第34話
レインがアリアの幸せを考えているわけがない。
それはアリアが一番よく知っている。
いや、もっとよく知っているのはレオンなのだろうが。
彼によってレインという女は育てられ、作られたのだから。
彼女が大切に思うのはレオンの言葉。レオンの仕草。レオンの思考。
そこにアリアが入る余地はない。
レオンと組織、あるいはその目的が彼女の一挙手一投足の中心にある。
それをついつい忘れてしまうことがある。
アリアに対するレインの優しさ。
あるいはそれに思えるような行為のせいで。
「そんなに殿下との仲を発展させたいの」
ウィリアムがいなくなった後、コーヒーを飲みながらアリアはレインに顔を向けた。
レインは窓際に立って外を眺めている。
景観はあまり良くはないが、街から離れているから、星がよく見えた。
「そりゃもちろん」
星を眺めながら、レインは言う。
「あんたたちが仲良くやってくれれば、私も助かるし、仕事も楽になるからね」
「仕事のため」
「そう。もちろん、あんたが幸せになってくれればいいなとも思ってる」
「本当かしらね」
「本当よ。私の命をかけてもいいわ」
窓に背中を預けて、レインはアリアを見る。
「殺す人間が殺される人間の幸せを願っちゃ、いけないかしら」
「さあ。私に聞かれてもわからないわ」
「そりゃそうね。どんな殺し屋だって、こんな面倒な仕事を経験したことはないでしょうから」
「でも。その幸せを願うのは、父さんのためなのよね」
レインの笑みが固まった。
「私のためなのはわかってる。あんたが私のことを何とか幸せにしようとしているのもわかってる。言葉は粗雑だしいつもふざけているような態度だけど。そこんところは私もわかってる」
「褒めるフリしてけなしてない?」
「そう聞こえたなら、あんたの耳は正しいわよ」
「口がへらないわね。誰に似たのかしら」
「母さんではないことは確かね」
アリアはコーヒーで舌を濡らす。砂糖とミルクで濁った湖面に、アリアの唇が触れる。
「でも、それは父さんのためなんでしょ。ううん、この場合は父さんの背負っている責任のため、なのかしら」
「難しいことを言うわね」
レインが腕を組んで、アリアを見つめる。
「うーん。どう言ったらいいのかしらね」
そう呟いてから、レインは数分ばかり考え込んだ。
レインは俯き、アリアは濁ったコーヒーの湖面を眺めている。
しばしの静寂。窓を打つ風の音が響いていた。
「確かにそう言うところはあるかもね」
レインは言う。その言葉に、なぜかアリアはどきりとした。
「あんたのそばにいるのだって、レオンからの依頼があったから。あんたを守るのも、あんたのそばで色々と世話を焼くのも、すべてその依頼があったから。それはあんたも良くわかっているでしょ」
「うん、まあ」
「でも、依頼だけの関係だったらここまで話したりなんかしない。言葉をかけることなんてしないし、あんたを気遣ったりもしない。国友みたいに、仏頂面であんたの周りに立っているだけだったと思うわよ」
月明かりが窓から差し込む。レインの顔に影がさして、よく見えない。
「世話を焼いてもらった覚えはないけど」
「あら、心外ね。寝返りでめくれた毛布を戻してあげてるの。私なのよ」
「見てないからわからないじゃない」
「世話ってのはそういうものなの。縁の下の力持ち。面と向かってわかることは、その一つにしか過ぎないんだから」
レインはアリアに近づいてくる。
「あんたとこうして言葉を交わしてるのは、私個人の趣味みたいなものね。あんたの恋路を見ていると面白いし、あんたの反応の一つ一つがいちいち楽しいから」
「人をおもちゃかなんかだと思ってるの」
「そうかもね」
アリアがレインを睨む。
「冗談よ、冗談」
レインがアリアの頬を撫でる。
「シャワー。先に浴びるわね。今日は体動かしたから、汗かいちゃった」
「わかった」
レインが脱衣所に消えていく。その背中をアリアは見送った。
信用するな。信用するな。信用するな。
あいつは自分のことは考えていない。
仕事のこと。自分を殺すためだけにいるのだから。
アリアの頭は警鐘を鳴らす。
喧しく、しつこく。アリアの耳の奥でうるさくなり続く。
アリアはその警鐘に耳を塞いだ。
今は、もう少し考えてみよう。
アリアは目を閉じて、残り少ないコーヒーを飲み込んだ。
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