
俺は心臓が止まりそうになった。
「そっ……そうだったか?」
「まあ、気のせいかもしれないけどね!」
そう言って笑う樋口は……恐ろしい女だ。
廊下の方からミカが俺の名を呼ぶ声が聞こえる。顔を出せば、嬉しそうに手を振るミカと、あきれたような顔をする佐久馬がいる。俺が少し笑うと、ポケットの中で携帯が震えた。
そういえば、俺はミカのことを何一つ思い出せていない。……まあ、でも、いいか。俺たちの学校生活は、これから始まるのだから。
彼女はロボット 街々かえる @matimati-kaeru
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