トレンチコートの温もり

沢田トウジ

クリスマス

 気がつけば春も終わり、厳しい夏を乗り越え、過ごしやすい秋も過ぎ、本格的な冬に差し掛かっている。人肌恋しいと各々が感じている季節であろう。気温が低く、できれば暖かい布団の中に一生篭っていたいと思うかもしれない。


 年末と年明けが近いのも相まって、世間は「幸せオーラ」一色であろう。別に現状は何も変わっていないのに、まるで新しい時代が始まったかのような振る舞いをする者までいる。

 そんなイベントがあるのは全く構わない。


 しかし、クリスマス……

 お前はダメだ……

 お前のせいで身体の内側から憎悪をたぎらせることになる。


 なぜなら、そのイベントは「カップル」のためにあるからだ。「カップル」でいる時点で、楽しく、充実した日々を過ごしているはずなのに、まるでボーナスステージのように設置されたその期間は、私のような独り身には納得できないのである。

 さらに悪質なのはその「虫」たちが意思を持って群れるからだ。

 つがいで一緒にいたいのであろう。ならば家で過ごせばいいではないか。

 なぜ、こちら側に「幸せのオーラ」を持ち込んでくるのだろうか。

 いわゆるデートスポットに隔離されていれば良いのだが、私が行くような普通の場所にさえ、どこからともなく群がってくる。


 一番良くないのは駅前のイルミネーションと大きなクリスマスツリーである。誰がこんな場所に置いたのだろうか。「虫」の活動時間と、馬車馬のように働いた労働者の帰宅ラッシュの時間がバッティングして、負のオーラが生成されることは、火を見るより明らかである。


 対人関係に悩み、激務を乗り越え、満員電車に揺られ、心身ともに疲れ切った現代人。

 人の幸せを喜べるほどの隙間など無いに等しいだろう。

 やっとの思いで自宅の最寄り駅に着いた時、目の前に「他人の幸せ」が広がっているのだ。

 現実と理想のギャップに心の拠り所が見つからず、やり場のないこの気持ちは何処へやればいいのか。


 まるで幸せをモノとしてかたどったイルミネーションやクリスマスツリー。

 それらを中心とし、煌びやかな光に釣られた「虫」たちが集まる。一見、煌びやかに見えるが、これは人間のエゴの塊でしかない。

 懸命に生きている草木たちが、動けないことをいいことに、電飾を体に巻き付けられ、権利を侵されていることについてどう思うだろうか。彼らにとって、甚だ迷惑であろう。


 また、地上の電源を切り、夜空を見上げれば、人間なんぞには作ることのできない星々の輝きが広がり、人工物で心が動かされている自分が恥ずかしくてしょうがなくなるはずだ。この矛盾に気がつかない人間があまりにも多すぎる。


 そうは言うものの、最寄駅にある、目の前にそびえ立つ、煌びやかで大きなクリスマスツリーとイルミネーションには誠に天晴れである。

 散々否定してきたが、現状を受け入れているのは事実だ。美しいものは美しいと感じてしまう。


 駅前の少しだけ広い不思議な空間。なんのために作られた空間なのか本当にわからない。しかしそこには、立派なクリスマスツリーと、それを見るために置かれたであろう二人掛けのベンチが五、六脚置かれてある。それはもちろん「虫」を優遇する場となっていたのは言うまでもない。

 そんなところに、それらのベンチを見渡せる位置に、不思議と、一人だけが座れる椅子がぽつんと置いてある。あたかも、「虫」のつがいを観察するにはもってこいの位置にそれはあった。


 今日こそは「他人の幸せ」を直接覗いてみようと思っていた。これはずっと決めていた。

 この椅子を発見した時、私の特等席であるとさえ思った。


 日々に疲れ、やつれた頬と負のオーラ、野球帽を深く被り、汚れた白のスニーカーとジーパン、黒のトレンチコートを着た、いかにも怪しく、あまりにも場違いな私がその場にいることについて、「虫」たちはどう思うだろうか。さらに、自身が観察されていると知ったら、さぞかし嫌な気分になるだろう。

 そのように気分が害され、場の空気が壊れれば嬉しいとさえ思う。

 ルサンチマンじゃないか。と言われればそうかもしれない。

 しかし、私はこの位置から世界に訴えかけたい。


 なぜ、男女がともに過ごすことが正しいとされ、一人でいることは負けとされるのか。

 本来、キリストの誕生を祝う日であり、そんな日を祝うために大量に食われる鶏たちの命日でもある。この世に芽吹いた生命と、そのために犠牲になった生命に、ともに感謝する日ではないのか。


 なぜ、「虫」たちは、まるで何かの勝利者のこどく、我が物顔で闊歩かっぽできるのだろうか。

 挙句、幸せの絶頂であるかのような立ち振る舞いをする。それが理解できなかった。


 二十歳になっても恋愛などしたこともない私は心底いら立っていた。別に、ルサンチマンという訳ではない。ちゃんとした理由がある。他者に理解してもらえるかは、難しいかもしれない。


 人を好きになる。つまり、恋愛感情が芽生えるということが理解できないが故なのだ。これは人としてありえないことだとまかり通っているだろう。実際は、そういう人間もといるということだけは理解しておいてほしい。

 少し前に遡る。


 ◇


 学生時代、思春期真っ只中、周りの人間というのは、色恋沙汰に一生懸命になり、学生の本分である勉強に手がつかないのは古今東西違わないだろう。


 人を好きになったことはないと言ったが、この時ばかりは気になる人くらいはいた。別に会話をしたわけでもなく、相手の性格を分かった上でもない。いわゆる一目惚れだ。


 しかし、その気持ちとは裏腹に、相手側は私のような、教室の端でくすぶっている人間など興味すらないようだった。むしろ、好意を持たれることは気持ちが悪かったのだろう。


 それは席替えの日であった。

 天気のいい晴れの日、気温も湿度もちょうど良い日だった。

 とりわけ友人がいるわけでもない私が、席替えごときで心を躍らせてしまうほどの心地よい日だった。

 それは迂闊うかつにも一目惚れをしてしまった彼女の隣の席を勝ち取れるチャンスが来たのも相まってのことだろう。


 授業が全て終わり、一日を乗り越え、楽しみである席替えが待っているホームルームの時間、クラス中がざわつき、窓際の席が良い、後ろの席が良い、誰の隣が良いなど、さまざまな会話が飛び交い、混沌としていた。席替えだというのに、本来まとめ役の担任すらいなかった。そんな中、頼れるクラスの委員長の喝が入る。


「みんな!静かにして!楽しみなのはわかるけど始められなかったら意味ないよ!」


 一瞬でクラスが静まった。

 すると、クラスのあちこちから、ごめんね、悪かった、など反省の色が見え始め、秩序を取り戻していったのだ。


 流石である。やはり男前で、文武両道且つ、リーダーシップのある委員長は流石である。カリスマというのはこういう人のことを言うのだろう。


「さあ!この箱に入ってるクジを僕が運ぶから選んでね!全員が引き終わったらクジに書いてある番号の席に移動しよう!」


 そう言って委員長はクラスの中を歩いて回り、一人一人にクジを引かせた。

 すると、引いていった人からからざわつき始め、喜びの声や、嘆きの声が飛び交い、再び混沌が訪れた。


 そんな混沌の中、各々はクジに書いてある番号の席に移動する。

 誰と近くの席になれるか、全員が考えていたに違いない。


 そんな私も、一目惚れした彼女の隣の席になれるかどうか、ドキドキしていた。クジの番号の席に移動し、席に座って祈っていたのは束の間。


「え……?」


 それは女性の声で、私に向けられた声でもあるようだった。

 振り返ると、気になっている例の彼女がいた。

 私は運に勝利したと思った。表情には出さないが、踊りたくなるくらい嬉しかった。しかし、彼女は違ったようだ。


「え、なんで、なんでこんな人のとなりに……」


 何のことだか分からなかった。

 理解をするのが困難であった。

 しかし、その言葉は、私を嫌う言葉であることは確かであった。


 理解の追いつかない現状に、呆然としていると、あろうことか、彼女は泣き出してしまった。本当に何のことか分からない。私が隣の席だという事実が嫌であったのだろうか。


 彼女が泣いている異常事態は、すぐに周囲に知られていくことになる。

 みなが心配の声をかける。これは私が悪いことをしたのだろうか。何もしてないのにそう感じ、罪悪感に駆られた。


 誰もがあたふたしている状況に、委員長が来た。すぐさま彼女に近寄り、事情を聞く。

 彼女は右手で目を隠しながら、左手でこちらを指差し、委員長の耳元で何かをささやく。何を言っているかは分からない。


 すると委員長は血相を変えて、こちらに迫ってきて、私の胸ぐらを勢いよく掴んだ。


「君が泣かせたんだね。女性を泣かせるのは男として最低だよ。」


 本当に何のことか分からなかった。あまりにいきなりのことで何を言われているのか分からず、言い訳の言葉すら出てこなかった。ただそこにいただけなのになぜこうなったのか。


 自分の思いとは裏腹に、大衆からの応酬は容赦なかった。

「クソだな」

「女子泣かせた、サイテー」

「気持ち悪っ」

「死ねばいいのに」

「消えろよ」


 それらのナイフは、どうやら私に向けられ、それらは確実に深く刺さった。


 私は一言も発していないのに、存在しているだけで罰を与えられるらしい。


 クラスの全員が敵に見えた。いや、私がクラスの敵なのかもしれない。


 私の胸ぐらを掴んでいる委員長は私を近くの壁に思い切り投げた。

 壁に打ち付けられ、バンッと音を立ててぶつかり、地面に寝転ばされた。


「一生彼女に近づくな」


 そう吐き捨てた委員長は彼女の元に戻り、介抱に当たった。


 あまりの出来事に驚いて、何も感じることができなかった。身体の痛みすら感じなかった。ただ一つ、心の中にぽっかり穴が空いてしまったようだ。


 しばらく地べたに伏していた。だんだん正気に戻ってくると、怒りが湧き上がってきた。虚無だった心も、怒りに満たされた。


 私は彼女を下から睨むように見た。彼女は両手で目を隠しながら、うつむいていた。

 しかし、私はギョッとすることになる。なんと彼女の口元がニヤけたのである。それは一瞬のことであった。クラス中は誰もこのことに気がついていないので、私にしか見えなかったのであろう。


 私はその理解しがたい行いを理解した。

 彼女は委員長の気を引きたかったのであろう。委員長が寄り添ってくれてさぞ嬉しかったのであろう。

 私という存在は、そのイベントのための踏み台でしかなかったのである。


 あまりの恐ろしさに、さっきまでの怒りは消え、その場から全力で逃げた。

 勢いよく教室を出て、階段を駆け上がり、屋上に避難した。

 この感情を落ち着かせた上で、クラスの人間が帰ったら、戻って帰宅することにした。


 もちろん、クラスの人間は私を呼びになどこず、一時間くらい町の風景を見ることができた。

 誰もいない教室に戻り、自分の荷物を回収して、駐輪場に行き、自転車も回収した。

 自転車に乗る気力すらなかった。通学路の川沿いを永遠と歩いた。夕日に照らされた川はオレンジ色に煌めいており、綺麗だった。


 すると、少し歩いたところの土手に、委員長と彼女が二人きりでいた。彼女は左側にいる委員長の肩に頭を乗せ、寄り添っている。


 もう何も感じなかった。二人は結ばれたのであろう。そんなことは容易に想像できたので、興味すらなかった。彼女らにとって、今日という日は、一生に残る思い出になったことだろう。気にかけることもなく、帰宅に集中する。


 夕日に照らされ、赤く染まるドブ川を横に、誰もいない右側の頬を、涙が一滴伝った。何も感じていないはずなのに、一滴だけ流れた。



 結局、見た目なのである。


 見た目が悪いと、存在がマイナスなのだ。たとえ、どんなプラスのことをしたとしても、マイナスに捉えられるだろう。


 物語の材料となる人間は、総じて顔が人並み以上だ。


 顔が悪いと関心すら持たれない。いや、存在すら忌み嫌われる。


 そう悟ったあの日から、人を好きになる、いや、信じるという感情が分からなくなってしまった。自分さえも信じることができなくなった。


 ◇


 感傷にひたってしまっていたようだ。治りかけの傷にできたカサブタを、夢中でいじくって剥がしてしまい、無意味にしてしまった。なんとも痛痒いものである。


 目の前には談笑している「虫」たちが幸せそうにしている。その幸せはまるで、あのドブ川の、煌めくオレンジの炎のようであった。


 私はその炎に入る虫だったのだ。「人」の焚いた炎の中にまんまと入ってしまった。

 そんな虫は、わざわざ気にする必要などしなくても良い存在である。

 世の中はそんなものだ。卑下されるか、無関心かのどちらかである。私は早々に見限っている。


「ふぅ……」


 大きな一息をつき、立ち上がり、組んだ手を頭の上に持ち上げて、肘を伸ばし背伸びをする。ポキポキッと気持ちの良い音を立てた。それはまるで徒競走のときのピストルの合図のようだ。


 懐にしまっていたナイフを取り出す。


 イルミネーションの発する光が、無機質で、曇った刀身に、煌びやかな色を与えている。

 私はその綺麗な光を一瞬だけ見て、迷うこともなく「人」たちに向かって勢いよく走った——


 一段と寒い日のトレンチコートの温もりは、私にしかわからない。

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トレンチコートの温もり 沢田トウジ @yaaaman33

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