第32話

 医務室での治療を終えて、レインは外に出た。

 左腕には包帯が巻かれ、三角巾で支えてある。

 それ以外にも大きなもの小さなものかかわらず、切り傷にはガーゼが当てられている。


 全身から漂う消毒の匂い。

 顔をしかめながら、レインは元来た道を辿ることにした。


「よかった。終わったのね」


 医務室のすぐ外にあるベンチ。そこにアリアが座っていた。

 彼女は立ち上がって上から下にレインの体を見る。


「徹底的にやってもらったのね」


「ええ。いい先生よ。さすがお金持ちの学校は違うわ」


「どのくらいで治るって」


「2、3週間ってところだって。様子を見つつくれぐれも安静にしているように。ですって」


「その方がいいでしょうね」


「でも仕事はするわよ。片腕はダメでも、足も片手も元気だからね」


「仕事に真面目なのはいいけど、あんまり無理をしないでよね。倒れられでもしたら、困るのは私なんだから」


「わかってるわよ。そのくらいの管理は自分でできるわ」


 窓の外から西日が照らす。廊下に窓の影が落ちている。


「国友のやつは、あの後どうなった」


「殿下が事情を聞き出しているとこ。私はアンタが心配だったから、先にこっちにこさせてもらった」


「そう。意外と優しいところがあんのね」


「意外とは余計よ」


 ベンチに二人で座る。


「これ、よかったら飲んで」


 アリアはポケットから瓶のサイダーを取り出した。一本はレインに、もう一本は自分の分に。


「ありがと」


 蓋を開けてみると炭酸の抜ける音が聞こえてきた。

 シュワシュワと炭酸が弾ける音。

 喉に傾けてみれば、冷えたサイダーの甘味が口いっぱいに広がった。


「私が思った仮説なんだけど、聞いてもらえるかしら」


「仮説? 何の」


「国友さんがあんたを襲った理由よ」


「言ってみなさいな」


 サイダーを傾ける。


「アンタを襲ったのって。殿下が理由だと思うのよ」


「へぇ、どうして」


「それは、アンタの職業のせいじゃないかと思ってる」


「殺し屋が?」


「自分で大っぴらにするのはどうかと思うわよ。どこに耳があるか、わからないんだから」


「はいはい。で、私の職業がどう関係してくるわけ」


「殺し屋がこの学園にいる。もしかすれば殿下の命を狙って、潜入したのかもしれない。あんたに聞いたところで、はぐらかされるのは目に見えている」


 蓋の開いていない瓶を両手に挟む。アリアの手に水滴が落ちていく。


「確かめてわからないのなら、不安は摘んでおく方がいい。そう考えて、国友さんはあんたに決闘をしかけた」


「面白い推測ね」


「あんたはどう思ってるの」


 アリアはレインの顔を覗く。


「似たようなものね」


「でも、だとしたらおかしいのよ。決闘は使用人の主人の生徒の認可がなければ行えない取り決めよ。それなのに、どうして決闘を行えたのか」


「さあね。私にもそこのところはよくわからない」


 ただ。レインは言葉を切ってサイダーを飲む。


「相手は殿下の付き人。しかも近衛隊の隊長をやっている人間だからね。学園の中にコネがあっても不思議じゃない。それに決闘の申請といったって、書類に拇印を押すだけだから、殿下が寝ている好きにでもおさせることはできたでしょう」


「でも、文字は」


「ウィリアムが書いたものを写せば。書類確認のたびに筆跡鑑定なんてしないでしょうし、そっくりな文字さえかければ誰も疑わない。あくまで仮説だけど」


 レインは背もたれに体を預ける。

 背を伸ばしてみれば、骨が軋み、痛みが走る。苦痛に表情を歪めたが、すぐに顔を戻しサイダーをあおる。


「詳しいことは殿下に聞いてみてから判断すればいい。今は不要な推測は心の奥にしまっておくことね」


「……そうね」


 緑色の瓶。その中に浮かぶサイダーの貴方を、アリアはじっと眺めている。


「でもよかった。あんたが死ななくて」


「何、心配してくれたの」


「そりゃ心配するわよ。……一応、だけど」


 そっぽを向いてアリアは言う。


「死なないわよ。あんたを殺すまでは、死んであげない」


「嫌な話ね。いっそ死んでくれた方がよかったかも」


「残念、死にぞこなっちゃいました」


 アリアは蓋を開けて、ぐいとサイダーを飲む。

 不安が甘みと爽やかさと一緒に、腹の中に流れていった。


「それより、どうしてこっちの来れたのよ」


「シェリーが教えてくれたの。国友さんとあんたが決闘しているから、早くきた方がいいって」


「シェリーが? どうして」


「さあ、そこまで聞く余裕はなかった」


 レインはあごを撫でて考える。


「何かあるの」


「……いいえ。別に。後で感謝しなくちゃね。あの二人に。菓子折でもあげようかしら」


「へぇ、あんたでもそう言う気遣いできるんだ」


「失礼しちゃうわね。礼儀ぐらい私にもあるわよ」


「意外ね」


「いい加減にしないと、その頭にでっかいタンコブ作ることになるわよ」


「痛いの遠慮するわ」


 アリアは笑った。

 立ち上がって、くるりとレインに体を向ける。


「それじゃ寮に戻りましょ。今日は疲れたから、早く寝たいのよ」


「あんたの好きにすればいいわよ」


「言われなくても、そうさせてもらうわ」

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